前回は、このところ私が仕事で忙しい、ということを説明し始めたのですが、実際には牧師としてどんなことをしているのか、というような方向に話しがいってしまいました。
今日はその続きなのですが、始めにひとこと。ここに書いていますことはすべて「私が」どうやって仕事をしているかということであって、牧師さんがた一般のことではありません。
さらにいうと、アイスランドと日本では教会の置かれた状況や、牧師さんの働く環境は相当異なっています。ですから、私の言っていることを基にして、日本の牧師先生方の働きを評価しないでくださいね。ワタシなんぞを基本に置かれたら、日本の先生方にとってはとんだとばっちりです。
(^-^;
さて前回は、ここのところもっぱら「難民牧師」となっている私の、難民の人たちとの祈りの集いと関わりをお話ししました。一週間に二回、十五六人の集まりということで、それくらいだったら牧師の平均的な仕事で、別に特に忙しさを生むようなものではないですよ、というところまでお話しできました。
その続きに入る前にひとつ説明しないといけません。私の難民(庇護申請者)の人との関わりにはふたつの、基本的には別の局面があります。ひとつはその難民申請者の人の「ケース」についての支援です。
これは、移民局等の判断が公正でないと思われる節がある時などに、その人にできる形でのサポートをすることです。私は弁護士ではありませんので、世論に訴えたり、定期的に訪問して励ましたりというのが主になります。そして、このサポートは頼まれた場合には、その人の宗教に関わりなく提供することにしています。
難民申請者の人とのもうひとつの関わりは、当然のことでしょうがキリスト教に関することです。難民申請者の人のすべてが自分のケースを話したがるわけではありません。むしろ、そういうことよりは聖書を学びたい、キリスト教について知りたい、という人もいるのです。
そして、このところ私が忙しいのは、私の周囲にそういう「キリスト教を学びたい」人たちがにわかに増えてきたからなのです。
昨夏から年末までにキリスト教となるべく、基本教理のコースを経て私が洗礼式を担当したのは二件だけでした。今年に入ってからここまでが四人(内ひとりは子供)。そして現在準備中の人が十人います。
難民申請者の人が教会に加わりたい、というのはヨーロッパで全般に見られる傾向です。例えばイスラム圏から来た人が、キリスト教徒になることで自分の申請の真摯さを示そうとしたり、自分の将来のホスト国への忠誠を示すためのことも多分にあるといわれています。
それで例えばドイツなどでは「信仰ではなく、教会を利用しているだけだ」というような批判も強く、「十戒(旧約聖書にある基本となる戒律)を暗唱させろ」「イエスの弟子たちの名前を言わせろ」等の試験?を求める声さえあるようです。
私の周囲を見る限りでは、あからさまに「教会を利用するだけだよー」的な人はいません。皆、よく集まりに参加しますし、自分たちの間でもいろいろキリスト教について論じ合っていたりします。
ですが、もし仮に、自分のケースを有利にするためにだけ教会に来る人がいたとしても、私はそれはそれで構わないと考えています。きっかけはどうあれ、それが本当の信仰につながるきっかけになるかもしれませんし、教会はその人に対して誠実に応じるべきです。
「信仰を利用している」というようなことあるとしたら、それは神とその人の間の事柄であり、その落とし前云々は神様にお任せでいい、というのが私の基本的なスタンスです。
難民家族のお嬢さんの洗礼式 牧師はロイガネス教会の同僚クリスティンさん
さて、キリスト教入門希望者が今現在十人いる、と言いましたが、これらの人のためには「入門講座」を提供してあげなくてはなりません。私はコースを六つの課題に分け、基本的には週一回で修了までに五六週間かかるものとしています。
みんなをまとめてのクラスにすれば簡単なのですが、実際には一対一にせざるを得ないことが多いのです。それぞれ、これまでの宗教との関わり方が違ったり、基本的な知識が違ったりと、「まとめて」ではきちんと対応できない面が多々あるからです。
運良く、現在の十人の人たちに関しては、背景や言語が共通する人が五人いて、その人たちは五人のグループとしてクラスを持っています。ですが、それでも、残り五人の個人の人たちを加えると、計六つのクラスを持たなければなりません。
一週間に六回の入門クラスとなると、これはかなりスケジュールが密になってきます。「周一回ではなくて、十日に一回くらいの頻度にすれば?」と思われる向きもあるかもしれませんが、そうはしたくないのです。
なぜなら、難民申請者の人の場合にはいつまでここに滞在していられるか、という保証が何もないからです。コースを修了し洗礼を受ける前に送還されてしまった、というのでは泣くに泣けません。
そういうわけで、ここのところ私の方のスケジュールは密になっています。全然「しんどい」とか、そんなことはありません。十分楽しんでいます。英語ではEmpty nester というのだそうですが、子供が自立した後でひとり身を楽しんでいますので、これくらいすることがあった方が、暇を弄ばないですみますのでありがたいことです。
それに、人ひとりの洗礼式に関われるということ自体が、牧師としては嬉しい限りですからね。「一期一会」に通ずる気持ちを持って、準備している洗礼式に向かいたいと思います。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
