座間コミニティー

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◆すぐさまふたりは立って、エルサルムに戻って……

2016年05月25日 17時01分34秒 | 聖書
道であったいろいろなことや……イエスだとわかった次第を話した。(ルカ二四・三三、三五)
 
二人の弟子がエマオに達し、夕食をとって再び元気を回復しようとしていた時、途中で彼らの心を深く動かした不思議な見知らぬ人が、パンを取って裂き、ご自身を弟子たちに知らせ、そして姿を消した。彼らは日も傾いていたので、共に泊まるようにと強いて引き止めていた。今や夕やみはさらに濃くなっているが、彼らの愛がその足のともしびとなり、翼となった。彼らはやみを忘れ、その疲れも消え去った。そしてただちに、復活の主が彼らに現れたその喜びの知らせを伝えるため、十二キロの道を引き返した。彼らはエルサレムでクリスチャンたちに会った。そして自分たちに起こったことを話さないうちに、数々の喜びの知らせを聞いた。
これら初代のクリスチャンたちは皆、キリストの復活を語り、主について知っていることを宣べ伝えようとする熱情に燃えていた。彼らは自分たちの経験を共通の財産としていた。
今夜、彼らの模範を私たちの心に深くとどめよう。私たちもまた、イエスについて証ししなければならない。ヨハネの語る墓の話は、ペテロによって補足される必要があった。そしてマリヤは、さらにそれにつけ加えることができた。私たちはそれらを全部総合することによって、完全無欠の証言を得る。私たちはそれぞれ特別な賜物を受け、異なった務めをもつ。しかし神が意図される一つの目的は、キリストのからだの全体を完成することである。したがって、私たちは自らの霊的所有を携えて使徒たちの足もとに置き、神が私たちに下さったものをすべての人に分けなければならない。
貴重な真理をもち腐れにすることなく、あなたの知っているところを語り、見たことを証しせよ。そのための骨折り、暗やみ、友の不信感などを決して気にすることはない。立ち上がってあなたの働き場へ行き、神があなたのたましいに示された大いなることを語れ。
 
 
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「私は、ほんとうにみじめな人間です。

2016年05月25日 17時00分43秒 | 聖書


だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(ローマ7:24)

ある牧師が証ししている。
神学校を卒業、実際の働きに船出した。
意気揚々、自信満々、やる気満々だった。
無牧の小さな教会の牧会を始めたが、それからの幾年間は、見事に自信をくつがえされ、打ちのめされるものだった。
何一つ、自分の思うようにはならなかった。
自らの無力、無能を見せつけられた。
群れを養う事ができず、教会を去る人々も出て、ついに八方ふさがりで、完全に行き詰まってしまった。
もう一歩も進めず、まさにどん底だった。
なすすべ無く、詮方尽きて、もう牧師を辞めようと思った。
燃え尽きて、落胆と無力感におおわれていた。
しかし、そのどん底で主の愛に触れた。
どん底こそが真の恵みであった。
主は決して責めも裁きもされず、愛でおおって下さった。
「わたしに任せてごらん、わたしがしよう」と優しく包んで下さった。
それ以来、変えられた。
自分が拠って立つ所が自分の力や気力や自信ではなく、神の変わらない愛である事を知った。
それまで自分はやれば出来ると思っていたし、出来ないはずは無いと思っていた。
もがきの中で、自己憐憫、怒り、失望、不平不満で一杯であった。
砕かれた。
もう自力ではない、主の恵みの中で生かされ、平安と安堵で一杯だ。
しんどい苦しい状態なら、恵みの領域がある事を知ろう。
---------------
神様!と祈りながらも、自力で戦ってしまい、しんどく苦しい失敗を繰り返してしまう。
最初から何もできない事をご存知で、なお愛して下さる神様に感謝でいっぱいだ。


