主は「恵みに満ちておられる」。おお、もし主が恵みに満ちておられなければ、私は決して救われていなかったであろう。私が主の恵みから逃れようともがいていた時、主は私を引き寄せ、ついに私が、罪を宣告された犯罪人のように、震えながら恵みの御座に来ると、「あなたの罪は多かったが、すべて赦されたのだ。しっかりしなさい」と告げられた。
また、主は「まことに満ちておられる」。主の約束はまことであって、一つでもむなしくはならなかった。
私は証言する。私の救い主にまさる救い主を見いだした罪人はなく、私の霊にとって良い慰めであられるキリストよりも、良い慰め手を見いだした悲しんでいる人はない。私は主のほかに、何ものも必要としない。私が生きている時、主は私のいのちであり、死ぬ時には私の死であられる。私の貧しい時、キリストは私の富であり、病める時には私の床をのべてくださる。私が暗やみの中にある時、主は私の星であり、光の中にある時、主は私の太陽であられる。
イエスは私にとって怒りではなく全き恵みであり、全きまことであって虚偽ではない。そして、まことと恵みにおいて主は無限の満たしであられる。
私のたましいよ。心から「ひとり子」をあがめよ。