リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

★お知らせ★




思うところがあってFC2ブログに引っ越しました。 引越し先はこちらで新規の投稿はすべて引越し先のブログのみとなります。

ACT-K こころの医療宅配便

2010年02月25日 | Weblog
厚生省が音頭をとって始めたACT-Jは種々の理由であまり上手くいっていないらしい。

一方で高木先生らが京都で始めたACT-Kは軌道に乗っている。
多職種のチームは医師、看護師、作業療法士、精神保健福祉士、臨床心理士。薬剤師・・・
またピアサポーター(当事者)も必要に応じて関わる。
また京都では学生が多いので福祉系にもボランティアとして参加してもらったりもする。
チームでやるなら同じ値段じゃなきゃいかんとPSWとNsも同じ給料で始めた。

精神科訪問看護はやっているというところは多いと思われるが、病院に入院できなくなったかわいそうな人だからせめてこれだけはという訪問看護ではない。
精神科訪問看護と言えば「くすりのんでますか?」という。
これをアリナミン訪問看護というそうだ。

精神障害とともに暮らしている人はほんのささいなところでつまづく。
彼らの小さなニーズを大切にして、そこに関わることが何より大切だそうだ。
そしてたいていのことは医者がいなくても出来る。
むしろ医者はジャマなだけ。

たとえば家が散らかり放題で片付けられなくてしんどく何も出来ないのに入院して薬の調整というのでは支援のピントがずれている。
両親のことで悩んでいての入院は一時の避難にはいいかもしれないが、構造が変わらなければ退院したらまたそのままだ。

ACTのスタッフはみなケースマネージャーになり一人につき10人程度まで担当する。
こういった制限がないのが日本の医療福祉の悪いところで制限がないと質を保てないし熱意のある善意の人ほど早くばてて燃え尽きる。

そして13人程度のACTチームで地域の100~150人を支える。
場所は30分で行ける範囲内。ピザの配達の範囲内くらい。
そして150人中20人くらいは薬をのまないまま見ているそうだ。

チームで対象者の情報は共有し、夜間休日はスタッフが交代で緊急電話当番を受け持つ。
精神障害を抱える方は夜に救急外来に来ることが多いが、それは昼間のケアができていないからだという。
日常の適切な対処さえあれば、電話相談は多くても実際に夜間や休日に緊急の訪問や対処が必要になることはめったにないという。
そして時間外に動いた分の報酬は、時間外に言った人に全て与えるという仕組みだ。
これは事業としては正規の時間で成り立つべしというポリシーから来ている。

夜間や休日に調子を崩すきっかけというのは本当に些細なことだそうだ。
たとえば薬が一日分足りないとか・・・。
たいてい電話相談ですむことだ。

ACTでは家族の支援も重要な役割である。
そもそも精神障害者の家族会は身体や知的障害者の家族ほど活発ではなかった。
それはやっと子育てが終わり成人、社会にでるころ発病するということもある。
そのころには親の生き方やスタイルも固まってしまっているから。
そしてとにかく病気だから治るはず、良くなるはずと医者巡り、病院巡りをする。
しかし障害はどうしても残る場合が多い。
家族は立ち直れないが、専門家は良くならない原因を家族のせいにしたり、社会も家族に全ての責任を負わせようとして来た。
世間は親子だろうというが、じつは人間関係の中で親子関係が一番難しいのである。
家族も当事者であり、本人にも家族にももっと自分らしい人生を楽しむ権利、生きていてよかったと思えることが必要である。

保健所や診療所などから適当な対象者がいればACTーKチームに紹介される。

ACTチームでは月にのべ1200回の訪問。
そのうち1割くらいが診療報酬の算定ができない無償の訪問になるそうだが、これが大事。
医療や福祉のわるいところはお金がでないことはやらないことだという。
しかしそれではニーズがこぼれ落ちてしまう。
他の業界でもサービスが先、見積もりは無料でつくるなどは普通のことだ。
お金はあとからついてくる。
ニーズに応えて活動していれば後追いで制度化もされるだろう。
ACT-Kは初めて3年目に黒字になった。
スタッフには同年代の平均以上の給与をだせるようになったという。