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今日の聖人の記念日

2016年05月25日 07時23分09秒 | キリスト教

聖マリア・マグダレナ(パッジ)おとめ

1566年-1607年

 マグダレナは、イタリアのフィレンツェの名門パッチ家に生まれた。幼いときから愛に満ちあふれ、信仰深く、生涯を神にささげたいと思い、カルメル会の「天使の聖マリア修道院」に入った。マグダレナは、18歳で誓願をたてた後、ますます多くの恵みを神から受けるが、同時に重病にかかったり、精神的苦痛や絶望への誘惑など、多くの耐え難い苦しみも受けた。しかし彼女は「死よりも苦しみを」をモットーにし、祈り続けそれに耐えた。彼女の深い超自然的知識と愛は、会の修道女たちをより高い徳へと導いた。彼女の遺体は腐敗せずに、フィレンツェの近くのカレッチ修道院に眠っている。彼女の肖像画は、胸に燃える聖グレゴリオ7世教皇

在位1073年-1085年

 イタリア、トスカーナの貧しい家に生まれたヒルデブランドは、小さいころローマに移り、聖マリア修道院で教育を受け、教皇グレゴリオ6世の付き人になった。皇帝ハインリヒ3世から追放された教皇グレゴリオ6世とともにケルンに移り、ロレーヌ地方の教会改革運動にたずさわった。1049年ローマに戻り、その後20年間、改革を目指す歴代教皇の顧問として次第に力をつけていった。1073年、教皇選挙ではなく、民衆の歓呼による異例の形で教皇に選ばれ、グレゴリオ7世となった。そのため、急きょ司祭に叙階されることになった。

 教皇になってからは、世俗権力の支配から教会を取りもどすための改革に精力的に取り組んだ。聖職売買を禁止して違反者を処罰し、一般人が司教になることを禁じたが、この処置は各地で重大な対立を引き起こした。司教の任命権は教皇にあるのか皇帝にあるのかという「叙任権闘争」である。

 特にドイツでは深刻であった。この特権を手放そうとしなかった皇帝ハインリヒ4世は、聖グレゴリオ7世から非難の手紙を受け取り、自分のいいなりになる司教たちを集めて教会会議を開いて、教皇の廃位を求めた。これに対して教皇は皇帝を破門し、皇帝権力の行使を禁じた。皇帝はイタリアのカノッサ城に出向き、教皇のゆるしを求めた。これが「カノッサの屈辱」である。しかし、皇帝はドイツに戻るとすぐ対立教皇を立ててローマに進軍し、その後2年間ローマを占領した。教皇はノルマン人によって救出され、ノルマン軍の保護を受けながら、南イタリアのサレルノで亡くなった。こうして、教皇権と皇帝権の解決は次の時代に持ち越された。

心臓を記し、手に茨の冠を持った姿で描かれている。

聖ベダ司祭教会博士

672年ー735年

 ベダはイギリス、タイナンドウェア州にある、ジャローという町に生まれた。この町にある、聖ペトロ・聖パウロ修道院の近くで育ち、修道士のベネディクト・ビスコップとチェオフィリドからギリシャ語、ラテン語、詩などを学んだ。その後、修道院に入った彼は30歳のときに司祭に叙階され、数回外出する以外は、生涯をほとんど修道院で過ごした。

 聖書の勉学に献身し、多くの著作を残した彼は、当時の最も博学な人物として、英国文学に大きな影響をもたらした。モーセ五書をはじめとする聖書の研究、神学、科学、歴史書、伝記などの著作がある。最もよく知られているのは、731年の『イングランド教会史』で、イングランドの歴史をつづった現存する最古のものである。このなかで、ベダはキリスト教がイングランドに伝わってから、729年までの歴史を描いている。彼の知恵と教養の深さを称えて、人びとは彼を「尊敬すべきベダ(Beda Venerable)」 と呼んだ。賢明な学者であり、「英国史の父」とも言われている。彼は735年5月25日、ジャローで亡くなった。1899年、教皇レオ13世によって列聖され、教会博士の位に挙げられた。

聖マグダレナ・ソフィア・バラ修道女

1779年-1865年

 フランスのブルゴーニュのぶどう栽培の家に生まれた。当時フランスは革命の中にあり、自由・平等の気運が高まっていたので、神学生であった兄は、ソフィアの宗教教育に力を注いだ。兄は司祭になると彼女をパリヘ呼び、神学と哲学の勉強をさせた。そのころ、フランスの司祭のグループが女子教育のために修道女会を設立したいと望んでおり、その指導者であったヴァラン神父がソフィアと3人の仲間を受け入れ、1825年に「聖心会」が誕生した。ソフィアは、亡くなるまでの60年間、会の支えとなって活躍した。

