リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

★お知らせ★




思うところがあってFC2ブログに引っ越しました。 引越し先はこちらで新規の投稿はすべて引越し先のブログのみとなります。

組織人として、専門職として、人間としての倫理。

2012年12月28日 | Weblog
近年、どの企業組織においてコンプライアンスのことが言われるようになった。
倫理意識の欠如を原因とする、企業の不祥事が増えているからであろう。
コンプライアンスとは企業や組織内の人が法律や内規などのごく基本的なルールに従って活動することである。



そして専門職としての職業倫理や、人としての倫理はさらに法令遵守の上位をいく概念であると思う。

例えば医師であれば応召義務やヒポクラテスの誓い(Do not harm.(害するなかれ)など・・)などが職業倫理にあたるだろう。
人としての倫理はなかなか言葉で説明するのは難しいが・・。

一例をあげれば患者さんが喫煙しているからといって、その患者さんの診療を拒否し、禁煙の動機づけにつながる介入ではなくハラスメントをおこなうなどはどう考えてもおかしい。喫煙についても自分の責任分野はしっかり診療した上で禁煙についての動機づけをおこない禁煙外来につなげるのなら文句はないのだが・・。
まず意図的サボタージュは組織人としての倫理に反するし、患者を傷つける行為は医師としての職業倫理に反する。
内科医はアルコール依存症の患者さんだからといって肝硬変となり吐血したからといって放置をしたり自業自得でしょうと突き放したりはしない。
内心ウンザリしながらも身体の治療をおこないつつ、精神科につなぎアルコール依存症という精神疾患に対して介入を行なっていくだろう。
また、収益をあげるために患者に必要のない検査や処置を強要したりすることも倫理に反する。

患者を診ないばかりか傷つけているそのような医師を放置しているとしたら組織として問題である。
このことはまた別のエントリーで書こうと思う。

このように組織の中に法的にまた倫理的に問題となる行動をしている人がいて直接の指摘で改められない場合、まずはライン(職制、上司)を通じた改善を訴えるだろう。
しかしそれでも改められない場合や、パワハラや違法行為の強要などで部下が上司を告発せざるをえないような場合、集団自体がおかしな方向に向かっていっている場合はどうすればいいだろうか。
その場合、トップに直結する「倫理ホットライン」などのコンプライアンス通報制度が整備されている。
しかしトップ自体が法律に違反していたり、倫理にもとる行為をしている場合はどうすればよいのだろう。
その場合は組織内で声をあげ賛同者をつのったり、監督官庁へ告発したり、マスコミへ公表して世論にうったえるしかない。

ここで思い出されるのが「ミートホープ」の食肉偽装事件である。

北海道のミートホープという食肉会社では社長の命令で、牛肉ミンチに鶏や豚の心臓やパンを混ぜたり、腐った肉を使用する際、漂白剤を使用したり、血液製剤をつかうなどのことが日常的におこなわれていた。
元工場長の告発により地元紙に食品偽装事件が掲載されたが、社名と地域は報道されず、保健所などの公的機関も動かなかった。
遂に逮捕を覚悟で警察に訴えるが、被害届がないことから確認が難しく、このような難件に割く人員はいないと受け入れてもらえなかった。
結局、告発を行った朝日新聞のDNA検査によって牛か豚かを調べた結果、偽装が立証された。
これら一連の情報は内部告発が発端となったもので、公益通報のあり方に一石を投じる事件でもあった。

さて私がこのブログを通じて組織内の恥(?)や内部の情報をさらしたことがコンプライアンスに問題はないか、組織人としてどうなのかというようなことをある人に指摘された。

記事に関しては個人の責任で意見を述べているし、個人の名誉や企業秘密、個人情報などの扱いには細心の注意を払っているつもりだ。
事実誤認などで問題があれば直接指摘していただきたい。納得すれば訂正するし、発言には責任をもつ。
秘密漏洩や名誉毀損などコンプライアンスに反することがあれば直接言っていただき、こちらの対応に納得できなければトップに通告したり倫理ホットライン、裁判などにかけて調査していただければと思う。

