レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「イジメに反対する日」

2013-11-07 05:00:00 | 日記
明日の11月8日は何の日でしょうか?ワタシの誕生日です。って、それは本題ではありません。実は二年前からアイスランドではこの日がDagur gegn einelti「イジメに反対する日」と定められています。

ですからこの日を中心にして、いくつもの講習会やその他の集まりが持たれますが、この日一日だけイジメに反対すればいい、などという主旨ではなくて、イジメに対する取り組みにアクセントを与え、意識を高めるためことが期待されているわけです。

ネットのニュースで追う限りでは、日本のイジメ問題は相当に深刻な域に達してしまっていますよね。私の学校生活ではものすごいシビアなイジメというものを目撃したことはないと思いますが、それでも小学校、中学校ではいじめられている子がいたことは覚えています。

「ものすごいシビアなイジメは見たことない」と言ったばかりですが、そのいじめられていた子供たちにとっては「ものすごいシビア」だったことでしょう。すみません。こういうのが無理解なんですね。

「イジメに反対する日」が決められているということは、ここにもイジメがあるということに他なりません。牧歌的なアイスランドのイメージを壊してしまうなら申し訳ないのですが、これは現実です。おそらくまだ日本が直面しているほどには問題が悪化してはいないかもしれませんが。

この問題を考える際には、とりわけここの社会が日本とは比較にならないほどの小さな社会であることを覚えておかなければなりません。統計的な数を比較したら、その絶対数ははるかに小さなものとしてしか現れないからです。

逆に社会が小さい分だけ逃げ隠れする余地も小さくなってしまいます。小さな社会には、人間関係が密になり疎外感が少なくなる、というようなプラス効果もあるはずなのですが、一度関係が悪化してしまうと度し難くなる、というマイナス効果も生まれてしまうようです。

アイスランドで「イジメ」の問題が指摘されるようになったのは2000年代中頃からのようです。それ以前には偏見や差別の問題は随分大々的に扱われていましたが、イジメについてはそれほど聞いた覚えがありません。

2000年代の後半には大学などでイジメについてのリサーチがなされていますし、その対象となるイジメが存在していたのだと思われます。2010年に教育文化省がイジメに取り組むための方策を作るチームを指名し、報告書が出されました。「イジメに反対する日」はその報告を受けての具体策のひとつであるわけです。

アイスランド語では「エインエルティ」と呼ばれ、直訳的には「ひとりを追い回す」ということを意味します。アイスランドでもイジメの温床はまずもって学校であるようです。

グーグルしてみたのですが、目に付くイジメの記事は十歳前後の学童たちに集中している感があります。2011年の十月にガルズルという町(国際飛行場のある近くの小さな町です)で、十一歳の女の子がイジメにあって自殺未遂をおかしました。

その半年後の四月にそのガルズルの隣り町のサンドゲルジで十一歳の男の子がイジメ故に自殺してしまいました。これはこの村社会では大きな事件でしたので、これを機会に一気にイジメに対する関心が高められたようです。

私のいる教会の隣りある小学校でもイジメがあったという記事がありました。やはり二年ほど前のことのようです。この夏には八歳の男の子が「死んでしまいたい」とソーシャルネットワークで叫んで問題になりました。

クヴェラゲルジというレイキャビクから車で四十分ほどの小さな町では、別の十一歳の男の子がイジメのために登校拒否をし、特別な個人授業を受けていると伝える記事もあります。

気になることがあります。メディアに伝わってくるイジメのニュースは圧倒的に、レイキャビク外の小さな町のものが多いのです。じゃあレイキャビクではイジメが少ない?

あるリサーチによると昨冬になんらかのイジメを体験したと言っている学童の数は4000人にものぼります。これは小中学校の学童総数約42.000人のほぼ一割に達します。

このことを加味して想像するには、むしろレイキャビクでのイジメはまだまだ隠蔽されて学校外には知らされていないのではないでしょうか?ここでは自殺や麻薬での事故死などは、数が多いにも関わらずきちんと公表されないこと多いのです。遺族が気詰まりになるとか、世間体が悪いとか、昔ながらの不文律がまだまだ残っているのです。

しかしながらイジメに関しては泣き寝入りはなんの助けにもならないようです。先に述べた自殺してしまった男の子のご両親は、勇気を持ってテレビなどでも発言していました。心中察して余りあるものがありますが「戦う」ということは、たとえその相手が社会悪や人間の弱さであるとしても苦しいことのなのだろうと思います。

「イジメに反対する日」が某かの具体的な意味を持つ日になることを願います。


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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