
月刊誌アスキーの特集がパソコン30周年であった。
懐かしさもあり、思わず買ってしまった。
1946年、世界初のコンピュータといわれるENIACの誕生から30年後
コンピューターは一般人の手の届くところまで降りてきた。
パーソナルコンピューターの誕生である。
私が生まれたのは日本発のパソコンTK-80の誕生とほぼ同時期(1年後)。
各社が、マイコンと呼ばれた、いろんなパソコンを発売していた時代であった。
私たちの世代の成長は、コンピュータの発展とともにあった。
特集をぱらぱらめくっていると懐かしいコンピュータが並んでいた。
友人が持っていたぴゅうた。
中学校の技術室にあったPC8001。
いとこが持っていたファミリーベーシックなんてものあった。
紙切れのようは薄い5インチのFDD
パソコンがほしくてダンボールでパソコンのミニ模型をつくったりした。
日本語コンピュータとして一世を風靡したPC9801シリーズ。
学校や、中学校にコンピューター室ができてコンピュータが導入されはじめた時代であった。
だれもが、その利用には試行錯誤であった。
PC9801、MSX、FMTOWNS、X68000などなど。町のパソコンショップに行っては眺めていた。
中学の先生は、大きなラップトップのパソコンを持ち歩いていた。
MSX2+を買ってもらった直後に最後のMSXとなったTurboRが発表されて悔しい思いをした。いまとなってはどうでもいいことだが・・・。
BASIC言語を覚えて、しょぼいゲームをつくったりしたものだ。
出来合いのゲームも嫌いではなかったが自分でつくるほうがたのしかった。
友人はMSXマガジン(アスキー)を自分はMSX-FUN(徳間書店)を買って交換して読み、ソースを打ち込んだりした。
コンピュータの前では人はプチ神になれる。
天地万物の創造主となれる。
MSX‐FUNの1画面プログラムや1行プログラムなど、制限の中でどれだけ工夫できるかなど芸術的な楽しさすらあった。
それに比べるとマイコンベーシックマガジンの長いソースリストはイモだと思っていた。
ゲームデザイナー志望していたマイコン部の友人はぷよぷよやストリートファイターⅡをN88BASICで再現した。天才的であった。
彼は、ぷよぷよをどういうアルゴリズムで実現したのだろうか?いまだにわからない。
ツクールシリーズにもはまったが、結局まともに完成したものはなかった。
中学時代、ゲームをつくるために三角関数などを勉強した。
マシン語やC言語への憧れがあり、挑戦を試みたが挫折した。
そのころMS-DOSにかぶせる形でGUIのWindowsが登場始めた。
パソコン通信などに憧れはしたが、進学した高校時代、予備校時代は身の回りにコンピュータがなかった。
この時期に身近にコンピュータがあたえられていれば、きっと多少進路もかわっていたかもしれない。
そのころは世界史や英語など別のことにはまっていた。
大学入学と同時にFM-V S165を買った。K5というCPUの搭載した生協のオリジナルモデルであった。Windows95がインターネットが出始めたころであった。
このころからパソコンはネットワークの端末になっていった。
恥の巨人、立花隆もこの新しいおもちゃに感動して「インターネットはグローバルブレイン」などという本を書いていた。
同じころ、友人は生協の共同購入でうっかりマッキントッシュ(Perfoma)を買ってしまい置物となってしまっていた。
FMVは進化についていくためにメモリーを増やしたり、HDDを造設したり、CPUを乗せ変えたりして遊んだ。
ベンチマークなどをして少し早くなったといっては喜んだ。
ただ人柱となりながら最先端をついていくほど、お金や時間をかける気はなかった。
コンピュータを操るハッカーみたいな友人がいてかっこいいと思った。
インターネットはピーピーガーガーいうダイアルアップで接続し、テレホーダイという夜11時以降は使いたい放題になるサービスを利用していた。