もっとも私だって本来ならば職場内部のこと、特に恥になるようなことは書きたくない。
しかしこれまでこのブログで報じてきたように安曇総合病院において一部の政治家と院長が結託し、公的資金を用いてどう考えても地域のニーズに合わず身の丈にも合わないリニアックの導入という無責任な動きがあった。
そして組織内でのコンセンサスもとらず、職場内の意志決定機関である職場代表者会議も上位組織の厚生連の理事会も通さずあまりに強引に秘密裏にものごとを推進しようとした。
いまさら退職していく院長を告発するつもりはないが、その事はコンプライアンスには抵触しないのだろうか。

私は現場で患者さんと向かい合っている専門職として、この計画は地域住民や病院に残って病院を支えて行かなければない職員にたいして将来にわたって不利益になることであると考え問題視せざるをえなかった。

私はその動きに反対し代案を示し、きちんと情報を公開して筋を通して議論するように求めた。
院長とのヒアリングや、さまざまな会議などでも相手にされなかったため、持ちうる手段で情報を公開し起こっている事態にスポットライトをあて、そして広く議論がまきおこる土壌をつくろうとした。

そもそも厚生連の病院は公的病院であるのだから、経営に関わる情報や現場の専門職から見て必要と考えられる医療など全ての情報を公開した上で、受益者たる住民や組合員と議論して病院を作り上げていくべきだと思う。

公的病院の方針や公人である政治家の言動を報じたり、それに対して意見を述べることが悪いことだとは思わない。
しかし職員や地域住民とも問題意識を共有すべく院内外に掲示したビラは怪文書扱いされ即回収された。
それで自分として持ちえた手段の一つがインターネット(ブログ)しかなかったというのが現実であったのだ。
その効果があったのかどうか、事態は職員や地域の人など多くの人にも知られることになりリニアック導入の計画は中止となった。
混乱はまだまだ続いているが、いろいろ議論や紆余曲折があっても最終的によい医療実践が残ればよいのだと思う。

私としてもこの病院とこの地域に愛があるうちは可能な限り安曇総合病院で診療をつづけたいと思っている。



自ら考え行動する職員や住民をつくるのは徹底した情報公開が原則であり、今後も院内、院外への情報公開を徹底し、それをもとに職員や地域住民が議論できる場をつくっていく必要がある。

それこそが今度新しく来る院長に最も期待したいことだ。

「発達障害を取り巻く最新情報」

2012年12月17日 | Weblog
塩尻市で開催された自閉症を知ろう・感じよう・考えよう実行委員会の主催による「発達障害を取り巻く最新情報」という講演会に参加してきました。
講師は長野県健康長寿課精神保健係の日詰正文氏と児童精神科専門病院・都立梅ヶ丘病院の市川宏伸氏という豪華な面々です。

日詰正文氏は長野県の精神保健センターで長く活動をされ発達障害関係者にはお馴染みの方であり、個人の療育、相談からケースワークから仕組みづくりまで幅広く活動されている言語聴覚士です。
2007年から2010年まで厚生労働省に出向し発達障害対策専門官として様々な施策づくりに携わったのちに2011年に長野県に戻ってこられました。




6年前に日詰氏の話を聞いて以来でしたが、今回もしみじみとあったかくユーモアにあふれる語り口で聞いているだけで癒される感じがします。

 こちらのエントリー→発達障害親子ディキャンプ



長野県の発達障害への施策のイメージ図をみると、オレンジプランなどの認知症の施策に近いようです。
どちらも障害への理解と支援が必要で、家族への支援も非常に大切で、サポーターを大量に養成しようとしているのは共通しています。
認知症は解体症状がすすみ終末期~死までを見据えた対応が求められるのに対し、発達障害は発達していく存在であり社会に居場所をつくり就労支援などに至るまで長い関わりが求められます。

発達障害は見た目ではわかりにくく周りからも気づきにくいために支援の開始が後回しにされやすい障害でした。
感覚過敏などの特性は本人はずっと同じ状態だから周りの皆んなもしんどいと思っています。
でも、周りからも気付かれません。ですから周囲が知識をもたないと気づいてあげられないのです。
身近な地域の保健、医療、保育、福祉、教育などに携わるものが確実に理解できるようにしておくことが重要です。
昨年の大震災の時も避難所で音が聞こえすぎて困る子が想像を超えたうるささを感じてても、ワガママだと思われ車の中で生活せざるをえないようなこともあったようです。
また味を感じすぎていたりということで支援物資の食事が食べられないこともあり、何が食べられるかというような情報が一番求められたりしたそうです。

