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(シュミットさんとよく行っていたアラモアナのイタリアレストラン)
ハワイでは、馴染みだった店やレストランが、いつの間にか廃業になっていたり、今度は新しい衣料店が開店したりで、常に動いている感じだ。
日本の「ダイエー」が倒産して、ハワイのダイエーも売りに出された。一時は、アメリカの大手スーパー「ターゲット」が買い取ったという話を聞いた。
店内にターゲットのマークがあちこちに見られた。その後、再び日本の「ドン・キホーテ」が買収したようだ。
以前と全く変わらない店内の様子で、相変わらず日本の品々が売られている。
ハワイに住む日本人たちには、「ダイエー」もそうだったが、「ドン・キホーテ」は、大変便利で、ありがたい存在である。日本から輸入されたものが店内にいっぱいある。日本に住んでいた時と同じように、ほとんど何でも買いそろえることができるのだ。豆腐、かまぼこ、ラーメン、漬物、刺身など日本のものがほしいと思ったとき、ほとんどのものが手に入る。
日本からハワイにやってきて、数週間滞在する人たちも、料理の材料を買いにドンキホーテに来る。
ワイキキから2番バス、あるいは13番バスに乗って来ると、そんなに遠くでもない。バスの案内放送がコンベンションセンターの辺りで、「次は、ダンキホテ!」と教えてくれる。「ドン・キホーテ」でなく、「ダンキホテ」に聞こえる。
バスを降りて5分ぐらい歩くと、それらしいスーパーが見えてくる。店内は、一見して日本人だろうと思える人たちで込み合っている。
ハワイの「シロキヤ」も倒れた。アラモアナとパールリッジショッピングセンターの2店舗があった。
この店も、日本の商品があふれていて、ハワイに住む日本人たちが重宝していた。
ある時新聞を読んでいたら、シロキヤは、どうやら経営がうまくいかなくて、廃業になるようだと報道されていた。
長い間相当な負債を抱えていたようで、なんと「1ドル」で売りに出されたのである。このニュースを新聞で読んだとき、さすがに、どうゆうことだろうとびっくりしてしまった。
タダでも引き取ってくれる人がいたら譲りたいところだが、そうすると何らかの法律に触れるということだった。1ドルだったら、だれでも買えるのだが、おそらく抱えている債務を引き継ぐことになるのだろう。
パールリッジのシロキヤにもよく行っていたし、アラモアナのシロキヤは、近いこともあってよく通い重宝していた。
オンダさんとは、シロキヤの二階にある小さなレストランで、学期の終わりで一区切りついときなどビールを飲みながら二人でささやかな宴会をしていた。
シロキヤは、もうなくなってしまうのだろうかと寂しい気がした。
ところが、どうもアメリカの企業が買収するようで、やがて新装開店するということだった。しかしアメリカの企業が買収するということは、もはや日本のデパートではなくなるのではないかと心配だった。そのような心配は無用だった。
前と同じようにシロキヤは、日本の商品であふれていて、むしろ以前より品揃えが豊富で、いかにも日本的だったので、本当のところホッ!と安心した。
二階には、屋台のようなコーナーがあって、ビールを飲んでいる人たち、ラーメンを食べている人、弁当を食べている人などでにぎやかである。
サラをシロキヤに連れて行った時のことをよく覚えている。
ティム、ジョン、レイファン・リン、リンダなどと一緒にアラモアナのレストランに行った。食事が終わって、それぞれが買い物をしたいということだったので、1時間後に集合するということにして解散したことがある。トシが歩きかけると、
" Where are you going, Toshi? " ( どこに行くの、トシ? )
" I'm just on the way to Shirokiya. " ( シロキヤに行くところだよ )
" Can I come with you ? " ( 私も行っていい? )
" Sure ! " ( もちろんだよ! )
シロキヤでは、ちょうど「北海道物産展」をやっていた。捩じり鉢巻をしたオジサンが「サァー、いらっしゃい!北海道物産展だよ」と大声を出していた。
サラは、その光景がよほど珍しかったのだろう。おじさんの前に立ち止まって、あっけにとられたように見とれていた。
「そこの可愛いお嬢さん!試食をしていってよ!」と言われたサラには、おじさんが何を言っているのかわからない。