リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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参議院議員選挙に向けて

2013年06月27日 | Weblog
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)は徹底して反民主主義、反国家です。

TPPを一言で言うと各国が脈々と守り、作り育ててきた環境や医療、農業、教育、制度などの社会共通資本(インフラ)を、諸国民によるていねいな議論をすっとばして、ぶち壊しグローバル資本主義の都合の良いルールのもとで市場原理の渦の中に放り込むという企てです。

「平成の開国だ、バスに乗り遅れるな」という勇ましい掛け声で参加を呼びかけていますが、その実は平成の壊国であり地獄行きのバスかもしれません。

TPPで最も恐ろしいところは生活のあらゆる分野にわたるルールを決めるのに、秘密主義で期限を区切って参加する決断をせまってくるところです。

参加国の国民の、そしてその代表である国会議員すら知らない所で、交渉は秘密裏にすすめられ、でてきた大量の交渉決定事項を読み解いて検証する間もなく批准をもとめられる。
そして批准後、4年間はその議論の詳細は秘密にされます。
国際条約というのは批准すれば、関わる国内法もすべてそれに合うように改定しなければならなくなります。
そしていったん批准してしまったら、それを変えるのは容易では無いのです。

なぜ生活全般にかかわる21もの分野にわたるルール作りを明るい場所での丁寧な議論も抜きに、我々の預かり知らぬ所で、一部のグローバル資本の代表の人に一括して決められなければならないのでしょうか。
これを民主主義の否定と言わずしてなんというのでしょうか。

日本も国をあげた交渉チームなどを作って交渉に臨んでいるといいますが、その交渉内容を各国の議員すら知らない。
こういうよからぬ企みだからTPPは決して明るいところに出せないのですね。
光にさらせば、その正体がバレてしまう。そうすれば、さすがに反対運動や暴動が起きるでしょうから。

グローバリズムの正体に気づいた人達によって実際にオキュパイ・ウォール・ストリートなど反グローバリズムのデモが世界中でおきている。この流れを我が国でももり立てていかなくてはいけません。

グローバル資本の一部となった大手マスコミもTPPには決して光をあてようとはせず、スポーツ界の内輪もめスキャンダルのようなどうでもいいようなニュースばかりを日々流している。そしてTPPを報道するときは農業問題などに矮小化して報道する。

そして大手メディアは衆議院議員選挙のときと同様、参議院選挙の直前にはきっと中国や北朝鮮の軍事行動などをことさらにクローズアップし、日米同盟強化が必要であり、アメリカ様の機嫌をそこねてはならずTPP参加は避けられないという論調にして盛り立てられることでしょう。

大きな事件や事故、大災害のあとの国民が思考停止した時期に、強引な政策を通してしまうショック・ドクトリンのプチ版ですね。

希望はネットメディアや地方紙、市民メディアです。

しかしTPPには著作権侵害の非親告罪化などを通じて、こうったネットメディアを通じた市民活動を監視し抑制するような言論の自由すら奪いかねないルールも忍び込んでいるのです。
民主主義を守る闘いは今が正念場なのです。

小泉総理の後をついだ安倍総相は成長戦略、構造改革、規制緩和なんて勇ましいことを言っていますがTPPはこういった一言で言えば「無法地帯」にお墨付きをあたえるということです。
弱者を守るルールやシステムがなくなり無法地帯となればどうなるか。

弱肉強食の世界ですね。
格差は間違い無く増大し、中間層はいなくなり、社会共通資本は破壊されます。
これを文明の後退といわずしてなんというのでしょう。

食いものにされようが企業に利益が出て利用されているうちはいいでしょう。
しかし状況が変化して利益がでなくなったときにグローバル企業やグローバル資本家、いわゆる上位1%たちが諸国民(いわゆる99%)の生活ことを考えるでしょうか?企業の利益に貢献できなくなった人を守ってくれるのでしょうか。7代先の未来まで見すえた政策をとれるでしょうか?

