自叙録~彷徨の果てに~
高校を卒業すると同時に故郷を離れ、前も後も上も下も右も左も分からない大阪という大都会で就職することになった。
勿論、二段ベットが二つ備え付けの四人一部屋での生活。そんな社員寮に入って昭和43年の春、田舎の山奥の18歳が務め始めたのは印刷会社だった。
高卒求人の有った企業の中で、そこの月給が一番高い(今思うと嘘みたいだが月額16000の給料だったのだ)という誠に単純極まりない理由で選択した最初の仕事場。
朝起きてから、出勤のタイムカードを押し、退出のタイムカードを差し込んで、夜寝るまでの四六時中誰かと一緒の生活が続く。何かに縛られている閉塞感と、息苦しさの生活が18ヶ月続いてとうとう耐えられなくなって、最初の職場から逃亡した二十歳前後の挫折感と虚無感の暗闇。
後は漂泊の年月を送った。三十過ぎ迄の貴重な日々をただ無為に過ごしたのだ。転職と転居と放浪の一人旅を繰り返して次第に追い詰められていった。
その諦念と無気力の自堕落な時間の中で、やっと巡り合った”自営”と言う職業だったのだ。何もかも自身で決めてゆく日常。計画は自分の為に立てる喜び。それゆえ意欲的に働ける環境。四角四面の孤立から解放され、苦しいながらも徐々に自身らしきものを身に収めてゆく。
仕事だから自由自在の身軽さはなかったが、それでも自分の意思で働き、自分の心身で稼ぐ喜びは何物にも代えがたく、そんな中で妻に出合い、三人の子にも恵まれ壮年時代は脇目も振らず、一家という居城を少しずつ築城していった。その上に七人の孫の現在がある。
そうして僕は今も現役の働き手として存在するのだが、いよいよ晩節に突入し、もはや日曜日も平日状態の感じになりつつある。
けれど、悪戦苦闘,五里霧中,四苦八苦の幾時代かを思い起こせば、漸うに辿り着いたこの平穏の自堕落に満足し、その様に劇的だった前半生に些かのほろ苦さを感じると共に、甘酸っぱい郷愁さえも覚える自己満足の時々でもある。 03/23 0:12pm まんぼ