リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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認知症の新薬と疾病の売り込み(ディジーズ・モンガリング)

2012年03月30日 | Weblog
認知症の治療薬として広く使われるようになったアリセプト(塩酸ドネペジル)の特許も切れジェネリックもゾロゾロと発売されました。
さらに4月から認知症治療薬の「レミニール」、「メマリー」の2種類の薬の長期処方投与制限が解除されます。
(「イクセロンパッチ」は発売が遅かったので8月から長期処方できるようになります)。

薬によっては処方できる期間には制限があり発売後1年間以内の薬は2週間までしか処方しかできません。
患者さんも病態や通院頻度によりますが2週間に1度の通院は大変なので、すでに同効薬などがある場合は、この期間は新薬の処方を様子見する医師が多いようです。
わたしもどうしても使ってみたいという方や若年性の方数人にしか使用していません。
新薬の使用が一気に使用が広まるのは長期投与の制限が解除されてからです。

これに合わせて製薬会社各社が一気に売り込みをかけ薬を売り込む医薬情報担当者(Medical Representative、MR)が病院に日参し医師に新薬の情報などを持参します。
そして製薬会社が主催企画する勉強会があちこちで開催されます。

かつては接待が中心でしたが今はエビデンスによる洗脳が主流となり、お抱えの大学教授や医師などが引っ張り出されます。
持ってくるのは医学雑誌などに掲載されたエビデンスとはいえ十分に批判的に吟味しなければなりません。

しかし特許も切れて使用方法が確立した安価な薬、例えば炭酸リチウムやアスピリンなどのエッセンシャルドラッグの情報は誰も積極的に持ってきてくれはしませんし、適応外で有用な用法でも今更治験をして新たな適応をとることはまずありませんから、よほど注意しないと新しくて高価な薬ばかりが医師の脳に刷り込まれやすいというバイアスがかかります。

実際、同様の効果の薬がある場合、新薬と旧薬の効果や副作用は値段の差ほどはないことがほとんどです。
さらには世界での使用経験の少ない新薬には未知の副作用もありえます。

一方で大衆に対する「疾病啓発広告・キャンペーン」が日本でも非常に盛んになっており、「あなたにはこんな症状はありませんか」というCMが増えています。
「お医者さんに相談しよう」っていうやつです。
最近の例では「認知症の新しい治療がはじまっています」という第一三共製薬の樹木希林さんが出演し得ているCMがあります。



「もう一回」ってちゃんとエピソード覚えているやん。ただの退行したばーちゃんやん。というツッコミは置いておいて・・・。
このようなCMは結局薬をうりたいというのが透けてみえ、医療者側から本当に社会に対して伝えたいこととはズレていると思います。
CMや製薬会社のウェブサイト、リーフレットなどをみると薬が認知症の治療の中心で薬さえ飲んでいれば全てうまくいくかのようです。
さっそく特養で穏やかにすごされている90代の認知症の方に新しい薬を使って欲しいとCMをみた家族から言われました。
私も認知症の治療薬は使いますが、重点をおいて伝えたいのは薬を使えば治る!?ということよりもむしろ認知症の自然経過や認知症をかかえて生きる体験世界、対応方法などです。

こういうCMで薬の需要を喚起するというのは特に公費を使うことになる保険診療においてはどうなんでしょう。
認知症に対する薬はもう少し適応を考えて使うべきだと思います。

認知症の治療薬ですが、アルツハイマー病は、非可逆性・進行性の疾患であり投薬によっても進行を止めることは出来ず、どの薬でもレスポンダーの多くて7割程度の人に対して症状の進行を(せいぜい1~2年)遅らせることが出来る程度の効果です。
中核症状の進行を遅らせたということ以外に、介護時間が減ったとか、QOLが上がったとかといったようなデータがあるようですが・・。
私のいる病院でも臨床試験はおこなわれており、かつては医師の主観による全般的改善度検査などといういい加減な評価だったようですが、いまは治験コーディネーターが張り付き完全な二重盲検で厳密に行なわれ新薬を世に出すことの大変さはなんとなくわかります。
さすがにかつて脳代謝改善薬開発として発売され、後に追試で無効と判定されたホパテやその類似薬のような効果がまったくなく副作用だけというようなトンデモ薬は今日では認可されていないと信じたいところですが新薬に関しては常に厳し目の視点で見ていたほうがよさそうです。

適応を選んで上手に使えば認知症をかかえて生活される方や介護者のQOL向上に寄与できるのですが、きちんと診断して上手に使わないと落ち着かなくなったりして周囲も余計に大変になり、ただ使えばいいというものではありません。
コウノメソッドはなかなかいいと思います。)
本来ならば向精神薬は人によって作用は全然違いますから用量を細かく調節して使いたいところですが、何故かアリセプトは原則5mgと10mgの使用しか許されていません。(消化器系の副作用が出現したからという理由をつければ本来導入時期専用の3mg錠はやっと使えるようになりましたが。)
しかし向精神薬は一生懸命微調整する(当事者さんと一緒に考える)という態度それ自体がとても治療的です。

私個人としてはアリセプトなどのコリン賦活で最も有用な本当の適応はレビー小体型認知症への容量を調整(ごく微量から)しての投与、次に有効なのは初期のアルツハイマー型認知症(MCIレベル)で抑うつがでるくらいの時期だと思っていて症状が加速しながら進行する混乱期以降で上手に使うのはなかなか難しいと思います。
混乱期に入るのを遅らせる、独居の期間を伸ばす、ADL(特に排泄自立)が維持できる期間を伸ばすという意味合いはあると思いますが・・。
レビー小体型認知症に対しての適応をとるべく臨床試験もすすめられているようですが何故かアルツハイマー型認知症と同様の高用量の設定で試験をしているという噂です(レビー小体型の認知症の特徴は薬剤過敏性なんですが・・)
メーカーの売り込み方は進行にあわせて容量を増やしましょうということでどうも将来的には忍容できる人にはアリセプトを20mg程度までは使わせたいような目論見もあるようです。

しかし「やめ時」なんていう話はメーカーは絶対にしませんかね。
質問してみましたが、たいてい「モゴモゴ」という感じです。

もっとも若年性アルツハイマー病の方で胃ろうとなり、ベッド上生活で言葉もほとんど発しなくなった方で、在宅で家族が一生懸命関わっている方には終末期にいたるまで投与し続けたことはありますが。家族への心理的ケアの意味合いが大きかったと思います。
(この判断がよかったかどうかは自分でも迷っているところです。)

そもそも薬価が非常に高価であり、アリセプト(10mg・764円)とメマリー(20mg・427.50円)を併用すると認知症の薬剤だけで1日1000円以上かかる計算になります。
アリセプトの市場は年間1442億円(2,011年)もあり一生懸命売り込むわけです。
健康保険は維持できるのでしょうか(;´д`)トホホ…
もう少し適応を選んで使うべき薬だと思います。


さて製薬会社は、薬の売り上げを伸ばすためにサブクリニカルな症状に関しての病気を発明し売り込むという戦略を取ることがあり、これをディジーズ・モンガリングというそうです。
グローバル化した巨大製薬業界が,疾患や障害の枠組みそのものを市場戦略と一体とし,マーケティング,病気の売り込み(disease mongering)で販路を拡大させているというのです。
穿った見方をすれば製薬会社は、存在しない病気を創作し、さほど深刻でもない健康上の問題をその病気に結び付けるように誘導することで新薬の売上をのばし利益を得ているといえるでしょう。

ディジーズ・モンガリングの対象となる疾患は、すぐには死んだり重篤にならない、老化に関係したものなど数が多い、不安やコンプレックスにつけこむ、などの特徴があり、病気と思わなければ病気とまでは言えないものがターゲットになります。
その裏には医師と市民に盛んに売り込みをかけてくる新しくて高価な薬がついていることが特徴です。

特に正常と疾患との境がスペクトラムをなしている種の障害がある精神疾患分野ではたしかに治療手段の増加が病気を増加させるという側面はあり、判断は難しいのですが、うつ病、社会不安障害、双極性感情障害、認知症などがその可能性があるでしょう。(これらが全てディジーズ・モンガリングであるといっているわけではありませんが。)

薬は確かに便利な道具で使い方次第でいい時間をつくることはできますが、認知症高齢者に対して使わなと医者はひどい医者だと言われたり、投与しないと罪悪感を覚る、などというような売り込みはさすがに行き過ぎだと思います。

患者さんに害をなさずに利益を与え、なおかつ保険制度をまもるという点において専門家たる医師はどのような態度を取れば良いのでしょうか?

そのヒントがエッセンシャルドラッグという概念です。
エッシェンシャルドラッグはエビデンスが蓄積され評価の定まった薬で特許が切れており安価なことが多いです。
製薬会社のすすめる新薬(とくにディジーズ・モンガリングされた疾患に対しての薬)にすぐに飛びつくのではなく、まずはエッセンシャルドラッグを使いこなせるようになるようになるのが先決と思いますが、古い薬の情報をもってMR(医薬情報担当者)は来てくれませんし製薬会社主催の勉強会も開かれません。
薬品名の書かれたボールペンや付箋などのノベルティももらえません。

そしてアルツハイマー病は、非可逆性・進行性の疾患において投薬よりも大切なことは、当事者や介護者の人生に寄り添い支え続けることです。

こうも医療周辺産業が跋扈するこのような状況になってくると患者さんとともに保険制度や医療システムをまもる責務をおった医師(臨床医とともに医事行政や公衆衛生行政などに携わる医師)や専門家集団である学会の責任は大きいと感じますね。
製薬会社が主催して、薬の名前を冠した講演会にひょこひょこ出かけて洗脳されて帰ってきて勉強した気になって、製薬会社の思惑のままに新薬を普及するのは医師とは言えません。
原子力利用や放射能の問題に関して最近有名になった武田邦彦氏の言葉を借りると「専門家とは科学技術の使用に関して社会全体に対して責務を追う人のこと」です。


(中井久夫先生の言葉)

特に医師は限られた医療福祉のリソースを適切に分配し、目の前の個人のQOLと余命の積分値、さらには社会全体の人の積分値を最大化すべく自らの倫理観に基づき考えるという役割を本来的に負っているのですから。


認知症診療ってナニ?実施支援システム「DT-Navi」の正体。

イクセロンパッチと断酒パッチ

認知症と生きる~認知症疾患医療センターの現状と課題

認知症の地域ケアと総合病院の精神科病床

(私には製薬会社からは講演はたのまれないだろうな~。こんな話をしちゃうかもしれないから。)

世界のエッセンシャルドラッグ―必須医薬品
クリエーター情報なし
三省堂


医療資源に乏しい途上国で、国民の健康をまもるため自国の医療に不可欠な医薬品を選ぶ際に、WHOがたたき台として示した医薬品のリスト。医療先進国である北欧やオーストラリアなどでも特にプライマリケア領域でエッセンシャルドラッグのコンセプトは支持されている。

市立大町総合病院、医師不足から再度診療制限へ

2012年03月29日 | Weblog
大北地域(人口約65000人)の中心の長野県大町市(人口約3万人)の中心市街にある市立大町総合病院(284床)は大北地区の中心医療機関としての役割を果たしてきた。
しかし近年では医師や看護師不足などから毎年2億円以上の赤字を計上するなど経営難が続いており、多額の公費が投入されて維持されているような状態だった。

平成19年12月に、内科の医師不足により外来患者を他の医療機関からの紹介に限定するなどの診療制限に踏み切り1年以上継続した経緯があったが、県のテコ入れもなどあり信州大学医局から医師の派遣をうけなんとか首の皮一枚でつながり、住民のなかから「大町病院を守る会」などが発足したり、初の病院祭を開催するなどの動きもあった。
そして内科医師が増えたことから救急車の受け入れも増えていた。

内部からは現実的な「市立大町総合病院の改革プラン」が打ち出されていたが、議会などさまざまな横やりもあり改革は難航していたようだ。

もはや一つの病院だけの問題ではないと大町保健福祉事務所が間に入り市立大町総合病院と安曇総合病院をあわせた地域医療再編の可能性も含め議論されていたが県議会議員や市議会議員、市町村長などのさまざまな思惑が交差し膠着した状態がつづいていた。

市民のおらが町の病院という思いに配慮してか大町市長は「厚生連安曇総合病院との再編ネットワーク化は考慮しないという方針」ということを明言し、歩み寄る姿勢はみられなかった。


(頑張れ!おおまぴょん)

そうこうしているうちに市立大町総合病院では整形外科の常勤医が1人となり、さらにこの3月で内科常勤医師2人が退職し内科全体の常勤医師は5人(病棟をみられる内科医師は実質2~3人程度とのこと!!)になることになった。
このままの状態で、これまで同様の診療体制をつづけていれば全国でみられたように残った医師の疲弊から医療崩壊もありうる状況である。



予測されたことではあったが市立大町総合病院から医師会や近隣医療機関あてに内科病床を削減、患者の受け入れ制限をするというFAXがとどいた。
しかし事務的な内容で、この事態を引き起こした経過を申し訳ないというでもなくまるで他人事のようで、地域住民に対しても近隣の医療機関に対して協力をもとめるでもない。
公立病院として、なんとも一方的で上から目線の内容であると感じた。

医療のことは「おたがいさま」なのではあるが、市立大町総合病院に患者を紹介する立場である地区医師会や、連携先の病院である安曇総合病院や安曇野赤十字病院でもさすがに危機感と驚きの声が聞があがっているようだ。
診療制限されれば赤字額も増えるだろうしさすがに市立大町総合病院をこのままの状態で維持していくことも限界かもしれない。



しかし大北地域のもうひとつの医療機関である安曇総合病院も、現場の知らない所で地域医療再生基金の補助金を活用して身の丈にあわないリニアック(放射線治療機器)の導入やICU新設の計画が推し進められるなどの事態でゴタゴタが続いており、いつまでたっても方向性が見えず、現場の医師や職員の中でもしらけたムードが漂っている。

耐震基準をみたさない老朽化した病棟を早急に建て替えなければいけないというのに再構築の機運がいつまで経ってもたかまらない。
もしこの計画がゴリ押しされればモラール(士気)が低下し医師の離職から医療崩壊もありうる状況のように思われる。

そろそろ地域の住民も情報を知り危機意識を持って地域医療に参加する必要があるのではないか・・・。

安曇総合病院・再構築に関してのまとめ、その1
安曇総合病院・再構築に関してのまとめ、その2
コア・コンピタンスである総合病院精神科病床。
大北地域の医療再編と安曇総合病院の再構築私案
目指すべきは大町病院と安曇病院の連携、協業、そして統合。

ささえる医療へ~地域医療第三世代の必読本

2012年03月27日 | Weblog
医療の世界にパラダイムシフトが起きている。
一言でいうとキュア偏重から、キュアとケアとのバランスを取った医療へ。
闘う医療から寄り添い支える医療へ。

病気ではなく生活や人生を相手にするならば医療は主役ではなく黒子になり裏方である。
そこで大切になるのは物語(ナラティブ)である。

機能障害のみに目を向けるのではなく、活動や参加へも目を向けることが必要になってくる。
そうすれば当然、地域づくりや教育、社会のありよう、文化というところまでカバーすることになる。

その実践の一つが「在宅医療」だ。
そしてもちろん私の今の実践の中心分野である「精神医療」だってそうだとおもう。

ささえる医療へ (HS/エイチエス)
村上 智彦
理論社


私の学生時代からの師匠の一人であり、私がこの分野に飛び込むきっかけをあたえてくださった村上智彦先生が「ささえる医療へ」という本を上梓された。

「村で病気とたたかう(若月俊一)」が地域医療第一世代の、「地域医療の冒険(黒岩貞夫)」を第二世代の代表的著作とすれば、この本は地域医療第三世代の決定版となる本だろう。
第一世代、第二世代の内容もしっかり取り込みこれからの日本の医療のあり方を示してくれている。
その実践や思想の多くは必然的に若月俊一先生のものと重なる。

序盤からテンポのよい軽快な語り口で一気に読んでしまった。
医療従事者、地域住民、行政に携わる人、多くの人に読んでもらいたい内容だ。

札幌からも函館からも遠い海辺の町、瀬棚(せたな)から、破綻した町、夕張へ。
村上智彦先生は常にメディアとともにあり全国への発信を絶やさなかった。
だから遠くはなれていても私は常に刺激をもらいつづけることができた。

炭鉱都市の繁栄から急激な人口減少を経て過疎の山村になった夕張市。
しかし行政組織などは縮小できず、赤字を垂れ流す大きな総合病院をかかえていた。
この本はそんな街にあえて飛び込み有床診療所と福祉施設に一新しそこをベースに医療再生をおこなった5年間の記録である。

母体となる組織である「夕張希望の杜」はベンチャー企業であり常に闘ってきた。
特に行政組織と・・。そして地域や組織の内と外の有象無象と。

その過程で憤ることも多かったが、私憤ではなく公憤であった。

曰く、「権力者なのにちゃんとやらない人に怒っているだけです。」
責任は取りたくないけど権限は欲しいという人たちを許せなかった。

官との協業で、公設公営で診療所を作った瀬棚での教訓・・・・。
その後に公設民営のやり方を模索し湯沢町へ行ったが行政の公はやっぱり官だったと気づく。

それなら初めから住民参加の公をつくろう。
官でも民でもない公でやるしかない。
住民がお金をだしあって会社を作り診療所を立て直すようなモデルを目指した。
総合病院を有床診療所と老人保健施設に転換した。
訪問診療や訪問看護など在宅の仕組みをつくっていった。

「診療所らしいというのは従来の総合病院から離れることです。」

診療所らしいといえば、かつての佐久病院はまるで診療所のまま発展してきたような病院だった。
職員が仲がよく職種に限らず地域にも出ていきニーズを発掘し技術で応えた。
病院祭や地域にでて寸劇をまじえた健診(八千穂村全村健康管理が有名)などをおこない健康指導員なども巻き込んで運動にまでたかめ、医療文化を変えていった。
偉いところは農村医学として学問的にも裏付けをしていったところだ。
夕張のチームも多職種が学会などで盛んに発表している。


夕張では変革に対する反対もすごかった。
さまざまな屁理屈をいわれた。
妨害もされた。
去っていく人も多かった。

このあたりも佐久病院での「赤い病院」「地下水グループ」「お上による農村医科大学の妨害」などとかさなる。


しかし誰々憎しで批判しているだけだとそれ以上にはなれないものだ。
文句ばかり言っている人間は、自分でやれよと相手にされなくなり、結局おとなしくなった。

「高齢化もすすんで公が求められているのに、相変わらず官が出しゃばって、でもお金はないから民はこない。じゃあ公でやろうよって言ったらみんな違うというわけです。」

「経営をする人にはとっても倫理観が求められていて、公を理解した人間同士がやらないとだめなんです、経営をするってことは、倫理観がなかったら終わりですよね。」

「医療っていうのは収入がどうだとかではなくて、みんなのためにというか公共ですね、それを目指さなければだめなんですよ。」

「無責任な人たちの議論に混じってやれば破綻するんで僕らはあくまでも公で行こうとしているだけなんです。」

「経営をやる人間と医療をやる人間は別だが、その人達がいつも喧嘩している姿を世間に見せることで、地域の人達に安心をあたえるべきだということです。」

「ディスカッション、ディベートがないと人間ってだめですね。対立はあったけども、結果的には良いものができて、最終的には住民が良いサービスを受けられればいいんです。」

かつては地域医療では先進地であったはずの長野県の当地域の現状、安曇総合病院の現状を考えると実に耳の痛い言葉が並ぶ・・・。


確かに夕張は破綻した過疎の山村ではある。
しかしもとから炭鉱の町、あるいは夕張メロンで有名であり、さらに全国に先駆けて破綻したことにより有名となり注目を浴びた。
高齢化が激しく財政難の夕張は日本の将来の縮図でもある。
夕張の住民は自分の健康のことも医療に丸投げで生活は行政に依存的であり、お任せの態度になれきってしまっていた。

ここならモデルをつくれるかもしれない。
そこでどう公を再生するか。
しかし、お金も暇も人もいない。

その過程では強力なリーダシップで強引にやることもあった。

「仕事をシェアリングするとか、マルチスキル化など、まさにお金も人材もない場所での公という発送をもたなければなりませんね。」
「仕事のシェアリングがすごく進んで事務の子が介護もやって検査もやって外来もやるようになった。」
「ディの送迎に事務員もでてくるとか、役割をシェアリングしながら普段から職員全員が患者さんにたくさん接するようにしています。」


それはLabor(いやいややらされる労働)ではなくWork(創造的な楽しんでやる仕事)だろう。
そう、佐久病院の創成期のように。


メディアに牙をむかれたこともあったし、メディアを利用したこともあった。
新聞はある種権力者であろうとする。
よほど意識して付き合わなければダメだと思った。
その一方でテレビはセンセーショナルにならなきゃいけない宿命がある。


そして救急医療の問題がおきた。

「何かあったら命にかかわる。」この言葉に弱いんですよね。みんな。」
「高齢者だと何か必ずあるに決まっているんですよ。特に高齢者は、ほら救急車だ、さあ病院だということはならない。」
「この問題は死をどう考えるか、という死生観の問題とも大きく関係しています。」
「責任を取りたくないから救急にして預けちゃう。」

特に若い人達への訴追としてインターネットは必須ツールとして大きな力になった。
それはいつのまにか自分たちがメディアをもつことであった。
全国から反響があった。
地方紙を意のままにでき世論をコントロールできると思っていた役所にすれば誤算だっただろう。


下り坂となった社会でインフラとしての医療、社会保険をどう守るかを考えてきた。
その答えが「キュアからケアへ、戦う医療からささえる医療へ。」ということだった。
そしてその方法論が在宅医療である。
しかし在宅は外にでた病院ではない。
大切なのは高齢者が日常生活をとりもどすこと。
死を敗北ではなく必然と捉えて、(北澤先生の言葉をかりると「人生の集大成」)、自分自身で健康や人生を考え、自らも汗を書いて次の世代のことを考えるということ。

「高齢化っていうのは障害と共に生きることなんです。」
「ある意味ケアっていうのは障害を受け入れることなんです。」
「高齢者の問題は障がい者の問題と同じですね。ただ、みんなバリアフリーということを建物やハードで考えていますが、人のバリアフリーなんです。」

キュアとケアの両方を習っている唯一の職種である看護師を前面にだし福祉を前面にたてて在宅医療に本気で取り組んだ。
口腔ケアなどにも力を入れ地域包括ケア高齢医療のモデルを示した。
破綻した病院から出発して、一気に先端としての地域医療へモデルをつくり広げた。
藤沢町のこと、被災地支援のこと・・。
全国に仲間も増え人も集まった。
そして人材育成へ。
破綻した街、夕張の医療を全国の医療モデルへ。
これからは外の支援がメインだと村上智彦先生はいう。


最後に教育というところに行き着くのは農村医科大学を目指した若月俊一と重なる。
佐久病院で20年以上かけて作ってきたような地域ケアの仕組みをわずか5年でつくりあげた。
しかし文化になるにはまだまだ時間はかかるろう。
その過程で実は佐久総合病院で育った医師も夕張で活動している。
そして村上智彦先生は若月賞を受賞している。



公というのは住民側の問題でもある。
住民たちも権利だけを要求するのはおかしい。
たたかう医療では住民から見ると医療におまかせだったから自分で考えなくてもよかった。
ところが支える医療では住民も参加しなきゃならないから面倒臭い。

若月俊一先生が言っていたことに「医療は文化である。」ということがある。
技術を持って地域に入り運動論としての地域医療を展開した。
それはまさに文化をつくっていくということだと思う。


「その地域で死んでもいいなって思えたら地域医療は充実します。」


風の人である医師が土の人と交わることで風土が生まれる。
地域を変える3つのものはよそ者、若者、馬鹿者だそうだ。
そして二人に共通するのは熱いハートとともにクールな頭脳がある点と、地に足がついた「実践家」であるということだろう。
きたりっぽ(よそ者)であった若月俊一先生が信州で最後に母なる農村への愛、農なるものへの回帰に行き着いたように、この本にかかれている村上先生の実践からは根底に村上智彦先生の北海道への愛、地域への愛を感じた。

そして自分もまたがんばろうという勇気が湧いてきた。

この本を読んで感銘をうけた方で「村で病気とたたかう(若月俊一著)」を読んだことのない方は是非一度並べて読んでみて欲しい。今なお古びていないその内容に驚かされることだろう。


医師・村上智彦の闘い


村で病気とたたかう (岩波新書 青版)
若月 俊一
岩波書店

自殺対策に取り組む僧侶の講演会

2012年03月26日 | Weblog
鈴の音ホールで松川村の人権フォーラムの講演会。
いのちを見つめる 自死に向き合う~いま、私にできること~というタイトルで自殺対策に取り組む僧侶の会代表の藤澤克己氏のお話があった。

お坊さんがどんな話をするのか興味があったので参加してみた。
最近やたらと多い自殺対策関係の企画かとおもったら男女共同参画の企画らしい。いろんな予算があるものだ。


(すずのねホールがかなり埋まった)

