リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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「続・日々コウジ中」出てました。

2011年12月25日 | Weblog
以前このブログでも紹介した日々コウジ中の続編が出版された。

続・日々コウジ中―高次機能障害の夫と暮らす日常コミック
柴本 礼
主婦の友社


昨今、ドラマや映画化もされた「ツレがうつになりまして」を嚆矢として、障害や病気とともにある生活を描いたコミックエッセイが増えている。
統合失調症に関しては「私の母はビョーキです」という名著もある。
アルコール依存症に関しては西原理恵子さんの本がおすすめだ。
どの本も本人の大変さとともに家族や周囲の人の苦労や、問題提起などが含まれている。
どの本も活字の本よりも読みやすく多くの人にリーチができ、当事者か家族、それ以外の人にも役に立ち病気や障害の理解を広めることに役だっている。

前作はくも膜下出血で入院し高次脳機能障害と診断を受けてからの家族の混乱、それから復職にいたる様子の様子が主な内容であったが、続編では、出版後のこと、ブログを通じて知り合ったいろんなケースのこと、行政や医療への提言などの内容が主である。
この本の中で特に参考になるのが、著者がブログなどを通じて知り合った「私が出会ったコウジな人々」のコーナーであり、障害も家族や周囲の有り様も様々なことがわかる。
同様のコミックエッセイの中で、この本の出来は素晴らしいのは、著者や家族だけではなく、専門家や家族会、ブログを通じて知り合った他の当事者、テレビや出版業界の人との共同作業でつくられているからだろう。

えらぶって、あえてギョーカイ流行りの小難しい言葉を使わせてもらうと

「就労のチャンスを!」「就労は見切り発車でOK」などはまさにIPS(Individual Placement and Support)の考え方である。
「家族や当事者会の役割」はセルフヘルプグループや、ピアサポートの考え方。
「頑張るコウジさん」「優しいコウジさん」などはストレングスの視点。
「人と人とのつながり」「オープンにして周りに情報を発信していくこと」「コウジさんは福の神」はリカバリーの視点、そして弱さを絆につながることである。

著者は「コウジさんが就労できたの理由はズバリ「人柄」だったとおもう。」と振り返り、「障害者の皆さんいまからでも遅くはありません、人柄磨きをしましょう」と講演会で訴えているそうだが、それはなかなか難しいことなのではないかと思う。
周囲が本人のストレングスに注目し、理解し支える環境があってこそリカバリーが得られ、本人の良い面が引き出される。
もとキャラもあるだろうがコウジさんが投げやりになっていじけずに(モラールが低下せずに)良い人柄でいられたのも、家族や職場を始めとした周囲の多大な理解があり、また上司と妻がメールで連絡を取りコーチの役を丁寧につづけるなどして、本人のプライドを尊重しつつも粘りづよくできることを探していったからであろう。

著者はこれらの経験を活かし障害者が生きやすい社会を目指してブログや家族会、講演会などを通じて積極的に活動されている。
長野県にも平成23年11月19日に伊那で講演をされており私も参加したかったが時間が作れずに残念だった。

この本は高次脳機能障害についてはもちろん、あらゆる病気や障害に当てはまる普遍的な内容や提言が優しい言葉とイラストで語られており、障害の種類にかかわらず当事者、家族当事者、支援者、それから一般の人も含め誰もに読んでもらいたいと思う。


著者のブログ→
日々コウジ中 - クモ膜下出血により、さまざまな脳の機能不全を抱える“高次脳機能障害”になったコウジさんを支える家族の泣き笑いの日々

日々コウジ中(高次脳機能障害の夫と暮らす日常コミック)
高次脳機能障害専門セミナー(松本)

弱者に優しくない自動車社会。

2011年12月23日 | Weblog
先日のことだが自動車の追突事故をおこしてしまった。

雪こそ積もっていないが解氷スプレーなどで窓についた霜を落とさなければならない寒い冬の朝。
疲れ気味のところに車で1時間以上かかる遠方の病院への出張の日で、いつも通っている道が工事で通行止めであり大幅にまわり回り道をさせられてイライラしていた。

事故は田舎道の狭い道から優先車線への非常に見切りの悪い交差点でおこった。
狭道からの進入経路の左右に建物があり、右はカーブで10mくらい先までしか見通せない。
左側も少し先にある橋から下り坂となっており橋の向こう側は見えない。

