リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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学校登山付き添い

2010年07月29日 | Weblog
山に囲まれた長野県の中学校には学校登山と言うイベントがある。
中学2年生が夏に集団で登山をし2000m~3000mの山に登り山小屋にとまる。

子どもたちの体力低下などもあり、登山といってもリフトやロープウェイを使い1~2時間のコースタイムのところに切り替える学校も増えているが、何時間も歩く伝統的なコースを行く学校もまだある。

今年付き添っていったのは大谷原~赤岩尾根~冷池山荘~爺が岳~柏原新道~扇沢のかなり本格的な縦走コースだ。
エスケープルートもない。



体力だけをとってもいろんな子どもたちもいるし、装備もまちまちだ。
落雷や喘息などで命を落とすこともあったそうでリスクを軽減すべく慎重を期す。

近隣の数カ所の中学校から医師会を通じて病院に医師派遣の以来がくるので若手の医者が付き添って行くことになる。
自分は学生時代は北海道の大雪山などを毎年縦走しあちこちの低山にも言ったものだが、せっかく信州に来たのにあまり山には行けなくなってしまった。
せっかくの機会なので自分も年に一度くらいは行くことにしていて今年で3回目だ。
外来などをせっかく調整していくことにしていても天気によっては中止→予備日に延期となることもある。
あらかじめ養護教員と打ち合わせておき病院で用意してくれた緊急薬剤や点滴セットを持っていく。
いちおう持病のある子は主治医の許可をもとめられ、薬の持参するが、体力その他の問題でいけない子も1割程度はいる。

集合時は快晴であったがガイドさんによると午後になると雷がでるような天気図の様子だから、早め早めで上った方がいいとの判断。
集団登山でいちばん恐ろしいのは何より逃げ場の無い稜線での落雷だそうだ。

途中でばててしまう子は荷物を先生が持ったりすることもあるが、途中で引き返す子もいる。



午後になり雷もゴロゴロなりだしたが、なんとか山小屋に潜り込んだ。
お決まりのカレーを食べて早めに就寝。

軽い高山病などで頭痛や吐き気を訴える子は必ずいるので痛み止めなどを渡す。



夜は雨がさっとふっていたが翌朝は快晴。
ご来光をみるのが恒例だそうだ。
やや雲もあったがご来光を拝むことが出来た。

体力が無い子や膝が痛む子などは先発隊として早めに出発し時間をかけて下った。



翌朝は山頂をふみ、あとはひたすら下り。
山頂などで記念撮影し校歌を歌うのも恒例。
(日替わりでいろんな学校がくるので写真屋さんも上に詰めている。)
山頂では大町や安曇野方面は雲が出ていてあまり見えなかったが、立山や剣岳を正面に望むことが出来た。



登山者の全員が無事にかえって来れてよかったとホッとする。
しかし自分自身の体力低下も痛感した。

教師の世界を垣間みたり、中学生の生体を観察するのも面白い。
男子の女子化、女子の男子化がすすんでいる。

龍馬伝の影響だろう、「○○センセ、~してつかぁさい」
というのが流行っているらしく「土佐弁をバカにしているのか。」と先生におこられていた。

中学の養護教員や特別支援の先生など不登校の子の関わりなどで一緒に仕事をすることも多いので見知っておくのもわるくはない。

サイコバブル社会

2010年07月18日 | Weblog
精神科医、林公一先生の「Dr.林のこころと脳の相談室」は月のアクセス数が150万を超える人気サイトだ。

そのQ&Aをもとにした著作も多数ある。
「擬態うつ病」、「統合失調症 患者・家族を支えた実例集」、「パーソナリティ障害 患者・家族を支えた実例集」
などなどいずれも多数のケースに基づき対応などを分かりやすく解説されているお薦めできる本だ。

その著者が「サイコバブル社会(膨張し融解する心の病)」という本を上梓した。
示唆にとんだ面白い内容だったので内容を簡単に紹介する。

サイコバブル社会 ―膨張し融解する心の病― (tanQブックス)
林 公一
技術評論社


かつては偏見の対象であった「うつ病」はずいぶん明るい病気となった。
うつ病と診断される人は増え、増え続ける精神科クリニックは大流行りで、抗うつ薬の服用者もうなぎ上りである。
気軽に精神科を受診し、うつ病を名乗ることが出来るようになった。

健康診断でのうつ病のチェックの導入も検討されている。
「パワハラが原因でうつ病になった」などの言説は正当な訴えとして通用している。
うつ病はバブル化し疾病利得としか言いようが無いケースも増えて来ているだようだ。
しかし自殺を前面にだされると反論は難しくなる。

この状態はスローパニックであると著者は言う。
新型インフルエンザなどのパニックは沈静化したが、自然に沈静化はスローパニックでは期待できない。

真に患者本位であるならば擬態うつと真のうつ病を見分け治療不要の告知はできるだけ早期になさなければならない。
精神科医の姿勢が問われているといえるだろう。

アスペルガー症候群やADHDなどの発達障害もうつ病ほどではないが理解が広まって来たと言えるだろう。
明るい病気になりつつあるが、うつ病ほどではない。
しかしこれら発達障害には適切な対応はあるが、きれいに治す治療法は無い。
診断が本人のためにならない場合もある。

アルコール依存症はどうだろうか?
うつ病やアスペルガー症候群より実数ははるかに多いと推定されている。(240万人以上)
苦しんでいる人は多いにも関わらずまだまだ暗い病気だ。
飲酒運転で捕まった人に対するアルコール依存のチェックのプログラムなども動いていない。
疾病利得どころか偏見もおおいにありそれが否認につながっている。
まだまだ病気そのものが理解されていない。
診断は本人にとってマイナスの方がまだまだ大きそうである。

「うつ病だから職務怠慢に見えても厳しくしかるのではなく休養を」という雰囲気になった。
「アスペルガー障害だから人間関係に問題があってもあたたかい接し方を」
「アルコール依存症だから飲酒運転も厳罰ではなく他の対応を」

この3つは「病気だから」「社会的な問題があっても」「それは症状として治療・支援を」というパターンとしては全く同じである。
にもかかわらず、納得度が全く違う。
その理由はなぜか?

ところでPTSDはベトナム戦争などでトラウマをおった被害者を救うために人工的につくられた病名だ。
医師は患者のために診断するが、PTSDというその診断書を司法はPTSD認定を回避した上で損害賠償を認めると言う判決を下した。
医師の診断はあてにならないと司法が判断を下した形だ。

障害を持つ人々を他の人々と同様に、そのまま「ノーマル」な社会の中に受け入れることと定義されるノーマライゼーション(1970年頃発祥)の理念、普及とともに、その逆の流れである人間としてノーマルなことなのにアブノーマルだと見なして医療の対象とするアブノーマライゼーション(2000年頃発祥)もすすんでいる。
そしてこれは健康への限りなき追求や医学の精密化、自殺者の増加、差別から特権付与へという社会情勢を背景としている。
人にはノーマルな落ち込みがあるが、人間として自然な、健全な悲しみをアブノーマルに分類するのも一つのアブノーマライゼーションである。

かつて差別隔離の反動として、反精神医学の運動が立ち上がった。精神病なんかないという主張に基づく運動であった。
しかし医学の発展とともに反精神医学は消滅した。
一方、うつ病の診断を特権のように利用としているようにしかみえない者が増えるにつれて特権付与への反動として、精神科医は何でも心の病にして治療しようとする。心の病なんかないという主張に基づく思想・運動がおこりつつある。
これを著者は「ネオ反精神医学」と名付けた。
真の患者から治療の機会が奪われる。そして医学の進歩はネオ反精神医学を助長するかもしれない。

精神医学に関して反知半解の曖昧な言葉や言説が広まり、だれもが心の病について語るようになった。
これを筆者はサイコバブル(PSYCHO BABBLE),BABLLEとは赤ん坊のバブバブいう言葉。)と名付けた。

PSYCHOBUBBLEがPSYCHOBABBLEを産み、PSYCHOBABBLEがPSYCHOBUBBLEを加速した。
いい加減で不正確な言葉で、心の病が語られるようになったことで、何が本当の心の病かわからなくなって、病でないものとの境が曖昧になり心の病とよばれるものがどんどん膨張してきた。
現代社会のサイコバブル(PSYCHOBUBBLE)の外壁はサイコバブル(PSYCHOBABBLE)により融解したまま膨張している。
外壁が融解したバブルははじけない。はじけることなくどこまでも膨張し続ける。
そこに医療が追いつくはずも無い。
このままでは本当に医療が必要な人に、医療が届かなくなる。
というのが著者の危惧である。

高次脳機能障害専門セミナー(松本)

2010年07月13日 | Weblog
7月10日に松本文化会館で開催された高次脳機能障害専門セミナーに行ってきた。

高次脳機能障害とは交通事故や転落などの脳外傷、脳の病気などで脳機能の損傷がおこり、記憶障害や注意障害、遂行機能障害(物事の段取り)を来したり、性格が変化してしまうなど社会的行動に障害がおこるもののことを言う。
他の精神障害と同様、見えない障害で分かりにくいために理解されず苦しんでいる人も多い。