発達障害は生まれつきのその人の特性であり生涯ずっと付き合うものです。
発達障害者支援の全体像を把握し、必要なときに必要な支援をガイドできる専門家や情報共有の方法が必要になります。
たとえば音が聞こえすぎて困る、呼ばれてもわからないといったような特性を持つ子に絵カードや文字で説明するというような支援の方法があります。
大人の社会にそんなサービスはないから通用しないという声もありますが、構造化というのは様々な場面でされているし、上手に発達障害をもつ人を活かしている職場は活用していたりします。そんな職場の取り組みを厚生労働省のホームページで紹介していたりします。
発達障害サポートマネージャーや発達障害を理解できる医師を養成したり、進学したり就職したり医療機関がかわるなど支援者がかわっても継続的に支援するための情報共有のためのファイリングシステム(パーソナルレコードというか取扱説明書みたいなもの)の普及もいそがれます。
アセスメントのツールや支援の方法も世界で使われているいいものを長野県でも使えるようにしていこうと取り組んでいるそうです。

日詰先生はあるとき支援で出向いた学校で小学校の子どもたちに自閉症の説明をするように求められたそうです。
そこで子どもたちに自閉症の◯◯君の対応について聞いたら「ささやかないとびっくりするじゃん」「見せなきゃわからないじゃん」と言われ教えられたそうです。
この子たちのようにピントがあっている人は発達障害の支援と言わなくても上手にやっていたりします。
それを褒めてその意味をきちんと説明できるのが専門家の役割だそうです。

発達障害に関する正しい知識を県民全体に広め、行く場所も増えというふうになっていけばもっと生きやすくなるだろうと話されていました。

長野県発達障害支援センター
発達障害者支援・情報センター
世界自閉症啓発デー・日本実行委員会

引き続いての市川宏伸氏の講演会は治療や支援に関するUptodateな知識や動きをの網羅的な話でした。

発達障害支援法に至る法整備の動きや、発達障害の診断基準、発達障害と行為障害(非行)、いじめ、虐待、特別支援教育、医療、薬物治療、検診システム、司法との関係など様々な話題について次々と話がすすみました。

特に来年改定される国際的な診断基準であるDSM5の話では広汎性発達障害に関しては自閉スペクトラム障害にまとめられ、感覚の過敏や過鈍も診断基準にはいるそうです。またADHDとの併存が認められるようになるそうです。
診断基準がより現場の実感に近づくようでこれは嬉しいことです。

ただし診断だけしても意味が無く診断は対応(治療)の存在が前提であるということは強調されていました。
薬に関しては主たる治療法にはなりませんが、特に二次的症状に関して用いられ上手に使えば他の治療法のための有力な補助手段になるそうです。
ご家族も薬物に関しては期待や不安などもあり関心が深いのだと思います。
さまざまな薬の使い方につていもお話がありました。
こうして、まとまった話が聞けるのはありがたいことです。

午後は「星の国から孫ふたり」という映画の上映があったようです。私はこれには参加できませんでしたが、いづれ見てみたいですね。


「不登校を考える県民の集い」に参加

2012年12月11日 | Weblog
2012年12月8日、文化の香りが漂う、でもとっても寒いあがたの森文化会館で「第3回不登校を考える県民の集い」が開催された。

この会は主に不登校児をもつ親などの有志による実行委員会形式で始まったものだが、県政への提案や各地での活動の広がっている。不登校経験者の若者もくわわったボランティアで運営がおこなわれ今年で3回目になる。

私自身、児童精神を専門にしているわけではないが不登校児の相談も増えていることもあり、昨年ははじめて勉強のために参加させていただいた。
その縁もあり今年は実行委員から相談と座談会に専門職のアドバイザーとしての参加を頼まれた。


(あがたの森文化会館)

午前中は予め予約を受けていた家族の相談を5件ほどうけた。
相談というのは診察室よりやや閾値が低く、ポジションも微妙に違う。たまに診察と勘違いして来る人もいるが精神医療との出会いの一つとして非常に意味のある取り組みである。

