降って来るもの

写真と散文とぽえむ

聴心記.ⅩⅩⅩⅨ

2017-12-15 21:43:46 | 聴心記

                  ⅩⅩⅩⅨ「本能のままに」

死に直結する罠の檻に

捕らえられた生き物に

生き残る万に一つの幸運もない

 扉が落ちたその瞬間に決定された運命なのだ

取り返す手立てもZEROの非情の

 

それから幾時間、何日を足搔いたとて

赤さびた鉄の門扉が

二度と開くことはない

 

考えてもみたまえ

ヒトは煉獄の前に立ったとしても

 兎にも角にも思案はできる

その質や広さや深さに多少の差異はあっても

智慧を持つ動物として君臨する

 

だからKIMIよ、ANATAよ

それ故僕等は

野生のままではいけないのだ

 

鉄柵に体当たりして

血まみれの無念を味わいたくなければ

 必要最小限でも

野生とは別物の知性を獲得しなければならない

 

本能のままになど

 口にしてはいけないのだ

正しく人としての本然に立ち戻れる

強固でしたたかな信念や意思がなければ・・

                       「イノチのチカラに」

 

不思議なことに

毎日一万歩を自分に課していると

それ以下の数字では物足らなくなる

両足の負荷さえ自ずと容量を増して

寧ろその荷重を愉しむ

 

雨の日は傘の下から風情を見て

水玉が作る輪に思わず心を停める

想う事と一心同体で進んでいると

使役による筋肉の使い痛みも半減されて

概ね弾む足取りで推移できるのだ

 

何か満足を手にしようと誓ったら

まず己の心に

それと見合いの労苦を科すことだ

その困難を克服したものだけが

己のイノチのチカラになる

12/15 21:43

 

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聴心記.ⅩⅩⅩⅧ

2017-12-15 13:40:39 | 聴心記

                ⅩⅩⅩⅧ「僕と詩神の」

 

言葉の端くれが脳裏に閃いてくれれば

その刺激で

僕の全身から滲みだすもので

一つのKATACHIは創れる

 

青色の布切れが有れば

一枚の神秘の衣装を

鮮明にimageできるデザイナーのように

 

胸の何処かを流星のように掠めた

一筋の軌跡が残れば

未知の宇宙へと

未開の深淵へと

誘ってくれる言葉達と擦れ違える

 

僕は神経を研ぎ澄まし

感性を尖らせ

チカラを一つに束ねて

其処で渾身の一行を書くのだ

 

遙か彼方へと精神を解き放てば

想像の詩神は

彼方此方で手招きして待ち受け

僕と確かな心交を結んでくれる

 

恐らくは類まれなる至福の

*12/15 13:40:40 万甫

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四時を回ると~14179~

2017-12-15 07:32:42 | 随想

                  四時を回ると~14179~

 

 夕方の時刻が四時を回ると妙に落ち着かなくなって気分が浮足立つのだ。冬の日暮れは早くて、半までには既に日没を終え五時に成ればもはや誰彼どきとも言えない程に夜の帳が辺りを隠し始める。

 此の山里の五時の時報に流れる”夕焼け小焼け”の唱歌のmelodyが、まるで夕方と夜を仕切る襖のように一面の風景をその奥へと隠ぺいしてゆくのだ。

 黄昏blueは黒色に侵食されてその青さを失い、それと同時に袈裟懸けに持ち歩くcameraの出番も失せ、その重さが背中で不興を囲って揺れる。

 今日は息子が早く帰って来て湊人を迎えに行き”ひよこ組”の作品展を見るのだと、完全武装した蒼唯もmamaに抱かれて一緒に出掛けて行った。非常勤で働き始めた女房が帰って来るのは何時も六時前になる。今日は心置きなく歩ける日なのだ。

 僕はいそいそと(ほんとにそんな気分になって)支度を整え、満を持して四時二十分に家を出る。何の気懸かりもない四十~五十分を確保しているのだ。

 何時ものようにニコンCOOLPIX.L340を背中に、裏起毛付きのズボンの左のポケットに葉書より一回り大きいサイズのメモ帳を押し込み、ダウンジャケットの右のポケットに黒赤青緑の四色ボールペンを忍び込ませ、両手に手編みの手袋を嵌め揚々と風景の中をウオークする。

空は鉛色で如何にも冬を物語るように広がり、僅かにそれらしい茜が西空の端に浮かんでいるだけの寂しい風景では、シャッターを押す場面もほとんどないに等しい。

 それでも微かなchanceに望みを賭けて、何時でも即応できる態勢は整えて歩く。歩きながら泡のように浮かんでは消える想いをエッセイになるのか、日記だか、唯の駄文に終わるのか判別できない想いを書き続ける。

 降ってくるものも過ってゆくものも瞬時に生まれ、束の間に消え去るので一瞬の油断もできないのだ。余程のchanceが訪れない限り、カメラマンとして同行するもう一人の僕は、没頭している書き手の僕の意識には割り込めない。

 ちょうど予定の行程の半分の距離にある(約三千歩で到達する)何時もの折り返し点の「六地蔵さん」に手を合わせ(縁に結ばれる人の一日が恙なく廻りますますように・・と)たのが十六時五十分。

 早くも半時が過ぎた。其処で腰に取り付けた”歩数計”を確認してみると累計の数字が「11300」を記録。どんどん暗さが迫って来るので速足で歩く後半の歩数をplusすれば、久しぶりに総歩数は14000を越えるかもしれない。

 今日は師走の十四日。~たったったっ、江戸の夜風を震わせて、向かうは本所松坂町~三波春夫の美声が奏でる浪曲「赤穂浪士」のclimaxだが、僕の一日一万歩越えの旗印も、今のところ順風に翩翻と翻っている。

 腰痛の克服も兼ねて五千歩から始めた思惑のwalkingも、その途中にいろいろの得物を与えられるお陰で如何やら着実に僕の日常に組み込まれつつあるようだ。

五時を回ると既に夜

12/15 07:27 まんぼ

 

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