スタッフはとにかく訪問し、小間使いになり、地域の潤滑油になる。
時にはコーヒーやタバコなども差し入れる。訪ねるのだから手みやげをもっていくのも当然だという。
時には職場に同行したり内職を配達することもある。
敏感で気を使いすぎてしまう人たちに会ってもらってよかったと言う人間関係をつくる。
泊まり込みの支援もおこなうこともある。

まず支援を受け入れてもらう関係をつくるところから大変なのが精神障害なのだ。

統合失調症で急性期と呼ばれている病態の多くは日常生活へのつまずきの表現である。
生活の現場でおこっているストレスへの反応なのだ。
やむを得ず入院となった場合は担当チームのだれかが週一回程度は病院へ訪問するようにしている。
(これは無料サービスになる)
このように病院の外からACTチームが積極的にかかわるから退院支援もスムーズに行く。

ACT-Kはこのように活動しているそうだ。

ACT-K 精神障害者の地域移行は必然

ACT-Kこころの医療宅配便

ACT-K 専門性の時代


こころの医療 宅配便
高木 俊介
文藝春秋

ACT-K 精神障害者の地域移行は必然

2010年02月25日 | Weblog
ひさびさの更新。

先日、京都でACT-Kという取り組みをされている高木俊介先生の講演を聴く機会があった。

ACT(Assertive Community Treatment) と は、重い精神障害を抱えた人が住む慣れた場所で安心して暮らしていけるように、様々な職種の専門家から構成されるチームが支援を提供するプログラムのことだ。
包括型地域生活支援プログラムと訳される。
ACTのような方式がこれからの精神福祉の中心となっていくことは間違いない。

我らが地域にもということで今回は松本地区の精神障害者の当事者の会アンダンテの会が主催。
病院の同僚やいつもお仕事をさせていただいている支援者、当事者や患者家族の方もたくさん参加。
支援者、当事者、家族がそろって勉強するこういう講演会もいいものだ。

「統合失調症」という病名の名付け親でもある高木先生は精神障害者の苦難の歴史からACTがうまれたの必然までユーモアと辛口をまぜながらお話しであった。

ACTを理解するためには、まずは歴史的背景が必要とのことで歴史の話から・・・。

かつて日本では多くの精神障害者は地域に混じって暮らしていたという。
座敷牢で私的監禁というケースも確かにあったが、統合失調症ののおババも調子が悪くなるとブツブツいって神経の方に神が乗り移ったなどと言われつつもそれなりに尊重されていたのだ。

そして太平洋戦争~終戦、石炭から石油へとエネルギーの主役が代わり、産業の主役は林業や農業などの第一次産業から第2次、第3次産業へと移った。
日本が工業国として栄えつつあった高度成長期、内陸部から臨海部への若者の人口移動があった。
そんな流れの中で高齢者や障害者は「生産阻害因子」とよばれ、どこかで集めて面倒を見ましょうということになった。
そして精神病者は病気なんだからちゃんと治さないとということで人里はなれた精神病院にあつめられた。
英、仏、米、伊で地域精神保健が動き出し精神病院の解体がはじまろうとしていた1960年代、医療金融公庫による融資で民間精神病院が大濫造されていった。
国の政策で医療スタッフも少しでよいということで民間の精神病院がものすごい勢いで増えていった。
患者を集めるために往診がおこなわれ浮浪者などをどんどんあつめ、黄色い救急車がさらっていくという都市伝説がどこでも聞かれた。


高度経済成長の波の中で、障害者は捨て石となった。
ボロボロの病院も経済成長のおこぼれできれいになり皆が幸せになるといわれた。
20年かけてリンチで患者を死亡させた宇都宮病院事件や、レイプ事件、ポチとよばれた男事件などでそれはウソだということがわかったのだが・・。

そして気づいた時には日本は障害者収容列島となっていた。

しかし障害者は病院や施設へ入れていたらいいという時代はおわった。
それは一つには人権の問題。
そしてもう一つは経済的余裕の問題。

たしかに昔は施設化すると安上がりだった。
障害者を収容所のような劣悪な施設に入れておくことでコストもかからず、家族も高収入の得られる仕事にいけた。
しかし高度成長がおわってみると仕事がない
施設ケアもちゃんとやると人件費がかかり、施設の建て替えにもお金がかかる。
その一方で地域化は施設ケアと比べてもコストがかからず、長期入院の患者が地域へ移行することで35万人の消費者、35万部屋の利用がうまれる。
巨大民間精神病院がすいとっていた患者の年金や生活保護が地域で回るようになる。
働ける人は働いて、働けないくらい重い人も幸せになって消費しましょう。
脱施設化をすすめるしかない。ということである。