国家という歯止めがなくなれば、労働の規制がゆるく、環境基準がゆるいところで生産し、知的財産は独占し、市場があるところで儲け、税金の安いタックスヘブンで最低限の税を収める。
さまざまなコストを国家に押し付けているのにもかかわらずです。

そして得た利益は上位1%で山分けです。
税金として納めて、その使い道は選挙で選ばれた議員が議会で決めるという民主主義の手続きを経て所得が再配分されることはない。
弱者は徹底的に切り捨てら置いていかれます。こうして格差が拡大しますが、これがのちのちコストとして跳ね返ってくることは短期的な利益の前には無視されます。

マネー資本主義の胴元は場が大きくなり荒れれば荒れるほど儲かります。
そのための手段としては戦争だって厭いません。

国家のもとでは建前としては弱者を切り捨てることなく、全員が社会の一員として尊重される。そういった仕組みを担保している国家を飛び越えて、市場原理優先のルールが決められてしまいます。
宗教の力も弱く、家族福祉、ついで企業福祉の弱体化してきている我が国で公的福祉の仕組みさえ破壊されてしまったらどうなってしまうのでしょう。

しかし安倍政権は憲法改正や生活保護法の議論などをみても、そういった国家の役割を自覚しているとは思えません。
むしろ逆行しています。

既得権益とよばれた既存の組織、連帯、仕組みなどはこの機会にすべて解体されTPPはこれらの環境、労働、市場、知的財産などの基準がすべてグローバル企業にとって都合のいい形に統一されてしまいます。

日本で特にターゲットにされているのはJAと医療保険制度ですね。
我が国の農業と医療にはもちろん変わるべきところはありますが、それはTPPとは切り離して論じられるべき問題でしょう。

世界のルール作りといってもアメリカが入った以上、世界一の軍事力や基軸通貨をもつアメリカのルールになります。その結果、世界がアメリカ化します。
狩猟民族で多民族国家であるアメリカのルールが農耕民族の日本にも適応される。
能力のある人、頑張った人は報われるべき、自己責任論なんて便利な言葉がありますが、頑張れるための土台の条件もまちまちであり、ほんとうの意味での自己責任なんてなかなか言えるものではありません。

セーフティネットの一つとしての医療、特にそのなかで弱者を対象とした医療の第一線でいるとそう感じます。

医療の分野で言えば混合診療の導入が話題になりますが、それが名目上、回避されたとしても知的財産保護期間が延長され安いジェネリック医薬品が使えなくなり、診断、治療法どの世界に特許もが持ち込まれるかもしれません。
特許料の支払いのために医療費が値上がりし、限られた社会保障費というパイを奪われ、医療保険制度が破綻し、自己負担が増大します。そうして国民皆保険制度は形骸化してしまうでしょう。
お金がない人は良い医療がうけられなくなり、命に格差がうまれます。

そういった不安をついてアメリカンファミリーやアメリカンホームダイレクトなどの民間の医療保険の市場がうまれていきます。

しかし日本では、皆保険制度を調査したヒラリー・クリントンが驚愕したように、ほとんどの医療者は自分が多大な利益を得ようなどとは考えておらず、医療の現場の第一線で最後のセーフティネットをまもるべく、知識や技術はグローバルで最先端のものを得ようと心掛けながら、徹底的にローカルに地道な医療活動に邁進しているのです。

TPPは安全保障問題でもあります。例えば穀倉地帯が干ばつなどで世界的に農業生産量が減少した時に、日本の食糧をどう守っていくのでしょうか。これから先のことを考えれば、Food、Energy、Careのインフラのコアの部分は地域圏内で自らの手で自給すべきですが、それを許しません。

労働環境も世界基準で悪化し、使い捨てが許されるようになります。

労働者は一部のクリエイティブクラスと多数のマックジョブ(マクドナルドの店員のようなマニュアル化された仕事)にわかれるでしょう。

老若男女、障害の程度にかかわらず、すべての人に居場所と出番がある全員参加型社会をつくるためには多様な仕事が必要です。
そもそも器用には生きられない障害者の就労などは徹底して、アンチグローバリズムです。効率性など求められない所で勝負するしかありません。
高齢者の生きがいである零細な農業もそうですね。

