リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

★お知らせ★




思うところがあってFC2ブログに引っ越しました。 引越し先はこちらで新規の投稿はすべて引越し先のブログのみとなります。

診療所最後の日

2006年09月28日 | Weblog
半年間、週1回いっていた村の診療所への出張も残念ながら今日でいったん終了。

わずかな期間、それも週半日だけだったのだが患者さんやスタッフと別れにちょっとしみじみした。



応援ではなく住み込みで赴任して、いろいろあって村を去るというときの感慨はどれほどのものなのだろうか?

この地域の患者さんや診療所職員も、若い医者が来るのにも医者が変わるのにも慣れている。こうやって新しくきたヘボ医者をそだててきたのだろう。
思えば診療所スタッフや患者さんにはずいぶんといろいろなことを教えていただいた。

帰ろうとしたときにハチさされの急患もきたりして次の汽車まで待つことになった。

しかし駅にいってみると使っているディーゼルが日中、一部区間運休となっており、代行バスでの運行となっていた。(掲示はでていたのだが気づいていなかった。)




その代行バス、国道から離れた駅まで降りてきては上がりということをするのと乗換え時間があるために汽車なら1時間でいくところが結局2時間かかり帰るのに時間がかかってしまった。



バス路線転換になるとこういうことになってしまうのだろうか?

火事だ!どうする?

2006年09月27日 | Weblog
毎年おこなわれている夜間防災訓練だった。

職員も多数参加、消防車も出動し消防隊や、地域の消防団も参加しての大掛かりなもの。

12月の総合防災訓練とともに年中行事となっているそうだ。

どの病棟が対象になるか、直前まで公表されないが自分のいる病棟が当たるのではないかと言われていた。

院長の院内放送とともに始まった防災訓練。

予想通り出火元に指定され模擬患者さん(職員)を配置し、担架で救護所まで担ぎ出しトリアージするなど、患者さんもびっくりの大掛かりな訓練だった。



シナリオがあっても体が動かない、声が出ない。
実際の災害時に上手くリーダーシップを取れる人がいるのか。

など課題は多いことが分かった。

しっかりとした分かりやすいマニュアルをつくっておくことが必要。

自分で逃げることのできない患者さんが多いので、担架を使い非常階段で運び出すためにはとにかく人手を集めることが必要である。

となると、確かに通路にものがあってはダメだ。




いつもお世話になっている近所の散髪屋の兄ちゃんが消防団で参加していてかっこよかった。

職員(特に病院幹部)が消防隊や消防団を接待するアフターもあるも、書き仕事がたまっており腹ごしらえをしてそそくさと退席。

限界を超えて

2006年09月27日 | Weblog
1日は24時間だし、体は1つ。睡眠負債も返却していかないと破綻が来る
集中力には限りがありカフェインや精神調節の薬剤に頼るとしても限界がある。(所詮は対症療法である。)

 どのプロジェクト(患者)1つとっても本当に満足するまでやるにはいくら時間があっても足りない。マルチタスクをこなすのは難しいが、何をしないかを決めるのが戦略であり、常に優先順位をつけて選択し、時間や体力は有効活用しなくてはならない。できる人のやり方を盗んでカスタマイズする。

 情報を共有し、集まってくるような仕組みをつくり、頼まれても考えてから返事をし無理なら断る技術、他人に上手く頼み、任せる技術を徹底的にトレーニングして身につける必要がある。なんでも自分でやれてしまう人にはシステムを作ることはできない。それはマネジメントとはいわない。当院の失敗はそこにあったと考える。

 苦手なことは最低限にして、得意なこと、自分がやったほうが合理的なこと、にエネルギーを割けるように環境を整えていく、あるいは居場所、職業の変更を考える。

 イライラしたときに心を落ち着けられ、自分や他人を傷つけずに済むように呼吸法、瞑想など、さまざまなやり方、逃げ場を用意しておく。思考停止、パニック、フリーズしている状態をできるだけ減らす。早くリカバリーできるようにする。

 オフィスワーク、ペーパーワーク等を気をそらされず集中してできる時間、場所を確保する。(アイマスクや耳栓、タイマーも活用。)考える時間と動く時間をわけ、動く時間には考えることは最低限とする。日中はロボットになって淡々と業務をこなす。

 睡眠、休息や運動する場所、時間を確保する。食料の供給が途絶えがちなのできっちり非常食も確保、食料の供給ルートを作っておく。規則正しい生活をおくり、清潔を保てるように身の回りの清掃や洗濯、入浴等の時間、場所、仕組みを確保しマニュアルを作る。当直等はペースを乱されないようにうまく配置して、予測できない事態の発生を極力減らす。さまざまなエスケープルートを作っておく。
 
 患者さんに対してもそうだが、管理側?とのコミュニケーションが悪く職員に対するアメニティや労働環境、人事、動線、作業効率等への配慮の乏しい病院なので改善を引き続き訴えていく。(このままではそのうち働く人がいなくなってしまうだろう。)電子秘書(Outlook、MindManager)の活用を図る。病院の組織、特に意思決定機構、予算の動き、医療制度の仕組み、パワーバランス等を調査検討しアプローチできるツボをさがしていく。

 人間中心の医療を実現するために、自分の体、スタッフ、患者さんに不利益が及ばないようことだけは留意しなくては・・・。

当直(夜間外来)24時間オープン

2006年09月25日 | Weblog
今日も救急外来の当直。

この間やったばかりな気がするが・・・・。
救急外来というか、夜間外来、やっぱりいったん入るとほとんど離れることできず。正式な業務として代休を取れるようにはできないものだろうか。

すぐ近く市町村広域連合の特別養護老人ホームの嘱託医は、やや離れた別の市民病院。初期治療で踏ん張れなかったら救急外来受診や入院治療はたいてい当院。当院に介助で定期通院している人も多い。リハのスタッフも当院から出張ででかけている。「当院も、施設の人も、利用者も」当院の嘱託だったらすぐ飛んでいけるし動きもとりやすくていいな、と思っているのだが、大人の世界はいろいろあるようで。

最近、特に周辺の医療機関の紹介域値が低い気がする。
がんばって主治医機能を高めて欲しい。そのための応援なら惜しまない。
ただ、責任回避、アリバイ作りのためのだけ丸投げ(スルーパス)は堪忍して欲しい。遠くの地域だとすぐに飛んでいくということもできないし、生活もなかなか見えないので。本当に病院でしか対応できない緊急を要する状態なら文句もいわないのだが。

たまたま夏休み明けの研修医も一緒に副当直に入る。ヨセミテだとか、フィリピンだとか与那国島だとか、最近の研修医は動きがダイナミックだ。

となりで突っ伏して討ち死にした研修医が一人。

救急外来でワイヤレスでインターネットが使えるようになった。院内のホットスポットが増えた。ありがとう。だれか。

映画『アキハバラ@DEEP』の考察

2006年09月24日 | Weblog
 映画はもっとも手軽な気分転換だ。現実逃避をしたいときによく使う。

 車で20分くらいのところにそれなりのシネコンがあり大手の配給ものの映画はたいてい見られるので月に1度くらい行く。たいていレイトショーだ。学生のころは市民ファンがお金を出し合ってつくったミニシアターがあるくらいのそれなりに大きな町だったので隠れたヒットを探すのが楽しみだった。しかし今いるくらいの町ではかなわぬ夢か。病院内にも映画館があればいいのにと思う。(つくりますか。)

 ジャンルとしては、ジェットコースタームービーも、お仕着せ感動作品も見ていて疲れるので、邦画、洋画、アジア映画を問わず、ポップ系の映画が最近の好み。何を見るかはそのときの気分にもよるが・・・。

 さて、映画版のアキハバラ@DEEPを見た。自分的にはかなりツボにはまったが、きっと好みは分かれるんだろうなぁと思う。もうすぐ終了なのでまだ見てない方お早めに。

 ストーリーその他は公式サイトを参照。格差社会、オタク、WEB2.0、オープンソースなどなどのまさに瞬な要素、トピックスを盛り込んだ内容。突っ込みどころ満載ですがなかなか楽しめました。

以下は本編をみていることが前提の記述です。ネタバレ注意です。

医学的考察

@DEEPのメンバーはU77世代。おたくというかハッカーはやはり自閉系が多いのか?

リーダーのページ(グーグルのページからの連想?)は、おそらくはアスペ。どもりもあり、チームでのコミュニケーションでもチャットを使っている。小学校のころのいじめの回想シーンもでてくるところなんか典型的。

すこしMRチックな雰囲気も残す、タイコは光パルスですぐに癲癇発作を起こしてしまう。

ボックスは清潔にこだわる強迫神経症。独自のスタイルをつらぬく。でも、ちょっとキャラは薄いかな?

紅一点のアキラは子供のころのDV(Domestic Viorence)を受けたアダルトチルドレンだ。メイド服のシーンも、格闘のシーンもなかなか良いです。

そして冷静なイズムは、紫外線にあたることのできない病気(色素性乾皮症?)で昼間は月夜に遊ぶ天使たちみたいな紫外線防護服を着て外出する華奢な少年。実は高校は飛び級で進学し実はMITを入学中という天才。

@DEEPのメンバーが「やろうぜ」というサインはみんな机をたたくなどもADHDチック。(ADHDの大人の多動は貧乏ゆすりや、机をたたくなどの形で現れることが多い。)

 そして悪役、デジタルキャピタルのCEOの中込はサディスティックな中年。オタクのカリスマを装っているが敵も多い。なついてくる人には甘いが逆らうやつにはこれでもかというくらい冷酷な仕打ちをする独裁者。。デジキャピ内にカースト制度さながらの格差社会をつくって徹底的に搾取もおこなう。
 
 金にものを言わせて少女を飼育する変態であり、これでもかというくらい典型的な悪役に仕立て上げられている。こんなリーダーについていくか普通?

 脇役もキャラが立っていてよい。中込のセキュリティサービス隊長で第二秘書のクールな渡会もいい味を出している。

あと、自白剤(イソミタール?)を筋注と皮下注の中間みたいな打ち方して場面もあったが、すぐに効くのか?

 そしてダリットのリーダー加藤が意識不明がどれだけ続くかわからない重態になるまでボコられてたけど、高次脳機能障害を行遺してないか心配。


IT的考察
 こちらも突っ込みどころは満載、細かいことを言えばきりがないが映画の演出ということで・・・。

 デジタルキャピタルはWEB0.5~1.0のビジネスモデル。クルークをベースに開発したスクープにしろ、βテストもせずに、●月●日に発売など、まるでWindows95の発売時みたいなやり方。強引な買収、応じなければ叩き潰す手口などはマイクロソフトを髣髴させる。

 背景となるテーマは、ネットの自由。WEB1.0とWEB2.0との戦い。@DEEPのリーダーがページ(googleの基礎技術をつくったエンジニアの名前。)というのもそれを示唆しているだろう。最後のシーンでの中込の「どうして君たちはそんなにネットの自由にこだわるのか。」という発言が象徴的。しかし@DEEPはユイのライフガードをもとに発展させたクルークでどういうビジネスモデルでどのように生活をしていこうとしていたのだろうか?

 ちなみにこの映画、国産サーチエンジンの草分けで唯一存在感を示せているGooが協賛しているところなど意味深。

映画の内容に関して
 ストーリー自体は青春もの、悪役と主役の色もはっきりしていてわかりやすい。最後のデジキャピ本社への討ち入りのシーン。ダイハードを髣髴させるアクションシーン満載。サービス旺盛で安心してみることができ、まるで水戸黄門とおもって見ていたら、忠臣蔵だとさ。小ネタも満載でした。

原作も読んでみたいと思った。ドラマは信越放送では10月開始。すでに放映されている他地域での評判もよいようだ。ちょっと見てみたいかも。

医療現場でのMind Map活用

2006年09月23日 | Weblog
最近、自分の考えを整理するためにMindMap(マインドマップ)のソフトをいろいろ試して使っている。まさにMindMapはひらめきすぎてしまうADvanced HeaD(ADHD)の能力を最大限活用するためには必須のツールのように思われる。残念ながらNeurotypical(NT)の人では使いこなすのは難しいかもしれない。

MindManager
さすがに良くできている。サクサクと思考の流れをさえぎられることなく作れ、プレゼンモードも美しい。パワーポイントやワードやエクセル、PDFなどにもエクスポートできる。使用版をダウンロードしてさっそくプレゼンでも使ってみたが、なかなか使えると感じた。試用期間後にライセンスを購入するかどうか思案中。


FreeMind
オープンソースのフリーソフト。なにしろFreeなところがいい。Mind Managerほどではないが完成度もなかなかだ。用途によってはこれで十分かもしれない。こういったソフトを育てていきたい。

MindMapper
「Mind Manager」にもそういう機能もあるが、ブレインストーミング、マッピング後にプロジェクトにブレイクダウンし割り振って進捗管理する機能まである。(しかしそこまではMind Map作成ソフトには不要な気もする。)Mind Managerよりも楽しい感じのマップが作れる


以上が代表的なものだが、他にもいくつかあるようだ。


Mind Mapは頭を整理して問題解決するのに非常に有効な手段だ。WBS(Work Breakdown Stracture)やICM(Intellectual Capital Management)にも使えそうだ。多くの企業でMindManagerが採用されているというのも分かる気がした。

医療の現場は問題抽出と解決に向けてのアプローチを決めることの繰り返しだ。MindMapの出番である。リハビリカンファレンスでも活用したい。

臨床倫理カンファレンスでもあえて臨床倫理4分割法なんていわなくてもMindMapを使えばよい。

また医療事故やニアミスがあったときに「なぜ」「なぜ」「なぜ」とさかのぼって、背後要因を抽出し、問題解決にあたるMedical SAFERのようなことも自然にできるだろう。

もちろん医学的知識を整理するのにも使える。ドラゴン桜でも東大の医学部の学生が医学的知識の整理に使っているのを紹介していた。

GTD的にやることを洗い出し、TODOを整理するのにも使える。MindMapでToDoを洗い出し、優先順位をつけ、それをグルーピングして似たような仕事はまとめてやり片付けていくやりかたも有効だ。

カルテをPOS(Problem Oriented System)やGOS(Goal Oriented System),
(HOS Hope Oriented System)のSOAP(Subjective Objecteive Ascessment Plan)形式を進化させた形でマインドマップで書いていたら怒られるだろうか?時系列記載とそれ以外の記載方法を切り替えることができないのは紙メディアの限界。将来的にはMind Map形式で展開できる電子カルテを作ってみたい。

IT化に乗り遅れた病院は若い医師には選ばれない。

2006年09月22日 | Weblog
 高度な事務処理能力というのもコンピュータに任せることで、かなり代替できるはずである。(高度な情報処理能力が必要だが)カルテはどこへ行った?画像はどうなった?といった情報伝達のコスト、記録や似たような書類をいくつも作らなければならないときに時間がかかることに対するコスト。紙メディアを使うことで情報伝達が送れ、しいては緊急時に不十分な情報で判断せざるを得ない危険性。

 これらのITを使わないことに対するデメリットを考えると、アリバイ的な書類が増え重要な情報がまぎれて、煩雑な事務的雑用に現場が忙殺されてしまうようになった今こそIT技術を活用するべきだろう。

 当院から電子カルテを独自開発運用している他の病院に移った医師の話では「もう電子カルテのない病院には戻れないと思う」という声も聞く。IT技術もやっと成熟とえいる段階に入ってきた。キーボード入力やコンピュータに抵抗感のある層へ配慮するあまり、電子化をすすめることに消極的な病院は若い医師、スタッフにとって魅力の無い病院になってくるだろう。
 
 「どうして情報技術がこの病院で上手く導入され利用されないのだろうか?」ということを話していて、情報技術は、あまりに急速に発展したため、コンピュータになじみのうすい病院を仕切っている層の人たちにはそのメリットを理解できないためだろうという結論に達した。pre-IT世代にIT技術を活用することで得られるメリットをわかりやすく提示していく必要もある。現場の知やシステムを、IT(最近はICT(Information communication technology,医療現場ではinfection control teamと紛らわしい。)を活用して再構築を図っていきたいものだ。

 「まだ電子カルテが標準化されていないから」などとできない言い訳ばかり探すのはやめて患者にとってのメリットも大きいのだから、なんとかITを活用すべくそういったことに長けた人材の採用や登用をすすめてもらいたい。

マネジメントと現場

2006年09月21日 | Weblog
マネジメントと現場業務は両立するのか?というのは永遠の課題。

マンパワーもハードも圧倒的に貧しい中で、リハスタッフの病棟配置にしろ回復期リハの立ち上げにしろ、近森病院が10年かかってやってきたことを数ヶ月でやれるわけもないが・・・。

いいものができれば病院賞もの。ホンと。
しかし多職種で一つのものを作っていくというのはリハならでは。
貴重な経験だ。

大変だろうけど、「やるしかない」といってくれる仲間がいるのが唯一の救いです。いろいろと本音もでてきた。

病院全体に閉塞感ただよい、疲れている中、ここが上手くいかないと再構築なんてうまくいきっこない。

10月から診療所や訪問診療にでられなくなるのは残念だけどプロジェクトに専念できる。地域ケアのシステムを作るときにこの経験は役に立つはず。


病院全体の理解ももう少し欲しいところ。
上層部も、もう少し現場に来て本音で語ってほしいもの。

当直業務

2006年09月20日 | Weblog
ってか夜勤。
今日はかなりきつい・・・・。

すごい重傷者はいないけど
夜間外来の患者さんも深夜まで途切れず、

だれかが
「なかなか切れない・・・。
前立腺肥大症のおしっこのようだ。」

と、ボソリ。言い得て妙。

副当直の研修医の皆様が大分成長しているので助かるが。

気=エネルギー

2006年09月19日 | Weblog
一日、そして一生にに使えるエネルギーや注意力、すなわち"気"には限りがあるように思われる。

自分は気の使い方が下手で、常に気が張っており、気が早く、気が多くすぐに気がそれてしまい、ちょっとしたことで気が散る。
なかなか気が利かず、気が小さく要らぬことを気にしすぎ、仕事にもなかなか気が乗らない。そして気が沈み、気が滅入って、気が塞いでしまう。

