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ベイシンガー夫人が、The Citizens という新聞を読んでいた時、Toshi Yamada (トシ ヤマダ)の記事を見つけ、自分が知っている人の名前 Toshiko Yamada (トシコ ヤマダ)に似ているのに、びっくりしたようで、ひょっとすると、二人が親類か何らかの関係がある人たちではと思ったようだ。
漢字で書けば、『敏子』という名前は、トシの漢字とは全く違うのだが、ローマ字読みするとよく似ている。
唯、ヤマダという名字は、日本ではありふれた名前で、どこにでもある。
それに、彼女が住んでいるところは横浜で、トシは九州だから、距離的にも、かなり遠い。
もとより、トシは、敏子さんを知らない。
そのようなことを知って、ベイシンガー夫人は、がっかりしたようだった。
ベイシンガーさんには、二人の息子がいて、長男は、ミネソタ大学の医学部を出て、この街で医院を開業している。
二男のロバートは、第二次大戦では、従軍牧師として従軍し、戦後日本に進駐して、東京の連合軍司令部内にある Base Chapel (教会本部)に勤務していた。
そこで、朝鮮動乱がぼっ発して、急きょ朝鮮半島の前線に駆り出された。
戦闘は過酷で、毎日戦死者が出ていて、戦死者たちの弔い、負傷者の慰問、兵士たちの懺悔を聞いてやったり、説教をしたり、さまざまな宗教行事にかかわったり、その間にも、砲弾が飛び交い、それこそ命をかけた勤務だったようである。
ある期間を務めると、休暇で、また仕事の打ち合わせ連絡などで、東京の本部に帰っていた。
庭の花畑のことを話題にしていた時、「ボブが小さい時、庭の花畑でかくれんぼをしていたのよ!」とか、過ぎ去った昔を思い出すように話してくれた。
ローバーとのことを、『ボブ』と呼んでいたようだった。
「あの子はねえ!」とか、まるで今でも、そこにいるかのように懐かしみながら話していたのである。
食事が終わってコーヒーブレイクをしていた時、「ちょっと見せたいものがあるのよ」と行って、隣の間のウオークインクローゼットのところにトシを連れて行った。
そこには、箱がいくつか積み上げられていて、その中には、ボブから送られてきた手紙が、びっしり詰められていて、到着順に整頓されていた。
いくつかを、取り出して拾い読みしたが、手紙と言うより、もう物語と言った感じだった。
封筒の一つ一つが、分厚く、便せんではなく,A4の紙に、びっしりタイプの文字が書き連ねられていて、短いので5ページほど、長いのでは、10ページに及ぶものもあり、連綿とストーリが綴られていたのである。
息子から送られて来た膨大な手紙は、大切に保存されていて、いつでも読めるように、図書館の書棚のように整理されていた。
現に、今でも、ベイシンガー夫人は、もう数十年前に書かれたボブからの手紙を読み返すのが、楽しみのようだった。
夫人は、ボブからの手紙を、『手紙』と言わずに、account (お話) とか story (物語)と表現していた。
第二次世界大戦が終わった直後の日本では、世の中が混乱していて、郵便を出しても、まともに着くことはなかった。郵便事情は、極めて悪かったのである。
ボブがアメリカ本国に送る手紙は、軍の専用特別便だったようなのだが、それでも混乱していたようで、彼自身の表現を借りると、” terrifically terrible ” (とんでもなくひどかった)ようで、宛先に届かないことも多く、時にテキサスまで遠回りして着いたり、時間をかけてアラスカ経由で、遅れてやって来たことあった。
ボブは、手紙に必ず日付を書くようにしていた。
時に後から出した手紙が先に到着することもあり、ある時は、13通束になって到着してこともあったようだ。
お母さんは、息子から来る手紙を一つ一つ大事に読むのはもちろん、何度も繰り返し読み、息子から来る手紙と同じくらい返事を書き送った。
彼からの手紙に、ある時から、Toshiko San という名前が出るようになった。
敏子さんは、連合軍司令部に勤める日本人スタッフだった。
同じフロアで仕事をしていたとのことで、何かのきっかけで、二人は話をするようになったようだ。
手紙には、彼女をToshiko San (敏子さん)と書いている。
San is the word for " Miss ", but I believe the same word can be employed for " Mr. and " Mrs.", so I call her Toshiko San.
( 『さん』というのは、英語の『ミス』に対する語です。しかし『さん』は、また『ミスター』や『ミセス』にも使われます。だからぼくは、彼女のことを『敏子さん』と呼びます )
勿論、彼からの手紙には、敏子さんのことが細やかに描写されている。
どんな顔をしているか、身長がいくらで、今日の服装、彼女とどんな会話をしたかなど細やかである。文章の一つ一つに、愛情があふれる感じなのだ。