レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

レイキャビク 通勤時間と公私「混合」

2017-09-03 05:00:00 | 日記
前回、レイキャビクでは所謂「通勤時間」というものがないに近い、というようなことに少し触れました。実際はそのことについて書こうと思っていたのですが、「話しの導入に」と思っていたiPadがテーマそのものになってしまいました。

「通勤時間のない生活」については以前にも書いた気がしますが、改めてもう一度。

もちろん日本でも場所によって通勤時間なるものは相当異なることだろうと思いますし、自営業の方などには通勤時間云々そのものが的外れなトピックに違いありません。

個人的に私は新橋で三年間サラリーマンをやっていましたし、またその前の大学は市ヶ谷、さらにその前の予備校は御茶ノ水、そしてそのいずれにも八王子から通っていましたので、「通勤·通学時間」というものが結構重いものとして脳裏に焼き付いてしまっているのです。

前回書きましたように、八王子〜新橋の朝の通勤は中央線だけで一時間十五分かかりましたし、全体としては朝の二時間を通勤に費やしていました。帰りはいろいろ途中徘徊することも多かったので、一概には言えません。

で、東京都内にお勤めになっている方々にとっては、「通勤片道二時間」なんていうのはごく普通のことであった、それ以上かけていらっしゃる方だって多くあることと思います。

毎日とはいかないでも、週五日間、通勤に約四時間を費やすとしたら、週平均で二十時間。ほとんど一週の中の丸一日を通勤しながら過ごしていることになります。これはやはり無視できない時間の量ですよね。

私もサラリーマン時代に、それなりの通勤術を身につけました。朝早起きを強いられたのは当然ですが、自宅から中央線の始発に乗り込むまでの間、完全に覚醒しないように「半眠り」をキープするようにします。そして電車内で追加一時間の睡眠を補充するのでした。

ついでですが、帰路も東京駅から始発の中央線に乗るのがもちろん日常的だったのですが、帰路の場合は、終点が八王子をふた駅通り越した高尾です。一杯(いっぱい?)飲んで、眠りこけたとしても八王子でおりなければいけません。覚えている限りでは、寝過ごして高尾まで行ってしまったのは二回だけだったような。

さて、今現在ですが、私の通勤先は車で十五分くらいの距離にあります。ラッキーなのは、私の場合レイキャビクのダウンタウン方面から、隣町の方へ出向いていくことになり、ラッシュ時の車の流れとは逆向きなことです。

帰宅時も同じこと。夕方、レイキャビク中心部方面から郊外へ向かう車線は長〜い列を作っていますが、逆コースの私はスイスイと我が家目指して笑顔で進んで行くことができるのです。

バスを通勤通学に利用されている人は、おそらくもう少し時間がかかるでしょうが、自動車通勤に限っていうと、十五分から二十分が平均的な所用時間なのではないでしょうか?

時々、国際空港のある町、ケフラビクから通っている人もあります。車で四十分くらいだろうと思います。「ご苦労なこった」と思ってしまいますが、これも、日本や他の国の平均から言ったら、そんなに大した距離ではないですよね。




レイキャビクの海側の街並み
Myndin er ur Reykjavik.is


で、今のような通勤時間のほぼない生活について、利点は何か?と考えてみますと、いの一番にやっぱり朝が楽です。9時にオフィスに出ようと思ったら、7時半に起きて一時間朝食等に使っても、十分間に合います。

私のように朝食をあまり取らないタイプだと、8時起きだって間に合います。千葉、埼玉、都下の皆さん、羨ましくありませんか?(^-^;

利点の第二は、例えば子供が具合が悪くなって、早く学校から戻った時などでも、すぐに様子を見に行くことができることです。ちなみにアイスランドでは、子供が病気などの時、親が適切に面倒を見ることは当然のこととされていて、確か法的にも義務付けられていたと思います。

「ちょっと歯医者に行ってくるから」とオフィスアワーに抜け出て行くことも許されています。そういえば、この間テレビで、新宿にある「深夜営業」の歯医者さんの紹介を見ましたね。昼間には来られない人のためだとか。東京って、やっぱりすごいですね。

通勤時間がないことの第三の利点は、早く帰宅できる分、余暇の時間が増えることです。まあ、これは東京等でも、仕事帰りにジムやスイミングクラブへ寄って行く、という人もあるでしょうから必ずしも通勤時間の長短には依存しないかもしれません。でも「帰宅してから、再外出しなければならない」という場合には、早く帰宅できるのは楽でしょう。

その反面、短い通勤時間故の難しさというか、マイナス面もあります。利点の反面なんですけれどね。生活空間が小さい分だけ、仕事での生活空間と、プライベートでの生活空間が重なってしまうことです。

新橋のサラリーマン時代は、きっちり「仕事空間」と「プライベート空間」はそれぞれ独立していて、そうしようと思わない限りそのふたつが触れ合うことはありませんでした。

レイキャビクではそうはいきません。プライベートでカフェに行って、そこで同僚や仕事関係の人と鉢合わせしてしまうことは年中ですし、同僚がすぐ近所に住んでいることだって珍しくはありまあせん。

何かのフェスティバルとかに出て行けば、誰かしらの職場関係者に出会わないことはあり得ません。

私自身の経験で言うと、スーパーで買い物をしていても、顔見知りに見つかってしまい、肉売り場のケースの前などで相談事を聞かされることがよくあります(スーパーというのは結構相談事の承り所になります)。

もっと困るのは夏休み中などにも、どこかしらで誰かしらに相談事を持ちかけられ、休みにならないことがあることです。

私は牧師ですし、牧師の仕事というのはもともと、どこまでが仕事で、どこからがプライベートか、ということがはっきりとしない稼業です。そこへ持ってきて、私のような半ワークホリックかつ「エンプティネスター」ですと、ますます仕事とプライベートがcommingleした状態が普通になっています。

それでも、やはりプライベート空間というのは大切なものです。私の場合は自宅はある種の聖域で、滅多に人を呼ぶことはありません。呼ぶ人は本当に仲のいい友人か家族のような関係を持っている人たちです。「牧師のくせに冷たい奴だ」と思われる方もあるかもしれませんが、冷たくしているわけでもないんですよね。

説明し辛いのですが、そこには何か、「そこを越えたら自分が危なくなる」というような自己防衛本能が働いている気がします。自宅にまで仕事関連の相談事を持って来られたら、こちらが潰れてしまいますから。

牧師は神でも超人でもないですから、自分自身の管理ということは必要です。日常生活の中での、休める空間、時間、というものはしっかり確保しておかなければなりません。

というわけで、レイキャビクでの生活は、要するに映画に出てくるようなアメリカの田舎の町のような生活です。仕事もプライベートも基本的には同じ空間の中にあり、プラスもマイナスもありましょうが、ひとつを他から完全に切り離すことは難しい社会です。

だから、そういう生活が「合う人、合わない人」はあるでしょうね。私には合っているようですので、これは幸い。多少の自分なりのアレンジは必要ですけどね。

「大いなる田舎」は名古屋でしたよね。レイキャビクは...「生活しがいのある田舎」とでも言えるでしょうか?


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする