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◆私たちの神、主は、

2016年07月19日 06時40分49秒 | 聖書
今、ご自身の栄光……を私たちに示されました。(申命五・二四)
 
神のすべてのみわざの中にある大目的は、ご自身の栄光が現されることである。それ以下の目的はどんなものであっても、ご自身にふさわしくない。しかしどのようにして神の栄光を私たち落伍者に対して現されるのだろう。人の目は澄んでいない。常に自分の名誉に目を走らせ、自分の力を過大評価しがちなため、主の栄光を仰ぐ資格がない。したがって、神が高められる余地を作るためには、自我が退けられなければならない。これは自明のことである。
神がその民を、しばしば窮迫と困難の中に置かれるのは、彼らの愚かさあるいは弱さを知らせ、神が来て彼らを救われる時の栄光を拝するにふさわしくするためである。その生涯が平たんな道である者が主の栄光を見ることはほとんどない。彼は自分をむなしくすることがないため、神の啓示によって満たされるにふさわしくないのである。小川を小舟で旅する者は、暴風雨の際の神についてはほとんど知らない。しかし「大海であきないする者」は「深い海でその奇しいわざを見た」のである。死別、貧困、誘惑、叱責などが大西洋の大波のように寄せてくる時、私たちは自らの弱さを痛感し、主なる神の御力の偉大さを学ぶ。
それゆえ、あなたがもし険しい道に導かれたならば、神に感謝せよ。これがあるために、あなたは神の偉大さといつくしみとを経験することができるのである。あなたの困難は、他の手段では得ることのできない知識の富をあなたに与えてきた。あなたの試練は岩の裂け目であり、主なる神はしもべモーセにされたように、あなたをもその中に立たせ、過ぎていく神の栄光をかいま見ることを得させてくださるのである。
常に繁栄の中にあったならば、あなたは暗黒と無知の中にとどまったことだろう。しかしあなたが困難と戦ったゆえに、あなたに対する神の驚くべき摂理の中にも神の栄光の輝きを拝し得たことを覚えて、神を賛美せよ。
 
 

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