今日はその続きなのですが、始めにひとこと。ここに書いていますことはすべて「私が」どうやって仕事をしているかということであって、牧師さんがた一般のことではありません。
さらにいうと、アイスランドと日本では教会の置かれた状況や、牧師さんの働く環境は相当異なっています。ですから、私の言っていることを基にして、日本の牧師先生方の働きを評価しないでくださいね。ワタシなんぞを基本に置かれたら、日本の先生方にとってはとんだとばっちりです。
(^-^;
さて前回は、ここのところもっぱら「難民牧師」となっている私の、難民の人たちとの祈りの集いと関わりをお話ししました。一週間に二回、十五六人の集まりということで、それくらいだったら牧師の平均的な仕事で、別に特に忙しさを生むようなものではないですよ、というところまでお話しできました。
その続きに入る前にひとつ説明しないといけません。私の難民(庇護申請者)の人との関わりにはふたつの、基本的には別の局面があります。ひとつはその難民申請者の人の「ケース」についての支援です。
これは、移民局等の判断が公正でないと思われる節がある時などに、その人にできる形でのサポートをすることです。私は弁護士ではありませんので、世論に訴えたり、定期的に訪問して励ましたりというのが主になります。そして、このサポートは頼まれた場合には、その人の宗教に関わりなく提供することにしています。
難民申請者の人とのもうひとつの関わりは、当然のことでしょうがキリスト教に関することです。難民申請者の人のすべてが自分のケースを話したがるわけではありません。むしろ、そういうことよりは聖書を学びたい、キリスト教について知りたい、という人もいるのです。
そして、このところ私が忙しいのは、私の周囲にそういう「キリスト教を学びたい」人たちがにわかに増えてきたからなのです。
昨夏から年末までにキリスト教となるべく、基本教理のコースを経て私が洗礼式を担当したのは二件だけでした。今年に入ってからここまでが四人(内ひとりは子供)。そして現在準備中の人が十人います。
難民申請者の人が教会に加わりたい、というのはヨーロッパで全般に見られる傾向です。例えばイスラム圏から来た人が、キリスト教徒になることで自分の申請の真摯さを示そうとしたり、自分の将来のホスト国への忠誠を示すためのことも多分にあるといわれています。
それで例えばドイツなどでは「信仰ではなく、教会を利用しているだけだ」というような批判も強く、「十戒(旧約聖書にある基本となる戒律)を暗唱させろ」「イエスの弟子たちの名前を言わせろ」等の試験?を求める声さえあるようです。
私の周囲を見る限りでは、あからさまに「教会を利用するだけだよー」的な人はいません。皆、よく集まりに参加しますし、自分たちの間でもいろいろキリスト教について論じ合っていたりします。
ですが、もし仮に、自分のケースを有利にするためにだけ教会に来る人がいたとしても、私はそれはそれで構わないと考えています。きっかけはどうあれ、それが本当の信仰につながるきっかけになるかもしれませんし、教会はその人に対して誠実に応じるべきです。
「信仰を利用している」というようなことあるとしたら、それは神とその人の間の事柄であり、その落とし前云々は神様にお任せでいい、というのが私の基本的なスタンスです。
難民家族のお嬢さんの洗礼式 牧師はロイガネス教会の同僚クリスティンさん
さて、キリスト教入門希望者が今現在十人いる、と言いましたが、これらの人のためには「入門講座」を提供してあげなくてはなりません。私はコースを六つの課題に分け、基本的には週一回で修了までに五六週間かかるものとしています。
みんなをまとめてのクラスにすれば簡単なのですが、実際には一対一にせざるを得ないことが多いのです。それぞれ、これまでの宗教との関わり方が違ったり、基本的な知識が違ったりと、「まとめて」ではきちんと対応できない面が多々あるからです。
運良く、現在の十人の人たちに関しては、背景や言語が共通する人が五人いて、その人たちは五人のグループとしてクラスを持っています。ですが、それでも、残り五人の個人の人たちを加えると、計六つのクラスを持たなければなりません。
一週間に六回の入門クラスとなると、これはかなりスケジュールが密になってきます。「周一回ではなくて、十日に一回くらいの頻度にすれば?」と思われる向きもあるかもしれませんが、そうはしたくないのです。
なぜなら、難民申請者の人の場合にはいつまでここに滞在していられるか、という保証が何もないからです。コースを修了し洗礼を受ける前に送還されてしまった、というのでは泣くに泣けません。
そういうわけで、ここのところ私の方のスケジュールは密になっています。全然「しんどい」とか、そんなことはありません。十分楽しんでいます。英語ではEmpty nester というのだそうですが、子供が自立した後でひとり身を楽しんでいますので、これくらいすることがあった方が、暇を弄ばないですみますのでありがたいことです。
それに、人ひとりの洗礼式に関われるということ自体が、牧師としては嬉しい限りですからね。「一期一会」に通ずる気持ちを持って、準備している洗礼式に向かいたいと思います。
応援します、若い力。Meet Iceland
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