「精神障害者福祉のこれから」という厚生労働省の答申もこの方向である。
当事者も家族もこれからはこの方向でものを言っていけばいいのである。

地域で重度の精神障害者が暮らしていくために重要なのは、訪問の充実、そして家族の支援である。
日本でもいろんな職種のチームが重度の人を地域でささえるACTモデルでやりましょうということになった。

(つづく)
ACT-K 精神障害者の地域移行は必然

ACT-Kこころの医療宅配便

ACT-K 専門性の時代

ACT‐Kの挑戦―ACTがひらく精神医療・福祉の未来 (Psycho Critique)

高木 俊介

批評社


このアイテムの詳細を見る

病院の障害者雇用支援事業

2010年02月08日 | Weblog
これまでのエントリーで述べてきたように、障害者をあえて自立させないパラドックスを克服し「福祉+事業」を推進していくことは、だれにとってももっともっと働きやすい職場、生き甲斐を感じられる職場、そして地域社会、日本へと変えるきっかけになると思う。

そのために私たちはどこから手をつけていけばよいのだろうか。
まず自分たちの足許から出来ることを始めることであろう。
そして障害者就労を支援する立場の人が、まずおこなうべきことは自分の所属する組織の見直しであろう。
あなたの組織(会社)は1.8%の法定雇用率をクリアしているだろうか。
どんな人たちが働いているだろう。
みんな活き活きと働いているだろうか?
もっと得意な人に任せたほうがいい仕事はないか?
飛び抜けてユニークな人たちが活躍できる仕事はないだろうか?

私の勤務している安曇総合病院でも、そういった問題意識から昨年より精神科部門のスタッフや人事課職員などが中心となって病院長の肝いりで「就労支援室」を立ち上げ障害者の雇用支援事業を積極的におこなっていくことになった。
当院はJA長野厚生連の病院(農協の病院)でもあるから、これまで農業への精神障害者の就労支援などをおこなってきた。
しかしまずは病院内で障害者とシェアできる安定した仕事はないだろうかと考えていたところ、たまたま食器洗浄の仕事がみつかり、ここを手始めに精神障害者と支援者でシェアしていくことになった。
このとりあえずやってみるというノリとフットワークの軽さがいい病院だと思う。

しかし、これまで精神ディケアを利用していた方も職員として働くことになるからディケアの収入は減る。
地域の作業所も作業能力の高い障がい者は作業所の働き手として、施設が手放したがらず、あえて自立させないということもよくある話。
この辺がまさに障害者をあえて自立させないパラドックスである。

障害者雇用支援の取り組みとあわせて職員のメンタルヘルス(職場環境)の向上への取り組みをおこなうことに。
だれもがイヤイヤやる仕事(Labor)ではなく、すすんでそれぞれのMissionを使命感に燃えて楽しくやる仕事(Work)できる働く環境づくりだ。
ES(Employee Satisfaction・従業員満足)なくしてCS(Customer Satisfaction・顧客満足)なし。
目指すのはDecent Workだ。

さっそくいろいろ問題点も見えてくる。
制度上も週20時間を越える雇用ではないと法定雇用率の算定人数にはならないそうだ。
これでは、まず数時間からはじめるなどというフレキシブルな対応がやりにくい。
しかし3ヶ月間のトライアル雇用という制度は使えそうだ。

外部からは「障害者をつかって安くあげているんだろう」などとうがった見方をする人もいるかもしれない。
見えにくい障害である精神障害をかかえながら、就労をしてはうまくいかないことを繰り返している人もたくさんいる。
対象となるのはアルコール依存症から回復を目指す方や統合失調症慢性期の方、気分障害の方、高次脳機能障害の方、発達障害の方などで失敗を繰り返し自信を失った人たちだ。
それぞれの人で抱える障害、困難さは違う。
病院であるから障害特性への配慮や働き方などへはきめ細かくおこなえる利点はあるのだろうが、支援者や一緒にはたらく同僚にとってもノウハウは乏しく手探りの状態であるから大変な苦労が予想される。

