しかし、「優しく導く」という聖句を、どのように理解すればよいのであろう。時には、主は多くの試練に会わせないために彼らを導かれる。摂理は彼らを優しく扱う。主はまた、しばしば彼らが試練に耐え、信仰に堅く立つために、格別に豊かな愛を満たすことによって導かれる。あるいは、彼らにきわめて単純な信仰を与えることによって、彼らを導かれる。それはお約束をそのままに受け取る信仰であり、信じて、すべての悩みをもったままでみもとに駆けていく信仰である。その単純な信仰は、彼らに非常に大きな確信を与え、世俗から離れたところに彼らを導く。
「主は……御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き……優しく導く。」ここに無限の愛がある。またここには、愛の接近が見られるではないか。そしてここには聖なる親しさがある。キリストと弱い信者との間の尊い愛の交流が……。また完全な安全がある。主のふところにいる者に、だれが危害を加えることができるだろう。彼らに危害を加えようとするなら、まず羊飼いを傷つけなければならない。そして、完全な安息と甘美な慰めとがある。私たちは、このイエスの無限の優しさを、まだ十分には感じ取っていない。