リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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最後の強がり

2007年06月15日 | Weblog
かなり限界ですが・・・。
院内報に書いた文章です。
それでもリアリティをもとめて地域に出たい。

『夢にかけた男たち~ある地域リハの軌跡』(河本のぞみ、石川誠著、三輪書店)という本があります。「現在の非常識を常識に変えよう」という石川誠先生の直筆のサインの入ったこの本は『村で病気とたたかう』などとともに自分のバイブルの一冊です。学生実習で佐久病院に来たときにリハ科部長の寺岡先生にすすめられた本ですが、佐久病院のOBでもあり回復期リハビリテーション病棟の産みの親とも言われる石川誠とその仲間たちの主に高知の近森病院での実践について熱く語られています。(なお続編にあたる本として『東京へ、この国へリハの風を』という本もあります。)

自分が何をやりたいか、何をやっているかと聞かれればこの本を渡すでしょう。いや、むしろ農村型の地域リハの実践を『佐久からこの国へ、農村とリハの風を』という本として書く準備をしているといえるかもしれません。
 
さて、平成18年度の医療制度改定の影響で、これまでのように療養型病床でリハビリを行っていると大きな減収となる事態になりました。この機会に平成18年10月から成3病棟を療養型病棟から回復期リハ病棟へと転換しました。それから病棟の専従医として立ち上げにかかわらせていただいています。

ICUがインテンシブ・ケア・ユニットなら回復期リハ病棟はインテンシブ・リハ・ユニットです。いわば病院の出口の側の患者さんが地域へ飛び立つ滑走路のような役割をもった病棟です。そこでは生命の危機はなんとか脱したけれども、いままでできていたことができなくなり、そのままでは退院できない患者さんをできるだけ早期から引き受け、自立への支援を行い、地域での生活へとつなげることが期待されています。脳卒中や脊髄損傷、高次脳機能障害機能障害、大腿骨頚部骨折、肺炎や手術後の廃用症候群など集中的なリハビリが必要な時期にチームでアプローチします。はじめて障害を抱え抑うつ的になる患者さん、どうしていいかわからず慌てふためく家族を支えていかなくてはならなりません。

新たに障害をかかえて本人や家族の生活も変わらざるをえませんから、外へのアプローチも重要です。MSWを中心に介護保険制度をはじめ、さまざまな制度を活用して、家屋訪問し必要な家屋改修なども行い退院後の生活の準備をケアマネージャーとともにすすめます。この機能も高めていかなくてはいけません。

回復期リハ病棟の立ち上げにあたって温泉地の長野厚生連の鹿教湯病院と回復期リハ病棟の看板塔ともいえる東京の初台リハ病院を見学に行きました。どちらもすばらしい病院ですが地域の総合病院での回復期リハ病棟の果たすべき役割は別のところにもあるようにも感じました。佐久病院は地域の一般病院ですからリハ病棟も脳卒中だけといったような粒のそろった患者さんだけを集めるわけにはいかずさまざまな患者さんが集まります。

回復期リハ病棟では医師もリハスタッフも病棟に専従することが求められています。病棟専従医という制度上の縛りをつくった意図はわかるのですが、地域の病院でありながら、診療所への出張や外来診療や訪問診療などができなくなり退院後のフォローや、障害や病を抱えながらもたくましく暮らす人たちのもとへでかけ、わずかな技術と引き換えに、さまざまなことを教えてもらい元気をもらうチャンスが減ったのはたいへんつらいことです。それでもなるべく機会をとらえて地域に出て行くように努めています。
地域では当たり前のチームアプローチも大病院ではさまざまな壁があります。それを病院内で、まず回復期リハ病棟でやってみせてみろというのが制度の意図なのだろうとも感じます。スタッフは職種ごと組織図上も別(勤務表など)、日常働く場所(病棟、訓練室)も別、記録も別というバラバラな状況をいかに克服して、みんなでアプローチできる体制をつくっていかなくてはなりません。急性期病棟や他の医療機関、老人保健施設、地域ケア科などとも連携をもっと深めていく必要があります。リハビリ自体も訓練室で行うリハビリから、病棟を中心に多職種でおこなうリハビリ、それから地域へと出て、地域を変えて行くリハビリとバージョンアップしていく必要があります。
回復期リハ病棟では医療福祉や病院の仕組みなどが非常によく見えます。家族介護を前提とした今の制度下で、介護力のない障害高齢者の住むことのできる場所は圧倒的に不足していますし、また若年の障害者にとって働く場所の問題は切実です。厚生労働省の誘導の意図はわかりますが、それに地域の現実が追いついておらず混乱しています。この分野ではお隣の恵仁会などが全国的にも注目される活動をおこなっており、佐久病院がすべてやる必要はありませんが気づいた人が発信し行動していく必要があります。
また、療養型病棟などが果たしてきた、家での療養がどうしても困難な方のQOLを重視した緩和ケア、終末期ケア、長期療養生活の機能を高めた病棟(場合によっては老健やケアホームなどでもいいかもしれません。)はやはり必要でしょう。
地域医療センターの再構築にむけて地域ケア科、地域医療連携室、医療相談室、リハ科、老健、回復期リハ病棟などを小回りの効くひとつの組織としてたとえば地域ケアサポート部などとして再編し、その中でスタッフのローテーションや、他の組織との交流、人材派遣、ケアベンチャーの立ち上げの支援などがフレキシブルに行えるような体制を作れればと考えています。(小海分院を中心とした南部の活動がモデルとなるでしょう。)
地域医療とは地域に出張(でば)っていってニーズを探り出し、理想を遠くにおきながら『地域住民や行政とともに』ギャップを一つ一つ埋めていく運動です。これはまさに佐久病院がやってきたことです。自分は地域社会の生活者にあこがれながらどうしても一歩踏み出せず、実践者というより観察者や評論家で、人とともにコミュニケーションをとりながら、計画性をもった行動やリーダーシップなどは本当に苦手です。それでも学生時代に北海道の僻地である瀬棚で、さまざまな職種のプロフェショナルが、活き活きと誇りをもって働く姿に、昔の佐久病院の姿を見て、この世界にあこがれて飛び込みました。力不足で思うようにいかず、やめたくなることもたびたびですが、一緒にやってくれる仲間がいるからなんとか続けられているのだと感じています。