「自殺対策に取り組む僧侶の会」の活動として

・独りよがりの返事にならないよう3人一組で話し合って返信している手紙相談「自死への問い、お坊さんとの往復書簡」
・自死者追悼法要
・自死遺族の分かち合いの集い
・研修会
・立ち上げ支援

などをしているそうだ。


場を作るという意味では、まさに活動家。
やっていることはパーソルサポートだ。


僧侶は死んでからあとが仕事?いやそうではないという。
何故僧侶が自死対策を始めたのか。
それは仏教は抜苦与楽が本来の役目だからだだそうだ。

あえて自殺ではなく自死という言葉を使っている。
自殺に良い悪いはない、ただ自死を引き起こすものが悪いという考え方。

死にたくて自死する人はいない。
本当は生きたい、生きていくことができないほどつらい、死ぬしかない、、。ということ。

基本的態度は関心を持つ、精神的支援としてはは感情に寄り添うこと、実務的支援しては具体的解決に向けて一緒に考えて行動すること
大切なのは困っている人、苦しんでいる人のペースに合わせること。

資格や準備がないからといって何もできないわけではない。
例えは相談窓口を探すということは当人にはなかなかできない。
分からないけど一緒に考える、手伝う。
窓口に連絡して付き添うなどのことはできる。

共感的理解を示すことが大切。

・よく頑張って来ましたね。
・私はあなたのことが心配です。
・死んでほしくはありません。
・一人じゃありません。
・一緒に考えましょう。

(ワークショップの内容。手紙への返事の例、悪い例といい例の紹介)

自死対策の心得として、あらかじめ用意されている答えはない。
分からないけど一緒に考えるという覚悟が必要
温かい見守りと伴走が肝心である。

なぜなら人には誰にも回復力がある!から。

まったく普段自分たちがやっていることとほぼ同じ実践そして方法論だと思った。


この時代、この社会をともに生きる仲間。
支え合う、お互いさま、声を掛け合う。
困ったら助けてもらいたい、困っている人にはてをさしのべる、ご恩返しは次の人(世代)へ。

人に迷惑をかけてはいけないと教えるのは間違い。
そんなことは誰にも出来ない。それよりもどれだけ人に迷惑をかけ助けられているかに気づくことが大切。
「すみません」より「ありがとう(有り難う)」

ただ自死者の数が減ればいいのではない、生き生きと暮らすようになり、その結果、自死する人が減って欲しい。
安心して悲しみ悩むことができる社会を目指しましょう。

いい話ではあったが、もう少し坊さんならではの話を聞きたかったかな。
自殺対策に取り組む僧侶の会の他の支援団体や支援者との協業について質問させていただいたが、個人的な精神科に紹介したり、近くなら包括支援センターに同行したりということにとどまっているらしい。
多方面とのコラボレーションも課題。
医療は宗教とどうコラボできるだろうか?
宗教が「駆け込み寺」となり場をつくり、再び本来の役割を果たすようになれば精神医療も縮小していけるのだろうが。(^_^;)
医師には診断や障がいの評価をして社会的責務を軽減したり支援の必要性を裏打ちしたり、投薬など侵襲的となりうることをしたりといった役割は残るのだろうけれども・・。

安曇総合病院再構築に関してのまとめ、その2

2012年03月25日 | Weblog
がん診療に引き続き、今度は救急医療に関して考察していきます。
果たして地域医療再生基金を原資の一部として安曇総合病院にICU(集中治療室)をつくるということが適当なのでしょうか?



安曇総合病院の救急医療の現状

私は4年前に安曇総合病院に来てから、月に約3回ほどの夜間休日の当直(全科当直)をやってきました。最近は在宅拘束をするかわりに2回に免除してもらっています。まずは現場から見える現状を説明させて頂きます。

救急医療のそもそもの前提条件としてマンパワーも少なくなる夜間休日にあらゆる医療ニーズに応えることはできません。ですので救急外来の仕事は放置しておくと致命的になったり重症化しうる疾患を見逃さず入院して治療や経過観察を行ったり高次医療機関につなぐなどのことが仕事の9割だとおもって仕事をしています。(それ以外の患者さんには最低限の処置、投薬をして翌日以降の専門外来につなぐことが仕事です。)
幸い当地域の患者さんはいわゆるコンビニ受診することも少なく、受診前には電話相談してから来てくれる慎み深い方が多いです。またしたたかに受診する医療機関を使い分けているような様子もあります。
安曇総合病院の救急ではいわゆる2次救急まで対応しており現在、全科当直(当直医がいったんはあらゆる科に対応)で、入院患者さんへの対応(主治医や各科拘束医が対応できない場合のみ)、普段かかりつけの高齢者を中心とした対応(肺炎などの感染症、脱水、緩和ケアなど)、骨折や捻挫、喘息発作やインフルエンザなどへの対応のほか、精神疾患への対応(過料服薬などの対応も含め精神科拘束医が直接対応。)、心肺停止して搬送症例への救急蘇生、重症疾患のトリアージ、すなわち自分で重症度を判断できない近隣の患者さんに対して診察、検査等をおこない必要なら高次医療機関へ紹介し転院までの段取りを行なっています。当直医以外にも各科拘束体制(呼び出し)をとり必要な処置や入院対応を行っています。

救急患者さんの数は多くても一晩で10人程度、救急車は0~3台程度であり深夜帯(0時~8時30分)は呼ばれないことが多いですが、それでも普段とは違う業務であり緊張を強いられ疲れます。研修医が入ると指導はしなくてはいけませんが経験もだいぶ増えたこの時期には役にたつようになります。年配の医師には当直はしんどいようで、当直業務をするのは精神科や整形外科の若手医師が多いです。(もちろん若い医師でもしんどいですのが、年配の医師に頼まれて代わることもあります。)当直明けの日(無理ならその週のうち)には半日で帰れる規定になっていますが、実際には通常業務のため帰れないことの方が多いです。それでも精神科や整形外科はなんとか明けは帰れるように配慮しています。
事務や看護師、放射線、臨床検査技師も当直し放射線検査やある程度の緊急検査がとれる体制はとっていますが夜間は診療所程度+αの診療機能になります。診断はできますが治療はできず虚血性心疾患や脳卒中、急性腹症などは多くは松本地区の急性期病院にお願いしています。
夜間休日の脊髄損傷や子どもの骨折などの整形外科手術や虫垂炎、胆嚢炎などの腹症外科の緊急手術を行うことはありますが稀です。
もともと小児の三次救急(熱性けいれん、胃腸炎や肺炎などの入院には対応します)や産科婦人科の救急は取っていません。

救急車の搬送数を北アルプス広域連合のデータでみると平成22年は大北医療圏(人口6万2000人)で発生した救急搬送車(2,830件)のうち7割を安曇総合病院と市立大町総合病院(やや大町病院のほうが多い)でカバーしており3割が他の医療機関に流出していました。その3割のうちの70%(全体の約2割強)が安曇総合病院から30分~40分のところにある松本医療圏の安曇野赤十字病院、信州大学付属病院、相澤病院。一ノ瀬脳神経外科の急性期病院である4病院搬送されています。

安曇総合病院にICUをつくることの是非

地域医療再生計画では二次救急機関の救急患者受け入れ強化をうたっていますが、県議や院長は安曇総合病院でも地域医療再生基金でICU(集中治療室)をつくり急性期の脳卒中と心筋梗塞をみていきたいというような希望(妄想?)もあるようです。特に都市部から離れた小谷や白馬の方などは救急医療機関に到着するまで他の医療圏よりも平均15分以上も余計に時間がかかる、大北の救急患者を大北医療圏で見られず他の医療圏に流出していることは由々しき問題でそれを何とかしたいということのようです。しかし、現実問題としてたとえICUをつくったところで重症患者を一定以上確保して一定以上のレベルでちゃんとみることはどう考えても困難です。(コンサルタントの試算でも職員、患者の確保は困難という結論でした。)

3次救急とは2次救急医療(一般的な入院医療)では対応できない複数診療科にわたる特に高度な処置が必要、または重篤な患者への対応機関であり平たく言えば、「ICUで加療する必要がある患者」への医療を指します。つまり3次救急医療の中心となるのは緊急処置や手術、全身管理が必要となる多発外傷や虚血性心疾患、脳卒中などの血管系の救急、手術が必要な急性腹症、全身熱傷などが主な対象となります。
これを安曇総合病院でICUをつくってみていくことは果たして現実的でしょうか?