23時になったとたん重たくなった。
大学祭のパンフや、同窓会誌の作成のために初めてマッキントッシュとイラストレーター、ページミルなどのアドビのソフト群にふれるチャンスがあった。
よくバクダンはでたが、その操作性、思想性、センスのよさには感動した。
デザインのツールとしてコンピュータが使えることを実感した。
FM-Vはさすがに古くなったので、ノートパソコンに変えた。
なんとなくEPSON-DIRECTにしてみた。
ファンの音がうるさかったが、一応DVDもみられた。
よくフリーズした。
ホームページ(いまではこんな言い方もなくなってしまったが)もつくって、当時の標準形式の日記ページ+掲示板で、自然系の写真や山行記や自転車旅行記を中心に、つれづれをつづり数年続いた。
まわりの友人たちの間でホームページをつくるのがちょっとしたブームとなった。
サーバーを立てる友人もいた。
フリーウェアを公開したり、ウェブシステムをバイトでつくったりしていた友人をかっこいいと思った。
そのころからなんとなくブログの原型みたいなものを考えていた。
トラックバックのような仕組みがあればいいなぁと思っていたのが実現されてきている。みんな考えることは同じだ。
人のものをパクってお金をもうけるビルゲイツは嫌いであった。
バージョンアップやライセンス管理が苦手で嫌であった。
スティーブ・ジョブスやリーナス・トルバルスなどは素直にかっこいいと思った。
ハッカー文化の所有論に惹かれ、コピーレフトやオープンソースなどの思想には賛同した。
コンピューターネットワークやソフトウェアも、古典著作物、水道やガス、道路や橋、医療や教育と同じように社会共通資本だとおもう。
だから、「私が作った道具を人が毎日使っているというのは、無条件に気持ちがいいことなのだ。」(石川准、著『見えないものと見えるもの 社交とアシストの障害学』←超オススメ)という言葉なんかには、ホンオそうだよなぁと思う。
それからまたしばらくコンピュータから離れていた。
WEBサイトの更新もとまり、メール端末やワープロとして細々と普通の使い方をしていたのみであった。
最近、データーベースを使わなくてはいけなくなり、なんとなくエクセルやファイルメーカーでプログラムもどきをふたたび始めた。
それほど高い技術がなくても余裕のある性能のおかげでパーツやソフトウェアの組み合わせでオリジナルなものができる。
うまくコンピュータを使えば仕事が楽になることを知った。
コンピュータは仕事を楽にするためにあるので、なるべく同じ効果なら楽にできる方法は無いか組み合わせで考える。
でもうっかりするとはまっていて時間は過ぎるが何もできていなかったりする。
そんなときは、すこしだけ技術が進歩した。
使っているだけで快感なセンスのよい道具(ソフトウェア)をつかっていると職場の中途半端な電子化、コンピュータシステム(を含めた情報システム)の思想性のなさ、操作性の悪さ、人をこきつかう態度が頭にくる。
本当は自分でつくりこんでみたい。
コンピュータを第2の脳として活用し、ネットワークの世界にとろけてゆきたい。
自分を見つめなおし、情報発信、集収するためにこのブログもはじめた。
個人でコストをかけずに情報発信できるようになったのはすばらしいことだ。
しばらく続けているとなんとなくSNSやWEB2.0の概念もわかってきたような気がする。
特集を読むと自分の前後の世代のハッカー、ITビジネスの社長たちのインタビューで締めくくられている。
彼らは技術とアィディア、実行力の勝者だ。
これらのコンピュータたちは自動車や建物以上に世代交代が速い。
車やカメラなどと違ってちょっと古いだけのコンピューターに価値はほとんどない。リサイクルの仕組みもあるにはあるが、エントロピーは増大する。
更新していくうちにどれだけのガラクタが地球上に残さていくのか考えると頭が痛くなる。
これからコンピュータはどのように発展、進化、成熟していくのであろうか?
楽しみであると同時に、そろそろもう十分ではないかといいたくもなるときもある。
懐かしさもあり、思わず買ってしまった。
1946年、世界初のコンピュータといわれるENIACの誕生から30年後
コンピューターは一般人の手の届くところまで降りてきた。
パーソナルコンピューターの誕生である。
私が生まれたのは日本発のパソコンTK-80の誕生とほぼ同時期(1年後)。
各社が、マイコンと呼ばれた、いろんなパソコンを発売していた時代であった。
私たちの世代の成長は、コンピュータの発展とともにあった。
特集をぱらぱらめくっていると懐かしいコンピュータが並んでいた。
友人が持っていたぴゅうた。
中学校の技術室にあったPC8001。
いとこが持っていたファミリーベーシックなんてものあった。
紙切れのようは薄い5インチのFDD
パソコンがほしくてダンボールでパソコンのミニ模型をつくったりした。
日本語コンピュータとして一世を風靡したPC9801シリーズ。
学校や、中学校にコンピューター室ができてコンピュータが導入されはじめた時代であった。
だれもが、その利用には試行錯誤であった。
PC9801、MSX、FMTOWNS、X68000などなど。町のパソコンショップに行っては眺めていた。
中学の先生は、大きなラップトップのパソコンを持ち歩いていた。
MSX2+を買ってもらった直後に最後のMSXとなったTurboRが発表されて悔しい思いをした。いまとなってはどうでもいいことだが・・・。
BASIC言語を覚えて、しょぼいゲームをつくったりしたものだ。
出来合いのゲームも嫌いではなかったが自分でつくるほうがたのしかった。
友人はMSXマガジン(アスキー)を自分はMSX-FUN(徳間書店)を買って交換して読み、ソースを打ち込んだりした。
コンピュータの前では人はプチ神になれる。
天地万物の創造主となれる。
MSX‐FUNの1画面プログラムや1行プログラムなど、制限の中でどれだけ工夫できるかなど芸術的な楽しさすらあった。
それに比べるとマイコンベーシックマガジンの長いソースリストはイモだと思っていた。
ゲームデザイナー志望していたマイコン部の友人はぷよぷよやストリートファイターⅡをN88BASICで再現した。天才的であった。
彼は、ぷよぷよをどういうアルゴリズムで実現したのだろうか?いまだにわからない。
ツクールシリーズにもはまったが、結局まともに完成したものはなかった。
中学時代、ゲームをつくるために三角関数などを勉強した。
マシン語やC言語への憧れがあり、挑戦を試みたが挫折した。
そのころMS-DOSにかぶせる形でGUIのWindowsが登場始めた。
パソコン通信などに憧れはしたが、進学した高校時代、予備校時代は身の回りにコンピュータがなかった。
この時期に身近にコンピュータがあたえられていれば、きっと多少進路もかわっていたかもしれない。
そのころは世界史や英語など別のことにはまっていた。
大学入学と同時にFM-V S165を買った。K5というCPUの搭載した生協のオリジナルモデルであった。Windows95がインターネットが出始めたころであった。
このころからパソコンはネットワークの端末になっていった。
恥の巨人、立花隆もこの新しいおもちゃに感動して「インターネットはグローバルブレイン」などという本を書いていた。
同じころ、友人は生協の共同購入でうっかりマッキントッシュ(Perfoma)を買ってしまい置物となってしまっていた。
FMVは進化についていくためにメモリーを増やしたり、HDDを造設したり、CPUを乗せ変えたりして遊んだ。
ベンチマークなどをして少し早くなったといっては喜んだ。
ただ人柱となりながら最先端をついていくほど、お金や時間をかける気はなかった。
コンピュータを操るハッカーみたいな友人がいてかっこいいと思った。
インターネットはピーピーガーガーいうダイアルアップで接続し、テレホーダイという夜11時以降は使いたい放題になるサービスを利用していた。
23時になったとたん重たくなった。
大学祭のパンフや、同窓会誌の作成のために初めてマッキントッシュとイラストレーター、ページミルなどのアドビのソフト群にふれるチャンスがあった。
よくバクダンはでたが、その操作性、思想性、センスのよさには感動した。
デザインのツールとしてコンピュータが使えることを実感した。
FM-Vはさすがに古くなったので、ノートパソコンに変えた。
なんとなくEPSON-DIRECTにしてみた。
ファンの音がうるさかったが、一応DVDもみられた。
よくフリーズした。
ホームページ(いまではこんな言い方もなくなってしまったが)もつくって、当時の標準形式の日記ページ+掲示板で、自然系の写真や山行記や自転車旅行記を中心に、つれづれをつづり数年続いた。
まわりの友人たちの間でホームページをつくるのがちょっとしたブームとなった。
サーバーを立てる友人もいた。
フリーウェアを公開したり、ウェブシステムをバイトでつくったりしていた友人をかっこいいと思った。
そのころからなんとなくブログの原型みたいなものを考えていた。
トラックバックのような仕組みがあればいいなぁと思っていたのが実現されてきている。みんな考えることは同じだ。
人のものをパクってお金をもうけるビルゲイツは嫌いであった。
バージョンアップやライセンス管理が苦手で嫌であった。
スティーブ・ジョブスやリーナス・トルバルスなどは素直にかっこいいと思った。
ハッカー文化の所有論に惹かれ、コピーレフトやオープンソースなどの思想には賛同した。
コンピューターネットワークやソフトウェアも、古典著作物、水道やガス、道路や橋、医療や教育と同じように社会共通資本だとおもう。
だから、「私が作った道具を人が毎日使っているというのは、無条件に気持ちがいいことなのだ。」(石川准、著『見えないものと見えるもの 社交とアシストの障害学』←超オススメ)という言葉なんかには、ホンオそうだよなぁと思う。
それからまたしばらくコンピュータから離れていた。
WEBサイトの更新もとまり、メール端末やワープロとして細々と普通の使い方をしていたのみであった。
最近、データーベースを使わなくてはいけなくなり、なんとなくエクセルやファイルメーカーでプログラムもどきをふたたび始めた。
それほど高い技術がなくても余裕のある性能のおかげでパーツやソフトウェアの組み合わせでオリジナルなものができる。
うまくコンピュータを使えば仕事が楽になることを知った。
コンピュータは仕事を楽にするためにあるので、なるべく同じ効果なら楽にできる方法は無いか組み合わせで考える。
でもうっかりするとはまっていて時間は過ぎるが何もできていなかったりする。
そんなときは、すこしだけ技術が進歩した。
使っているだけで快感なセンスのよい道具(ソフトウェア)をつかっていると職場の中途半端な電子化、コンピュータシステム(を含めた情報システム)の思想性のなさ、操作性の悪さ、人をこきつかう態度が頭にくる。
本当は自分でつくりこんでみたい。
コンピュータを第2の脳として活用し、ネットワークの世界にとろけてゆきたい。
自分を見つめなおし、情報発信、集収するためにこのブログもはじめた。
個人でコストをかけずに情報発信できるようになったのはすばらしいことだ。
しばらく続けているとなんとなくSNSやWEB2.0の概念もわかってきたような気がする。
特集を読むと自分の前後の世代のハッカー、ITビジネスの社長たちのインタビューで締めくくられている。
彼らは技術とアィディア、実行力の勝者だ。
これらのコンピュータたちは自動車や建物以上に世代交代が速い。
車やカメラなどと違ってちょっと古いだけのコンピューターに価値はほとんどない。リサイクルの仕組みもあるにはあるが、エントロピーは増大する。
更新していくうちにどれだけのガラクタが地球上に残さていくのか考えると頭が痛くなる。
これからコンピュータはどのように発展、進化、成熟していくのであろうか?
楽しみであると同時に、そろそろもう十分ではないかといいたくもなるときもある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます