レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

Sabrina サブリナの教訓

2024-04-14 03:08:55 | 日記
こんにちは/こんばんは。

先週の日曜日、非常に稀なことなのですが、私はお休みを取り自宅で過ごしていました。自分の教会で礼拝があるのに休む、というのは「コロナだ、交通事故だ」というような時以外はほとんどありません。

そんなに年中コロナにかかったり、車で事故るわけでもないですから、礼拝があるのに行かなかった/行けなかったというのは過去数年間で二、三回くらいのものだったろうと思います。ああ、例外は日本へ帰省する時で、その際にはそれだけで二、三回はお休みすることになります。

先週の日曜日に私が休暇を取ったのには理由(わけ)があります。前回ちょっと書きましたが、その日は終日、東部の教会の会議に出る予定になっていたので、事前に礼拝は同僚牧師のピートさんに任せることにしていました。

ピートさんは、私とコンビを組んでいるアニー牧師が育児休暇を取っている間、私の職務の助っ人を、ある割合で引き受けてくれている若い牧師さんです。

で、結果、会議が荒天予報のため延期されてしまったため、日曜日は礼拝に行くこともできました。ですが、せっかくピート牧師がやる気になって準備しているところへ、ノコノコ出かけていくとかえってジャマかな?と考えたのです。たまには任せきって自由を味合わせてあげた方が良いか?

というわけで、先週は「泣く泣く」休みを取って休養日としたのでした。実は「任せよう」と思いついたのは、ある映画を思い出したからで、その映画のことは時折り思い出すことがあります。一種の....「 座右の名」ではなく、「警鐘」でもないな...そう、「教訓」的な教えのある映画でした。




Sabrina 1995年 ポスター


それは1995年の「サブリナ」(なんと二十九年前か!) 監督シドニー・ポラック、主演はハリソン・フォードとジュリア・オーモンド。

古い方(かた)は(失礼 (^-^; )ご存じかもしれませんが、これは1954年の主演ハンフリー・ボガード、オードリー・ヘップバーンそれにウイリアム・ホールデン、さらに監督ビリー・ワイルダーという結構な大物揃いの映画「麗しのサブリナ」のリメイクでした。

私が小学生の頃は、毎日平日の午後二時から「午後の映画招待席」という番組があり、古い洋画を放送していました。学校から早く帰ってきた時など、よく見ていた覚えがあります。おかげで、ジョン・ウェイン、ディーン・マーチン、デビー・レイノルズ等々、ハリウッドの名優さんたちのことを結構知るようになりましたよ。ガキのくせに。

ところで、新しい「サブリナ」。物語りは前作と大体同じ。ララビー家は大金持ち。長男のライナス(ハリソン・フォード)は金儲けにしか興味のない「嫌な奴」、次男のデイビッド(グレッグ・キニア)は「人生楽しもー」的な遊び人で、こちらはお金を使うことには関心があるものの、稼ぐ方には無関心。

そのララビー家の広大な屋敷の敷地には、お抱え運転手とその家族も住み込んでいます。そのお抱え運転手さんの娘がサブリナ(ジュリア・オーモンド)です。サブリナはかつてよりデイビッドに憧れ恋心を持っていました。もちろん実現可能性なし。




「麗しのサブリナ」1954年 ポスター


サブリナの父親は将来のためと彼女をパリへ留学させます。この留学でサブリナは少女からパリジェンヌ的な女性へと変身。二年後、美女となって帰宅します。その頃、デイビッドは、ララビー家のビジネスにとても好都合な身分の女性エリザベスと出会い婚約していました。

ところが美女となって帰ってきたサブリナにデイビッドは心奪われてしまい、「婚約破棄」を言い出す始末。ビジネス上どうしてもエリザベスとの結婚を死守したいライナスと母親は一計を案じます。それはライナスがサブリナを誘惑し、デイビットから遠ざける、というものでした。

で、まあそういうロマンス系にはあまり経験のないライナスが、いろいろと恋の謀(はかりごと)を仕掛けるわけです。あ、そうそうこれロマンチック・コメディですから、そんなに深刻ではありません。

ライナスは初めからビジネスのために恋をした「ふり」をしてるだけなのですが、サブリナが心向け始めると、「ふり」は本心に変わりつつあり...という「だろうな」的な展開になっていきます。

ですが、ライナスからすべては自分をデイビッドから離すための謀だった、と聞かされたサブリナは傷つき、癒しをを求めて再びパリへと立ちます。

最後はライナスの真の気持ちを察知したデイビッドが、サブリナの跡を追うようにライナスの背中を押します。「ビジネスがあるから」と渋るライナスに、遊び人デイビッドは「仕事は自分が面倒を見る」と言い出し、意外にも家族のビジネスにもちゃんと通じていることを示します。

そして、なぜ今までビジネスにきちんと向き合わなかったについて言います。「だってライナスがいつもそこにいる。ライナスがすべてをしてしまう。だから自分がいたって意味がないだろ?」




ジュリア・オーモンドとハリソン・フォード


そう聞いたライナスは意を決してコンコルドに乗り込みパリへ。そして最後はちゃーんとサブリナと結ばれるエンディングとなりました。パチパチ。

映画としての出来は、イマイチかな?ハリソン・フォードがナイスガイ過ぎて、全然「嫌な奴」感が出ていないんです。そこでジュリア・オーモンドがちょっと毒舌を吐いたりすると、逆に「なんでこのナイスガイにそんなこと言うか?」みたいに株が下がったりして。まあ、それは私の個人的感想です。

それに、この頃のハリソン・フォードはやはりカッコ良かったですねえ。これも個人の感想。最後のふたりがパリで抱き合うシーンも素敵。いいなあ... これは個人の憧れ。

長々と書きましたが、この映画の持つ私に取っての「教訓」というのは、他でもなく、私自身がこのライナス的な仕事の仕方をしてしまう癖があることです。なんでも自分でやってしまって、同僚に任せない。

同僚はつまらなくなり、ますます後ろへ退いていく。するとますます私は頑張って仕事をしてしまう。というパターンです。これでは、仕事が私ひとりで面倒を見切れる以上の規模には成長できませんし、私の後を継いでくれるような後継者も育つわけがありません。

そういうことが、走馬灯のように私のしょぼい頭の中を駆け回り、今回はピートさんに「全任せ」しよう、と決めたわけです。




こういうの、いまだに「憧れ」


結果としてはうまくいきました。ピートさんもかなり楽しんで礼拝を取り仕切ってくれたようで、人数もきちんと揃ってくれました。私は「常駐」牧師ですが、ピートさんは「たまの通い」なので、どうしても彼だけが担当する時は、出席者が少ない、というようなことが過去に一回起きていました。私の日本帰省中に。

でも、そういうのを甘んじて受けて、通り越していかないと職場の発展はないですね。「同僚に任せる」という点では、まだまだ私は未熟です。一体、修得することがあるのかなあ、という気もしますね。アニー牧師が帰ってくる頃には、もう一歩成長していないと。もう一回「サブリナ」を観る時が来たかも。

機会があれば、皆さんもぜひ観てみてください、「サブリナ」今より三十歳若いハリソン・フォードとジュリア・オーモンドに会えますよ。(*^^*)

だけど、マジで二十九年も経つのか... ちょっとショック。(^-^;


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カトリーンのいる夏、いない夏 | トップ | アイスランド名前市場 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (つきみ)
2024-04-14 08:26:01
あー、分かります!
わかります、自分でやってしまう感じ。
私自身も、周りの成長を阻害しないよう、また次の世代へのバトンタッチも考えて、
最近はガマンしないと、と辛抱の日々です。
かなりストレスですが、乗り切るべくいろいろ工夫中。。。
返信する
ブログ当事者 (Toshiki Toma)
2024-04-14 09:01:45
つきみさん、コメントありがとうございます。
つきみさんにはわかっていただけるだろうと期待しておりました。m(_ _)m
「任せる」って、月並みな課題でしょうが、実際に直面するとムズイですね。(^-^;
努力が必要ですよね。
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事