そんな条件のもと交差点を鋭角に右折しなければならない状況だった。
結局頼りになるのはミラーしかないのだが、通勤時間の朝の時間はスピードを出した車がどんどん通る。



ミラーの中にゴマ粒のような車が写っていたので左の道から車が来るのはわかっていた。
右から車が来る前にタイミングを見て左から来る車の後ろに入ろうとしてハンドルを切った瞬間、何かに接触した。

一瞬、何が起こったかわからなかった。
次の瞬間、前の車が民家の垣根に突っ込んでいた。
前の車の運転手が「かんべんしてよ。」と車から降りてきて、ほっとした。

車はどちらもかなり傷ついたが、速度差が小さかったことと庭に垣根があったおかげか幸いなことにどちらもほぼ怪我はなかった。
車が2台続いてきているのに気づかず、曲がるのが早すぎて後ろの車にぶつかったようだ。

現場検証など事故の処理に時間がかかるため、職場に連絡して予約の外来患者さんには他の先生に薬のみ出してもらい対応してもらうなどのことを頼んで休みにしてもらった。
現場検証に来た警察官の「好きで、事故を起こす人はいないでね。」という言葉に救われた。
通勤の時間帯のあとの時間帯はいろんな事業所のディサービスの送迎などの車が多かった。

JAFを呼び、相手の車を道へ引きずり出して修理工場へ。
自分の車はバンパーはわれ傷ついたが一応は自走できたので、いったんそのまま帰宅。



車が庭に突っ込んだ家の持ち主によると左側の建物がたってから見通しがわるくなり、交差点内の事故は結構あり2ヶ月前にも事故があったらしい。携帯電話が普及する前は事故を起こした人が電話を借りたいとよく言ってきたそうだ。
そんなことがあったので行政の道路課に「庭を買い取って道路にして欲しい」といったが断られたこともあったようだ。
確かに不注意ではあったが、過去にも同様の事故が繰り返し起きているのであるならば事故多発地帯であり行政の怠慢といえなくもない。

後で通ってみると優先道路の方にはどちらの側にも注意を促す看板はでていたがそれで解決になるとは思えない。
見切りは左右ともにわるくカーブミラーは小さく2つのミラーのどちらをみていいか一瞬とまどった。
(※これは広汎性発達障害や高次脳機能障害の根本にあるローテーションイメージの障害、ゲルストマン症状であろう。)
とはいえ信号をつけるほどの交通量はないのだろう。
今後はこの道はなるべく通らないようにしようと思った。

双方にほぼ怪我がなかったのは不幸中の幸いであった。

道路を管理する行政にもせめてミラーを大きくしたりできないか訴えておこうと思う。
どのように訴えればよいのだろうか?

保険はかけてあるとはいえ実際事故を起こしてみてかなりストレスな事がわかった。
加害者でも被害者でも事故をきっかけに「うつ」になり精神科をかかる人は結構いる。

なるほどVIPは運転手付きの車に乗るわけである。
そういえば臓器移植で有名となった出身大学の教授も行き帰りは妻が送り迎えしていると聞いた。
事故を起こしても対応は運転手に任せてタクシーを呼んで目的地へ向かえる。(人道的にはともかくとして・・)

すでに地方は公共交通機関は衰退し、交通機関の多様性は失われてしまっている。
町営などのバスは1日数本。
デマンド交通の成功例といわれている「あずみん」も呼んで車で30分かかる上、夜間や休日は稼動していない。
田舎ではタクシーに10分、20分乗るだけでも数千円になってしまう。
車にのれないと通勤もできず、かなり不便だ。
障害のため車にのれない人は移動の自由もままならない。

数少ない公共交通機関を待つことのできる時間的余裕のある人、車で送迎してくれるような家族や人間関係のある人、あるいは自由にタクシーが使えるくらいの金銭的な余裕がある人はいいのだろうが・・。

精神疾患や認知症になり車の運転を辞めるようにいっても、「運転を辞めるくらいなら死んだほうがましだ」という人もいる。
また生活保護では自動車の所有や運転は原則認められない。
自動車の資産的価値というより、維持費や事故の時の対応などの大変さから認められていないのだろう。

しかし昨今、通勤の足がなければ、仕事を見つけるのも大変である。

農家で職住接近、自給自足的な生活をおくっていたときは街にはたまに買い出しにいくくらいだったのであろう。
しかし、兼業農家がほとんどで毎日の通勤などに車を使うようになり、朝夕の大移動がおこる。
高校生は自転車とローカル線である大糸線での平行移動だが、冬などは駅まで送迎している親も多いようだ。

3月11日の大震災の後、当地でも一時的にガソリンが供給不足となり、数日間ではあったが売り切れとなったり給油は一人10lまでなど制限がかかった。
自転車で11kmほどの通勤をしてみたが、天気のいい日はいいが毎日は大変である。
電車の駅から徒歩、自転車圏内に住んでいればよかったとつくづく思った。

自動車社会というのはつくづく弱者には優しくない。
ハイブリッドや電気自動車、燃費のいい車に乗り換えることがその解決方法ではない。
神戸で地域リハビリテーションを推進されていた澤村誠志先生は「公共交通は人権である」とおっしゃっていた。

・職住接近し時間的に余裕をもった生活をすること。
・生活に必要な施設がコンパクトに集まった市街地に集まって住むこと。
・交通機関の多様性を取り戻し、弱者への移動手段を保証すること。


社会としてこういったことを考えていくことが必要なのだと思う。

運転免許をめぐって・・・。

認知症診療ってナニ?実施支援システム「DT-Navi」の正体。

2011年12月14日 | Weblog
アルツハイマー型認知症に対する薬剤であるアリセプトという薬をだしているエーザイが日本テクトというメーカーと作った「DT-Navi」という商品のデモがあった。



専用のタッチパネル端末を使うことで検査に慣れていない検査者でもHDS-RやADAS-JCog、BEHAVE-ADという認知症に関わるスケールを手軽にとるということができるという。
ちなみにADAS(Alzheimer's Disease Assessment Scale )というのは、アルツハイマー型認知症の中核症状に焦点をしぼった心理検査であり、被験者にもよるが一連の検査をするのに約40分はかかるめんどくさい検査である。
認知症の薬の治験(臨床試験)では必ず施行するもので、当院でも治験の際にはおこなっていた。
心理検査として診療報酬が450点(4500円)を算定できる。

しかし、このDT-Naviを導入するにに初期費用の本体価格を198000円、月々のシステム保守管理費が7500円に加え、一回あたり900円の利用料がかかるという。(プレスリリースを見ると本体価格はもともと1,300,000円だったようだ。さすがに値下げした?)

しかしこんなものを売りつけた上に維持管理費としてお金をとって売ろうとする根性に呆れてしまった。
そもそもADASは実際の臨床では必須ではないし、たとえADASを取るにしても結局検査者は必要であり、ほとんど時間の短縮にもならない。

専用端末もiPad2などのスマートで薄いタブレット端末が出ている時代なのに、いかにももっさりと大きい。
タッチパネルの反応も悪く古いATM機器のようで10年前の製品という感じだ。
また3Gなどのデーター通信のための機能も内蔵しておらずインターネットの接続も必要だという。
どこに専用である必要があるのだろうか?iPhoneアプリで十分だ。

個人情報を切り離した形でクラウドに保存するというが、それが病院の電子カルテなどのシステムと連携できるわけでもなく、クラウドにしたメリットが運営側の課金システムとデータ収集以外に全く感じられない。

ファイルメーカーなどをつかってiPhoneやiPadのアプリとして開発すればもう少しましなものが自分でも開発できそうだ。
これがWAIS、ロールシャッハテスト、MMPI、HTP、SCT、WCST、TMT、WMR、BATS・・・などなど各種神経心理検査の検査、集計の補助ツールとして使えるようなものならまだ可能性はあるかとも思うのだが・・・・。

このDT-Naviの目玉機能として将来の認知症機能の特典予測をして認知症の「いま」と「これから」を可視化し、治療の目安を提示し、患者さん、ご家族、医師が同じデータを見ながら治療方針を検討することができるという。
そして、ご丁寧にも治療法選択の目安も表示してくれるのだそうだ。
あな、おそろしや。
これでは薬を使わないとこんなに認知症が進みますよ・・と脅迫するためのツールとしか思えない。

いまのところ認知症は治癒が望める疾患ではないので、診断がついたあとは本人や家族の心理的援助や生活障害に関する相談が診療の中心となる。
定期的に自分のできなくなったことを確認させられる屈辱的な検査をされ、認知症が進む一方のこんな予想図を見せられるというのは非常に侵襲的である。少なくとも自分は嫌だ。病院に受診した日は精神不安で落ち着かなくなるということがおこりそうだ。
これなら当事者や家族当事者のグループなどに顔をだすほうがよほど助けになると思う。



認知症は全国で200万人以上、65歳以上で13人に1人の疾患である。
認知症薬の市場は莫大である。
1999年11月にアリセプト(5mg錠で427.5円)が発売されて、今や売上は国内で年間1000億円以上の巨大市場に成長した。そして今年になってメマリーやレミニール、イクセロンパッチなどの新しい認知症に対する薬剤も市販され、アリセプトは特許が切れジェネリックがアリセプトの2/3程度(それでも5mgで284円など)の価格で多くのメーカーからゾロゾロ登場している。
これらの薬も上手に使えば認知機能が改善し、意欲がでたり、抑うつが改善したり、なんとか一人暮らしや排泄が自立できている時間を伸ばすことができるだろうし、特にレビー小体型認知症の症状の改善には著効することもある(適応外であるが、むしろレビー小体型認知症に対してこそありがたい薬である)。
また認知症をもつ人や家族にとっては心の支えや希望となっているところもあるだろう。

しかし効果があるレスポンダーはせいぜい約半分程度であり、効果があっても認知症の進行を止めることはできず症状の進行を半年から1年遅らす程度の薬である。
間違いなくエッセンシャルドラッグである統合失調症に対する抗精神病薬(セレネースやリスパダール、クロザリル・・)や、うつ病に対する抗うつ薬(トリプタノール、ジェイゾロフト・・)、双極性障害に対する気分安定薬(リーマスやデパケン)などとは意味合いが異なる。これらは無ければ困る。
認知症に関してはBPSDに対してしばしば用いられるバルプロ酸や抑肝散の方がよほどありがたい。
診療報酬が包括払いになる老人保健施設などでは高価なアリセプトはあっさり切られてしまうこともある。

製薬会社のアリセプトや他の認知症の新薬(いづれも高価)のプロモーションも、早くから多くの量を途切れることなく使わないといけないというような脅迫マーケティングが目につく。
まるで「だんだんだだん、抜けていく、だんだんだだん、薄くなる。30代の抜け毛に薄毛 お医者さんに相談だ♪・・・」というAGAのCMだ。
売らんがな主義だけで品性のかけらもない。

DT-Naviは本年2月に発売開始され、初年度300台の販売が目標だったところで、いままでに売れたのは20台という。20台でも売れたのが不思議だ。




新しくなった特別養護老人ホーム

2011年12月08日 | Weblog
新築移転した特養に初めて訪問した。
もともとの雰囲気も残しつつ木もふんだんに使ったぬくもりのあるデザインで新しく広く個室も増えユニットケアとなっていた。
広いホールの周囲に個室を中心とした部屋が点在する造りのユニットが3つある造りだ。
しかしユニットをまたいで自由に動けなくなり、また似たような部屋がならび利用者が自分の部屋に帰れず迷ってしまっていた。

引越ししたばかりの利用者に聞くと「むつかしい」「さみしい」「広すぎる。狭い方がいい」「前のところに帰りたい」とあまり評判がよくない。
夜に「竹槍をもった知らない人が入ってくる」とせん妄になった人もいた。
まだ引っ越したばかりでリロケーションダメージがあるのは仕方がないが、だれもが個室やユニットケアがいいと言うのは壮年世代が考えた自世代中心主義であり、戦前に生まれた今の高齢者世代はお互いの気配を感じられるくらいの距離感がいいのかもしれない。
団塊の世代以降の人は完全個室を希望する人がおおいだろうが、今は病院の老年期エリアでも結局畳スペースが人気だ。



もちろん全館暖かいし、もともとは個室が少なくて声をあげる人や体温調節が難しい人がいられる場所がなかったりということは問題になっていたので新しくなって良かったとは思う。
天然採光をとりいれた平屋建ての建物で中庭の植え込みも整然としておりこぎれいなリゾートホテルのような雰囲気だ。(緩和ケア病棟などをもつ病院もこのような雰囲気かもしれない。)
これではショートスティとかでたまに来るにはいいかもしれないがずっと住むには生活感がなくいつまでもお客さんのような感じで落ち着かなくなりそうではある。

生活感をだしオリエンテーションをつけるために壁に絵などの作品を壁にならべたりするなどもう少し雑然とさせた方がいいだろうし、居室には個人の思い出の品などをもっと持ってくればいいと思った。

山の中の集落で半自給の生活をしていた方で認知症が進みHDS-Rが一桁くらいになっても近所の人に見守られながらほぼ自立の生活をされている方もいる。火さえ出さなければ、農村の暮らしは認知症の人にはやさしいのかもしれない。
こういった方が小洒落た施設に来ても落ち着かないだろう。
どんな環境で暮らして来た方が多い土地かと言うことを考えずに施主や設計者の好みで住みたいような施設をつくるのはいただけない。

こことは別の施設だが農村部の田舎の有料老人ホームで誰にも使われていないビリヤード台を見た時には驚いた。
まさに設計者の自世代中心主義、というか自分中心主義であろう。

一度作ってしまったら長く使われるのだから病院や施設など建物はあまり凝ったものにはせずにあとからでもいろいろ応用が効くようにシンプルなものにして、利用者と現場のスタッフが工夫できるようにするのがベストなのだろうと思う。

科学的視点からみた漢方医学

2011年12月03日 | Weblog
病院勤務医のための漢方医学セミナー(ツムラ主催)。

「科学的視点からみた漢方医学」「急性期と療養型で役に立つ漢方の使い方」
に同僚と共に参加してみました。

講師は静内病院の井齋偉矢先生、大学の大先輩でした。



レクチャーをTsudaったものをもとにまとめてみます。



漢方を科学という共通言語で

西洋医学と漢方医学は相対するもの、違う体系の医学ではない。
「漢方科」や「和漢診療科」などと独立して外来や病棟をもうけて分けるのは望ましくない。
すべての科で漢方は使える。
どの科でも漢方を使える所から使っていくというスタンスがいいだろう。

漢方医学独特の言語を使わないと理解出来ない医学は科学ではない。
今の時代は科学という共通言語で理解すべきである。
科学の言葉だけで説明できて初めて漢方医学は科学の土俵に乗ることができる。
科学がない時代の東洋医学の理屈を科学という視点から見ると意外とシンプルに解ける。

「炎症」

傷寒論には急性熱性疾患を中心に発病から経過をおって症候の変化に対応する処置が記されている。
気・血・水以外に、新たに包括的概念としての「炎症」という視点をいれると色々と読み解ける。
漢方薬は炎症反応のカスケードの上流に作用し自然免疫系の感度をアップさせ初期免疫系に作用して炎症を迅速に立ち上げる。また過剰な炎症が遷延したら炎症を抑制し、障害された組織の修復を促進する。
西洋医学の炎症のメカニズムに関する知識と、個々の炎症に関する治療法の実践ノウハウがつながれば科に関わらずこれからの医学に多大な貢献するだろう。

漢方薬は生薬の集合であるが作用機序を生薬単位で説明するのは説明した気になっているだけで本当はおかしい。
それぞれの方剤は試行錯誤で作ってしまったものであり、多数の化学物質がシステムとして作用している。

生薬の中のさまざまな生理活性物質がプロドラッグとなり薬効を示す。
生理活性物質の多くは糖により抱合されており配糖体となっており吸収されにくい。
配糖体の糖分が資化菌で切断されて吸収されて薬効を示す。
腸内細菌叢はそれぞれの人で異なり、この資化菌の個人差が効果の個人差の理由の一つである。

漢方の古典の困ったところは全て文字情報なところでイメージしづらいことである。
使用目標が多すぎて、どれが必須かわからない。
これをビジュアル化して分かりやすくすることが大事。(階層構造にするとわかりやすい)
常に方剤名で思考し直感で処方する。
方剤ごとに2つくらいのキーワードで覚えるとよい。
患者さんのイメージと薬のイメージを確してパターン認識する。
レスポンダーかノンレスポンダーかを判断する期間は方剤や病態によって異なることに注意が必要。
最初の一服で効果があるものもあれば2週間程度は飲んでいないとわからないものもある。

「気」

漢方で言う「気」は形のないものだろうか?
そうなってくると気剤の作用点はどこなのだろうか?
運動連鎖を起こすAnatomy trainと経絡は面白い事にほとんど一致する。
全身の筋骨格系は筋膜で繋がり(筋筋膜経線)、システムとして運動連鎖を形成し、生命体の基本たる動作が成立する。
体は考えれば考えるほどうまく動けなくなるが、意識を集中ししっかり見れば一連の動作がスムーズに流れる。
ということで気剤は「脳」と「筋骨格系」に作用するといえるのではないか。

「気虚(ききょ)」は筋肉や脳の原料であるブドウ糖が十分吸収できないので活発な動作や精神活動が出来なくなる。補気剤の代表である補中益気湯は消化管の機能を高めエネルギーを筋肉や脳に供給する。

「気鬱(きうつ)」は筋肉を使わず閉じこもり動かないから、精神活動も沈滞し抑鬱傾向となるといえる。
「気逆(きぎゃく)」はある部分の筋肉にこわばりや凝りが生じると筋筋膜系の運動連鎖がその部分で滞る。

「血」

動脈系は西洋医学が得意であり、インターベンションや血栓予防などの方法論が確立されてきている。
一方で微小循環系と静脈系は漢方医学が得意。
「瘀血(おけつ)」すなわち微小循障害はストレスなどで内因性ステロイドホルモンが少し多い状態になっておこる。
皮膚疾患はステロイドより駆瘀血薬が有効なことがある。

「水」

「水毒」の病態、利水剤の水分調整作用はアクアポリンで説明できる。
様々なサブタイプのアクアポリンが全身に分布している。
利水薬はそれぞれのアクアポリンに特異的に作用して細胞レベルで水分を調整する。
五苓散などは脳浮腫対策として脳外科でも大ブームである。

国際東洋医学会日本支部で昨年は五苓散シンポジウムを開催した。
来年は芍薬甘草湯シンポジウムを予定しているそうで、薬理、臨床、様々な立場からストーリーテリングを行うのだという。

いきなり古典から入らずに科学の視点から漢方を見直すと様々なことが見えてくる。
まず西洋医学をきっちりやることをすすめる。

急性期病棟で役に立つ漢方

肺炎などの感染症に関しては抗菌薬などはもちろん使うが、体の内部にアクティブな炎症がおきている時には小柴胡湯ファミリーを使う。
最初の2、3日は2、3倍を使うのがポイント。日本の容量は急性期には少なすぎる。
脳梗塞にも。血栓は溶解できても併発する浮腫と炎症に対して漢方は有用である。
小柴胡湯と五苓散を使うと非常に回復が早くなる。
心不全は西洋薬に併用して木防已湯を使うとよい。
ノロウイルスなどの急性ウイルス性胃腸炎には西洋医学では補液しかないが、漢方では桂枝人参湯がよい。
最初5g、その後2.5gを4時間おきに飲み1日で治してしまう。
すぐに補液が出来ない状況は世界にいくらでもあるし、日本でも災害時などでは起こりうる。

偉い先生方は自由診療でのんびりやっており急患はほとんど見ていない。
例え病院に和漢診療科があってもERからは直接いかない。
そういうこともあって急性期での活用は盛んではないが、漢方はもともと急性期で使われていたものであり本来は大いに活用できる。短期大量投与がポイントである。

療養型病床で役に立つ漢方

一方で慢性期の療養型病棟でも漢方薬は高齢者の様々な症状に有用であり医療費削減に貢献する。
それぞれの方剤が効く症候群(証)として捉える。
かぜ症候群や便秘、COPD、認知症などに有効。(時間がなく多くは割愛された)
痰が多く肺炎を繰り返すCOPDには清肺湯を漫然と使うのが良い。
「怒りが深く蓄積」、「怒り以外で発散」、というものには抑肝散がよい。
環境の変化に弱い認知症の方のBPSDによく術後のせん妄や小児のADHDなどにも応用される。



井齋先生はもともと外科医で肝臓移植などをやっていた先生だが科学的視点から漢方薬の本質を追求してきたそうだ。マニアックな東洋医学会のやり方に疑問をもち、サイエンスの視点で漢方を読み解き、どの科でも誰でも使えるようにということで国際東洋医学会や和漢医薬学会などを拠点に学術的にも活躍されている。
難解で抽象的な中医学の理論ではなく、現代科学の最新の基礎医学の知識、特にSystem bilogoy的手法を応用して漢方を読み解くというのは実にオモシロイと思った。
実際に現場でも漢方もつかった医療をすべく静内病院を拠点にしているという。
静仁会静内病院は地方の199床(療養型89床)の総合病院(徳洲会系)だが井齋偉矢院長先生がきてから漢方を使う病院として有名になり、特色を出すことで研修の医師を集めているという。
研修医(初期・後期)がローテートで来たり中堅の医師が勉強に来たりと活発なようで(まだまだ来て欲しいと言っていたが・・)これまた僻地の病院に医師を確保する上手いやり方だとおもった。

(※講演のDVDはツムラさんに言えばもらえるみたいです。)

安曇総合病院が目指すべきは本当に急性期病院?

2011年12月03日 | Weblog
病院の再構築に向けてコンサルタントを招いてのレクチャーと話し合いがあった。
コンサルタントの話は、それはそれで面白かったのだが・・。



「各部署の持っている情報を抽出して見える化すべし。50億借りて病棟を建て替え、返す時には病院を黒字にしてその時々の損益分岐点を確保しなければいけない。診療単価をあげるためには患者を確保し回転率をあげ、単価の低い患者は切って後方ベットを確保して送る。診療単価を把握した上で損益分岐点を目指すべし。」みたいな話だった。

しかし「収入は増やせ!出ていくお金は減らせ。人はそのあとだ。」ってのがおかしいんだよね。
理念があって、人がいて、その目的のために建物や経営がついてくるのである。

高齢者の多い過疎地で当院が「手術やインターベンションを行う方向で急性期よりに進化」するというのはどう考えても地域ニーズから離れていく気がする。
病院がたくさんある地域ではないのだから、自分のところの用事が終わったといって他の病院や施設におくれる人なんていないのである。
最後までとことん面倒をみなければいけないのだ。

それに過疎地のなんちゃってDPC病院だから頑張って平均在院日数を短縮してもベットが空いてしまう。
何回も来院させて検査は外来でおこなってから入院さすなどの工夫をというが、通院の足の確保も大変な高齢者であり入院して検査を組むなどのほうが明らかにニーズがある。
その一方でどこにも行き場がなく寝たきり意識なし胃瘻で気管切開されて人口呼吸器をつけて死を待っているというような高齢患者さんもたくさんいる。

そんなこともあって90%台の病床稼働率で赤字という怪。
さらに調整係数がなくなる来年度以降はさらに赤字となることは必至である。

職員の雇用をまもらなければいけないが、いい医療をして地域の医療ニーズに応えることがそもそもの目的を忘れてはいけない。
手段と目的が逆転しないように、誰のため、何のために医療をしているかということは、ブレないようにしないとおかしなことになるな。
診療活動は最大限報酬に反映さすのは当然だが、いくら経営者からいわれても必要のない検査や治療をしない、必要なら患者を無理に追い出さないというのは個々の医師の良心だろう。
「銭銭銭という訳ではないがコンサルタントだから厳しい言い方をさせてもらう。でないと歯止めが効かなくなる。それが役割。」というコンサルタントの方の声。

院長は「目指すのは急性期病院です。」というが、ICUをつくったり放射線治療機器をおくよりも優先順位が高いことはたくさんあると思う。
「地域包括ケアを押し進めていくならベッドの概念や役割も変わってくる。」という意見もあった。
それはそれで急性期医療体制を作ることと同様に大変な本腰をいれて取り組まなければいけない課題だ。

医療や病院は一部の人のおもちゃや名誉欲を満たす道具ではない。
まず地域に何が必要か、自分たちが何が出来るのかをちゃんと整理してから次の方向性を打ち出すべきであろう。
無理な計画を強行すれば職員のモチベーションとモラールの低下は避けられず、医療自体が続けられなくなってしまうだろう。

悪夢の地域医療破壊計画