レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

少年老い易く 壮年さらに老い易く 一事も成り難し

2017-09-17 05:00:00 | 日記

まずはbreaking newsです。昨年十一月の総選挙を受け、なんと越年するほどじっくり時間をかけて発足したビャルトニ·ベネディクトスソン内閣(独立党、ヴィスレイセン、明るい未来党の三党連立)。ある出来事をもとに相互不信が表面化して、連立解消。十一月ぐらいにまた総選挙の模様です(確定ではありません)。

「寝耳に水」的な出来事です。国会も先の火曜日に新期開会したばかりで、木曜の夜にはまったく何の気配もありませんでしたが、金曜の朝、まさしく「国民総ビックリ」状態となりました。Frettabladid紙などは、速報が印刷にかろうじて間に合ったかどうかというところで、一面の差し替えがすべてに行き渡らず、「二種類の一面」が配布されたようです。

まだ混乱していますので、この話題はまたしばらくしてから。




金曜日朝のネットニュースVisir.is  Frettabladid紙「緊急版」の一面


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さて本題。私は来たる十一月で五十代最後となる誕生日を迎えます。中身がどんなに二十年前から変化も進歩もしていなかろうと、肉体の方は確実に先へ進んでいってしまいます。オソロシ。

で、このくらいの年齢になってきますと、周囲の同年代の方々の中に病気になられたり、あるいは天に召されたりする方がどうしてもちらほらと出てきてしまいます。

以前書いたことがありますが、こちらのメインの新聞であるモルグンブラージズ紙には、毎日その日にお葬式のある方々についての追悼記事が掲載されます。顔写真付き。

超アイスランド的な追悼記事の伝統はこちら


日によっては、この追悼記事が五、六ページにもなることがあり「こんなに毎日人が亡くなっているんだ」と感じ入ってしまうことさえあります。

それらの記事にさっと目を通していると、嫌でも同年代くらいの方の追悼記事が目に入ってきてしまうわけです。「今自分が死んだら、誰が追悼してくれるだろうか?」なんていうことまで考えてしまいますよ。

一方で病気になられた方のニュースも耳に入ります。実は最近残念なことを耳にしました。私がオフィスを持つ教会は「レイキャビク東地区」という区域分けに属します。そこには十の教会と二十人以上の牧師さんが在籍します。

その中でいろいろと私によくしてくださっている先輩牧師さんが、難しい病気にかかっていることが明らかにされてしまったのです。癌ではありませんが、不治の病と言わざるを得ない病気です。

その方はまだ六十五歳になったばかりで、こちらの教会の規則では希望すれば引退することもできます。(七十歳までは働くことができます) ですが、その牧師さんはまだまだやる気満々なので、願わくは病状の進行が遅くなり、少しでも現役を長く続けていただきたいものです。

で、その方はまだ最長で五年間仕事できるからなあ、と考えているうちに自分のことに思いが移りました。

実はここのところ時折考えているのですが、私が目一杯年齢制限の際上限まで働くとしても、残された期間は約十一年ちょいです。(七十歳になる時まで働いていいのか、七十一歳になる前日まで働いていいのか、チョット不明です)

まあ、しかしそれは健康が許せば、という大条件付きですので、多少割引をして考えておかないといけないでしょう。普通の健康をかなり保てるとして、六十八歳まで、ということであと十年は働きたいものです。すでにボケの兆候があるので、多少心配ではありますが。(^-^; 

それでも残された期間はたったの十年!

若い皆さんは「十年」というと長い期間に思われるかもしれませんが、実際に仕事で何かをしようと取り組んだ場合、十年というのはある意味結果を出せるための最小期限というか、最低必要期間ではないかと思います。

もちろん、スポーツのようにルーキーがあっという間に結果を残せる職業もありますから、「結果」というものがどのように現れ得る分野であるのかによって違いはあるでしょう。私のように「教会」という場での仕事では、十年くらいは必要に思われます。

ですから、私にとっては「これをやりたい!」というものがあるとしたら、今がそれをラーンチする最終のタイミングということになります。これは結構真面目に考えさせられる問題なのです。

日本で牧師さんをされている方には、かなり共通することではないかと思いますが、私はまず牧師になるために十年間を費やしました。牧師になった時、すでに三十一歳。

その後短いうちに、アイスランドへ移るなどいろいろ環境が変わることがあり、こちらできちんと仕事を始められたのはさらに十年が過ぎた四十歳くらいからでした。

「移民牧師」という新しいポジションを確立するのの十年かかりました。その時期はアイスランドでのマルチカルチャラリズムというものが発展した時期でもありました。私のポジションはその方面にも不可避的に関わっていたので、仕事そのものが教会の中で三割外で七割くらいの比率となり、どうしても教会内ではアウトサイダー的な雰囲気になってしまいました。

その後、今度は教会内での職務内容を拡充するのにさらに十年。当初に比べれば職務がずっと牧師らしくなってきた時期です。一昨年、昨年はある意味では一番実りのある年でしたし、同時にまた「難民問題」という新しい課題に本格的に取り組むことになった時期でもあります。

で、気がついてみたら最後の?十年間の入り口に立っているわけなんです。考えようによっては、今まで培ってきたものをすべて使っていけるわけですから、一番面白い十年間ということもできるかもしれません。

話しが超個人的な世界に入ってしまい、皆さんには「まったく関わりがない」ものになってしまいましたね。スミマセン。でも「日誌」ですからね、そういうこともあります。ご容赦。

生活条件や環境は人それぞれ違いますからね。職業を選ぶ自由もない環境にいらっしゃる方も多いでしょう。生活するだけで一生懸命、という。

ですから、誰でもみんなに通用するものではないことは承知した上で、もし皆さんが自分で仕事を選び、計画することができる立場にあるとしたら、時期を区切って目標を立てて進まれる事をお勧めしたいです。

「少年老い易く、学成り難し」は学問だけのことではないと実感します。十年、二十年などは本当に短い年月です。

無駄な期間が出るのは不可避ですし、そんなことを惜しがる必要はないと思いますが、「なんとなく…」で過ごしてしまう年月は短い方がいいのではないかと考えます。人生はちゃんと「終わり」がありますから。

ああ、あと十年か... ここまで追い詰められると一日一日が惜しくなってくるなあ。その割には毎晩「バイキング」と「ヒルナンデス」見てるよな... 人間とは矛盾の多い存在なのでした。m(_ _)m


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is
コメント
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