座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆主は……御腕に子羊を引き寄せ、

2017年05月14日 15時31分49秒 | 聖書
ふところに抱き……優しく導く。(イザヤ四〇・一一)
このような恵みに満ちたことばは、だれのことを語っているのか。もちろん、良い羊飼いのことである。なぜ主は、子羊を引き寄せ、そのふところに抱いて連れて行かれるのか。それは主が優しい心をもたれ、弱い者を見ると、ただちに心を動かされるからである。主の群れの小さな者が嘆息をし、無知で弱いことが、主の同情を呼ぶ。弱い者を顧みることは、忠実な大祭司としての主の務めである。さらに主は、血をもって彼らを買い取られたのであり、彼らは主の財産である。主は、ご自身がこのように高い価を支払われた者を顧みられるのである。そして主は、一頭一頭の子羊に対して責任を負っておられる。すなわち、その一頭をも失わないとの誓いを立てておられるのである。さらに、子羊らはすべて主の栄光と報いの一部である。
しかし、「優しく導く」という聖句を、どのように理解すればよいのであろう。時には、主は多くの試練に会わせないために彼らを導かれる。摂理は彼らを優しく扱う。主はまた、しばしば彼らが試練に耐え、信仰に堅く立つために、格別に豊かな愛を満たすことによって導かれる。あるいは、彼らにきわめて単純な信仰を与えることによって、彼らを導かれる。それはお約束をそのままに受け取る信仰であり、信じて、すべての悩みをもったままでみもとに駆けていく信仰である。その単純な信仰は、彼らに非常に大きな確信を与え、世俗から離れたところに彼らを導く。
「主は……御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き……優しく導く。」ここに無限の愛がある。またここには、愛の接近が見られるではないか。そしてここには聖なる親しさがある。キリストと弱い信者との間の尊い愛の交流が……。また完全な安全がある。主のふところにいる者に、だれが危害を加えることができるだろう。彼らに危害を加えようとするなら、まず羊飼いを傷つけなければならない。そして、完全な安息と甘美な慰めとがある。私たちは、このイエスの無限の優しさを、まだ十分には感じ取っていない。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御霊によって歩みなさい。

2017年05月14日 15時31分01秒 | 聖書

そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」(ガラテヤ5:16)

御霊に導かれて、御霊の支配の中で生きる時、私たちは自由で、喜びがあり、感謝がある。
しかし、律法のもとで、肉に従って生きるなら、信仰生活は、非常に窮屈になる。
しんどいばかりで苦しい。

心に自由がなく、心がふさがれて辛い。常に神に要求されているように感じる。
神が過酷な方で、蒔かないところから刈り取る厳しい方になってしまう。
本当にクルシミチャンだ。そこに喜びが全く無い。今、あなたはどうだろう。

しんどい信仰生活だろうか。辛くしんどいなら、どこかがおかしい。
自力で頑張っているかも知れない。
人への妬みや憎しみ、怒りが湧き上がる時、これは良くないこと、だめだと、心に押し込み、抑え込んでしまうだろうか。
抑え込んだものは、無くなるのでなく、厳然とずっとそこにある。

どんどん抑え込むといつか爆発する。この時に、これは良くない思いと、押し込むのでなく、「私は怒っています、妬んでいます、憎んでいます。
誰にも言えないこの思いを、あなたはご存じです」と一つ一つ、主に申し上げて行くことが大切だ。

隠すのでなく、言い訳せず、ごまかさず、無いことにせず、主の御前に言い表して行くことだ。
心をきよめて平安にして下さる。絶えず主を呼び、言い表わし、助けを求めて行く時、その否定的な思いが消えて行く。
思いが来た時、「主よ」と主を呼び求めよう。
----------------------
私達は自由を得るために召された。苦しい、厳しいだけならとても不自由だ。
愛せない、出来ないと告げ御霊の助けをいただくことが出来る。
肉には出来ない喜び平安を持って信仰生活を歩もう。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おはようございます。