午後は10ある座談会のテーマのうちの一つで「医療との関係」という座談会にアドバイザーとして参加した。
「上手に医療と係るためにはどうしたらいいのでしょうか。」というサブタイトルだった。

「不登校は医療機関にみせるな」というような声もある一方、養護の先生などは「医療につかがったらお任せ」となってしまう現実もある。
昨年は医師とスクールカウンセラーの連携はどうなっているのか?言うことが違うなどという意見も出た。

まず、医療をどう使えばいいのか、使わないほうがいいのか。
医療を使うとしても医療機関や医師もいろいろで、どこにどうかかっていいのかが難しい。
医療につながっていても医師との相性もあるし、医師が高圧的であったり逃げ腰だったりする。
そして薬を使うことや精神障がいとして支援を受けることにまだまだ抵抗があったりする。

不登校支援において医療にできることは果たして何であろうか。
医療は本人の病態、発達特性、家族との関係、周囲との関係などこんがらかった状況を整理し診たてることのお手伝いはできるだろう
そして診断により治療や支援の方向性を示しうるということはある。
さらに付き合い続けることで小中、中高の連結をこえて医療は長い目で見た支援の連続性を担保しうる存在になりうるかもしれない。
本人が受診するのが難しければば家族や支援者のみの相談し機会をうかがうことも意味はあり、家族が焦らずに余裕をもって本人に接することができることが何より大切である。
不登校であっても先を見据えた支援、発達や成長を保証することが必要。しかし中学を卒業するととたんに支援が乏しくなり、地域に多様な場が求められている。
本人や家族が集まれる場をつくり育てて支援していくという役割もある。
街の保健室や電話での相談、フリースクール運営などの活動をしている方も参加されていたが、学校を離れて支援活動をするようになって、はじめて不登校児の居場所がないというニーズや医療の役割を認識したという方もいた。



最後に不登校経験者の青年たちのスピーチがあったが、これは親や支援者たちに希望を与える素晴らしいものであったと思う。


「ちくほっくる」で勉強会

2012年12月07日 | Weblog
知り合いのPSWさんから職員の研修にまねかれ筑北村の福祉就労施設「ちくほっくる」を訪問。
Iターンで信州筑北村に来て障害者の支援と、地域づくりをもり立てている熱い方だ。
就業後の時間にスタッフに対して主に薬物療法、向精神薬についてお話しディスカッションした。
頓服薬は何かというところから、作用、副作用、シェアードデシジョンメイキング、錐体外路症状といったところまで話。



「ちくほっくる」は精神障害者、知的障害者の働く場、生活リハビリの場であるが、山間の窪地の人口約5000人の村で唯一パン屋でもある。プロの手ほどきのもと手作りの本格的なパンを作っている。イートインもできスープやコーヒーなどの軽食も食べられる。
渡り廊下でつながった裏の建物には知的と精神である程度分けられたディケアの様なスペースがある。



「ちくほっくる」は筑北村から村社協への指定管理で運営されており、就労継続B型事業所、生活介護事業、日中一時支援、地域活動センターとして運営されている。収入の多くは福祉の方から得ているが、多くのスタッフ、当事者が関わっており、村の小麦を挽いた強力粉でパンをつくるなど地域づくりにもかかわる様々な仕掛けも手がけているらしい。

パンは美味しければリピータがつき毎日消費するものだから、障害者雇用の場としては一般的だがここのパンはレベルが高かった。
病院内にこのくらいのカフェがあればとおもう。

本日は病院の玄関でディケアのバザーが行われていたが、当地には大町のがんばりやさん、有明のパン屋さん、などパンを作っている作業所はいくつかある。
役場や企業になど訪問販売をおこなっているようで病院内で日時を決めて職員などに販売できるようにしたらどうかと思った。

障害年金は社会保障?

2012年12月07日 | Weblog
我が国の社会保障は基本的には申請主義である。生活保護も年金も介護保険などの諸制度も申請しなければ利用できない。

消費者金融のTVCMは盛んになされるが、生活保護はTVCMでその存在を知らせてくれたりはしない。
むしろ某芸人の家族例のように生活保護受給者をたたき受給を避けさせるようなネガティブキャンペーンばかりだ。
生活保護で救済されるべき人が社会福祉協議会の生活福祉資金貸付で対応されているなど必要な支援にたどり着くのは至難の業だ。

障害年金という制度もあるが精神障害においては受給するには非常にめんどくさい手続きが必要となる。
そもそも初診時まで年金を払っていないと受給できない。
発症時に年金を支払っていなかったばかりに年金を受け取れないという人も結構いる。
高齢者であれば障害や収入、資産の有無にかかわらず経団連会長であってももらえるというのも、高齢者=弱者とも限らない現在おかしいと思う。
いまの日本の年金制度は社会保障ではなく低品質な金融商品であろう。

統合失調症で仕事を続けることも困難となり(他院に)入退院を繰り返しながら年金が受給できるということを知らされず、親が10年以上国民年金を収め続けていたケースもある。

実際、障害をもちながら生活を成り立たせられるだけの収入が得られる仕事につくというのはかなり難しい。
身体障害や内部障害など他の障害ではそういうことは無いのだが、精神障害に限り就労時間や月収なども各く欄が増えた。

年金の申請にあたり初診日証明などの書類を取り寄せたり、申立書をかくことなどは統合失調症や、うつ状態のひとにはとても不可能な作業であり大抵はケースワーカーが一緒に手伝って書くことになる。

一方で不況が続き失業して生活困窮し、うつ状態となり、かといって持ち家があったり車を保持していたりで生活保護の受給まではためらわれるようなケースで年金申請の相談をうけることがある。
障害によるものでなければ他の制度が優先されるべきであろうが、非正規雇用のケースなどなかなか難しい。

「うつ病で障害年金を年間216万円貰う方法」などネットなどでもたくさん見つかるが、社会保険労務士などでそのような手続きの相談や代行を行なっているところもあるようである。

初診から1年半後から障害認定を受けられる。そして申請日から最大5年前まで訴追請求ができ認定されれば数百万円の一時金が入ることもある。これは、かなりの大金であるから申請する方も必死である。

年金申請が受理されるように診断書の書きかたの例(ひな形があるのだろう)を持参したり、受診に同行されたりすることもある。
微妙なケースは通るとは限らないと断った上で嘘にならない範囲で書くが、制度を守らなければいけない立場でもあり微妙な気持ちになる。
どのくらいの報酬か聞いてみたところ年金の2ヶ月分だそうだ。

このようなことを経験するにつけ、年金や失業保険、生活保護などをなくし、変わりにベーシックインカムとパーソナルサポートサービス、住まいのサポートなどに転換すべしと感じる。

選挙を機に、この国のあり方に関心をもとう。

2012年12月02日 | Weblog
中央道の笹子トンネルの天井が崩落し大惨事となっている。
思えば原発事故も耐用年数を超えつつある古い設備を甘いリスク管理のもとに使い続けたことが大惨事をまねいた原因の一つである。
政治屋は新しいものはどんどん作りたがるがインフラの維持管理とか廃棄にはお金をあまり回そうとしない。

これからこのような古い建造物の劣化による事故がますます増えてくるだろう。

日本の各地で人口は減少に転じ空き家もますます増えてくる。
長野県内の空き家率は今でも19%もあるという。
当地でも放置された空き家が崩れて道を塞ぎ問題となったりもしている。

山間の集落では高齢化と人口減少で集落の機能が維持的ない限界集落も増えているようだ。
居住域が広がれば広がるほど道路や水道、電気、通信、病院などのインフラの整備と維持にお金もかかる。
治安の悪化も懸念される。

どのように地域を再生し、高度経済成長期に拡大していった社会インフラを取捨選択し、経済活動や生活地域を縮小していくかということがこれからの主要なテーマとなるだろう。
そこではスマートディクライン、コンパクトシティが合言葉になる。
北海道夕張市などはその取り組みの最先端だろう。

長野県でも医療需要もそろそろ頭打ちであり、介護需要もまもなく頭打ちとなると予測されている。
そのなかで必要な医療内容を取捨選択し、連携を強化し地域に必要な医療を残して行かなければいけない。