気が短く、気に入らないことも多く、ささいなことに気が上る。しかしそれをうまく発散できずに気疲れしてしまう。
要らぬ気を使い、気まぐれな人に振り回される。細かいところに気が回らず、ミスにも気がつかない。

夕方ともなると気が切れたとたんに動けなくなるくらいどっと疲れが押し寄せ、気が抜けたようになる。

そんなことを続けていると気が腐り、やがて気が触れて、気が違ってしまうだろう。

変わることにはエネルギーがいる。
生きるだけでも気が必要だ。

毎日を元気よく過ごし、気持ちよく、気合を入れて働ける環境が必要だ。


こうしてみると気というのは面白い概念だ。
気を上手く操れるようになって、うまく気を補充できるようなサイクルを作らなくてはならない。
お互いに気を高めあえるような関係を人と結ぶことも必要だろう。
気功や風水のようなものも馬鹿にはできなさそうだ。

ADHD用秘書ソフト

2006年09月18日 | Weblog
 (ADD/ADHD)は一言で言うとネコ的な性格のハンターである。発想力、想像力は抜群なのだがひらめきすぎてしまうために、単純なルーチンワークなどが苦手で集中して仕事ができない。自由気ままで、時間感覚がなく、段取りをつけて物事をこなせない。一方で瞬発力はあり興味のあることにはものすごい集中力を発揮する。が、狩に備えて体力を温存するために休息はたっぷり必要。生活は不規則になりがち。(⇒WingBrain参照)

 「ADD/ADHDという才能」という本に詳しいがADHDはハンターの末裔だという。昨今のファーマー全盛の世界で上手くやっていくためには相当の苦労が必要で、リタリンなどの薬を使ってハンターの能力を押さえ込みファーマー的業務をこなしたり、メモなどさまざまなツールを使って工夫をこらして適応したり相当苦労している

 ADHDはひらめきすぎてしまうので、思いついたことはとりあえず、メモしたり、デジカメやICレコーダーに放り込んでおき後で整理するほうがよい。そうすれば横道にそれることもないし彼らのアイディアも忘れずに活用できる。とにかく情報を投げ込んでおいて、後で整理するような方法がベストである。(整理は苦手なので勝手に日付などでインデックスをつけて整理してくれるというのが理想である。)日中は頭を使わずとにかく手順に沿って体を動かせば仕事がすむという環境をととのえておき、また過集中を防止するためにタイマーなどを活用する。(過集中して何かを一気に仕上げるというような仕事が本来は向いているのだろうが・・・・・。)


 彼らの能力を活かすには仕事の内容を選びファーマーと組むというのが一つの方法である。ただしいつもファーマーのパートナーが見つかるとは限らないし、ファーマー全盛でハンターの能力に気づいていない日本の社会では彼らを管理してくれるマネージャー、コーチ、秘書をつけるのも難しい。(「私費で秘書をつけてよいか、そうすれば4倍働けると思うのだが。」と上司に相談したらあっさり「そりゃダメだ。」といわれた。)しかたがないのでさまざまな代償方略を試し、コンピューターも使った電子秘書的なツールの活用を模索していた。
 
 Microsoft‐Outlookをはじめさまざまな電子秘書ソフトがあるがハンターの特性にあわせて作られたものは少ない。本来コンピュータの得意なことを人様がやるのは屈辱的なことなのだがファーマーはそれに気づかず、苦痛を感じないようで、コンピューターソフトのクセに人間様に気を使わせたり、人間様を働かせたりするものが多いのだ。

  ADHD用ののナビゲートソフトを作りたいと常々考えているのだが、まだ自分でソフトを作るほどの技術は持ち合わせていないので、それに類するソフトがないかと探していた。最近になってやっと自分のイメージに近いものがでてくるようになった。GoogleなどはまさにADHD的である。Picsaやgoogleディスクトップなどのツール、ブログなど、WEB2.0はADHDにとって恩恵だろう。

 さて今回見つけたソフトは「ToDo+Map」というソフトである。

 このtodo+mapはシンプルなインターフェイスなソフトなのだが使いようによってはGTDを実行するためのLifeHackツールに発展する可能性がある。(GTDやLife Hackにはまるのは絶対ADHD人種だ。)やらなきゃいけないタスクを全てとりあえず投げ込み、整理して一覧する。そして優先順位をつける。(色分けも役立ちそうだ。)そしてあとは頭は使わずマシーンとなって片付けるだけだ。日中はできるだけ余計な刺激に惑わされることなく考えることをできるだけ減らしておいてリストに沿って淡々と仕事をこなす。という使い方ができる。飛び込んできた緊急の要件があれば追加して落ち着いたところで見直せばよい。

 さらに発展させるとすると、重要度に応じてタスクを大きなバルーンを書くバルーンマッピングの発想で、緊急度が高いもの(締め切りが近づくとバルーンが膨らむ)、重要度が高いものが大きくふくらむようにしたら次に何をするべきなのか迷わなくてすみそう。タスクをグルーピングしたり、細かくブレイクダウンしたり、といったことがマウスオペレーションでできれば最高。そしてToDoが完了したときには派手なアニメで爆発するエフェクトがあれば気持ちいいだろう。片付けたタスクを戦利品のように一覧できる機能があればやる気にもなる。