2017年05月14日 08時31分45秒 | 日記

今日1日感謝の一日をありがとうございます。

合掌  大西

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の聖人の記念日

2017年05月14日 08時31分14秒 | キリスト教

聖マチア使徒

1世紀

 イエスの弟子であった12使徒の一人。イスカリオテのユダがイエスを裏切ったので、他の使徒たちは、その後任を2人の候補者から選ぶことにした。弟子たちは集まって熱心に祈ってから、くじを引いた。そのくじにあたったのがマチアである。マチアについては、はっきりしたことはわかっていないが、彼は最初からイエスの弟子となったユダヤ人であった。マチアは、エルサレムからエチオピアまで宣教の足をのばし、その地で殉教したといわれる。遺骨は、4世紀にローマに運ばれ、後にドイツのトリール司教座聖堂に移された。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆富と見せかけ

2017年05月14日 08時30分12秒 | 聖書

富んでいるように見せかけ、
何も持たない者がいる。
貧しいように見せかけ、
多くの財産を持つ者がいる。        (箴言一三7)
まことに「人は見かけによらぬもの」です。近ごろは金ブームだそうですが、銀座の貴金属商に、それこそみすぼらしい身なりの人が来て、ふろしき包みから一千万円を取り出して、金の延べ板などを買っていくことがあるそうです。そうかと思うと、舶来品で身を固めたようなりゅうとした紳士が、財布はからっぽということも多いのです。
私も、ある大学に学長さんを訪ねていった時、庭で掃除していた老人を用務員さんと思い、「学長室どっち」なんて気軽に聞きました。そして学長室に行って秘書の人に聞いたら、そのご老人が学長さんだったという経験があります。
恐ろしいことは、「見せかけ」で生きることです。自分でない自分を人に見せて生きる「見せかけ」の人生を送るうちに、やがて、自分の虚像を自分自身と思いこむなら大変です。他人をだまし続けて、ついに、自分をだまし始めることになります。
たとえば、自分の実力や実情に逆らって大きな家を建て、大きな家に住んでえらくなったように思います。やがて借金で首がまわらなくなり、配偶者は駆け落ちし、子どもはぐれてしまいます。家庭はめちゃめちゃになり、どん底に落ちる人がたくさんいるそうです。そして、人を責め、自分の不幸を嘆いて暮らすのです。
すべてを見、すべてを知っておられる神の前に、何一つかくしだてや見せかけをしてはなりません。いいえ、すべてを見、すべてを知った上で愛してくださる神の前に、神にゆるされ愛された者として確信をもって歩む生き方があります。どんなに貧しく見えたとしても、これは豊かな生き方なのです。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆キリストとの共同相続人であります。

2017年05月14日 08時29分25秒 | 聖書
(ローマ八・一七)
天の父の無限の宇宙は、まさしくキリストのものである。「万物の相続者」としてキリストは、広大な神の被造物の唯一の所有者である。主が私たち選びの民を共同相続人としたので、当然全被造物は私たちのものとなっている。天の都の純金の大通り、真珠の門、いのちの川、無比の祝福、言語に絶する栄光は、尊い主により、私たちの永遠の所有として渡された。
主はその所有のすべてをその民とともに分けられる。主は教会の頭に王冠を授け、ご自身の教会に王国を与え、その子たちを王である祭司、すなわち祭司と王の種族と呼ばれる。主は、私たちが栄光の戴冠式にあずかるために、ご自身の冠を捨てられた。主はご自身の血潮により勝利を得たすべての者に位を得させるまでは、王座に上ることを望まれない。かしらなるキリストを王位につかせよ。そうすればすべての肢体なる教会がその名誉を分け合うことになる。見よ。すべての勝利を得たクリスチャンに与えられる報いがここにある。キリストの王座、宝冠、笏、宝物、御衣、世襲財産はあなたのものである。人のねたみ、利己主義、貪欲は、他人が自分の利益にかかわることを許さない。しかし、キリストはこれらを全く超越し、ご自身の幸福は、その民に分かち与えることによって完成されるとみなされる。
「わたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。」「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」御父のほほえみは、キリストの民がそれにあずかることにより、キリストにとってさらに慕わしいものとなる。キリストの勝利は、その民に勝利を教えることによって、さらに価値あるものとなる。キリストはご自身の王座で、民のために共に座する所が備えられていることを喜ばれる。キリストはご自身の御衣のすそがその民をおおっているので、御衣を着ることを喜ばれる。
主はその喜びに人々を招き入れたゆえに、いっそうの喜びのうちにあることを楽しまれる。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩篇37篇18-20節