病院のパートとしての採用で最低賃金ではあるが、彼らがやがて働けるという自信とカスタマイズされた工夫を得て他の仕事にも挑戦していけるようになっていくことも目的である。
もっともそれだけの賃金では生活していくことは困難であるから、ほとんどの人が障害年金を受給して生活している人である。

このようにして約3人分の仕事を10人以上の精神障害者と支援者でワークシェアリングをおこなう。
こういった事業がすすむことで我々も一人一人、長所や短所があり能力特性が違うという理解もすすむに違いない。
今後も病院内でさらに仕事を開拓し、スタッフのユニフォームの洗濯場や食堂などにも障害者雇用の場をひろげていく方針である。

しかし病院だけで仕事を探しシェアしていくのでは早晩行き詰まるだろう。働きたいけれども仕事がない人は沢山いるのだ。
結局は社会全体でも仕事をシェアしなければならない。
そしてそれは地域づくり社会づくりなのだということに突き当たるのだとおもう。

やっと動き始めた「就労支援室」。
生きるのに苦労している人と地域社会をつなぐ社会的事業に育てていきたいものだ。




事務長すてきです。なかなかの名文。


参考エントリー
ねば塾・年商1億5000万円の作業所

まずは病院が社会的企業でなくては

医・職・食・住・友・遊

障害者の社会参加促進は閉塞した組織や社会を変える突破口になる。

2010年02月07日 | Weblog
今回の不況は構造的なものであり、今後大きな好景気や経済発展は戦争や大規模災害でもない限り望めないだろう。
我々は経済が低成長がデフォルトである社会を生きていかなくてはならないのだ。
もはや社会には潜在的に(これまでの意味での)仕事がない。

そんな中で障害者は福祉サービス部門のサービスの受け手としての役割を期待されている。
そのため「あえて障害者を自立させないというパラドックス」が存在する。
このパラドックスのため障害者の雇用はなかなか促進されない構造がある。

主に知的障害の方が通う作業所などの賃金は時給にして100円台だそうである。
製造業の企業の下請けなどをやっていると東南アジアや中国などとのグローバルでの競争を強いられるからどうしてもそうなってしまう。
(100円ショップで売られている商品の安さなどは異常である。しかしそれは第3国の低賃金、低保障の労働の上に成り立っていることを忘れてはならない。そしてそれは回り回って私たちの首をしめている。閑話休題__・)
かといってよくあるようなクッキーや手すきの葉書、名刺の政策などでは商品性が低く収入が得られない。
作業所を支援するカンパ目的の物品販売の案内がよくまわってくるところをみると実際に事業として成り立っているところは少ないようだ。
ねば塾などの例外はあるにしても・・・。

しかも、現行の応益負担(!?)原則の現行の自立支援法下では作業所に利用料を支払って通うようになってしまったため自己負担分が負担となりこれまでのように通えなくなったり、賃金がモチベーションになっていたのに逆に支出の方が多くなるなどの逆転がおきている。

そしてさらに問題なのは、これらの福祉就労から一般就労の間には広くて深い溝である。
コミュニケーションに困難をかかええていたり、能力の片寄りのある発達障害の人、何度も傷つき社会参加へのエネルギーを失ってしまった依存症の方が、それぞれの能力に応じて働ける職場というのはなかなかない。

一般就労と作業所や授産施設といったモデルだけでは限界がある。

また症状の安定しなかったり無理できない精神障害者も大変だ。
働かない人と働けない人の区別は傍目には難しい。
だから働けない人は偏見に苦しむのだ。

多様な働き方ひいては多様な生き方が容認されない社会では、「働かざるもの食うべからず」といわれ毎日コンスタントに働き賃金を得るというプレッシャーが与えられる。
ただでさえ厳しい労働市場の中で障害をかかえながら仕事をえるのは大変だ。

精神障害はわかりにくい障害であるからオープンで行けば「大丈夫かな?」と思われて雇ってもらえず、クローズドで就職すれば仕事の内容や量が能力を超えていても「つらい、休みたい」となかなか言えず無理をして調子を崩してしまう。