本来3次救急医療というのは、とても高額な費用がかかります。そして、3次救急医療は人口が50~100万人を主対象としなければ成り立たないとも言われています。すなわち、3次救急患者が1日10~20人ぐらい?発生しなければ、医師や医療スタッフを365日24時間体制で準備しておくのはムリだということです。
私は東信地区のあらゆる救急患者を引き受けていた佐久総合病院の救急外来に最近まで5年間ほど出ていましたからこのあたりの感覚は(院長や県議よりは)わかるつもりです。ドクターヘリを擁する佐久総合病院でも佐久医療圏と上小医療圏あわせた神奈川県よりも広いエリアに38万人が住むエリアの最後の砦でしたが遠慮して2.5次救急と言っていました。
松本市でも救命救急センターやドクターへリをめぐり相澤病院と信州大学病院救急部が熾烈な争いを繰り広げていたのは記憶に新しいところです。


(信州大学付属病院、屋上のヘリポートにドクターヘリが常駐)

血管系の救急医療と多発外傷について。

かつて血管系の急性疾患、すなわち心筋梗塞や脳卒中は鎮痛や点滴や酸素吸入などをして安静にして寝かし悪化しないように祈るしかない疾患でした。
しかし近年になり血管内治療などの技術がすすみ心筋梗塞はHeart Attack、ついで脳卒中はBrain Attackと呼ばれ急性期にも積極的な治療介入が可能な疾患となりました。
市民は疑わしければ救急車を呼びトレーニングを受けた救命士の判断でそういう対応のできる医療機関へ搬送すべしということです。救急隊の判断で虚血性心疾患の疑われる胸痛患者は診断から治療まで可能な胸痛センターに搬送され、脳卒中は脳卒中センターへ搬送されます。その可能性の低い患者が二次医療機関に搬送されさらに検査等が行われます。
ですので突然の頭痛や胸痛、麻痺、言葉がでない、喋りづらいなどの症状が出た場合は、開業医や夜間急病センターに行かず救急車を呼び、救急隊のトリアージで医療機関に向かうのが得策です。(オーバートリアージでも構いません)
もちろん安曇総合病院の救急外来でもこれらの診断は行いますが治療はできません。(たまに開業医の先生から心筋梗塞疑いで紹介されることがありますが(;´Д`)強く疑ったなら救急車で信大の胸痛センターにお願いしたいです。)
心筋梗塞は専用の造影検査室でCAG(心臓カテーテル検査)に引き続いてのPCI(バルーン拡張法など)がなされるようになりました。しかしその後もポンプ失調や不整脈などが出現し致死的になりうるためICU、あるいはCCU(Coronary Care Unit)というところで厳重に全身管理がなされます。
大動脈解離や大動脈瘤破裂などは心臓血管外科チームのいる施設で緊急手術が必要となります。
脳卒中とは脳出血、くも膜下出血、脳血栓症、脳塞栓症(のうそくせんしょう)の総称です。脳の血管が何らかの原因で急に詰まったり切れたりするものです。脳梗塞も数年前から我が国でもtPA(プラスミノーゲンアクティベータ)による血栓溶解療法がなされるようになりました。これは発症から3時間以内に投与を開始しなければなりません。しかし厳密に適応の選定をしても20人に1人脳出血のリスクが避けられず、治療後もICUで神経所見をとりつづけ出血の兆候を見いだせなければなりません。
脳出血や脳梗塞の治療中に頭蓋内で出血した場合は必要に応じて脳外科が血腫除去術や開頭減圧術など必要な手術うことがあります。
くも膜した出血の場合は脳動脈瘤の再破裂を防ぐために緊急クリッピング手術や血管内治療を行われます。手術のあとも脳血管攣縮や水頭症などの合併症を乗り越えていかなければいけません。

交通事故や白馬などのスキーリゾートでの外傷や山岳の転落事故などで発生する多発外傷は治療可能な外傷による死を防ぐため救急隊から医療機関に至るまで定まった手順があり、脊髄損傷や失血死を防ぐため大勢の医師や看護師が取り付いて診断と治療に必要な処置をおこない必要なら緊急手術を行います。当院に搬送されても可能な範囲での止血処置をして血管確保し大量輸液しつつ3次医療機関に搬送することしかできません。現在は救急救命士による血管確保や挿管は心肺停止症例にしか許されていませんが今後これは拡大していくでしょうから当院は素通りされていくかもしれません。
天気の良い日中ならば信州大学にも配備されたドクターヘリを呼ぶこともできますが、そういった事故が多いのは夜間や荒天の日であり悩ましいところです。

安曇総合病院で担うべき救急医療とは

さて県議と院長は何をやりたいのでしょうか?
がんの放射線治療機器の時にも言いましたが現場の第一線で頑張っている循環器内科医や救急外来に出ている医師がどうしても必要でやらなければいけないからというのならまだわかるのです。しかし院長や県議の言動は現場からみえる現実とまったく乖離したもものです。
院長は「3次救急なんてやるつもりはありませんよ・・。心臓カテーテル検査も待機の検査のカテだけですよ。ER方式というのをやりたいと思います。福井医大の 林 寛之先生の講演を聞きました。大学に頼みに行こうと思います。」などとピントの外れたことを言っていました。
もちろん心臓カテーテル検査はさすがに待機的(検査や緊急でないもの)な処置からということのようですが・・・。それならそれこそ当院でやる必然性があるのか疑問です。待機的で一時的なことなら症例数も集まり技術も高い病院へ行けばいいでしょうし、冠動脈のスクリーニングは多列検出器CTスキャンで行われる時代になってきているというのに・・。

現場からみていると、そんなことよりもベッドが長期入院の方で満床で普段からかかりつけている高齢者(特に在宅の高齢者)を受け入れることが出来ず松本の急性期病院にお願いするような自体を減らすことが先決だと思います。そのためには365日24時間対応する在宅医療のシステムを充実を目指すことが大切ですし、在宅医療の支援という本来の機能を果たしうる老人保健施設が欲しいところです。もちろん松本医療圏の急性期病院で急性期治療が住んだ大北地域の患者さんを速やかに引受地域へ帰していく回復期以降のリハビリテーションをこれまで以上に引受けるなどのも必要でしょう。

中信地区唯一の閉鎖病棟をもつ総合病院精神科として他の病院で応えられない精神疾患と身体疾患の合併症患者さんの入院治療を含めた救急対応もおこなっていかなければいけません。

総合診療方式(+専門医へのコンサルテーションの体制)の体制をつくれば研修医教育もふくめてかつての舞鶴市民病院や今でいえば諏訪中央病院のような体制がつくれ高齢者を中心とした一般内科診療のレベルも上がるでしょう。
そして救急外来に出ているどの医師も専門外を理由に断ることなくきちんと見てトリアージ(重症度の判定と必要な処置や転院の段取り)を行うことを原則とすべきだとおもいます。
そのための勉強会や検討会などを救急診療委員会主導で行うべきだと思います。

さらに救急とは離れますが脳卒中や心筋梗塞ののリスクを減らすために地域の心房細動の方への抗凝固療法、糖尿病や高血圧、脂質異常症などの管理をしっかりして予防を行うこともまだまだこの地域では不十分なのに、救急体制だけととのえるのは順番が逆だろうと当院で一番たくさんの患者さんをみている内科医師も指摘しておりました。
救急医療へのアクセスが遠い土地ほど地域の開業医とともに軽減可能なリスクに対してまだまだ必要な介入を行なっていかなければいけません。

その上で松本医療圏の3次医療機関からより遠い白馬や小谷、大北の中心の大町のことを考えるならば市立大町総合病院でのよりいっそうの救急診療機能の強化を図るべきでしょう。
それを指摘すると、院長は「大町病院にそんなことはできませんよ。大町病院の実情をしっているんですか!」といわれてしまいます。確かに大町病院では内科医が少なかったり全科の救急当直が大学からの小児科医のアルバイトだったり、整形外科の常勤医が一人しかいなかったりと大変な状況は聞いています。
しかしそれならばなおさら大北医療圏全体のことを考えて、2つの病院とは別に運営されている北アルプス平日夜間急病センターのあり方も見なおすことも必要でしょうし、当院の医師、地域の診療所の医師もふくめて大北全体の医療者で考えるべきことでしょう。
私は安曇総合病院の今後の救急医療のあり方に関して不安を感じています。
そんなに大きな病院でもないのですから、院長も当直や日直をし救急外来にでてみる、それが無理だというのならばせめて現場の医師の声を聞く態度を示すというところからやってもらいたいものです。


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野の花茶屋・Cafe・Da・Monode オープンです。

2012年03月20日 | Weblog


障がい者の生活支援と地域づくりをおこなっているNPO法人ほたか野の花のプロジェクト。
昨年から穂高駅前通と旧道の交差点の近くの築100年の古民家を利用した商店をリノベーションしてコミュニティカフェ「野の花茶屋・だもんで」を準備してきました。。
そしてついに3月20日にお披露目会が開催されました。



正式な看板はまだですが征矢野画伯がキャンバスに素敵な絵をかいてくださりました。



たい焼きやコーヒーの準備中です。
だいぶ手馴れてきました。
コーヒーはバリスタから教わった本格的なものです。



行政関係者や病院関係者、理事長、当事者利用者などいろんな方の挨拶がありました。
近所の方、農家の方、養護学校の関係者、医療福祉関係者などたくさんの方に来て頂きました。



野の花の歴史と、築100年の建物のリノベーションの劇的ビフォー、アフターのスライドショーです。
白い壁にプロジェクターで写して少人数の勉強会などでも使えそうです。



コミュニティーカフェ、ライブラリー、物産などなどこれから発展させていく事業の芽があちこちに見え隠れします。
2階のスペースの活用などいろんなアイディアが湧いてきます。
ライブラリーは地域づくりと障がい(特に精神障害、発達障害)の関係が充実していてマニアックなラインナップ。
当事者の書いたものを中心に集めていきたいと思っています。
他にはマンガ、絵本などもありますよ。

信濃毎日新聞の素敵な記者さんが早速記事にして下さいました。



これからは、くるりん広場の憩の家は「野の花」、コミュニティカフェは「だもんで」となります。
近くにお越しの際は是非足を運んでみて下さい。
穂高駅からも徒歩圏内、穂高病院至近です。裏に数台の駐車場があります。
ただし3月中は午後1時~3時(月、木定休)のプレオープンで本格営業は4月からとなります。
野の花畑でとれた野菜などを使った定食メニューも開発中です。

ライブラリーやショップ、古い梁や壁を活かした2階の空間や立派な欄間のある裏の畳部屋などのスペースも是非みて行って下さい。
築100年の歴史があちこちに見えかくれしていてとても面白いですよ。



リニューアルされた野の花のウェブサイトもご覧下さい。




飲まなくていい薬~デポ剤

2012年03月14日 | Weblog
最近、疲れがたまっていたせいか神経に潜んでいた水痘帯状疱疹ウィルスが再活性化し帯状疱疹となった。
最初は筋肉痛か腰痛のような変な感じの痛みで、次に知覚が過敏になってピリピリと痛痒いとおもったら最後に皮疹が出現し皮膚科受診して診断確定した。

筋肉痛でシップをはって皮疹が出現してシップかぶれと思うという人がいるのも納得の経過だった。
処方された高価な帯状疱疹の薬(今回はファムビル)を処方され1週間薬を毎日飲むことになった。
朝昼夕と1日3回、普段飲んでいた寝る前の薬を加えて1日4回である。
しかし当初こそ飲んでいたが食事の時間も不規則でありmきちんと飲み続けるのは難しく結局コンプライアンス(後述)は7割くらい。
早めの内服で水疱の広がりは抑えられ、かゆみは残るが1週間程度でほぼ治癒した。

自分で薬を飲んでみて毎日内服している患者さんを尊敬の念が強まった。

患者さんの中には薬をほぼきちんと飲む人と、割といい加減な人の2種類にわかれる。
そして薬が必要な人に限って飲みたがらず、必要がない人に限って欲しがる。
きちんと習慣的に飲む人はいいが、いい加減な人は薬が徐々にあまってきたり眠剤だけ先になくなったりする。
うつ病や神経症圏の人はきちんと飲む人が多いが、気分障害や非定型精神病の人に多い印象である。
統合失調症の人間はなんどか再発を繰り返してやっときちんと飲むようになることが多い。
飲まなくなる理由としては当初は副作用によるものが多く、徐々に飲み忘れが多いようだ。

きちんと処方されたとおり飲むかということを「コンプライアンス」といい、必要と思って飲むことを「アドヒアランス」という。
『コンプライアンス=服薬遵守』 という概念は、『医療従事者の指示に、患者さんがどの程度従っているのか』という視点での評価がされているのに対し、アドヒアランスは、指示されたことに忠実に従うというより、患者が主体となって、『自分自身の医療に自分で責任を持って治療法を守る』かという患者さんの視点からの言葉である。

再発率や再入院率はこのコンプライアンス、アドヒアランスと相関する。
まったく薬がのめていないことをノンコンプライアンスといい、飲んだり飲まなかったりすることを部分コンプライアンスという。
一般的にコンプライアンスは50%程度と言われている。
ノンコンプライアンスは全ての要因が患者さん側にある訳ではなく、医療関係者と患者さんとの信頼関係の不足(患者さん情報の収集不足、患者さんの生活習慣に対する無理解、服用困難な処方・剤形の選択、事前の十分な服用意義の説明不足、等)という事も多い。

統合失調症治療で失敗の最多原因はアドヒアランスの低下という研究もあり、いかにこのアドヒアランスを高めるかということが医師や薬剤師の仕事となる。
そのためには「俺の言うことを信じて、つべこべいわずに言われたとおり飲め」というのではなく(当初はそういうこともあるが)、多職種で、薬の期待される作用や予想される副作用なども全て当事者に伝えて納得してもらった上で自分の治療を決定するというShared decision making(シェアド デシジョン メイキング)という考え方が広まりつつある。
つまり『患者さんが参加し、実行可能な薬物療法を計画、実行』するということである。 

コンプライアンスは服薬回数と相関しており、服薬の回数が少なければ少ないほどコンプライアンスが向上する。自分の感覚からいってもこれはわかる。

そのためか最近製薬会社の開発する薬も最近の薬は半減期が長く1日に1回または2回の内服ですむのが多い。
入院中の急性期や不安が強く頻回に内服が必要な場合は1日3回や4回のこともあるが慢性期にはなるべく少ない回数で少ない量のくすりをと考えて処方計画を検討する。
吸収や飲み合わせ、薬物動態を考えてではあるが、覚醒に働く薬は朝食後、鎮静に働く薬は夕食後や寝る前などの1日1回~2回にまとめていくことが多い。

個人的には寝る前に1回という処方が好きである。
これは多少なりとも鎮静にはたらく薬を使えば睡眠状態も改善することにもつながるし日中のImpaired Perfomanceも防ぐことができるからだ。
また飲む時間を決めておけばダラダラと夜ふかしをすることを防げ生活のリズムを整えることにもつかがる。
「せめて日が変わる前に飲んで夜は覚悟をきめて寝てください。(これをシンデレラ睡眠という)」と伝えることが多い。

さて抗精神病薬(主に統合失調症の薬)の中には持効性抗精神病薬(通称デポ剤)というものがある。
これは、その名称の通り、効果が長期間持続する抗精神病薬で、1回の注射で2~4週間程度、効果が持続するものである。
定型抗精神病薬のデポ剤にはブチロフェノン系のハロペリドールのデポ剤(ハロマンス。ハロペリドール+マンス(1ヶ月)という意味)と、フェノチアジン系であるデカン酸フルフェナジンのデポ剤(フルデカシン)などがある。
ハロマンスは注射後、4日後~21日後くらいに血中濃度が治療域に達し効果が高まり約1ヶ月間有効である。血中濃度が上下しないせいか、錐体外路症状などの副作用も内服薬と比べても出にくい印象であるが副作用がでても薬をすぐに抜くというわけには行かないのでもともと経口薬で同じ薬をつかっている場合に切り替える。また初回の注射は入院中におこなって副作用をみることが多い。
しかし躁状態や幻覚妄想状態で薬がきちんと飲めない場合に一時的に使うことが多く強制治療で侵襲的なイメージがあり、患者さんの希望で定期的に使っている方もいるにはいるがどちらかと言えば使用は消極的選択であった。
しかし外国ではもっと種類も多く積極的に使用されているそうだ。



最近になって副作用が少なく陰性症状にも効果が期待できる非定型抗精神病薬であるリスパダールのデポ剤(リスパダール・コンスタ)が登場した。
臀部にしか注射できない、2週間に1度の注射で、有効血中濃度に達して効果が出るまでに1ヶ月程度はかかる、ハロマンスなどとくらべても非常に高価(25mgなら2万3520円を月に2回)であり自立支援医療を適応しないととても使えないのなどの難点はある。
しかし痛みも少なくなるように工夫され副作用もでにくく効果も安定しており、当事者のかたも内服をしなくてもいいということで一旦始めると気にいってくれる方が多い印象である。

