某TV局で、荒川選手を半年間取材した特番をやっていた。
「金メダルスペシャル」だが、なるほど凄い努力をしてきてるんだというのがわかる。
採点方式の変更に苦しんで、いかにポイントを上げていくかに取り組んだ。
最高難度「レベル4」まで上げていくために、いくつもの技をマスターしていったか・・。
ところが、そのマスターしていく過程で、無駄となった技が今やトレードマークとなった「イナバウアー」。
柔軟性を魅せる彼女独特の技なのだが、実はこれは1ポイントにもならないのだ。
だが、彼女は、あえてその得点にならない技を入れて、自分らしい「美しさ」を追及した。
スケートは美しくあるべきだ・・という彼女の表現者としてのポリシーを通したわけだが、
その発想は、ロシアでネットをしていて、ファンからメールに、気付かされたのだという・・。
今回、ポイント制に移行したが、審査員も、技の難度だけで得点が決まるようなやり方には不満もあったのではないだろうか。
スケートとは、技もさることながら、芸術的な「美」も問われるスポーツであるからだ。
その意味で、技術的要素ばかりに目を奪われるだけでは、本来のスケートの素晴らしさを見失ってしまう危険がある。
その不満を、彼女が、あえて「イナバウアー」を入れたことで、疑問を晴らして晴らしてくれたようにも思われてならない。
無駄な技のところで、見ていた観客からの拍手喝采が起こったというのは、そういう意味も持つのではないだろうか・・。
スケートは、感性に訴える美しいスポーツだ。
見ている人にどれだけ訴えるものがあるかは非常に大切だと思う。
そのスケートのメンタリティ(精神性)は、今後も必ずや問われていくだろう。
俺の好きな「アイスダンス」などは、まさにそこが重要だと思う。
また、得点が高く出るジャンプに、大技を持たなかった彼女が、他のスピンやステップ、スパイラルなどでを得点アップを目指し、
さらに、その弱点のジャンプにおいても、高めの得点が取れる「コンビネーション」で挑んでいったこともなるほど!と思ったが、
そのコンビネーションを、1.1倍に得点がアップされる後半(疲れが出る部分)に入れていった事も凄いと思った・・。
そして、試合会場では、他の選手のスケートは一切見なかったという。
ヘッドフォンをかぶって、出番が来るまでは「知らんぷり」・・(笑)。
「自分が今、そしてこれから何をすべきなのか!?」そこにひたすら集中していったコントロール法は本当に学ぶものがあった。
自分にいったいどこまでの事ができるのか。限界に挑む。
そこにチャレンジし続けていく姿勢・・教えなじんだコーチを変え、環境を変えてその追及を止めない姿勢にも、本当に恐れ入った
コーチを変えるということは、スケートの「思想」を変えるということでもあり、なかなかできることではない。
自分が求める物を、手に入れるためには、不安も何もかも乗り越えていける強さが彼女にはある。
彼女は「表現者」であり「芸術家」でありながら、きっと果てしない上を目指すスケートの「探求者」なのだろう。
やはり、これはとことんスケートが好きでなければできないことなのだと思う。
その意味で、彼女は、すでに世界トップの「プロフェッショナル」の域にあるのだと思う。
また、開会式で、イタリアのオペラ歌手が歌ったのが、彼女が選んでいたプッチーニの「トゥーランドット」だった。
この時、これから始まるオリンピックに「運命的なものを感じた」という・・。
自分が選んでいた曲が、偶然にも開会式で歌われている時、
彼女は、聖火の煌々と燃えるあの炎に、すでに輝くメダルを見ていたのかもしれない・・・。
荒川静香選手の舞いには、何度見ても熱く感動!!!してしまう。
スポーツの感動は、俺を惹きつけてやまない。