イノチのoasisが
ウオーキングの途中の、何時もの距離の五分の二ぐらい歩いた(歩数で言えば1500歩ほどだろうか)処に、数十年前に町のプロジェクトとして行われた圃場整備事業の結果として残る、広い畑が何枚も段々になって広がる一角の、緑の草で覆われた駐車スペースの端っこの、水撒き用に立ち上がる水栓の横に、ログを利用したテーブル(農作業の合間の休憩に使われているのだろうか、或いは一時的に農具などを載せておくのか)が設置されている。
其処まで来ると僕は、ときどき忘れ物を思い出したようにそのtable椅子に座って物思いに耽るのだ。
少しの時間(それはものの5分だったり、偶には半時間も其処でstoneに為ったり)だけれど、其処で産まれるポエムも有ったりessayの一章が完結したり、ときにはその日のスケジュールを組み換えたり、一週間やひと月の予定さえ履修してメモ帳に書き写す事も有った。
ヒトは何処かにイノチの水飲み場が要る。空虚や苦悶を和らげ、夢や希望を拡げてゆくoasisが要る。
僕は其処でヒトトキの時の間に間を潤しながら、後半の五分の三を歩く軽やかな意志を養生し、行く先不明の明日へと歩を進める覚悟と勇気を培ってやおら立ち上がりるのだ。何時ものように。
2018 01/22 まんぼ