 緊急度と重要度を縦軸と横軸にとったアイゼンハワーのマトリックスなどと組み合わせたり、タスク一覧を印刷できたり、タイムスタンプを活用してアイディアや行動のレコーダーとしても活用できたり、リンクができたりすれば自分のイメージにどんぴしゃな最強のADHDサポートツールになる。WEBベースで作ればチームで作業するときのグループウェアに発展させたりもできそう。と夢は果てしなく広がる。

76/77世代(ナナロク世代)に期待

2006年09月18日 | Weblog
 自分は76/77世代ナナロク世代)といわれる世代らしい。団塊ジュニア世代より少し下。少子化が進む直前の世代だ。さまざまな分野で活躍している有名人に乙武洋匡(1976)、中田英寿(1977)らもいる。日本でも米国でもこのあたりの世代を境に情報に対する感性、接し方にギャップがあるという。

 76/77世代が社会に出て行ったのは、バブル崩壊後で団塊ジュニアが就職を目指した就職氷河期の氷が溶け始めたころである。ネット技術が急速な発展を見せビットバレーが注目され、ITバブルの栄枯盛衰を横目に身ながら学生時代をすごした。生まれたころにパソコンが誕生し、コンピューターは常に身近にあった。学生時代はインターネットの発展とともにありインターネットのエリート世代だという人もいる。

  MixiはてなGreeなどSNS系サービスなど、WEB2.0を牽引する新たなインターネット企業の社長はこの世代が多い。彼らはニッチをみつけ,そこにあらたなビジネスモデルを展開するブルーオーシャン戦略をとっている。
 儲かるかではなく自分らにとって面白いか、やりがいが感じられるかというのが価値基準。ウィナーズ・テイクス・オールのIT業界でナンバーワンでなくオンリーワンを目指している。
 
 また、これらの世代の人材は、かつての価値観にとらわれず、福祉、環境、教育といった決して儲かる仕事ではないが、解決しなくてはならない課題が山積しており、やりがいの感じられる分野に集まりはじめている。

 自分を含めた若手の医師においては回り道をあまりせずに来たならば卒後臨床研修義務化の始まる直前の世代である。そして今、医局崩壊、卒後臨床研修必修化のあおりを一番受けている世代でもある。

 これまでの経験的、あるいは病態生理学的思考に加え、臨床疫学の手法も取り入れたEBMの考え方が普及し、インターネットを利用した情報収集が当たり前になりはじめ、さまざまな技術、手法が標準化されてきたのを目の当たりにしてきた世代でもある。外国語にも苦手意識はなくインターネットを利用した情報交換も盛んで、これまでになかったさまざまなつながりが生まれてきている。

 高度かつ専門的な最新医療技術だけがすばらしいというのではなく、地域や患者の全体をとらえ、ニーズから出発する医療、地域社会とともに作っていく医療というものの存在もやっと認知され「それもかっこいいかも」と評価される雰囲気にかわってきているのが感じられる。

 医師や病院を長らく支配してきた医局講座制は行き詰まりを見せ始め、独裁者だった医学部教授は「裸の王様」になり、医局の民主化が急がれているとともに、医局によらない多様なキャリアパスが生まれ、若い医師たちは自分のキャリアを自分を中心として考えるようになった。(その分厳しさもあるが。)そして大学や病院という既成の枠にとらわれず、それぞれの能力や興味に応じて国内外のさまざまなフィールドで活躍するようになってきている。

 そして今、我々は医療現場の第一線におり、現在進行形の医療崩壊の真っ只中にいる。そしてこのままでは2007年度以降続々とリタイアし、癌や脳卒中、心筋梗塞などの疾病の好発年齢に突入する権利意識の強い団塊の世代の医療福祉をあきれるほど乏しい予算で担わされることになりそうである。

 ますます厳しさをます医療現場、社会保障費削減の欺瞞、変わろうとしない旧態依然の体制、理不尽な病院と患者の要求に不満と怒りを感じ、ボロボロになりながら、大学医局も臨床研修病院も結局のところ頼りにはならず、自分の身は自分で守りたてていくしかないということにやっと気づき始めている。
 
 すこし視野を広げてみるとこれまで人類が経験したことのないほど変化の激しい時代を生きている世代ともいえる。かつてないほどのスピードですすむ情報化、国際化、地球環境の変化などなど、まさに激動の時代といってもいいだろう。

 これが江戸時代なら自分も生まれた村で親と同じように生き、そして死んでいくのだろうと予想できるのだが・・・。今の時代は変化があまりに激しく、今後どうなるのか全く予想できない。ただ、今の延長線上に明るい未来があるとはとても思えない。

 確かに科学技術は発展したが、地球規模での環境破壊も進み、人類活動により、この星の気候まで変わりつつある。人口は64億人を超えこの星のキャパシティを越えつつある。世界で、日本で、さまざまな格差は広がる一方である。10年後、20年後、30年後、もし、自分が運よく今の平均寿命くらいまで生きられたとして50年後にはどうなっているのだろうか。

 日本という国は、一つの国として存在していられるのだろうか?
 地球という星は、その美しい姿を保っていられるのだろうか?

 環境の悪化により大量の難民が生まれ、食糧難、戦争が起きる可能性も高い。凶悪な感染症のアウトブレイクもきっと起きるだろう。大量生産大量消費の破壊的なライフスタイルを見直し持続可能なロハスだの、スローライフだのといったことが言われはじめてはいるが、それでカタストロフィを回避しつつ人類活動をうまく縮小できるのだろうか?もはや手遅れでなのではないだろうか?

 どこかで聞いて歌った歌。「生きている鳥たちが生きて飛び回る空をあなたにのこしておいてやれるだろうか父さんは・・・。」というような気持ちである。もっとも父さんになれるかもわからないが・・・。

 ひょっとすると癌や老衰で死ねるなんて幸せだという時代になるかもしれない。そんな時代を生き抜くためには誰もが人間への基本的信頼、そして死への免疫を身につけておかなくてはならない。コミュニティを再生しソーシャルキャピタルの蓄積をはかっていかなくてはならない。

 とすると、青年のころ悲惨な戦争を経験し、激動の時代を生き抜き、かつての農村を知る今まさに亡くなりつつある世代から学ぶことは多いだろう。(もちろん若月俊一氏からも。)あまり時間は残されてはいない。

 希望の持てる明るい未来を描くために、今こそ動かなければいけない。若い世代にかかる期待は大きい。上の世代も既得権益にしがみついたり、これまでの価値観で「ムリだ。ダメだ。」とばかり言うのではなく、若い世代を積極的にサポートしてほしい。

 扱う情報はそれまでより圧倒的に多く、マルチタスクは当たり前、情報を人と同時にあるいは人よりも早く得ることに強いモチベーションがある新たな能力と感性を持った、U-77世代(Under 77 generations,Generation Y,millennials)を引っ張っり、新たな時代を切り開いていくためにも76/77組の活躍に期待したいところである。

オランダへようこそ

2006年09月17日 | Weblog
障害児を産み育てることについて。

先日の発達障害児の講演会のはじめに日詰先生が教えてくださった文章があります。
「オランダへようこそ」という、Emily Perl Kingsleyさんの詩です。

けっこう有名な文らしくさまざまなところで紹介されているようですが、転記して紹介します。難しい英語ではないので声に出して読んでみてください。

英語の苦手な方は、いろんな方が訳されているので上のリンクで検索してみてください。

「なるほど」という感じですが、実際に障害をもった子供を産み育てることになったギャップとはこういう感じなのでしょうか?

 では、中途障害はどうなのでしょう?「受容しろとか、あきらめろ」とかいっても無理な話ですが、なんとか付き合っていくしかないことには間違いありません。難しいことですが・・・。


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Welcome to Holland (Emily Perl Kingsley)

 I am often asked to describe the experience of raising a child with a disability - to try to help people who have not shared that unique experience to understand it, to imagine how it would feel. It's like this...

 When you're going to have a baby, it's like planning a fabulous vacation trip - to Italy. You buy a bunch of guidebooks and make your wonderful plans. The Coliseum. The Michelangelp David. The gondolas in Venice. You may learn some handy phrases in Italian. It's all very exciting.

 After months of eager anticipation, the day finally arrives. You pack your bags and off you go. Several hours later, the plane lands. The stewardess comes in and says, "Welcome to Holland."

 "Holland?!" you say. "What do you mean, Holland? I signed up for Italy! I'm supposed to be in Italy... All my life I dreamed of going to Italy."

 But there's been a change in the flight plan.

 They've landed in Holland and there you must stay.  The important thing is that they haven't taken you to a horrible, disgusting filthy place, full of pestilence, famine and disease. It's just a different place.

 So you must go out and buy new guidebooks. And you must learn a whole new language. And you will meet a whole new group of people you would never have met.

 It's just a different place. It's slower-paced than Italy, less flashy than Italy. But after you've been there for a while and you catch your breath, you look around and you begin to notice that Holland has windmills, Holland has tulips, Holland even has Rembrandts.

 But everyone you know is busy coming and going from Italy, and they're all bragging about what a wonderful time they had there. And for the rest of your life, you will say, "Yes, that's where I was supposed to go. That's what I had planned."

 And the pain of that will never, ever go away, because the loss of that dream is a very significant loss.

 But if you spend your life mourning the fact that you didn't get to Italy, you may never be free to enjoy the very special, the very lovely things about Holland.

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終末期治療中止ガイドラインについて

2006年09月16日 | Weblog
厚生労働省は終末期医療の治療中止の指針をつくっているらしい。
たたき台を元に広く市民にパブリックコメントをもとめる方針とのことだ。
意見の募集について
広く国民的な議論に発展することを望む。

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厚生労働省は14日、がんなどで回復の見込みがない終末期の患者に対する治療を中止する際のガイドライン(指針)原案をまとめた。

 治療方針の決定は、患者の意思を踏まえて、医療チームが行い、患者と合意した内容を文書化する。患者の意思が確認できない時は、家族の助言などから最善の治療を選択する。また、患者らと医療チームの話し合いで、合意に至らなかった場合などは、別途、委員会を設置し、検討することが必要としている。終末期医療をめぐって国が指針を作るのは初めて。

 厚労省は、原案を同省のホームページ上で公表し、国民から幅広く意見を募る。さらに有識者による検討会を設置し、年内をメドに成案をまとめる方針だ。

 終末期医療に関するガイドラインは、今年3月に富山県射水市の市民病院で、末期がん患者らの人工呼吸器を取り外し、死亡させた問題が発覚したのを受け、川崎厚労相が医療現場の混乱などを避けるため、作成の方針を打ち出していた。

 原案は、まず、主治医の独断を回避するため、基本的な終末期医療のあり方として、主治医以外に看護師なども含めた多くの専門職からなる医療チームが、慎重に対処すべきだとした。どのような場合でも、「積極的安楽死」や自殺ほう助となるような行為は医療として認められないと明言。その上で、終末期の患者について延命治療などを開始したり、中止したりするなどの治療方針を決める際、〈1〉患者の意思が確認できる〈2〉意思が確認できない――のケースについて必要な手続きを示した。

 〈1〉の場合は、医療チームの十分な説明に基づき、患者本人が意思を示した上で、主治医などと話し合い、その合意内容を文書にまとめるとした。文書作成後、時間が経過したり、病状の変化があったりした場合は意思を再確認することも求めた。

 一方、〈2〉の場合は、家族の話から、元気だったころの患者の意思を推定する。家族がいなかったり、家族間で判断が割れる場合は医療チームが判断する。

 いずれの場合も、医療チーム内で意見が割れたり、患者と合意できない場合は、複数の専門職で構成する委員会をもうけ、治療方針を検討・助言させるとしている。

 今年5~6月、読売新聞社が全国の病院を対象にした調査で、72%が終末期医療に関する全国的なルールが必要と回答し、6割が国などの指針を求めていた。

(2006年9月15日3時3分 読売新聞)
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 以下は医療者と市民の延命、死の捕らえ方にギャップがあるということを覚悟した上で、あえて書く自分の意見である。専門用語をそのままなので市民にはわかりにくいところもあるかもしれないが医療者にはわかってもらえると思う。忌憚ない意見をたまわりたい。

ほとんどの医師が延命を中止した経験があるという調査結果もある。それは当然であろう。すべての患者を世界最高の医療機関である(?)MGHやメイヨークリニックに搬送し、生物医学的に最善な、あらゆる手を尽くすことは不可能であり、どんな手を尽くしたところで最終的に人間の死亡率は100%である以上、それなりにその場の誰もが納得する程度のレベルの医療をやっていくしかない。だから指針はなくともそのようなことを阿吽の呼吸で行い治療のレベルをコントロールしてきた。

 しかし、いままでどんな状態であっても医師は全力をつくして死に抗わなければたとえ訴えられ、殺人犯として逮捕されても法的には文句は言えない状態であった。


法律や制度が現実に追いついていなかったといえるだろう。

現場では患者本人がもはや意思表示できない場合も多いし、アドバンスドディレクティブなどない場合が多い。(しかし、そもそも自分の命は自分のものではない。)

 また患者が「もう死なせて」と意思表示をした場合でも、家族にあわせて人様に覚えの悪くない程度の医療処置を施さざるを得ない。(少なくとも○○地区で最高の医療機関の○○病院の○○専門の先生に診てもらった。それでだめなら仕方がない。という納得。)

 実際、同居したり近くにいて世話をしてきた者をさしおいて、突然遠くに住んでいる子供や親戚が出てきて、いままで親孝行を果たせなかったことを取り返そうとするのか、「とにかくやれることは全てやってください。」といってくることは良くあることである。
 
  本人も家族も、関わったスタッフもみんなが満足し納得できる「満足死」をコーディネートするのはエネルギーも使うし簡単なことではない。その人の人生、大切にしてきた者などを本当によく理解する人と共同作業でどこまで治療するかを決めながら、みんなが明るい諦観をもって共犯者になるしかなかった。
 
家族、本人と話し合った上で、終末期の治療のレベルをコントロールし、結果、死に至らしめたとしても、逮捕されるかもしれない恐怖、だれかが訴訟の準備をしているかもしれない恐怖におびえていた。


 終末期状態(生命は生まれたときから死にむかっているのだから、この定義自体あいまい。)に陥ったとき、生物医療的処置を、どこまでやるかという落としどころは本当にケースバイケースである。若い人はとことんがんばることが多いが、高齢者は平均寿命、患者の病前の生活、家族の思いなどを考えながらコンセンサスをつくっていく。必要な誘導や情報提供もおこなう。

 主治医の腕力が必要な場面である。

老衰でいよいよ食べられなくなったり、癌の終末期のさんや家族に
「それは延命治療ですか?(延命ならやめてください。)」
と聞かれることがよくある。

また、
「わたしは尊厳死をお願いします。」
という尊厳死協会の書類をもってくる人もいる。

市民の間でも「延命=望ましくないこと?(人様に迷惑をかけて・・・。)」と漠然とした意識こともあるのかもしれない。

 医学は生命の延長(仮のアウトカムであるはずだが)を至上命題として発展してきた。本当は、生活、緩和ケアやリハビリテーションなどそれ以外の光の当て方が先にあり、その手段としての医学があるべきなのだが・・・。そのギャップがいまの状況を生み出しているといえるだろう。
 
 自ら生命の維持ができなくなった状態のものに対し、医学的介入を続ければ生命維持だけはある程度の期間にわたってできるという場合、「行動役割」を果たせなくなったものに「存在役割」をみとめて(墓石のようなものである。)延命をおこなうことがある。
 
 しかし挿管、人工呼吸器管理、人工透析、輸液、輸血、医学的にやれることはあるのだが、いったんはじめてしまうと容易にやめることはできない。(それこそ殺人犯にされてしまう。)

 家族も疲れてくるし心も離れていく、公共財である地域の医療資源に多大な負荷をかける。呼吸器をはずすという選択肢も了解可能である。社会がどれだけ許容するかというコンセンサスが必要なのだったのだろうが、その難しい作業を現場だけ押し付けていた。そういう意味で指針をつくろうというのは大きな前進といえるだろう。

 現場から遠い人間は(加藤周一ですら。)「自然の寿命に抗してもとことん生かすべき」という態度を主張する。しかし実際それが現実的ではなく、よい結末を産まないことは現場ではしばしば経験されるところである。そもそもの延命は、十分な緩和的ケアや、尊厳をまもるケア(リハビリも含む)が十分なされた前提の上で次に考えることであるはずなのだが・・・。

医療は手段であったはずが、うっかりすると目的となってしまう。

 実は、医療行為はとことんやるという態度のほうが楽である。すくなくとも頭は悩ませる必要もないし殺人犯にされる心配もない。しかし「この人に、ここまでやりたくないなぁ。」ということを強要され繰り返していると自分の心が傷つく。ここにジレンマがある。

 だから、治療の中断と最大限の治療の間にはさまざまなレベルがあり、だれもが納得できる落としどころを探るのだ。単純に割り切れるものではない。

 家でできることはやりましょう、一般病棟でできることはやりましょう、ICUまでいってとことんやりましょう、アメリカへ渡り移植医療をうけましょう。など、治療のレベルは場で規定されることが多い。自宅で尊厳死(自殺)をした作家、吉村昭も自宅だからあのような死に方ができたのだろう。(病院ならカテーテルポートを引き抜けないように抑制されていたかもしれない。)病院で最後まで点滴を受けていた祖母が「どうしてこんなことするの?早く死なせて。」と言っていたのを思い出す。祖父のときは点滴にドパミンが混注されていた。二人とも癌の末期だというのに・・・。