地域活動支援センターなどのいつもの支援者の方々と顔をあわす。
お声がけした当事者、当事者家族もいらしていた。

一つ目の講演は「前頭葉機能症状の回復とリハビリテーション」というタイトルで慶応義塾大学の精神科の加藤元一郎先生の講演。

脳科学的な知見と臨床症状を対照させて考えるのは面白い。
脳外傷の後遺症としての高次脳機能障害はリハビリテーション科で扱われることが増えて来たが、認知症とともに精神医学を学ぶ入り口としても最適なのではないかと思う。
前頭葉の機能に関していろんなモデルをとおして説明していたがリハビリテーションの方法論はまだまだ確立していないという印象をうけた。

まとまっていないが、メモとしての箇条書きをのしておく。

・前頭葉にいろんな行動レパートリーが直接コードされているわけではない。
・前頭葉には後頭葉に集められた環境から感覚器を通じてあつめられた入力情報、また辺縁系からの情動の情報などが集められて統合されて想起されたアウトカムイメージ(それぞれにRewardとPunishmentあり)のなかからトップダウンでコンテキストにあわせた行動が選択され出力される。
・いくつかのアウトカムイメージが想起されるが人には保持情報容量の限界があり、だいたい7つくらいが限界。
・つまり人間は一度に7つぐらいのことしか考えられない。
・ドパミンの濃度が多くての少なくてもワーキングメモリーの容量が少なくなる、ちょうどいいドパミンの濃度がある。
・遂行機能障害というのは脳のどの部位の損傷でも生じる注意や空間認知、記憶などが障害されていないことを前程として純粋な遂行機能障害といえる。
・高次脳機能障害(注意、記憶、遂行機能、社会的行動)の中で注意障害は訓練次第で回復するが、それ以外はなかなか難しい。
・最も適切な行動とそのルールの素早い学習(Rapid learning)には効率的に目の前の刺激を処理するためのルールを抽出しそれを保持することが重要で、それには前頭前野、側頭葉内側部(海馬など)との連携が重要。
・代償方略としてタイマーやメモリーノートなどいろんなツールがあるが使いこなすには、病識が鍵となる。
・病識(Remember to remember)があれば補助的ツール(メモなど)を活用することで自立できる。
・病識に関係するのは右前頭葉内側(アルツハイマー病での病識と血流低下をみた研究でも示されている。)であり、高次脳機能障害をかかえる患者にTinker Toy(組み合わせのおもちゃ)やハノイの塔をひたすらやらせることで病識がでてくるとともに、その部位の血流低下も改善された。

高次脳機能障害のリハビリテーションには料理が一番良いといわれているるが、それを裏付けるような内容であった。


二つ目の講演は「高次脳機能障害者にとっての家族(会)とは」というタイトルで北海道の脳外傷友の会コロポックルの副代表の篠原節先生のお話。
理論的、専門的な内容と、具体的、実践的な内容の講演がセットになっているというのはとても良いと思った。

講師は息子さんが交通事故による高次脳機能障害を抱えていらっしゃるが、そういうことが無ければこんな人生を送ることは無かっただろうという非常にパワフルな生き方をされている方である。
常に前向きで楽しんで生きようというエネルギーが感じられた。

高次脳機能障害ということ自体あまり知られていなかった時代、どこへ行っても適切な診断もえられず支援も乏しかった。
ほんとうに苦労されたのだと思う。
同じ苦しみをもつ家族とともに家族会を設立し、相談にのったり作業所を始め、またモデル事業にも協力した。
家族会からいろんな活動の母体としてのNPOが産まれたが、家族会としての脳外傷友の会「コロポックル」と作業所や委託事業などをうけるNPO法人コロポックルさっぽろを分け、協力しながら運営していくという方法はいいと思った。

コロポックルさっぽろ

家族のスタンスとして大切なこととして・・

それは、つかず離れずホットな無関心。
一人で抱えず、周囲を引きずり込んでみんなでやる。
おまじないの言葉として「これは病気、病気、・・。障害、障害・・・。しょうがない」と唱える。

専門職にたいするメッセージととして・・

苦労をねぎらい主介護者を楽にしてほしい。
先の見えない不安を抱えた家族に見通しをつけてほしい、家庭内や地域をシンプルに整理してほしい。
そのためにピアカウンセリングや学び合いの場としての家族会を社会資源の一つとして活用してほしい。

高次脳機能障害に関わらず、家族会、当事者の会などはリカバリーの鍵となるものだ。
専門家のスタンスとしてはサポーティッドピアサポートという関わり方がますます大切になるだろう。