降って来るもの

写真と散文とぽえむ

築城名人高虎最高傑作の海城~今治城~

2024-06-25 05:16:43 | 伊予の旅

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 6/17 目出度く!?後期高齢者の一員となった伊予の朝、8:30に”休暇村 瀬戸内東予”を出発9:00の開館少し前に名人・藤堂高虎が築城した海城「今治城」に到着した

  

※今治城(別名 吹揚城) 築城時、内堀・中堀・外堀の三重の水堀で囲まれた広大な城であったが、現在の今治城跡はかっての内堀以内の範囲。城内には海に繋がる港が設けられ、現在の今治港に引き継がれている。今治城は海に面して築かれており、瀬戸内海を監視する役割があったと考えられている。

内堀に映り込む御金櫓

  

  此方は同じく鉄(くろがね)・武具櫓が内堀に影を映す

桝形の正面に

 

 

  

  

  

これが有名な「鉄(くろがね)御門」◎扉や柱に貼られた鉄板に由来する

格式の高い城にしかない特別な城門と謂われる

  

二の丸に入ると、本丸跡の北隅に昭和55年(1980)に再建された模擬天守(五層六階)が見え、最上階からは今治平野・瀬戸内海・四国山地を一望できる。

城を背景に、武将像では珍しい藤堂高虎の平服姿の騎馬像が立っている

※藤堂高虎 関ヶ原の戦功で伊予(愛媛県)半国20万石を領し、慶長7年(1602)にこの地に築城を開始し、約6年の歳月をかけて慶長13年頃にほぼ完成した。直後に高虎は伊勢・伊賀に移り、今治城には養子の高吉が在城した。明治時代初期に廃城になり破却が進んだが、城の中心部の内堀や石垣はほぼ完全に残っており、昭和28年に愛媛県史跡に指定された。現在では天守や櫓・城門などの再建が進み、昔の雄大な城郭が再現されている。

  続く

        曇天の火曜日の朝です  6/25 06:06 まんぼ

 

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 瀬戸内の日影~誕生日・伊予... | トップ | 老いの考察~到達~ »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (一歩)
2024-06-25 08:07:52
万甫兄オハヨーございます😃
今朝はちょっと気になっていた藤堂高虎について教わりました!近江の人で浅井長政・羽柴秀長・豊臣秀吉に仕え、関ヶ原・大坂の陣では徳川家康に属し伊勢・伊賀を更に伊予の国を与えられたのですね。享年74才ですから当時では大変な長寿❗名将たちに用いられたのですからきっと魅力大の人物だったのでしょうね👍🎵
「僕の数式 22:10ー05:35=5.25 正答のない これが今朝の僕の方程式 6未満の数字に 少しの悩ましい時間と 多少の戸惑いの洗礼を受けたが これが 今の僕の存在の数式 そんな風に決着を付けて 僕の夜を僕の朝に提出する そうそう もしも過不足を感じたら 何時でも修復できる 何処でも調節できる そんな環境に居るのだ 何しろ僕は今 正しい数式の正しい答えなど不要の 自由奔放、scheduleなしの 大人切符の 悠々自適の旅の途次なのだから・・(詩24)」
「自分を捨てるのではまだ駄目だ。自分を捨てたと思ってゐるあひだはまだ自分を捨ててゐない。自分を本当に捨てたときは自分を忘れたときだ。自分を忘れて仕事にはげむとき、人間は最も迅速に進歩するのだ。(智慧の言葉)」
返信する
Unknown (一歩)
2024-06-25 12:59:40
万甫兄先ほどはありがとうござました😊お陰様で今治城の画像出ました🎵鉄御門もスッキリ見ることが出来ました🎶
返信する
Unknown (まんぼ)
2024-06-25 14:16:59
其れは良かった!!
何よりの朗報です
やっぱり映像が無いと駄目ですものね
明日からの事も有るし
返信する

コメントを投稿