 医療の地域性、社会性というものを考えると治療レベルを場所によって規定する、この方法は有効と思う。患者が望めば、その人が生きてきた場所で生かしぬくこともできる。

 食べられなくなり、意識もなく、リカバリーの可能性がない(ここの判断が難しいのだが。)家族と丁寧に話し合い点滴もせずに徐々に脱水状態となり、1週間で枯れるようにきれいに看取ることもできるのだが、そこまで詰めることの難しい家族の場合は、「点滴1本くらいはやりましょう。」ということになり死ぬのを待つようなことも多い。そこからセレモニーは始まっている。生と死は連続したものなのだ。

 さらに生命維持に必要なカロリーを確保できる中心静脈栄養や経鼻栄養や胃瘻などからの強制栄養を続けると先が見えなくなる。感染を繰り返しては、抗生剤の使用したり一進一退の状態を続け、なるべく悲惨な状態にならないようにしながら、本当のお迎えがくるまで待つことになる。

 そして本当の終末期、いろいろ手を尽くしても生命の恒常性が乱れはじめ、循環、呼吸が怪しくなってきたとき急変したときに「この人はどこまでやるひとなの?」ということが問題となる。

 だから、「家族がいらしてたので念のためDNR(心肺蘇生処置など積極的な蘇生処置をおこなわないという本人および家族の意思表示。)はとっときました。」「家族のDNRはちゃんととったのか?」ということがカンファレンスで問題となったりする。

 家族が望む場合、DNRをとる間もないほど予想外に早く急変し家族が来るのを待つ間などには一定の手順に沿った蘇生処置(挿管、心臓マッサージなど)をおこなう。

 終末期においては、こういったことは、きわめて儀式的で嫌いなのだが必要なことではある。

 死と成長はパートナーである。医療者は死の教育的意義を理解し、患者の苦痛を取り、家族を支え、有終の美を飾れるように支えることのできる技を医療者は身につけていくことも必要だろう。

 医療よりもはるかに長い歴史と経験をもち知恵も蓄積されているであろう宗教とのコラボレーションも課題だ。

 そして丁寧にこの世を去る人を看取っていくことで、だれもが死(そして生)について身近に考えられる社会にしていくことが必要なのではないだろうか。

 終末期の治療中断、指針ができたのは前進だとは思うが、それを強要することで、ただでさえ余裕のない医療現場に形式的、アリバイ的な書類の手続きが一つ増えただけということにならないようにお願いしたい。

アスペルガー症候群?

2006年09月14日 | Weblog
以下のような事件があった。(新聞、週刊新潮の記事等より)

「ゆりかもめ」に塩酸をまいた「35歳アルバイト」 トンだ災難。

要点のみを抜書きすると・・・。

 7月9日に新交通システム「ゆりかもめ」で異臭騒ぎがあり塩酸と漂白剤をまぜた液体が見つかった。それ以前にも地下鉄等、いくつかの交通機関のトイレやホーム、社内で異臭騒ぎが起こっていた。また複数の報道機関に「処罰活動予告」という犯行声明分が送付されていたという。

 犯行声明文には「私は心身障害者の代弁者である。われわれが味わってきた苦痛の一部を健常者諸君に体験していただくべく、処罰した。東京都内にターゲットを移す、全世界の心身障害者に栄光あれ。」などとワープロでかかれており送り主はendoと名乗る人物で”近影”と称した写真も同封されておりカッターの刃も貼り付けてあったようだ。

 犯人は防犯ビデオに写ったのがきっかけで9月2日逮捕された。犯行を認めた容疑者A(35)は「以前、乗客とトラブルになったことにイライラして、うっぷん晴らしをするためにやった。」と供述、声明文の写真は赤の他人。心身障害者の代弁者と書いたことに関しては通院歴もあり、本人も「心情的には近いものがある」と明かしている。

 Aはアパートに住み弁当店のアルバイトをして糊口をしのいでいたが同じアパートの住人が生活の様子を語る。
「平日は朝7時半に白いワゴンに乗って出かけ、夕方5時前には帰ってきます。Tシャツにジーパンというラフな格好なので会社勤めではなさそうだと・・。挨拶をしてもしぶしぶ返すような感じで、友人が来るのを見たこともありませんでした。」

 人付き合いがうまくできなかったのか、Aが一年半前まで働いていた別の弁当屋の同僚は「初対面で挨拶をしたときには好青年という感じでしたが、人と会話をすると、必要以上にねちっこく、あれもこれもきいてしまう。煙たがれるのです。」
 時給800円で返却された弁当箱を機械で洗浄する作業をこなしていたAは周囲に”私立の大学を卒業した”、”父親の会社が倒産したのではたらかなくてはならない””身内が脳梗塞になり午前中には福祉の勉強をしている”などと、嘘か真かわからぬ身の上話をしていた。しかし、単純な作業もなかなか覚えられず、失敗を繰り返しては数ヶ月でやめてしまったという。

これが、自分の犯罪行為に酔ったかのように、犯行声明分まで送りつけた男の「実態」だった。


というような事件の記事なのだが…。

以下は感想

実に悲しい事件である。どの記事にもまったく触れられてはいないが、本人の行動、証言、周囲の証言等から想像するに、ひょっとしたら彼は軽症の発達障害(おそらくアスペルガー症候群)をかかえていたのではないか?
だとするとマイノリティとしての生きる辛さは想像に余りある。
もしそうなら、だれかが気づいて適切な援助の手を差しのべていたらこのような悲劇は起こさずにすんだのではとも思う。精神科にも受診(二次障害?)していたようだが、まだまだ知られていない成人の発達障害には気づかれなかったのかもしれない。

彼らの存在が理解され、適切な社会的スキルを身につけられるように支援をし、彼らの能力を活かすことのできる社会の実現していかなくてはならない。