安曇総合病院でも、一部の政治家と院長が進めようとした将来の大北医療圏のがん診療拠点病院を目指してリニアック(放射線治療機器)を入れるなど診療メニューを急性期よりに拡大発展していくという方向性に、職員と地域住民の良識で待ったをかけ、身の丈にあった地域を支える医療を充実する方向に舵をきった。

それでも耐震基準を満たさない古い病棟の建て替えは急がなければならない。


12月16日の選挙は東日本大震災・原発事故以後最初の選挙である。

この選挙は日本のこれからの方向性を決めるとともに、民主主義の維持と日本の独立の覚悟を問われる選挙だと思う。
選挙というのは政治参加する方法の1つであるが、政治から目を話しお上に任せてきた結果として、今の選挙で選べることというのは本当に減ってしまった。
いっそネットでの選挙をおこない国民投票をイシューごとに行えばよいのに(直接民主制)とも思う。
何も変わらないような一票ではあるが、行使しないと社会はますます変な方向にいってしまう。

経団連の会長でも年金がもらえる一方で、真に困窮している人に必要は支援が届かずに餓死したり凍死したりしている。
今の年金は社会保障でもなんでもなく悪質で低品質な金融商品でしかなく制度としても信頼するに足りない。
原発村をはじめとするさまざまな利権により特権階級が生まれる一方、格差の拡大や貧困の増大は放置されている。
中国や米国など外国との関係も問題が山積だ。

憲法改正やTPP参加で深く考えずに一気にぶち壊したい願望にかられるが、果たしてそれでよいのだろうか・・。

自民党は立憲主義に基づき公権力の暴走を縛るはずの憲法を、公権力が思うままに国民に義務を強いるようなものに変えようとしている。

アメリカというイギリスから飛び出て独立した人が西へ西へとインディアンを追いやりながらすすみ西海岸に達したら今度はハワイを占領し、日本の木と紙で出来た家を焼き払い、ベトナムの密林に枯葉剤を撒き散らし、イラクを空爆し、アフガニスタンを攻撃しということを性懲りもなつづける迷惑な国家である。
日本などていのよい金づるのパシリでしかないのだろう。
アメリカの国家中枢はすでに多国籍企業と軍需複合体に乗っ取られてしまっており、マネー資本主義というカジノの胴元(1%)に逆らうものは大統領であれ暗殺される。

そしてそんな胴元たちの意に反した日本のリーダーはことごとく葬り去られてきた。

前回の選挙の時に民主党の党首であり首相になるはずだった小沢一郎氏はいちゃもんのような政治資金規正法違反罪で強制起訴され、マスコミによって「金と政治」などという汚いイメージをつけられ政治の表舞台から撤退を余儀なくされた。
しかし長い裁判の末、結局無罪となった。首相になるはずだった人を非民主的に引きずり下ろしたその責任は誰も取らない。
続いて党首となった鳩山由紀夫氏は沖縄県民も日本国民も願っているはずの普天間基地移設問題で米と対立し、マスコミにより「お坊ちゃん」のイメージをつけられ首相の座を追いやられた。

アメリカに潰された政治家たち
孫崎 享
小学館


1%に支配されている大新聞やテレビメディアなどのマスコミは平成の開国、バスに乗り遅れるなどといい、TPPで中国に対抗するために日米同盟を強化するのだという論調でTPPへの参加を急げという社説を掲載してきた。
民主主義から程遠い秘密裏に行われる農業や医療、サービス、著作権など多方面にわたるルールのパッケージでの押し付けだというのに。
これまでもアメリカは日本に年次改革要望書などという露骨な内政干渉(なぜかあまり報道されない)をつづけてきたがTPPはそれにお墨付きを与えるものなのである。TPPで国家の主権と民主主義と国民の生活が脅かされ、ACTAで言論の自由が脅かされている。

選挙でTPPが焦点となり多くの人にこのカラクリに気づかれてはいけないとおもったのかでマスコミは当初ほどTPPのことは言わなくなった。

TPPへの加盟で、多国籍企業>米の法律>TPP>日本の国内法 という支配が完成する。

多国籍企業は国家の力をはるかに超え国民の雇用や生活、環境に責任を持たないモンスターとなった。
安い労働力があり環境汚染の規制が緩いところで生産し、市場とお金があるところでえげつなく売り、税率の低いところで税を納めるだけである。自らの利益のためには戦争を起こすことも辞さない。そうして得た利益は1%の支配層のもとに入り格差は拡大する。
それを難しくしている国内法などを非関税障壁の名のもとにまとめて取っ払おうというのがTPPの本質である。
TPPにおいて弱者や環境を守るための各国が制定した規制や法律、日本語という言語や文化、慣習なども非関税障壁といわれてしまう。
非関税障壁により投資したのに期待したリターンが得られなければISD条項(野田首相は知らなかった!)で提訴し賠償請求できるようになってしまう。
毒まんじゅうといわれるISD条項は、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定なのである。

交渉に参加して国益を守ればいいという人もいるが韓国FTAをみればわかるように交渉は軍事力を背景としたパワーバランスで決まるのだから日本の国益など守る交渉などができるわけがない。

外圧であるTPPを利用して国内のルールをかえ、しがらみを打ち壊してしまおうという動きもあるが、その結果の責任をだれがとるのか。

韓国FTAの時のように、この選挙前に北朝鮮か中国から軍事的な動きがあり、その恫喝(ショック・ドクトリン)で対米従属の世論を誘導するような動きがあるだろうと思っていたら案の定そのような動きが始まっている。CIAなどの米諜報機関の工作による北朝鮮のうごき、それにのっかった我が国のマスゴミのプロパガンダであると私はみている。

そして一方には人権などという概念はなく周辺国家はすべて王土に服従し征服されるべきものという中華思想が抜け切らない中国が控えている。
中国にとって反日は矛盾の高まる国内をまとめる戦略でしかない。

TPPにかぎらず1%の人のために99%の人の生活が犠牲となる仕組みは気づかない間に着々と作られている。
中国とアメリカという2迷惑大国にはさまれ、多国籍企業の思惑に翻弄され、資源も土地もない日本が辺縁国家としてどのように生き残っていくか・・・。

私達にできることはなにか?まずそれぞれの立場からそれを問うことだろう。
”Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.”
暗殺されたケネディ大統領の言葉である。

「一身独立して国家独立する。」
福沢諭吉の言葉である。

軍事力をもたないのであれば、教育にとことん力をいれ土木、農業、工業技術者や医療従事者を大量に要請して国際貢献をおこなう。
原発に頼らなくてもいいような低エネルギーではあるが幸福度の高い生活モデルを創出することが必要である。
そして専門性の高い諜報機関をつくり、インテリジェンス機能を高め世界と渡り合っていくことが必要だろう。

内村鑑三の「デンマルク国の話」が思い出される。
今、世界でそれに一番近いことをやっているのはキューバだろうか・・・。

日本でも地方分権の実現に先駆けて、たとえば北海道だけでも制度を半独立させてモデルを示すなどすれば良いと思う。

民主主義とはそもそもめんどくさいものである。ヒーロを待っていても世の中は変わらない。
日本の未来と国民の生活を第一に考え行動してくれる政治家はだれか、真剣に情報をあつめ考えぬいて投票しよう。
その後も政治に関心をもち、様々な手段で関わり続けることも必要であろう。

ヒーローを待っていても世界は変わらない
湯浅 誠
朝日新聞出版


内閣府参与も務めた湯浅誠氏の近著。
「どの政党がいいか、誰がいいかと議論しても何も変わらない。いまや政治不信はシステム自体の不信に質的に変化している。そんな中、橋下さんという得難いヒーローを得て議会政治と政治システムそのものに手をつけようとしつつある。「誰か決めてくれよ、ただし自分の思うとおりに」と言いたくなるが、言い放つだけでは変わらない。拍手喝采して既得権益をバッサバッサ切っているのはやし立てているうちに自分が切られていたということもありうるだろう。民主主義のめんどくささを引き受け、自分たちで考えて決める民主主義にしなければいけない。そのためにはそれに参加することを可能にする時間と空間を確保することが必要だ。意識の問題と考えずに参加のバリアを下げることが民主主義の活性化のため、ひいては社会の活性化のために重要だ。」