農村部の実家があるひとは幸せでした。
都会で傷ついた時に温かく迎えて居させてくれるセーフティネットでもありますから。
しかしTPPに参加すると、そんな農村は荒廃して失われてしまうかもしれません。

憲法改正、TPP、原発、沖縄などの問題は同じ一連の流れのなかにあります。

問題は、我々の代表であるはずの国会議員や内閣が国民のために働かず、すっかり多国籍企業の側についてしまっていることです。これをコーポラティズムといいますが、最近の動きはひどいものだと思います。

先の選挙で我々はTPPや原発、消費税増税の是非を問うことはできたでしょうか?我々は何を選んだというのでしょう。
財界が民主党と自民党の二股をかけ。維新などの第三極を演出したことで選挙自体が無力化されている現状があります。
そしてTPP反対を掲げて当選したはずの我々の選挙区から選出された務台俊介議員も山の日制定に関しては熱心ですが、TPPに関してどのような具体的な行動をとっているのか、今後とるつもりなのか、国民としてどのような動きをすればよいのか問うても、だんまりをきめこんでいます。
党からのなんらかの圧力でもあるのでしょうか。

国会議員すらパーキンソンの凡俗法則に毒されています。

反民主主義のTPPから国家や制度、環境などを守ることこそ国会議員の仕事のはずで、ましてや公約に掲げて当選したのですから、TPP阻止に関して何もしないということは許されることではありません。

主権者である国民は選挙を通じて政治参加するだけではなく、選挙で当選した議員を応援し、監視し、きちんと公約を守って働いてもらうことも大切です。

参議院選挙ではこういったことを考えて一票を投じ、その後も議員がTPP反対に動きやすいように市民活動を盛り上げて応援することが大切でしょう。

罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦

2013年06月16日 | Weblog
地域の病院で何でも屋の精神科医をしていると、否応なく司法精神医療や矯正医療などにもかかわらざるをえない。
バザリアらによるイタリアの精神医療改革は有名であるが、イタリアの犯罪者の処遇について書かれた本があったので読んでみた。

罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦―隔離から地域での自立支援へ
浜井 浩一
現代人文社


日本では刑事司法システムを構成する、警察、検察、裁判、矯正、保護が縦割りで分断されており、刑事司法と福祉が二律背反的に分離し、連携が全くない。日本では刑罰は更生ではなく応報が目的と考えられ、法曹は更生=謝罪・反省どまりの思考である。
そんななか山本譲二氏の「累犯障害者」などでも描かれたように、知的障害者や高齢者などの社会的弱者が微罪で刑務所に入りやすく、出所後も支援が乏しいため再犯をくりかえすという悪循環がうまれている。これは早急に手をうたねばならない課題である。

イタリアの制度に共通しているのは、社会的に困難に陥った人に必要な支援を届ける、その際に、困難に陥った理由によってクライアントを差別しないということにある。
障害者も薬物依存者も受刑者も困難から回復するための支援が必要な人として等しく支援を受けることができる。イタリアでは行政の中に、犯罪は司法の問題ではなく、社会問題であり、市民が社会的困難を抱えることによって犯罪が生まれるという認識を共有している。
すっかり有名になった精神医療改革と同様の方法で、司法でもソーシャルワークを中心とした地域ネットワークによる犯罪者の社会復帰モデルにより、社会資源を有機的に連携させながら活用することで対象者のニーズに即した効果的な処遇を実施することができる。
依存症者は罰せず、地域依存症サービス、居住型、通所型の治療共同体、就労支援を行う社会協同組合までが有機的に連携している。

乏しい予算措置しかせずに一部の病院にまるなげしたり、安易なセンターやコーディネーターばかりを増やすが、実力とネットワークを持った医療者やケースワーカー、地域の資源が育たない日本。
われわれがイタリアから学ばなければならないことは多そうである。