 彼女は、女子教育をとおしてイエスのみ心の愛を世に広めることに生涯をささげた。聖心会は、欧州各国、アメリカ、東洋にまで発展し、日本には1907年に渡来。札幌、東京、裾野(静岡県)、名古屋、宝塚などで聖心女子学院、聖心女子大学を経営したり地域のために働いたり、祈りと教育と宣教の生活に励んでいる。

 「不完全な霊魂にとっては危険で困難な仕事でも、神を愛する人々にとっては大きな収穫をもたらすものである」 (聖マグダレナ・ソフィア)

 

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◆自 己 ぎ ま ん

2016年05月25日 07時21分10秒 | 聖書

利口な者は自分の知恵で自分の道をわきまえ、
愚かな者は自分の愚かさで自分を欺く。(箴言一四8)
 
詐欺をして人を欺き、金をごまかせば、つかまって罰せられます。しかし、私たちが、自分で自分をごまかし欺くなら、どうなるでしょうか。私は、これほどみじめで寂しいことはないと思うのです。ところが、私たち人間は、よく自分で自分を欺いているのではないでしょうか。
・ 実際は、自分が弱くみじめで小心で、なっていない人間であるのに、大物ぶったり、重々しく振舞ったり、権威をふりまわしたりする。
・ 実際は、この自分が問題であり、自分さえ「ごめんなさい」「すみません」「ありがとう」と万事素直になればいいのに、メンツや肩書きにこだわって我を折らない。
・ いつの間にか、あんな人は適当に祭りあげておけ、あの人はあれだけの人なんだとされているのも知らず、自分を大物・権力のある者と思いこんでしまう。
私は軍隊時代に、防毒ガスマスクを着けたまま駆け足の訓練をさせられ、死ぬ苦しみをした経験があります。マスクをしたままこの人生コースを走ることは、苦しいことです。自分を偽って過ごす人は、人の真実・神の真実・人の愛と友情・神の愛と恵み・祝福にじかに触れることができません。いつも独りぼっちです。神にも人にも遠く、真実な自分からも裏切られているのです。
今の自分が、いやでいやでたまらない人も多いでしょう。しかし、その自分から逃げてはなりません。自分で自分を欺いている人もいるでしょう。その偽りから勇敢に抜け出してごらんなさい。マスクを取って神の前に出てごらんなさい。神はありのままのあなたを受け入れ、あなたに愛を注ぎ、恵みを押し入れ、あなたがもう自分で格好をつけなくてもよくしてくださるのです。
 
 
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◆私を見捨てないでください。

2016年05月25日 07時20分30秒 | 聖書
主よ。(詩篇三八・二一)
 
試練と誘惑の時、私たちはしばしば、見捨てられないようにと神に祈る。しかし、いつでもこのように祈る必要があることを忘れがちである。私たちの生活がいかに聖化されても、常に神に支えられているのでなけれは、それは一瞬たりとも保たれない。私たちは、光にある時にもまた暗やみの時にも、神と交わる時にも誘惑の中にある時にも、等しく「私を見捨てないでください。主よ」と祈る必要がある。「私をささえてください。そうすれば私は救われ」ます。歩き始めたばかりの幼児は、常に母親の助けを必要とする。私たちは絶えず上から助けを受けるのでなければ、一歩も進めない。だから、今日はこう祈ろう。
私を見捨てないでください。父よ。あなたの子が敵の手で倒されないように、あなたの子を見捨てないでください。牧者よ。あなたの小羊が安全なおりの中から迷い出ないように、あなたの小羊を見捨てないでください。私の生涯のどのような時にも捨てないでください。喜びの時に、喜びのために心が奪われないために、悲しみの時に、あなたに対してつぶやかないために、私を捨てないでください。私の悔い改めの日にも、私が罪の赦しの希望を失い絶望に陥ることのないために、また強い信仰に立てる日にも、私の信仰が高慢にならないために、主よ、私を捨てないでください。あなたがおられなければ私は弱く、あなたが伴ってくだされば私は強いのです。私の道は危険で、落とし穴が多く、導きがなければ一歩も進めません。めん鳥が決してひなを捨てないように、主よ、あなたの羽毛をもって永久に私をおおってください。その翼の下に私が避け所を得ることを許してください。「どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。」「私を見放さないでください。見捨てないでください。私の救いの神。」
 おお、とこしえにきよめられた私の心に
 あなたの永遠の御霊を遣わして憩わせ
 隠れた私のたましいを
 あなたにかなう宮としてください
 
 
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エズラ書8章35-36節

2016年05月25日 07時19分00秒 | 聖書


8:35 捕囚の人々で、捕囚から帰って来た者は、イスラエルの神に全焼のいけにえをささげた。すなわち、イスラエル全体のために雄牛十二頭、雄羊九十六頭、子羊七十七頭、罪のためのいけにえとして雄やぎ十二頭をささげた。これはすべて主への全焼のいけにえであった。



 貴い物が神殿を管理する祭司たちに渡されますと、次にこの地に帰ってきた人々は、その旅の守りとこの地に帰ってくることができたという喜びの故に、主に犠牲の供え物をしました。

ここでは、それらはすべてイスラエル全体のための捧げ物であり、それは罪のための生け贄、また全焼の生け贄であったと語られています。

罪のための生け贄というのは、自分たちが神の前では罪を犯しているものですから、その罪の許しを与えてくださいという願いを込めて献げた、身代わりの犠牲です。

罪の許しを与えられるためです。

もう1つは、全焼の生け贄です。

これは、すべてのことが主のみ手の内に支えられ、導かれていますので、その守りと導きを感謝して献げる、犠牲の捧げ物です。

神への献身をも表したのです。

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詩篇15篇

2016年05月25日 07時17分11秒 | 聖書


★主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。
正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。
その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行わず、隣人への非難を口にしない。 神に捨てられた人を、その目はさげすみ、主を恐れる者を尊ぶ。損になっても、立てた誓いは変えない。
金を貸しても利息を取らず、罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。このように行う人は、決してゆるがされない。

■O:今日のコラム
これを見ると個人的な祈りの時間だけが主とともに過ごす事ではないことが分かります。私たちは、あらゆるときに主とともに歩むことができるのです。
 正しく歩む人=主とともに歩む人は、義を行い、心の中の真実を語る人です。それ以以降にそれがどんな人であるかが具体的に描かれています。
 『神に捨てられた人を、その目はさげすみ』とは誤解しやすいですが、原語を見ると、『主を嫌う人を、その目は嫌い』という感じです。主と同じ物の見方を持っているという事です。つまり主とともに歩んでいるから、主と視点が一緒なのです。
 主とともに歩む人、正しく歩む人の特徴は、どこにあるのでしょう?それは口の言葉が御言葉に基ずく信仰の告白である者です。なぜなら、その人は義を行いますが、義の行いは、良い告白によって導かれるものだからです。ヤコブ書は、私たちの口の言葉は、船の舵のようなもの、馬のくつわのようなものだ、と言っています。
 『心の中の真実を語る人』とは思ったことを何でも口に出して言う人ではありません。それは、ぜひやめてください。そうではなくて、この『真実』という言葉は、信仰とも訳される言葉(エメス)です。つまり御言葉に基ずく信仰の告白なのです。
 『正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人』は、詩篇1篇で出てくるこの人の事です。

『幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。』(詩篇1:1~2)

 詩篇1篇を読むとその人は、流れのそばに植えられた木です。主の御そばにとどまる者となるのです。その人は何をしても栄えます。なぜなら主とともに歩んでいるからです。主とともに歩む者とは、自分の道に、主を呼び出すものではなく、主の進みたい道に寄り添って歩む者の事です。この木は、そばに流れを引っ張て来たのではないのです。流れのそばに植えられた木なのです。それは、語られた御言葉を成し遂げるために生きる者であり、イエス様というゴールに向かって歩む者の事です。


■A:考えてみよう
主とともに歩むものとして、告白を大切にする。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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5月24日(火)のつぶやき

2016年05月25日 01時41分11秒 | キリスト教
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