レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「こんな奴らはそれでいい」ってか?

2022-06-11 22:32:16 | 日記
こんにちは/こんばんは。

引き続き結構良い夏を迎えているレイキャビクです。今、これを書いているのは土曜日の昼前なのですが、朝から暖かくショートパンツで過ごしています。これって結構珍しいことなのです。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Roan_Lavery@unsplash.com


昨日も暑いくらいの天気でした。居候している息子は、夜に友達と飲みに出かけたのですが、出かけてすぐに戻ってきて「外は暑いや」と言って、着替えて出直して行きました。

地球温暖化の表れのひとつと思うのですが、過去十年ちょっとの間に、夏の気温は確実に上がってきていると思います。それでも、普段は気温が上がるのはむしろ七月に入ってからのはずなのですが(多分、そのくらいから地面が温まってくる?)、今年はまだ六月の上旬から「暑い」くらいの日が出始めています。

地球温暖化はストップしないといけないのでしょうが、ここでのこのくらいの「夏日」は残って欲しい、というのはワタシの勝手な思いです。

さて、先の木曜日に小さなニュースが流れました。Utlendingafrumvarpinu frestad til haustins. RUV(国営放送)のネット版ニュースでの見出しですが、「外国人法案、秋まで(審議を)延期」という意味です。

これは私や、私と同じ側にいる人にとっては一応の朗報なのです。つまりは法案に断固反対、という側にとっては、とりあえずの「戦果」なのです。




外国人法改悪法案の審議の延期を伝えるニュース 絵中の写真は抗議集会の模様
Myndin er ur Ruv.is


もうちょっときちんと言いますと、「法案」とは現行の外国人法を部分的に変えたり、付け足したり、削ったりすることを提案しているわけですが、総じてこれらが「改正」よりも「改悪」であると私(たち)は考えています。

この法案は、 –もう過去五年越しにくらいになるのではないかな?– 代々の法務大臣によって国会に提出されてきました。その間法務大臣職は、ずーと独立党の下にあります。

多少の変化はあるものの、基本的には同じ法案が四、五回繰り返して出されてきたわけです。ということは、当然のことですがその度に可決されずにきたことになります。

とうはいうものの、じゃあ国会の議決で否決されてきたのか?というと、そういうわけでもないのです。毎回議決を取るところまで行かずに、国会の開会期間が終わってしまったりして「お蔵入り」となってきたのでした。

もちろん「お蔵入り」も政治的な駆け引きの道具です。政府としては勝つ見込みのない法案は、むしろ曖昧にお蔵入りさせた方が得、というわけです。

「政府としては」と書きましたが、外国人法改悪のイニシアティブは独立党が持っていますが、政権は独立党、進歩党(という名前の実は保守党)と緑の党の三党連立です。

緑の党のメンバーである私が、いい加減辟易して「オラ、緑の党やめる」となった顛末は以前ご紹介したことがあります。

訣別 グッドバイ緑の党

やめるの「ヤーメタ!」の巻き


お蔵入りを続けてきた改悪案ですが、いくつかのポイントがありました。つまり改悪の目玉です。そのひとつは、「すでに他の国で『名目ばかりの保護』を受けた難民の再申請を締め出す」ということです。

この点に関しては、上に貼り付けましたリンクの回「訣別 グッドバイ緑の党」で書きましたので、よかったらそちらを参照してみてください。




清涼感アップ プラス 頭冷やし用ピック2
Myndin er eftir Freysteinn_G_Jonsson@unsplash.com


今回は、加えてもうひとつの目玉が付け加えられました。それは「難民申請者が、行政的に最終の否決を受けた後(移民局と、アピール委員会での二回の拒否を指します)、三十日を経過した際には、難民申請者としてしての権利を失い、よって国はいっさいのサービスの提供を終了する」という内容のものです。

難民申請者は、国際協定もあり、申請期間中は衣食住の基本的な必要のサービスを受けることができます。先に「『名目ばかりの保護』を受けた難民」と書きましたが、実際にはギリシャなどいくつかの国では、これらの基本的な必要すら提供されていません。だから「名目ばかり」とされるのです。

ギリシャなどは「提供したくともできない」という台所事情があり、それが、まあ言い訳にもなっています。難民が多過ぎるのです。

ところが、そういう台所事情がないアイスランドでも、同じような状況を「意図的に」作ろうとしていることになります。つまり、申請拒否後三十日を経過した際には、申請者を通りに放り出して良い、としたいわけです。

ここで、当事者は難民申請者であることに注目してください。預金も旅券もある外国人が、退去勧告を受けて三十日後たったらもうサービスを受けられない、というのならわかります。

ですが、難民申請者の圧倒的多数は、お金もないし旅券もない。公権による送還が実施されなければ、三十日経っても同じところにいざるを得ないのです。これを通りへ放り出すことを合法にする、ということが新たな改悪の目玉であるわけです。

私に言わせれば、なんというか、アイスランドのみならず、現代福祉国家が目的として、実現しようとしていることの原則に、真っ向から反するものです。

政治家にしろ、役所にしろ、ソーシャルワーカーにしろ、教会関係者にしろ、みんなが合意して向かっている先というのは、「路上生活者を出さないようにしよう」「飢えて苦しむ人がいないようにしよう」「生きるために犯罪にはしる人がなくなるようにしよう」というようなことでしょう。

そういう原則を実現しようとして、多くの人々が日夜、それぞれの分野で、それぞれの努力をしているのです。

そういう基本的な社会の方針の真向かいから「拒否された難民申請者を、食べ物もなくお金もない状態で通りへ放り出す」ことにしようということなのです。

この意図の背後にあるのは「拒否された難民申請者なんか、それでいいじゃないか」という蔑視です。この蔑視は、そこここで偉い政治家たちの口から漏れ聞こえてきました。ここ数年は特に。

個人的な思いですが、この蔑視はロシア兵が後ろ手に縛ったウクライナ一般市民を後ろから撃ち殺した行為と同じ根っこを持つものです。「こんな奴らは、それでいいじゃないか」

...ふざけんじゃねえよ! と言いたい。

実際に、昨年の夏には、二十人ほどの難民申請者が着のみ着のままの状態で放り出されたことがあります。その時には、周囲の人々が協力し合い、なんとかその場を凌ぐことができ、さらにアピール委員会が「この措置は法的根拠がない」と判断したことで、皆がもとへ戻ることができました。

「だったら、『法的根拠』を作ろうじゃないか」というのが、今回の改悪法案のベースにあることは間違いありません。




私とアニー牧師の批判を取り上げてくてたニュース
Myndin er ur Visir.is


ですが、さすがにこのような改悪には反対の大合唱が湧き上がります。難民支援や人権擁護の団体、赤十字やユニセフ、アムネスティ、さらには多くの個人が、積極的に反対と批判の意見を表明しました。

前回ちょっと書きましたように、私と同僚のアニー牧師も、改悪法案に反対する旨の意見書を国会の委員会に提出しました。Visirというネットニュースも持つメディアが、わざわざその件を取り上げ、私たちの批判のポイントを説明してくれました。

このマイナーブログでは、しがない孤独で初老のおじ(い)さんのワタシですが、きちんと仕事をすることもあるのです。

とういうわけで、法務大臣は「法案審議は秋までお預け」としましたが、秋に蒸し返してくるか、あるいはうやむやにお蔵入りさせるかは、今の時点ではわかりません。

わかることは、まあ、夏休みの間は休戦になるということです。ウクライナ難民の課題でお疲れ中のワタシにとっては、それはそれで、 –その限りで– ありがたいことです。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
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