就労訓練をおこなってから、職場に入るモデルもあるが構造化された単純作業自体が減ってしまい仕事が無い。

変わって今主流となってきているIPSモデルでは障害者が自分でやりたい仕事を見つけてきて、ジョブコーチが入り仕事のやり方や働き方などを一緒に考えて就労を継続するモデルである。
それでも障害をもつ人が単独で職場に入った場合、周囲に障害のことが理解されず、また理解されたとしても周りと同じように働きたいと言うプレッシャーから自分を追いつめてしまう場合もある。
結局、社会に居場所をみつけられずにこころに傷を残してやめてしまい引きこもってしまうこともあるだろう。

障害者雇用促進法に基づき常用労働者数56人以上規模の企業では1.8%以上の障害者(具体的には身体障害者手帳か精神保健福祉手帳)、特殊法人や公務員は2.1%以上雇用しなければならないという法律がある。

障害者雇用対策

法定雇用障害者数に不足する障害者数に応じて1人につき月額50,000円の障害者雇用納付金を納付しなければならないこととされており、その納付金を障害者雇用の推進のための資金として用いている。
しかしポーズとしては障害者の雇用を募集していても実際に雇うとなると厳しく納付金を払うことを選ぶ企業も多いようだ。

しかし過去に法定雇用率の平均が基準値を上回った例はない。(基準値は改訂で引き上げられてきて入るのもあるが)
これは突き詰めれば障害者は就労の場から排除されており、サービスの受けてとしておとなしくしていろということである。

企業にもっと障害者を雇いましょうと恫喝したり、補助金をだすようなことは対症療法にすぎない

障害者の雇用は、障害者にとっても企業にとってもメリットがなければ障害者の雇用は推進されない。

それでは、どのような仕組みをつくれば障害者の雇用が推進され、サービスの受給者であるという役割を担いながら社会参加が推進されるのだろうか。
まず障害者手帳を 社会参加サポートカードと名称変更し、障害に応じて今以上にきめこまかく配慮をおこなうべきであろう。
そして障害年金は社会参加手当てと名称を変更し積極的に支給し、彼らの生活保障は全面的に国が責任を負うべきである。
苦労しながらも生存権を主張し、支援者の仕事をつくり、堂々と社会参加して生きていくことをまず仕事として認めるきであろう。

その過程でフリーライダーが紛れてきてもよいではないか。
今だって役場や企業内の失業者だって沢山いるのだし(雇用された状態のまま雇用調整助成金で救済されている。)、その後に「生存手当て」としてベーシックインカムに拡大するのが狙いなのだから。

障害者の基本的な生活保障がなされればその分、企業福祉の負担が減り障害者雇用も促進されるだろう。
基礎的な所得の支給を保障した上で、それぞれの能力特性、障害特性にあった仕事をおこなえばよいのである。

精神保健福祉士や作業療法士などはまさにそのマッチング、ジョブコーチング、 キャリアカウンセリング のスペシャリストとしてどんどん活躍してもらえばよい。
支援者もサービスの受給者としての障害者がいることで仕事も得られ、障害者も能力に応じて仕事、役割を得ることができ社会参加が促進される。
これも広い意味でのワークシェアリングである。

障害や欠点は見方を変えれば特徴や個性、長所になりうる。
障害をかかえているからこそ見えること、出来ることもあるだろう。
出来ないことに焦点をあてるよりも、そういった価値転換がはかれないものだろうか。
支援者や周囲の人が障害をもちながらも生きている人から教わることは多いだろう。

多様な人を受け入れることができ、障害者がはたらきやすい職場はそうでない人にとっても働きやすい職場となる。
それは多様なものをみとめる文化へとかわることである。

硬直化し行き詰りつつある今の日本の雇用体制を打ち壊す突破口になるだろう。

参考リンク

Railでいこう! 知識経済に乗れない人たち

北の国は南の国に学ぶべし(ベーシックインカムへの道)

2010年02月07日 | Weblog
仕事と人生、そして幸福は同じベクトル上にあるのだろう。
出来ること、やりたいこと、求められていること。この3つが重なる生き方こそ幸せな生き方だろう。

「人間の究極の幸せは愛されること。ほめられること。役に立つこと。必要とされること。愛されること以外は、働いてこそ得られます。」(理化学工業 大山泰弘の著作より)
「働くことは万病に効く薬」(京セラ、稲盛和夫)

しかし社会にはもはや潜在的に仕事はなくなってきている。
化石エネルギーなどを使い機械をつかって効率化よく物を生産しているのだから当然である。
今は、全員が働かなくても全国民を養うことができる状態にあるのだ。
そして人は放っておいても仕事のやり方を工夫するなどして年に2~3%効率化してしまうそうだ。
だからそのくらいの経済成長が必要だそうだが・・。
欲望をエネルギーに増殖する資本主義経済は無限の資源、環境を前程としている。
しかし資源の枯渇や地球環境を自らも住めなくなるほど変化させてしまいかねない人類の活動の影響(文明の歴史の中で繰り返されてきたことではあるが。)によりこのまま大量生産大量消費の生活スタイルがつづけられないことは多くの人が感じ始めている。
であれば、経済活動をペースダウン、スローダウンするのは理にかなっている。
ICT技術の進歩で、情報を低コストで入手できるようになり必要以上の消費活動に興味のない若者たちのスタイル(シンプル族、嫌消費世代)はそんな時代に適応した生き方だと思う。
もはや、物を買えと消費をあおったところで笛を吹けど踊らずとう状態になっているのだ。
であれば、今度の不況は永続的なものであろう。

効率化した分、生きるペースをスローダウンして、皆でのんびりとかつての貴族のような生活を送ったり学問や文化活動にいそしめばいいと思うのだが、周囲を見渡すと忙しく働いて過労死寸前の人と、仕事がなく貧困にあえぐ人ばかりが目につく。

大学で狭い学問分野にひきこもっていても非難されないのに、家でひきこもり文化活動にいそしめばニートと批判される。
企業内で実質的に失業している分には(本人は辛い場合もあろうが)非難はされることはない、一方で失業者は命の危機にさらされる。
ニートも引きこもりも本人が幸せなら省エネルギーでいい生き方だと思うのだが。

北国の人はそのへんが下手だが、南国の人たちは仕事を分け合ってのんびりと上手くやっていると思う。
一年中作物に恵まれており暖房などにもエネルギーを使う必要のない南の国では、のんびりしていても許される空気があるのだろう。

現代人は、その意味において「潜在的失業者」である。
それは行政周辺の外郭団体の多さ、許認可の複雑さをみればすぐにわかる。
介護や子育て、地域社会への参加など賃金労働にならないシャドーワークは評価されない。
そういったことに自覚的でなく、たまたま賃金を得られる仕事を得ただけのものが「働かざるもの食うべからず。」という言説を失業者や若者に強要するという矛盾がある。

古代ローマでは水車の技術が発展したが、その使用は制限されていたという。
なぜなら、水車を使いすぎると、奴隷の仕事がなくなるから、という理由である。古代社会は効率第一ではなかった。
全員が食べれるように、仕事を万人に与える方が重要視されたのである。

インドもそうだ。
今なお耕作にあえて機械を導入せずに多くの人の手をかけて農業をおこなうという。
都市部では仕事場に家から弁当を運ぶのを生業として生活している人もいるらしい。

イギリスでは産業革命のころ、ラッダイド運動(打ちこわし運動)が盛んに行われた。
機械が人々の仕事を奪うものとして敵視されたのである。
ガンジーは糸車をイギリスの産業革命や植民地政策に対しての非暴力不服従の象徴とした。

仕事を分け合うため、あえて非効率を良しとする。
こういった発想も今後の時代は考えていかなくてはいけない。

例えば役所関係で大量の仕事が作り出されているが、これも広い意味でのワークシェアリングであろう。
どんな企業でも、企業内の失業者はいるし、役所なども予算の分まで人数は増大する。
箱ものを沢山つくり、意思決定や許認可を複雑にし書類にハンコをつく人が増えればそれだけ仕事も増える。
ITを使えば効率化できるだろうが、なかなかそうはしない。

どんな過疎地でも立派すぎる道路や公共施設の計画が立てられる。
1分1秒でも早く正確に移動するための道路や鉄道、空港などの建設が促進されている。
海岸や河川など自然環境にはそのままではいけないというように強迫的に手を加えられ改変される。

役所では「働きすぎてはいけない。」とまことしやかに言われる。
無理やり不要なことをして環境を破壊したり子孫に借金をのこされるくらいなら何もしない方がましだ。

しかしそのような働き方で果たして楽しいくはないだろう。
もう少しましなやり方はないのであろうか?
みなが創意工夫してそれぞれの天分を活かし自分の仕事をつくっていけるような世の中にならないものだろうか。

大企業の社員や公務員、教員などはうつ病などで休業しても、休業中の保証や復職に関しても手厚い配慮がえられる。
(いろんな企業や組織へのリワーク支援をおこなってきた立場からよくわかる。)
しかし若い臨時の職員や派遣労働者は企業福祉の恩恵にあずかることができずおちおちうつにもなれない。
実際に診療の現場でもこういったケースは多い。

そして正社員の雇用をまもるために雇用調整助成金が投入され、派遣社員や下請けの企業は雇用調整弁としていいように使い捨てられる。
大企業の終身雇用、年功序列を守るため若い世代の雇い止めが行われ、ハイリスクでありながら低賃金の非正規雇用につかざるを得ない。
失業者のうちで失業保険をうけとっているのは3割に満たないという。

これは実に、なんと不公平なことだろう。
ロスジェネ世代は親世代と同じような働き方をしていても、同じような夢を描けない。

企業福祉が成り立たなくなくなるような現状があるのであれば公的福祉をもっと充実させるべきであろうる。
あるいは国民全員を公務員にしてしまえばいい。(こうなってしまうともはや社会主義か?)
それができず複雑な税の仕組みや年金や生活保護などの許認可で仕事を増やして仕事を得た人と得られない人と間の不公平が広がっていくらいなら、まず所得を皆でわけあうことで生存権の保証を体現すべし。
その上で最低賃金もなくし、多様な働き方生き方を保証すべきであろう。

こうしたことを考えると雇用の保証から所得の保証へとパラダイムチェンジは避けられないだろう。

情報の入手や発信のコストが限りなく低下した社会はお金があまり意味を持たなくなる社会である。
目指すべきはGNP(Gross National Product~国民総生産)ではなくてGNH(Gross National Happiness~国民総幸福)を追求だと思う。

最低限の所得を保証した上で各々がそれぞれの天分に応じた仕事をすれば皆が幸せになれるではないか。
そのためには「政府が全国民に対して、一定の現金を定期給付する」というベーシックインカム政策を真剣に考えるべき時であろう。


参考リンク

投資十八番・・「労働」の意義とベーシックインカム

文化衝動としてのベーシックインカム
  ドイツの番組の日本語訳のためちょっと読みにくいが・・。

粗食のすすめ。

2010年02月03日 | Weblog
粗食はすすめられる養生法である。

江戸時代に貝原益軒によって書かれた「養生訓」にも長寿を全うするための条件の一つとして、あれこれ食べてみたいという食欲を我慢するということが書かれている。

聖路加病院理事長で97歳の現役医師、日野原重明先生は1日1,300kカロリーを目安に食べているそうだ。
そして、診療に講演にと飛び回っており、数年先の予定までうまっているらしい。

そもそも生物は飢餓の状態がデフォルトである。
われわれのご先祖様は、つまり食べ物は乏しくギリギリの状態が常態であった。
よって身体はその状態に適応するものが生き残ってきた。

飢餓に備えるモードは発達したが、飽食に対応したモードは想定外なのである。

たとえば血糖値を上げるメカニズムはいろいろあるが(グルカゴン、アドレナリン)、下げるメカニズムとしてはインスリンしかない。
そしてインスリンの分泌が不全となったり効きがわるくなると糖尿病を発症する。

肥満やそれにひきつづいておこるメタボリックシンドロームは人間の本能に対する挑戦であるから難しい。
飽食の環境だと食べ過ぎてしまい結果として身体が耐え切れず短命となってしまうのだろう。

カロリーを制限したほうが、無制限に与えた場合より長生きすることはさまざまな動物実験で確かめられてきた事実である。

そして霊長類のアカゲザルでも・・。

特定健診・特定保健指導日記