デポ剤であれば通院されていればコンプライアンスは100%となるわけで治療者も家族も最低限のお薬が確実に効いているという点で、薬を飲んでいるかどうかを確認する必要もなくなりそれ以外の内容(社会スキルの獲得や心理的な相談)などに時間とエネルギーを割くことが出来る。
薬を飲んだか親にしつこく確認されてケンカとなり家族内での居心地がわるくなって調子を崩すようなケースなどに最適であろう。
デポ剤を使っている患者さんを仕事帰りにも来やすい夕方の時間にあつめグループワークと注射をセットで行なっているクリニックもあるようである。いいアイディアだと思う。

このデポ剤であるが今後の治療の中心となる可能性を秘めており、他の非定型抗精神病薬(エビリファイやジプレキサ)のデポ剤も開発中という噂もある。さらには3ヶ月に1度でいいという注射も開発されているらしい。
ここまで来ると夢の「飲まなくてもいい」薬の誕生であろう。

安曇総合病院・再構築に関してのまとめ、その1

2012年03月12日 | Weblog
安曇総合病院再構築のマスタープラン作成に向け佳境に入って来ました。
これまでのエントリーとも重複しますが経過と私の主張、プランをまとめておきます。
果たして地域医療再生基金を原資の一部として安曇総合病院にリニアック(放射線治療機器)を導入することが適当なのでしょうか?

安曇総合病院で求められているがん医療は?


がんは老化現象の一種でもありますから高齢になるほどがんは増えます。(小児がんを除く)
その結果、2人に1人が罹患し、3人に1人ががんでなくなる時代です。ですので県議のライフワークである「がん制圧」などという言動はそもそもナンセンスです。がんはコモン・ディジーズ(よくある病気)であり安曇総合病院でも当然、がん患者さんの診療をおこなっていかなければなりません。
もちろん禁煙などの生活習慣に対する介入(一次予防)やドックやスクリーニングなどによるがんの早期発見(二次予防)にも力を入れなくてはいけません。がんが見つかった場合は当院でも可能な手術や化学療法は当院でおこない、困難な手術や放射線化学療法などは松本などの基幹病院でお願いすることになります。
手術や放射線治療は一時的な治療であり、その後の長期にわたる治療は外来化学療法と緩和医療です。これらは生活の場である地域で行なっていかなければいけません。

リニアックはあってもいいですが喫緊の課題とは思えません。がん相談支援センターの相談支援を行なってきた専任の看護師が当院で最もニーズを感じたのは緩和ケア病棟ということでした。緩和ケアは当院で有力な精神科や最近力をいれている在宅医療がとも相性がよい分野ですが、何故か再構築検討委員会がん診療部会では放射線治療機器(リニアック)の導入を優先させ、緩和ケア病棟の設置は当面希望しないという結論でした。現場から見える地域ニーズにどうして声を傾けることができないのでしょうか?


安曇総合病院で放射線治療機器(リニアック)を入れることの是非?


さて県議と院長は何をやりたいのでしょうか?
今後、がん放射線治療は今後より盛んになるでしょうし将来的にはわかりませんが現時点で優先順位の高い課題とはとても思えません。まずは耐震基準を満たさない老朽化した病棟の建て替えが先決でしょう。
院長も補助金(地域医療再生基金)の話がなければリニアックなどいれないと公言していました。リニアックにかける院長の思いといってもしょせんはそのくらいのようです。
 しかし、がん征圧をライフワークとする某県議会議員の肝いりで、当初は原則として2次医療圏に一つの設置が望まれるものの大北地域にはない「がん診療連携拠点病院」を目指すためにはリニアックが必要ということで導入の話がでてきました。しかし患者数等の他の要件が満たせずがん診療連携拠点病院となることはそもそも不可能です。人口3万4000人の木曽医療圏や6万人の大北医療圏では42万人の松本医療圏、56万5,000人の長野医療圏ではそもそも人口背景も違いすぎて都市部に伍する高度専門医療は困難なのです。また山に囲まれた木曽とは異なり大学病院などの高度医療機関の多い松本医療圏に隣接する大北医療圏は患者動態においても影響をうけます。
 このようなこともありすでに厚生労働省の通達でも、「がんに関しては専門的な診療を行う医療機関における集学的治療の実施状況を勘案し、従来の二次医療圏にこだわらず、地域の実情に応じて弾力的に設定する」というように医療圏の考え方自体が変わってきています。今後出てくる第5次医療計画でも当然この考え方に基づいていると予想されます。 
 なお今回の地域医療再生基金では1/3(4億1900万円)しか補助されず2/3の自己資金が必要です。さらに外部コンサルタントの試算では甘い見積もりでも損益分岐点を下回り赤字を生み続けると試算されました。しかし、再構築検討委員会がん診療部会の中間報告では、その試算は無視し独自の試算を提出し「採算性には懸念されるものの放射線治療に伴う入院や患者数増加などの波及効果も考慮し、職員の協力(節約)があれば単独事業ではなく建物の再構築時に地域医療再生交付金を使用して照射機器の導入は可能ではないか」と結論づけていました。
 院長はリニアックを入れれば看板となり医者(特に外科医)も患者も集まるという主張もしていましたが、リニアックと外科は乳がんなどを除けばほとんど関係ないし大学医局も外科医を継続的に派遣することは困難であると当院の外科医も言っています。鍵となる放射線治療医も大学に派遣を依頼するということですが未だ招聘できる目処はたっていません。
現に厚生連病院の中では当院よりはるかに急性期に特化した基幹病院である篠ノ井総合病院ですら、放射線治療医の招聘の目処がたたないため再構築の計画の中では将来的な治療機器設置場所の計画のみにとどまっています。

このような状況なのですが院長はリニアックの導入は、がん診療部会での決定事項であり放射線治療機器の導入はするのだと言っています。一般職員の全く知らぬところで県議と院長で補助金が申請がすすめられ、まるでそれが病院の決定事項のように物事が進んでいくことに恐ろしさを感じます。
がん診療を熱心に行なってきたわけでもなく2年後には定年となる院長が何故今、突然リニアックにこだわるのか理解できません。ハコをつくりキカイを入れることが実績になるとでも思っているのでしょうか?

結論として地域医療再生基金をつかってのリニアックの導入はあまりにリスクが高すぎると言わざるを得ません。

一番の懸念は職員の士気(モラール)の低下、それから引き起こされる医療崩壊です。

県からもその実現性を懸念されており、今からでも他のがん診療関連(緩和ケアなど)のプランに振り替えることもしっかりとした計画があれば可能であると言われており、メンツにこだわらずまずは当初の計画通り老朽化した病棟の建て替えを中心とした計画を行うべきです。
リニアック導入はその後に考えていけばいいことだと思います。

なぜ、安曇総合病院への放射線治療機器という話しに?

まちの病院がなくなる!?

2012年03月12日 | Weblog
北アルプス地域ケアシンポジウムの第2回として、城西大学の伊関友伸(ともとし)先生を安曇総合病院にお招きし当地域の医療再生のヒントとすべく講演会が開催された。
地域住民、病院職員の他、医師会の先生方や行政職の方の大勢の参加があった。
院長、次期医師会長、保健所長の挨拶のあとに講演があった。


(座長であったためこの角度からの写真)

講演の内容を箇条書きでまとめてみる。

医師不足の様々な要因(医師数の抑制、高齢長寿化、病院での死の増加、医療の高度化専門分化、女性医師の増加・・・)
かつては一人の内科医がみていたものも複数の臓器別専門科の医師がみるようになったということ。
月~金の日勤帯以外の平日夜間や休日の時間を何人の医師で担うかが重要になるとうこと・・。(例えば緊急内視鏡のできる医師)
卒後臨床研修義務化により若手医師の大学病院離れがすすみ、地方の病院から大学病院や基幹病院に医師が引き上げられ地方の中小病院の医師不足が決定的になったということ。
若い医師には教育の環境が、年配の医師には休める環境がなければ医師は集まらないということ。
そのためにはある程度の集約化は必然なこと。
安曇総合病院の精神科や整形外科ではある程度人数が集まり教育の体制もあるから若い医者があつまるという好循環がうまれていること。

医療の高度・専門化に対応した病院と医療の高度・専門化に対応できない病院に二極化が進んでいること。
住民、そして政治家が無理をいって医師が集団離職し病院が成り立たなくなり2人の患者さんのために92人の職員を雇用し毎月8000万円の赤字を垂れ流した公立病院の実例。
そして地域医療再生のためにいくつかの病院が事業母体を超えて統合した実例。

特に地方の病院では総合医が重要だということ。
総合医は地域の複数の病院や医療福祉機関が連携して育てていくことが重要だということ。
当地区でも良い総合医養成のプログラムをつくり若手医師をあつめることは可能であろうということ。
しかし志のある医学生を、ただのまして食わせても来ない、いい先生とじっくり語り合える場をつくることが重要なこと。

医療が福祉の肩代わりをするのではなく行政がきちんと主導して地域に必要な福祉を根付かせることが重要なこと。
行政がきちんと動かなければ福祉ビジネスがはびこる土壌になりうること。
旧藤沢町の小さな病院と老健が核となった地域包括ケアの実例。

精神医療は長期入院患者の地域移行と病床削減という流れではあるが、一方で総合病院精神科の高密度高機能な病床機能はますます重要性がましているということ。
厚生連の病院である安曇総合病院も池田町の有志が土地をうった代金をもとに作られ、過去にも分裂の危機を乗り越えてきたこと。
地域住民も当事者であり、行政と住民の他に医療専門職がいるため、地域医療再生は民主主義のよいレッスンたりうること。
病院もきちんと情報公開してみんなで議論することが大切なこと。
厚生連の病院は日赤や済生会などと並んで税制などでも優遇される公的病院といわれるが公的病院は次のような9原則があるということ。

・・・今回の目玉はこの9原則であった。

公的病院の9原則。

1. 普遍的且つ平等に利用し得るものであること。
2. 常に適正な医療の実行が期待しうること。
3. 医療費負担の軽減を期待しうること。
4. その経営主体は当該医療機関の経営が経済的変動によって左右されないような財政的基礎を有し、且つ今後必要に応じ公的医療機関を整備しうる能力(特に財政的な能力)を有する者であること。
5. 当該医療機関の経営により生ずる利益をその医療機関の内容の改善のための用途以外に使用しないような経営主体であること。
6. 社会保険制度と密接に連携協力し得ること。
7. 医療と保健予防の一体的運営によって経営上、矛盾を来さないような経営主体であること
8. 人事行務等に関し、他の公的医療機関と連携、交流が可能であること。
9. 地方事情と遊離しないこと。


民間病院も医療の一翼をになっているが、特に公的病院は地域や医療システム(特に保険制度)を守る使命があることがわかる。
この9原則は古い厚生連の文献から発掘されて厚生労働省も知らなかったという。
今後も公的病院と認定される病院や病院グループもでてくるのだろうか?

この9原則から考えて安曇総合病院の再構築はどうあるべきなのか。

驚いたのは伊関先生が地域医療の歴史(健康保険や国保、厚生連)に深く関心をもたれており次はそのテーマでの本を準備されているということだった。佐久病院史や若月俊一著作集も読み込んでおり、当該地域の医療の歴史や現状に関してもよく調べておられた。

市立大町総合病院や安曇野赤十字病院との連携や役割分担がうまく出来ず、地域医療再生資金でリニアックとICUを作り急性期医療をやらなければ安曇総合病院はおしまいだというような外野からの一部の声に翻弄されていっこうにまとまらない再構築の計画ではあったが、伊関先生の講演でヒントと元気をいただき希望が見えてきたような気がする。

やはり、やたらと新しいことに手をださず、今いる医療者を大事にして、がん診療も救急医療も高齢者の支える医療ももう少しづつ丁寧にやればいいのだ。
救急はまず当直医の専門外などの理由で初めから見ないということをなくすことだろう。
救急外来に出ている医師のレベルを底上げすべく医師、看護師で救急の勉強会などをおこなうことが必要だと思う。
高齢者に関しては老人保健施設や回復期リハ病棟、緩和ケア病棟をもち在宅医療のネットワークを充実させ、長期化した入院患者さんによる満床で当院で見ている高齢者の患者さんを本当に必要なときに断らなくてもすむような体制にしよう。
安曇野赤十字病院の救急部の藤田先生は北の砦を宣言しているのだから、当院で手にあまる血管系の救急などに関しては松本より20分は近い安曇野赤十字病院の救急部門をもり立てていければ良いのではないか。
その代わりに精神障害をかかえる合併症の方、回復期リハビリテーションを必要とする方、在宅高齢者などは早期に転院してみていけば良いのだ。

政治家には松糸高規格道路の早期建設に力を入れてもらおう。
そして例にあげられたように大北地区(市立大町総合病院、安曇総合病院)にも例えば信州大学の地域医療推進学講座(厚生連や長野県の寄付講座)の分室を置くなどして一般内科、総合診療・家庭医療を中心とした教育をおこない総合診療医のチーム根付かせることである。

長野厚生連の盛岡理事長も言っているように今後はリニアックの計画はいったん白紙に戻した上で、いよいよ再構築のマスタープランを本格的につくっていくわけであるが、住民も行政も地域の各病院の職員も医療専門職、皆が当事者として地域の医療のありかたを真剣に考え優先順位の高い課題を一つ一つ解決していければと思う。

地域で病気とつきあいながら暮らす方法(せいしれんセミナー)

2012年03月11日 | Weblog
平成24年3月9日、長野県内のいろんな団体から400人以上の当事者や支援者があつまった「せんしれん」の精神保健福祉セミナーが松本市の美ヶ原温泉、ホテル翔峰で開催された。

このセミナーは今年で19回目だそうで、支援者もサポートするが実行委員はみな当事者だ。
当事者の中にはお金を積み立てて毎年参加して泊まりがけで宴会に出るのを楽しみにしている人間も多い。
会場も県内各地から集まりやすく400人収容できる会場があり宴会、宿泊もできる場所ということで近年ほぼこの翔峰で行われているそうである。
私は2年ぶり、2回目の参加だが、昨年は会の最中に震災があったそうだ。

午前中は開会式のあと十勝障がい者総合支援センター理事長の門屋充郎氏の講演、「共に歩み、道を創る」だった。
私は朝、病院にいってから会場に向かったので残念ながら間に合わず講演を聞くことは出来なかったが、お昼の時間にすこしお話することができ帯広での取り組みなどをうかがうことができた。
氏はPSWの草分けで、地域に生き場、行き場、活き場を作り続けてきた方で、やはり合言葉は「リカバリー」「当事者の参加」のようだ。



午後は6つの会場にわかれての分科会だった。
松本の当事者グループ、アンダンテの会の小澤さんから推薦いただいて、分科会の一つを「ワークポートの野岸の丘」のメンバー、スタッフと企画させていただいた。
精神科の医師が参加する分科会は毎年一つ企画され、当事者の参加が多いが一方的なレクチャーになってしまったり個別の質疑応答になってしまいがちである。
短い時間でみんなが元気になれるセッションをどう企画するかということで頭をしぼった。
結局、鉄拳風に「◯◯は嫌だ。」シリーズで緊張をほぐしたあと、会場の皆の意見を聞いて、その後、最近のトレンドのミニレクチャーという構成にした。
本当は着ぐるみでコントをしたかったが今回は間に合わず・・。

スライドはこちら

会場のみんなが参加でき、思ったことを言える場をということで、会場での即席アンケートをしたり意見を募集したが発言もけっこうあってまずまず盛り上がった。
積極的に発言してくれる方が何人かおり、会場が和室で座布団だったこともあって参加者も次々と手をあげてくれ、ちょっとした大喜利のような雰囲気になった。
みんな薬や医者、病院、支援者に対して言いたいことは結構あるようだ。

「幻聴などをなくして自信を取り戻せる薬がほしい。」
「病院の待ち時間が長くて診察時間が短すぎる。」
「医師に言いたいことが言えない。」
「医師が交代するときが、自分のことをもう一度つたえていかなくてはいけなくて大変。」
「親戚が親の介護をしろというが自分は本当は働きたい。」
「近所付き合いで自治会の役をどうすればいいのか。」
「回覧板を止めないことが目標・・・。」

などなど・・・。
「受診の前に言いたいことをまとめている」、とか、「お薬手帳を使うといいよ」とか、「区長だけはやめておけと言ってもらってほっとした」など会場からも解決法のアイディアもでた。

途中で寝てたり出て行ったりする人は少なかったのでよかったと思う。
あとで良かったという声も結構聞いた・・・。



その後、大交流会にも参加、県内各地に当事者、支援者の知り合いも増えてきた。
専門職(特に病院の専門職)の参加はほとんどなかったが、こういう当事者主体の行事に参加すると文化をつくっていることを実感できる。
参加しないのはもったいない。