高村光太郎さんの「レモン哀歌」が書かれたのは、昭和14年。
その前年に、智恵子さんはすでに亡くなられています。
追憶にある智恵子さんが詩になったんですね。
その頃の智恵子さんは、すでに50歳くらいです。
ですから、この絵の少女のような御姿ではありません。
いつまでも若々しかったそうですが、さすがに無理があります。
こういうのを「換骨奪胎」といいまして、
主題や設定の中身だけを頂いて、自分流に仕上げてしまうわけなのです。
最初から似顔絵を描こうなどとは考えておりませんし、
自分は「美人画」を描きたいので、こんな風に出来上がってしまうのであります。
そうはいっても、智恵子さんご本人には文句を言われそうです。
「全然似てないし、私はこんなに美人じゃないし、こっち(あの世)じゃいい笑い者だよ、バカ!」などと・・
昨日は、アクセス数2973PVでした。最近多いですね。皆様ありがとうございます
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