2017年05月14日 08時28分08秒 | 聖書


37:18 主は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは永遠に残る。
37:19 彼らはわざわいのときにも恥を見ず、ききんのときにも満ち足りよう。


主は、すべての事を知っておられるのみならず、すべての人の事もご存じです。

しかし、知っておられる事と、その人の益のために配慮して下さる事とは別です。

主の御心に従おうとしない人に対しては、主は喜びを持たれません。

しかし、主を恐れて敬う人には、配慮の手を延べてくださいます。

 その主を恐れて歩む人のことを「全き人」と語っています。

その人自身が完全であるのではなくて、主に対する信仰の故に、完全な人として受け入れられているのです。

キリスト者も、そのようにされている人々です。

そうした人に、特別の配慮をして下さることを語っているのです。

ところが、現実を見ますと、キリスト者にも多くの苦しみや悲しみがあります。

そんな時、自分は顧みられていないのかなと、思ったりします。

しかし主の配慮は、地上のことのみでなく、天に通じる事への配慮をも語っているのです。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マタイの福音書12章28節(エゼキエル書12章)

2017年05月14日 08時26分08秒 | 聖書


★しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。

■O:今日のコラム

シャローム!御国が来ますように!!
新しい1日を心から感謝します!

いきなりですが、神の国が来ることを待ち望んでいますか?

ヘブル13:14
「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。」

信仰の先輩達が憧れたように、私は切に!永遠の都、神の国を待ち望んでいます!

聖日の礼拝の中で語られたかは分かりませんが、少し前に聖書学校、祈りのスタッフのミーティングの中で真の礼拝者になりたい、礼拝者を育てたいのであれば黙示録4-5章を100回。1日10回×10日間=100回読むことをチャレンジされました。

黙示録4-5章の中で昼も夜も絶え間無く御座に座すお方をさけびほめたたえていますし、それはリアルなことです。
読む中でわたしはどれだけこの地上のことだけ心奪われて生きているのか?御国のことを忘れて生きているのか?泣いて悔い改めに導かれました。 しかし、悔い改めに導かれても、また御国を忘れてこの世のアレコレに心奪われ生活していることを認めざるを得ないです。

ピリピ3:20
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」

わたしの国籍は日本ですが、天にも国籍があります。なので、日本人ですが、天国人です!
天国人ならば、御国の歩み方をしたいですが実際出来ない弱い自分がいます。

ローマ14:17
「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」

これにあっていないものを私たちは取り除く必要があります。
何によってでしょうか?
御言葉、イエスキリストの血潮、聖霊によってでしか他ありません。

エペソ5:26-27
「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」

ヘブル12:29
「 私たちの神は焼き尽くす火です。」

エペソ1:7
「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。」

私たちのうちにある罪、先祖の咎、傷、肉の行い、主に喜ばれないこと…を悔い改めていくことです。この悔い改めのプロセスを通して、私たちは少しずつですが聖化されていき、内なる人が立て上げられていきます。

私たちが聖化されていくことが今日のマタイ12:28にあるように、悪霊を追い出し、神の国が私たちのうちに来ることであると信じます!
これが神の国を待ち望む者の姿勢ではないかと思います。

■A:考えてみよう
私たちは日々新しく、御座、神の国、永遠の都に目を向けて、私たちのうちを聖め、神の国が来るように願い、祈り求めていきましょう!!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月13日(土)のつぶやき

2017年05月14日 01時30分51秒 | キリスト教
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする