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精神科医師のブログ。
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目指すべきは大町病院と安曇病院の連携、協業、そして統合。

2011年08月30日 | Weblog
安曇総合病院も院内に再構築検討委員会が発足し、将来的にどのような病院を目指していくのかを検討されているが、大北医療圏の中心に位置する市立大町総合病院もまた今後の方向性を模索している。
平成 19 年 12 月、総務省より「公立病院改革ガイドライン」が提示され、地方公共団体は、平成 20 年度内に、採算性と効率性を考慮した「公立病院改革プラン」の策定を義務づけられた。
これを受けて作成された市立大町総合病院の改革プランもウェブサイト上でも公開されている。

市立大町病院改革プラン

「40 床を増床した平成 12 年度から医師数の減少が始まっており、設備投資に見合った診療活動と病院収益の確保が困難な状況に陥っていた。」

「特に、20%以上の救急搬送患者を、大北医療圏以外の医療圏に依存する医療体制は、住民の大きな不安や負担となっている。更に、専門性を要する「超」急性期の治療はやむを得ないにしても、一般的な救急対応は体制の再構築が急務である」

「職員の高齢化が目立ち、定年退職者が平成24 年度まで毎年 10 人程度存在するほか、早期退職を希望する者も数名あり、退職給与費は毎年 2 億円以上が必要となっている」

「なお、厚労省は、概ね 2 次医療圏に 1 箇所程度の「がん診療連携拠点病院」の指定 を行っているが、当院の規模、放射線治療設備の不備から、当面指定獲得は目指さない方針としたい。」

「内科、外科、整形外科に関しては、全体的には一般内科、一般外科、一般整形外科として両病院が対応しなくてはならないが、より高度な専門性については、両病院の専門性を異にした上で、相互の協力体制が望ましい。しかし、現実には両病院では専門性が重なる部分も多く、無用な競争になっている面も見られる。両病院は設立母体が異なり、経営方針も同じではなく、病院の歴史も異なり、住民感情も一様ではない。
その点、医療圏を設定した長野県がもっと積極的に関与し、信州大学との関連を強化し、両病院の果たすべき役割について細部にわたって支援、特に専門性の分担など細部にわたって具体的な支援や指導を行うべきであると考える。 」


大筋としては現状をよく分析した上での、よく練られた現実的なプランだと思った。
安曇病院としても早急に住民に向けて同様のレポートを出す必要があるだろう。(それこそ説明責任だ!)

地域医療再生には安曇病院と大町病院の連携、協業、そして統合が不可欠だが、なかなか経営母体の違う病院が協力してやっていくことは難しい。自分の家から近い病院、おらが町の病院にこそ頑張ってもらいたいというような住民感情もある。
判官贔屓のような感情もあるだろう。
大町市に「大町病院を守る会」ができ、県や市の主催する地域医療のシンポジウムが昨年からおこなわれているが、その中で同じ医療圏の中にある安曇総合病院のことは一言も触れられなかった。
これも地域エゴ、病院エゴの一例であろう。

しかし17年連続して毎年赤字を計上(税より補填)している大町病院経営改革はまったなしである。
大町病院の地域の中核病院としての機能や経営の在り方について、より深く検討していくために、有識者を中心とした「市立大町総合病院経営検討委員会」が設置された。


(信濃毎日新聞 2011年8月28日)

信濃毎日の記事によると8月20日の初の市立大町総合病院経営検討委員会には安曇総合病院の中川真一院長も出席し、「うちならつぶれます」という発言をしたようだ。
こういうもの言いでは大町市民や大町病院の職員の反感をかうだろうし、せいぜい「公立病院だから許されてきたこと。」くらいの発言にしておけばいいとおもうが、これは赤字になっては後がない独立採算の厚生連の病院をひっぱって来た院長の偽らざる気持ちなのだろう。

大町病院の経営難の一番は医師や看護師が不足し病床稼働率が低いことが原因だろうが、市職員がローテートで病院の医事や事務を担うため専門性が深まらない、高い人件費、不採算医療の提供、高額医療機器をそなえるが利用が伸びず設備投資に見合った収益があげられないことなども赤字の原因になっているようである。

例えば大町病院には尿路結石を超音波で破砕する結石破砕装置(ESWL)があるが年間30例前後しか利用がない。
(→CT、MRI等高額医療器械の利用状況
多くの病院では100~500例くらいの稼働があるようだからかなり稼働は少ない。
おそらく1~2億(今は数千万で買えるらしい)かけて導入したであろうESWLの機械であるが、診療報酬は約20万円弱であり年間30件では約600万円の収入しかない。これでは人件費やメンテナンスなどのランニングコストも出ないくらいではないだろうか。

突っ込みどころ満載の感動地域医療漫画「Dr.ーコトー診療所」の一コマを思い出した。


(Dr.コトー診療所 3巻 KARTE 22 「Dr.コトーはしゃぐ」より)

もっとも安曇総合病院を「がん診療連携拠点病院」にするために放射線治療機器を導入したり集中治療室(ICU)をつくるという動きがあるようで、これでは市立大町総合病院やコトーを笑えない。

大町病院も安曇病院も地域に必要な病院だ。
しかし市立大町総合病院も毎年赤字を計上している経営難で、JA長野厚生連安曇総合病院も毎年ギリギリの綱渡りなのだ。(DPC,7:1看護、ジェネリック導入など次々とカードを切って来たがもう切るカードがない。このままでは今年は赤字だろう・・といわれている。)。
日々の臨床の実践でお互いに競うのは良いが、無駄な争いをしたり過剰な設備投資をする余裕はない。
地域ニーズをしっかりと把握した上で身の丈にあった医療のありかたを真剣に考える必要がある。

全国の自治体病院の多くが赤字を抱え、厚生連や民間病院など他の経営母体に経営移管したり、指定管理者で募集したりということは全国的におこなわれているようだ。逆に経営難となった厚生連の病院を町立に移管するケースなどもあるようだ。
住民にとっては別に大町病院が市立の病院でなくても良いし、安曇総合病院が厚生連(JA)の病院でなくてもいいのだ。病院の経営母体は関係ない。住民は良い医療、必要な医療をを安定して提供してくれる体制をもとめている。
そう考えると例えば可能なら両方とも松本の相澤病院や安曇野赤十字病院(赤字だが・・)の分院になっても良いだろうし(実際に大町病院の指定管理者を相澤病院に打診したという噂はきいたことがある。)、合同で新たな事業体をつくるというような道もあるだろう。(ex.北アルプス医療福祉センター、大町サイト、安曇サイト、白馬サイトなど)
地域エゴ、病院エゴで市立大町総合病院と安曇総合病院が対立する構造になってしまっては絶対にいけない。
政治家や病院長といった立場の人がそういうことをあおっているのは本当にまずいことだと思う。

安曇総合病院の再構築はどんな形であれ市立大町総合病院との連携、協業、そして統合なくしてはあり得ない。


大町病院は大北地域の中心部で人口も多い大町駅前という好位置にあり災害医療の拠点でもあり院内でICLSコースを開くなど救急医療も頑張っている。また常勤の産婦人科医がおり、お産もおこなっている。
安曇総合病院は精神医療、整形外科などの得意分野をもち、独自で初期・後期研修医を採用したり、DPCや7:1看護、電子カルテの導入の実績もありなんとか黒字経営をつづけている。

まずは両方の病院の現場の職員や両地域の医療福祉従事者、住民が参加できる医療や経営などの合同の勉強会や懇談会、飲み会を頻回におこない交流していくことからだろうか。

(文責:樋端)

二次医療圏と「がん診療」

2011年08月29日 | Weblog
二次医療圏に一つの「がん診療連携拠点病院」を作ることが国と県の方針なのだから、大北地域にもがん診療連携拠点病院をつくらなければならないとの主張がある。

では、二次医療圏とはどのようなものなのだろうか?

二次医療圏とは医療法第30条の4第2項第10号で規定され、都市と周辺地域を一体とした広域的な日常社会生活圏で医療資源を適正に配置し、高度・特殊な医療を除く、手術や救急などの一般的な入院医療や包括的な保健医療サービスを地域で完結することを目指す地域単位である。
地理的条件、自然条件、人口分布、交通圏、通勤・通学圏、既存の行政等の圏域、医療施設の分布、患者の受療状況、老人保健福祉圏域等の社会的条件を考慮して、人口約30万人程度を目安として複数の市町村を一つの単位として認定される。
(多くの県では中心都市までのアクセスが1時間程度として設定されている。)

ちなみに三次医療圏とは一次医療圏や二次医療圏で対応することが困難で特殊な専門性の高い医療需要に対応し、より広域なサービスを提供する区域として定められており、一般的にはその都道府県全域を指す。(ちなみに長野県や北海道は複数の3次医療圏が設定されている。)

長野県で言えば二次医療圏は34000人の木曽医療圏から、長野の565000人の長野医療圏まで人口で10倍以上の開きがあるという状況になっている。これは平地が山で隔たられているという長野県ならではの地理的条件によるものだろう。
大北医療圏は木曽医療圏に次いで人口が少なく約60000人であり、隣接する松本医療圏420000人の7分の1、基準となっている300000人の5分の1の人口規模でしかない。

そもそもこの二次医療圏自体、絶対的なものではなく、医療圏の設定要素である自然条件や社会的条件(交通事情)等の変遷により変更されている県もあるようだ。(ex. 二次医療圏の推移(平成18年~平成19年)
だから、交通網の発展で大北医療圏(人口約60000人)と松本医療圏(人口約420000人)が合併したり、権兵衛トンネルができたことで木曽医療圏(34000人)が上伊那医療圏(192000人)と合併するなどのことも今後はないとも言えない。
長野県の北の端の小谷村の人(特に北部の集落)は県をまたいだ医療圏である新潟県の糸魚川市の病院にかかっている患者も多い。

この保健医療圏の設定はあくまでも行政的配慮に基づくもので、圏域を超えての住民が受診することが制限されたり、サービスの提供者である保健医療機関の活動等を規制するものではものではない。
高度専門医療への要求も強まり、交通網が発達し車での移動が普通になった現在、医療圏も大きく変化し、県庁所在地や大学病院がある二次医療圏に隣接する二次医療圏はどうしてもその影響を受けてしまう。

一般的に高度専門的な医療においては中小規模の病院よりも医師数や症例が集積する巨大病院の方がレベルが高い。
都市部の大病院には患者があつまりますますレベルがあがるという好循環(ポジティブフィードバック)がうまれ、過疎地の中小規模の病院は患者がへり、ますますレベルが下がり医者があつまらなくなるという悪循環(ネガティブフィードバック)がうまれる。
その勾配にさからって過疎地の中規模病院が都市部の大病院と高度急性期医療分野で同じ土俵で闘う事は相当困難なことである。

逆に高齢者医療やリハビリテーションや精神医療は、温泉地や山間地など過疎地に追いやられるというその逆の流れもある。(これは人件費や土地が安いということもあるだろうし、障害者を隔離するという意識も根底にはあるものと思われる。)

医療政策上、住民はフリーアクセス(自由に自分がかかる医療機関を選べる)なのにもかかわらず、医療資源は計画配置するというやや無理のある構造となっているが、これは医療サービスの均てん化という理念に基づいているからなのだろう。

一般的な医療サービスとはどこまでをいうのか、何%の医療ニーズを二次医療圏で完結するかとうことに関しての規定は特に定められてはいないようだ。
がん診療、心筋梗塞や脳血管障害や、お産、小児医療、精神医療など個別にデータを集め医療機関ごとにどのような機能が必要かといったようなことが県や保健所で一般的に綿密に検討されているかと言えばそうではないらしい。

現実的には地域医療計画に主として病院及び診療所の病床(ベッド数規制)を図る地域的単位として設定されていること以外に縛りがあるのみであり、毎年10月のある1日の患者の動向調査をもとにして、基準病床数の妥当性を検討しているにすぎないという。

地域医療は、以前から「二次医療圏を一体の区域として病院における入院にかかわる医療を提供する体制の確保を図るべきである」との規定をもとに、二次医療圏内で必要な医療が可能な限り完結できることが望ましいとされてきた。
これに沿って長野県でもすべての二次医療圏に概ね一カ所程度「がん診療連携拠点病院」をおくことを目指すなどというような目標設定がなされてきた。
第5次長野県保健医療計画平成20年3月、がん対策アクションプラン平成21年12月)

しかし国の政策は主要な4疾病・5 事業について、医療の流れや医療機能に着目した診療実施機関を二次医療圏域にとらわれることなく設定し、病態別に地域医療連携を図ることという通達が各都道府県に対してでるなど(厚生労働省通知平成 19 年 7 月 20 日、医政指発第 0720001 号)、二次医療圏内である程度完結することが望ましいとされたこれまでの経過からややニュアンスも変化してきている。
現実的な方向性だとおもう。

「疾病または事業ごとの医療提供体制(平成19年7月20日 医政医政指発07200001指導課長通知)」(→4疾病5事業について

○がん
専門的な診療を行う医療機関における集学的治療の実施状況を勘案し、従来の二次医療圏にこだわらず、地域の実情に応じて弾力的に設定する。
(※一方、がん対策推進基本計画(平成19年6月1 日閣議決定)においては、「原則として全国すべての2次医療圏において 、3年以内に、概ね1箇所程度拠点病院を整備するとともに、すべての拠点病院において、5年以内に、5大がん(肺がん、胃がん、肝がん、大腸がん、乳がん)に関する地域連携クリティカルパスを整備することを目標とする」こととされている。)

○脳卒中
発症後3時間以内の脳梗塞における血栓溶解療法の有用性が確認されている現状に鑑みて、それらの恩恵を住民ができる限り公平に享受できるよう、従来の二次医療圏にこだわらず、メディカルコントロール体制のもと実施されて る搬送体制の状況等、地域の医療資源等の実情 応じて弾力的 設定する。 もと実施されている搬送体制の状況等、地域の医療資源等の実情に応じて弾力的に設定する。
○急性心筋梗塞
急性心筋梗塞は、自覚症状が出現してから治療が開始されるまでの時間によって予後が大きく変わることを勘案し 勘案し 住民ができる限り公平に享受できるよう 、住民ができる限り公平に享受できるよう、従来の二次医療圏にこだわらず 従来の二次医療圏にこだわらず、メディカルコントロ ル体制のもと実施されている搬送体制の状況等、地域の医療資源等の実情に応じて弾力的に設定する。
○糖尿病
従来の二次医療圏にこだわらず、地域の医療資源等の実情に応じて弾力的に設定する。

○救急医療
地域によっては、医療資源の制約等によりひとつの施設が複数の機能を担うこともあり得る。逆に、圏域内に機能を担う施設が存在しない場合には、圏域の再設定も行うこともあり得る。ただし、救命救急医療について、一定のアクセス時間内に当該医療機関に搬送できるように圏域を設定することが望ましい。
○災害時における医療
原則として都道府県全体を圏域として、災害拠点病院が災害時に担うべき役割を明確にするとともに、大規模災害を想定し 規模災害を想定し 都道府県をまたがる広域搬送等の広域連携体制を定める 、都道府県をまたがる広域搬送等の広域連携体制を定める。
○周産期医療
重症例(重症の産科疾患、重症の合併症妊娠、胎児異常症例等)を除く産科症例の診療が圏域内で完結することを目安に、従来の二次医療圏にこだわらず、地域の医療資源等の実情に応じて弾力的に設定す
る。
○小児医療(小児救急医療含む)
地域小児医療センターを中心とした診療状況を勘案し、従来の二次医療圏にこだわらず、地域の実情に応じて弾力的に設定する



こういった流れを受けてか平成23年2月の長野県議会で阿部知事は「一定レベルの第2次医療圏のがん治療と緊急医療の整備を図るべき」との宮澤敏文県議(池田町・松川村より選出)の質問に対して


「・・・2次医療圏ですべてが完結する体制が本来望ましいわけでありますけれども、医療資源が遍在する現在の状況を踏まえますとなかなか難しいというのが現状です。・・・
・・・医療機能の集約化、あるいは役割分担の観点も含めまして、専門家や地域住民の御意見なども十分尊重しながら、長野県全体の医療体制の確立を図ってまいりたいというふうに考えております。・・・・
2次医療圏では完結することが困難な救急、周産期、がん医療、こうした分野における高度専門医療については、広域的な3次医療圏単位で県的な拠点病院と2次医療圏との十分な連携体制の構築というものが不可欠であります。
長野県議会 平成23年2月定例会本会議 阿部守一知事

のように答弁している。

あまり二次医療圏での完結にこだわると特に人口の少ない医療圏においては現実的には集約化ができず高コストとなり、またかえって医療の質を担保できず結局は住民にとっても不利益となってしまう。
この現実を無視して高度医療機関を人の少ない地域に強制配置するのは得策ではない。

がん医療に関しては以下のような専門家の意見もある。


「がん医療には手術、放射線、化学療法、緩和医療、患者からの相談に応じる業務が必要ですが、地域がん診療連携拠点病院はその1セットをそろえていなければならないことになっています。しかし、いろいろな手術を少しずつ行っていたのでは技量の維持ができません。放射線医療も集約化できるはずです。患者の身近にあると便利なのは、化学療法であり、緩和医療であり、相談です。ですから、手術と放射線は県庁所在地近辺にまとめ、そのほかの医療は地域で担当するというように機能を分けたほうが賢明です。」(国立がんセンター中央病院長土屋 了介 氏)
 (→日経メディカルオンライン2010. 4 がん診療連携拠点病院・4年目の決算

「最近「耐震偽装」や「食品偽装」の問題が取り沙汰されたが,がん医療においても不備な体制整備にもかかわらず,内実の伴わない「がん診療連携拠点病院」の指定は「偽装がん治療」であり,「絵にかいた餅」となる。」
(北海道がんセンター、放射線治療科 西尾正道氏)
(→がん拠点病院の実態



もちろん過疎地に、がん医療がなくていいというわけでは決してない。

しかし人口60000人の医療圏の過疎地の中規模病院にとって「がん診療連携拠病院」のハードルは高すぎる。
5大がんに限っても、がんの専門医をそろえるのは困難だ。
またリニアック(放射線治療機器)を配置したところで、指定要件である専任の放射線治療医や技師を配置するのに十分な症例数も集まらない。
たとえ建物を作り機械を入れたところで、信大の医局から放射線治療医を安曇病院に出す余裕はとてもないという。いや例え人手があっても症例が少ない病院に来たがる放射線治療医はいないだろう。

安曇総合病院には既に、「がん相談支援センター」が設置されているが、そこから一つずつ積み上げて、まず質の高い緩和ケア、外来化学療法を中心に医療を提供し、高度な手術や放射線治療などは大学病院などで行い一連の治療計画(地域連携クリニカルパス)にもとづいて共同でフォローして治療をおこない、地域の患者のニーズに応えていけばよい。

補助金をもらって建物をつくり放射線治療機器をいれたところで県が放射線治療医を確保してくれたり、それによってうまれた赤字を補填してくれるわけでは断じてないのだ。
イメージのみで医療を語る、名誉欲、地元エゴにとらわれた夢見る政治屋が何をいおうとも、あわてて安曇総合病院に放射線治療機器を入れる必要はどこにもない。

ドジョウが金魚のまねをしてもしょうがない。
第一線にいる現場の者は、ピンボケした無責任な外野の声に惑わされることなく、ドジョウのように泥臭く日々実践し、地域医療を前進(医療の民主化)させるのみであろう。

(文責:樋端)

なぜ、安曇総合病院への放射線治療機器という話しに?

高次脳機能障害の方の復職支援

2011年08月26日 | Weblog
精神科では、うつ病や統合失調症、高次脳機能障害などで働けなくなった方の就労支援を手伝うことも多い。
最近は発達障害の方の支援も増えている。

多くはリハビリセラピスト(言語聴覚士・作業療法士)や心理士、PSWや障害者総合支援センターの就労支援ワーカーとともに活動することになる。
発達障害があったり、ひきこもりが長く続いていたり、統合失調症を発症したりで20代~30代ではじめて就労する方の支援も難しいし、うつ病、とくにいわゆる現代型うつ病のリワークも特有の苦労がある。
しかし50代くらいの中途障害の方の就労支援も意外と大変なのである。

高次脳機能障害となった50代の方の中小企業への復職支援に関わらせていただいた。
高次脳機能障害は頭部外傷の後遺症や脳血管障害などによって引き起こされ、事故や疾病の後に、脳の情報ネットワークが障害され一旦獲得した能力が低下する。ワーキングメモリーが障害され、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などがみられる。
病識もなかなか獲得できず、感情のコントロールが難しくなったり、危なっかしい行動も多い。
ただ能力の変動や低下を考慮しなくてよいという点では統合失調症や躁うつ病、認知症などよりも感覚としては知的障害や発達障害に近い。

定年間近の50代くらいの年代では、組織の中でわりと重要な立場にいることも多いが、中途障害では、これまでやって来たことの延長線上に期待されていた仕事ができなくなってしまい、本人も家族も人生の計画の変更を余儀なくされる。
子供がまだ社会に出ておらずローンを抱えていたりした場合は悲惨である。
後遺症として生命保険の保険金はおりなかったりということも多い。
障害年金の受給要件を満たしており、年金がもらえるようになったとしても収入はガクンと下がってしまう。

復職に向けPSW、就労支援ワーカーとともに職場を訪問し、社長さんとお話をさせていただいた。
社長さんはこちらの紹介した「日々コウジ中」を、あてはまるところに付箋までつけて熱心に読み込んでくださっていり、さまざまな質問をしてくださり情報交換できた。

本人はしばらく試しで職場にでており表情もよかった。
周囲も徐々に雰囲気はつかめてきているようであった。

現場をみてみて気付いたことは、まずミスをすると大きな事故や損失につながる仕事、重機を扱うような仕事は難しいということだ。
また人とコミュニケーションをとりつつすすめていくような仕事も精神障がい者には困難な場合が多い。

障害者就労の場が多くはパンやクッキーなどの食品関係やクリーニング、箱折り、段ボールなどが多いことの理由が分かった。
しかしそういった単純作業の多くは機械化され、あるいは海外へ移されあまり多くはない。
下請けの作業をあつめている福祉企業センター(授産施設)や作業所での福祉就労となると時給は100~200円。毎日出ても、せいぜい月に1~4万円の収入にしかならない。

医療者は本人の能力をできるだけ正確に評価し今後の見通しをたてる。
本人と職場の希望を聞きつつ、就労支援ワーカーは障害当事者も雇用側もメリットが生まれ幸せになれるように双方の利害関係を調整し、使える制度を紹介し、支援の在り方や働き方を考える。
与えられた仕事の内容が本人の能力よりも高すぎても低すぎても、本人もまわりも辛い思いをする。

障害者雇用促進法にもとづき50人以上の民間企業では障害者(身障、療育、精神保健福祉手帳のいづれかを保持)を法定雇用率の1.8%以上雇わないと罰則があり雇えば多少の報酬がある。

もっとも従業員が50人以下の小さな会社では障害者手帳をもった人をやとわなくても罰則はないし、雇っても補助金はでない。
厳しい経営状況の中、今までの賃金を継続していくことは難しいし、働きに見合った賃金でなければ、他の職員からの不満もでる。
しかし働けなくなったからと解雇にしてしまうと従業員の安心感もなくなりモチベーションも下がる。

「運転は県のリハビリテーションセンターで評価をしてもらった結果でも通勤や買い物くらいにして、業務ですることはやめた方が良いという見解。記憶障害はメモリーノートなどの活用で代償でき、遂行機能障害はコーチをつけたり仕事の内容を構造化することで対応、注意障害はまだ回復するだろう。ただ脳疲労を来しやすく、疲れやすく疲れるとミスも増える可能性はある。しかし障害の特性上、これ以上悪くなるということはないと考えられる。」ということなどをお伝えすると社長さんも多少は安心したようだった。

「なんとか職場の中で仕事を作れると思う。給料は下がるが、作業所よりは給料も出せると思う。本人もうちで残って働く方が幸せだと思う。職員もみんないい人なんですよ。いままで長年、働いて来てくれたし、そういう人を雇い続けているということはカッコいいじゃないですか。従業員も良い会社だとおもって一生懸命働いてくれる。」

といっていただき、うれしかった。


日本でいちばん大切にしたい会社
あさ出版


知的障害者の雇用で有名な日本理化学工業などが紹介されている。

病院機能の集約とのネットワーク化(但馬地域の場合)

2011年08月26日 | Weblog
兵庫県但馬地域の豊岡市にある豊岡公立病院で働いていたことのある医師と話しをする機会があった。

但馬地域は、兵庫県の北部に位置し、豊岡市、養父市、朝来市、香美町、新温泉町の3市2町から構成され、東は京都府、西は鳥取県、南は播磨・丹波地域、北は日本海に面している。管内の面積は2,133.5km2と兵庫県の4分の1を占め、その83%を山林が占めている。
しかし人口は、平成17年国勢調査によると、191,211人で県全体の約3.4%にとどまり、人口密度も89.6人/km2と県下で最も低く、人口推移をみると昭和25年をピークに減少し続け、過疎化が進んでいる。
また、少子化や若者の流出などによる高齢化も進んでおり、高齢化率も28.7%と県平均の20.5%を大きく上回っている。

 
同縮尺の但馬地域(豊岡)と大北・安曇野地域

但馬地域の中心となる豊岡市は人口86000人、山に囲まれた盆地の町であり、川沿いに日本海側にでれば有名な温泉地である城崎があり、
コウノトリのふるさととしても有名である。

但馬地域の基幹病院である公立豊岡病院(公立豊岡病院組合立豊岡病院)は地域の医療体制の再編とあわせ2005年に現在の場所に新築移転された病院だ。
病床数500床の急性期病院である。

医療再編の計画に基づき、幾つかの公立病院は統廃合され、急性期専門医療は公立豊岡病院に集約化し他の病院はそれぞれの特色をもった慢性期医療に徹する体制に再編することで、地域に現在の救急医療体制が確保できた。
(→但馬圏域 公立病院等のネットワーク化の検討について
(→公立豊岡病院組合改革プラン策定委員会

救急医療、急性期医療もかなり高度で専門的な医療までやっているようでドクターヘリ、ドクターカーも運用している。
救急集中治療部や総合診療部を確立し、慢性期医療を担当する病院等への外来支援・業務支援もおこなっている。
当然がん診療連携拠点病院でもある。
精神科の病床やディケアもあり、アルコールや認知症、思春期などの診療も活発にやっているようだ。

そこで働いていた先生の話しによると・・。

「都市部から遠く、基本的にそこしか病院がないのでセカンドオピニオンという概念がない。」
「さらに高次医療機関への搬送は姫路や神戸まで高速道路(2車線)をつかっても3時間かかる。」
「なんでも断らずに見て、専門科の先生もオンコールで待機しているので患者さんにとっても都会よりも良いだろう。」
コウノトリ但馬空港があり朝夕と伊丹空港にしか飛んでいないが、豊岡市民は4000円~で使え、電車よりも安い。伊丹経由で東京にも往復30000円で出ることができる。」

その病院が断れば近くには他に行くとことがないので診療する方も真剣である。
患者さんも地域で一番のその病院でみてもらえば、あきらめもつく。

過疎地でも集約化ができれば高度な医療機関を持ちうることができるという好例であろう。

同様の例は長野県の佐久総合病院や岐阜県飛騨高山の高山赤十字病院などもそうだろう。
大北地域もうまく集約化できれば救急にしてもがん診療にしてもより高度医療の提供体制が確立できたかもしれない。

もっとも人口42万で大学病院も抱える安曇野・松本・塩尻の医療圏と連続した地域であるのでよっぽど上手く集約化し医療を頑張らないとそもそも厳しいのだろう。

話しは変わるが、松本も羽田までは3時間以上かかる。松本空港から福岡や札幌に飛ばすのもいいのだが、羽田国際空港か関空(?)、セントレアにコミューター航空が飛んでいれば羽田から全国に行けて楽になるのにと思った。もっともこれは米軍の基地がある横田空域が邪魔してなかなか実現できないそうなのだが・・・。

高齢者支援から見えてくる地域の課題

2011年08月24日 | Weblog
病院の隣町にできた高齢者用の住宅に小規模多機能事業所が併設された施設のスタッフと利用者から相談があった。

認知症やひとり暮らしを支える在宅ケア「小規模多機能」

その施設は県道沿いにあり車では便利な場所なのだが、徒歩圏内には商店はなく街場からはやや離れたところにある。
しかしニーズは多いようで周辺の市町村から認知症や身体障害のある高齢者が次々に入居され、あっという間に埋まった。

その中で比較的若くして認知症の進行ため一人暮らしが困難となり、家族との同居も困難で少し離れた街から家を引き払ってきて入居された方がいた。
最初は気に入っていたようなのだが、他の入居者に比べて認知症の程度がかるく、それまで気ままに暮らしていたため、だんだんそこに居るのは嫌だという気持ちがつよくなり不満がふえているとのことだった。
人間関係は悪くはないのだが、施設から出られず閉じ込められたような気分になるのだと言う。
小さな畑をつついたり、近所へ散歩したり、いろいろ施設の中のことも手伝ってもらったり、スタッフと出かけたりもしているようなのだが、商店などは遠く、買い物にも気軽にはいけない。

日中の活動場所であるディケア(隣に併設)は小規模であり、作業療法士などのセラピストの配置は義務づけられておらず、スタッフも手探りのためディケアでのアクティビティが少なく生活がマンネリ化してしまうのだという。
かといって家族もスタッフも忙しく、その方だけの希望に添って常につきそって外出できるほどの余裕はない。

小規模多機能は包括払いであるためそれで介護保険サービスの限度額はほとんど使ってしまうため他のディケア(通所リハビリ)なども使えない。

だが、いい点もある。
スタッフが子連れ出勤可ということで子供がボランティアでウロチョロしていたり、友人やお孫さんが泊まりにこれたり、訪問販売で地域のパン屋さんが来たり、といったアットホームなところは大規模な施設とはまた違ったいい雰囲気をつくっている。
これがより発展すると学童や幼児、障害者などもいられる富山方式の宅幼老所、あるいは千葉県の共生型ディサービスということになるのだろう。
近くの養護学校の生徒さんなどが学校帰りにタイムケアとして使えたりすると、それぞれに役割や楽しみを見いだせると思う。
今の長野県にはそのような施策はないのだろうか。

工夫すれば、なんとか一人で公共交通機関で出かけられる程度の力はあるかとも思われたので、どこか出かけられる場所をということで医療保険で使える病院の精神科作業療法(2時間弱)あるいは精神科ショートケア(3時間)の利用提案した。

バスは近くから病院まででているが本数が少なく、安曇野市のデマンド交通(あずみん)は市町村をまたいで使えず、タクシーは便利だがあっという間に何千円にもなってしまいやや高い。池田町の有償ボランティアサービス、「サポートてるてる」、JAあずみの有償ボランティアサービス「あんしん」などは付き添いはできても移送には使えないようである。社協の移送サービスは数日前までに予約が必要で使用目的が限られるなど、やや使い勝手が悪い。民間の適当なスペシャル・トランスポート・サービス(STS)は当該地域には見当たらない。
自ら運転をしない人の気軽な移動支援というのはニーズがあるが、どれも一長一短である。
個人的にはタクシードライバーに介護や障害に対する知識と技術を身につけてもらい、ハンディキャップを持った人や高齢者で免許を返納した人が利用する場合に行政から補助をつけるの(手帳で1割引やタクシー券の補助はあるが、いっそ半額にするなど。)が現実的と思われる・・・。もっといえば本当は徒歩圏内に商店や病院がある街場に住みかえるのがいいと思う。

その方の場合は、たまたま近くのバス停から病院に往復するのにいい時間のバスがあったので、バスをつかうのがいいのではないかということになった。


また迷ったり困った時に上手くSOSを出せるかやや不安なため、

(1) クリアケースに連絡先を書いて首からぶら下げておく
(2) ココセコムなどのGPS機能付きのキッズ携帯や端末を外出時にはもってもらっておく。(→こちら)       
(3) バスやタクシーの運転手や近所の人に知っていてもらう。

などのことを提案した。

また逆に病院から作業療法士や音楽療法士などのセラピストが定期的に訪問することもできれば良いと思った。

安曇総合病院には音楽療法士(国家資格ではないが、リハビリ科、ディケア所属)がおり、プロの生演奏、生声での歌や音楽のプログラムをやっている。
集まって歌を歌うと病棟でもかなりすすんだ認知状の方も目が蘇り、本当に楽しみにしている方も多い。

地域のディサービスなどの施設からも依頼をうけ有償で派遣もおこなっており好評のようだ。
本当は、こういったことに県や市町村の補助金がつけば良いと思う。
(南佐久郡の市町村は介護保険ができる以前から南部合同事業としてリハビリのセラピストの地域への派遣に関して予算があった。佐久病院が委託を受けて施設や個人宅にセラピストを派遣していた。介護保険以後も継続され、こぼれ落ちたニーズを拾っていた。)

池田町でも社会福祉協議会が来年2月のオープンを目指して小規模多機能事業所を計画している。(→こちら

役場に隣接した街の中にあり、総合病院で精神科病床もあるという全国にも珍しい病院である。
公衆浴場のある福祉センターやスーパー、図書館、役場、精神科ディケアなども徒歩圏内にある。

このエリアに高齢者、障がい者の住居や小規模多機能事業所などをたくさんつくり、公共交通機関もより使いやすくして、街全体が福祉の街になっていけば高齢化がますます進む今後、本当に多くの人が助かると思う。

安曇総合病院の中川真一院長は、「福祉の街ベーテル」を目指すと宣言をし、病院旅行の一環として昨年はドイツにまで視察にいった。
そして昨年の職員全体の集まった忘年会で視察の様子をスライドを見せて紹介し、障害者の働く場、暮らす場をつくっていくのだと語っていた。

だから今年に入って院長が急に補助金を得て急性期医療の病院を目指すと言い出し、がん放射線治療機器の導入やICUの設置の計画を打ち出して来たのには本当に唐突に感じた。
がん診療連携拠点病院を目指したり、ICUや放射線治療、心血管インターベンションもあっても悪くはないだろうが赤字をだしつつムリしてこの場所でやることが必要なのだろうか。また現実問題として、やりたい人、やれる人がいるのだろうか?

病院の恥なので表にはなかなかでてこないが、過剰投資で経営が成り立たなくなった病院のことはよく聞く。
安曇総合病院は急性期はそこそこ丁寧にやりつつも高度医療が必要な患者さんは隣接する医療圏である安曇野市や松本市の病院との連携を強化してお願いし、市立大町総合病院や安曇野赤十字病院を得意分野でサポートし、地域のニーズである緩和ケアやリハビリテーション、精神医療、在宅医療などの支える医療に力をいれたほうがベターなのではないかと思う。

もしそれをまじめにやっていても病院経営がなりたたずに赤字になるようなら、それこそ制度がおかしいのであって、それを変えていくことこにこそ政治家にはがんばってもらいたいと思うのである。

(文責:樋端)

奇跡の医療・福祉の町ベーテル―心の豊かさを求めて
橋本孝
西村書店





センターというからにはMDアンダーソンがんセンター紹介

2011年08月22日 | Weblog
がんセンターというと世界的にはアメリカ合衆国テキサス州ヒューストンにあるMDアンダーソンがんセンターが有名である。

MDアンダーソンがんセンター(MDA)は49もの医療研究教育機関が集まる世界で最も大きな医療キャンパス、テキサスメディカルセンター(TMC)の中にある癌の治療、研究、教育、予防を専門とする大規模がんセンターでありがん治療の歴史を作って来た。
綿花工場で巨額な富を得たもののがんを患ったアンダーソン氏が多額の寄付を行い1942年にがんセンターができたのが始まりだ。
今や全米トップ、そしておそらく世界トップのがんセンターだ。
日本のがんセンターや大学病院とは人もモノも集積度が段違いだ。


チーム・オンコロジーMDアンダーソンがんセンター概要

職員数は 17,000人、研修者(医師、科学者、他の医療職種・・)も約6900人。
2010年度の実績では年間105000人以上の患者を診療(うち32000人が新患)している。
臨床試験は年間約5000件ほど行なわれており、世界中から患者があつまる。
29台のリニアックが稼働し、世界最大の陽子線治療センターもある。

そして驚くべきことは、これほどの症例数のあるMD.アンダーソンがんセンターの病床数がわずか520床しかないということだ。
同規模の日本の病院(例えば愛知がんセンター)に比べて約17倍ものスタッフ数で運営されている。
どれほどの密度での治療がおこなわれているのだろう。

まったくもってあらゆるものが桁違いだ。


アメリカの病院は長期入院できず、すぐに退院させられてしまうので退院後は病院近くのホテルから治療に病院に通う。
センターの周囲には有名高級ホテルから長期滞在向けのホテルまで各種ホテルがあるそうだ。

また、がん医療の均てん化という意味で、初期の評価と治療が終われば地域の病院でフォローされ、センターには定期的にアセスメントのために来るというような仕組みになっているそうだ。
これはとてもいい仕組みだと思う。地域循環型医療という感じか。


内部の雰囲気は次のレポートなども参考になる。(→日本の医学物理士が見た M.D.アンダーソン

ものすごいマンパワーでシステマテックに研究や診療がすすむ様子が見てとれる。
個々の患者は尊重されているのだろうが、遠くからみると流れてる一つの部品のようだ。

こういうのをみると人類と「がん」とのの闘い・・という感じもして、宗教的、崇高な感じすらうける。

日本でも北海道のハイメックス構想、築地の医療コンプレックス、神戸の医療特区など、同様の構想はあるにはあった。
しかし日本には、これほどの規模の医療複合体・医療産業都市は生まれなかった。
日本では皆、センターばかりをやたら作りたがって、結局、どこもセンター(中心)になれず皆が不幸になるという構造があるからだ。
この構造は羽田や成田、あるいは関空と伊丹空港、神戸空港空港などの不毛な争いをみてもみてとれる。

これは狭い島国の中で、おらが村を越えた以上の世界を想像できない狭い縄張り争いをつづけてきた民族性によるものなのだろうか?
それとも新しいものには飛びつき、とことんやりたいアメリカの国民と、あるがままを受け入れる日本国民との国民性の違いなのだろうか?
それとも日本の辺縁国家としての宿命なのだろうか。


ところで佐久総合病院から静岡がんセンターにいった先輩は「若いがんの患者さんがたくさんいる。」ことに驚いたという。
若い人であればあるほど、より治癒の可能性を求めて人口集積地の高度ながんセンターにも行き闘病する。
そこで、いい主治医に巡り会えればしあわせだろう。
高齢者は地域でそこそこの治療を受けて地域で生を全うする。
これも、いい主治医に巡り会えればしあわせだろう。

がん拠点支援病院にも適正な規模というものがある。
中途半端な規模なものがいくらできても結局センターにはなれない。
人口がたったの6万人しかいない高齢化のすすむ大北医療圏には、質の高い「がん相談支援センター(これもセンターだ(^◇^;))」と、「通院治療センター」(これもセンター(^◇^;))、ホスピスケア病棟をおいて、あとは高次のセンター(信大病院や相澤病院の集学治療センター)に任せる方がトータルとして質があがり満足度の高い治療がおこなえるのではないかとおもう。

(これはあくまでも樋端の私見です。)


北海道の放射線治療事情

2011年08月21日 | Weblog
北海道の大学で放射線治療医をされている先生に北海道の状況と、当地での放射線治療設備の配置について意見をうかがった。

「北海道の場合だと例えば帯広厚生病院では年間400人程度の照射患者がいます。帯広は人口20万人ですが、十勝全域にはおそらく50万人程度でしょうか。6万人だと年間40-50人程度でしょうか。年間100人は照射しないとペイしないので厳しいかもしれません。放射線治療装置を入れたとして、常勤や出張の放射線治療医は確保できるのでしょうか?北海道は中核都市にしか放射線治療装置がないので、例えば稚内や根室の患者さんは旭川や釧路に来ています。日高在住の方は苫小牧まで来ています。通えない場合が多いので、照射中は入院して照射しています。」
とのコメントをいただいた。

北海道の人口の半分を占める札幌圏と幾つかの中核都市はともかくとして、それ以外の地方はかなり悲惨な状況だ。
松本まで30km~60kmなどというレベルではなく100~200kmは離れている。
さすが広い、遠い、人少ない北海道だ。


もっとも信州でも特に高齢者は入院して放射線治療をすることもけっこうあるようだ。
入院生活が快適ならいいが、病院のまわりのウィークリーマンションなどから通うという手もあるかも。





同縮尺の地図にマッピングした認定放射線治療施設

他の北海道で医療をおこなっている先生から、それでも長野は恵まれているという声も聞いた。

新潟県より大きい道北エリア(人口20万、留萌、名寄、士別、稚内など)にも、がん診療連携拠点病院が一つもないのは驚きであった。
結局、ある程度のスケールと背景人口がないと拠点ができない。それならば、待てる「がん治療」は設備も人もそろっている中核都市で入院して治療をうけたほうがよいという判断なのだろうか?



それにしても、がん診療連携病院は名だたる大病院ばかりである。
がん診療はともかく、北海道の地方の中核病院は重装備である。
それこそ次の町までかなり遠く2次医療圏である程度、完結しなければならないから・・・。
(長野県で言えば県立木曽病院のように)




なぜ、安曇総合病院への放射線治療機器という話しに?

2011年08月20日 | Weblog
(以下、あくまで樋端個人の私見です。)

前回のエントリーに関して、いろいろな人に意見を聞いた。

件の宮澤敏文県議会議員ともメールで意見、情報を交換することが出来た。
県議からは「どうもスタートの基本的認識が異なっている」という指摘をうけた。(同感である。)
すでに県議には私からの私信をも外部(大町保健所長など)に無断で公表されてしまっており、オープンな議論をしたいという事なので、県議のメールでの発言から、これまでの経過と県議の主張をまとめてみる。

以下は、宮澤県議のメールより抜粋させていただいた内容である。

*********************************

「大町保健所や私たち行政のかかわるものは、何よりもプロセスを大切にし、発表されるプロセスに誤りはない。」

「今回の病院再構築に対しても、市町村財政が厳しく、多額な出資は、行政もJAも難しい商況にあり、昨年秋からまず行政に理解をいただこうと院長と前事務長と運営委員長の私の3人で大町市、安曇野市、池田町、松川村、生坂村、白馬村、小谷村とお願いに回り、しぶしぶ(1)25年度再構築スタートということ (2)国・県から7億円をもらうという条件の元一応の合意をいただいた。」

しかし
「50億円を超える出資は、大変な額で、地元市町村はがん治療、緊急医療の確立を望む完結医療の実現のために出資すること」を明確に院長に訴えていた。

「現在日本の医療政策の基本は行政的には「第2次医療圏完結体制の整備」であり、「いつでもどこでも義務を果たす国民に一定レベルの医療サービスの提供」することは国政の基本である。」
だから
「県は県内10の医療圏に1つずつの、がん診療連携拠点病院の設置を求めている。当然、2次医療圏の1つである大北医療圏(人口60000人と木曽医療圏の3万2000人についで2番目に小さい。長野県の人口の3%)にもがん診療連携拠点病院が必要である。」
という前程があり、そして、
「制度上、がん診療連携拠点病院には放射線療法提供体制の整備が必要。」なのだそうだ。

これに関しては、
「がんセンターのような超高度を求めているのではない。がん連携拠点病院は2次医療圏大北地域の一つ作るとの県の方針で、平成21年の9月県議会で県議の質問に対し、「がん放射線治療医は責任もってまだ設置されていない2次医療圏に対し長野県が配置する」と当時の衛生部長が確約した。」(→ここ?確約は言い過ぎじゃ・・

「市立大町総合市民は医師不足や経営難であり自治体病院の再建計画を提出した平成21年に「慢性期」中心の病院を目指すといい、将来のがん診療連携拠点病院には手をあげなかった。(→こちら?)(※「なお、厚労省は、概ね 2 次医療圏に 1 箇所程度の「がん診療連携拠点病院」の指定 を行っているが、当院の規模、放射線治療設備の不備から、当面指定獲得は目指さない方針としたい。」)」

「だから大北地区にあるもう一つの病院である安曇総合病院に期待するしかなく、既に「がん相談支援拠点センター」を設置した。そして、将来の「がん診療連携拠点病院」を目指すという方向性を病院からも聞いている。」

こういう状況の中で、
「国では膨れる医療費をコントロールするため、平成23年から25年に地域医療体制整備のための最後の医療圏整備策として、全国で3000億円(長野県で120億円)ほどを当て、各病院ごとの計画ではなく、2次医療圏を管理する県保健所が各病院と連携しての計画作成をもとめた。

大町保健所においても、22年の11月頃から市立大町病院と安曇総合病院に何度も話をし、両病院で院長レベルや事務長レベルで何度も会議を持ち、調整をし、大北医療圏としての案をまとめ、22年度3月末までの整備締め切りに、がん拠点病院を目指しての放射線治療機器の整備のために7億円(3年で20億円)を県に陳情した。
これは院長「私案」などではなく安曇病院の正式案として扱っている。」

「大北医療広域は、(1)他の10医療圏より医療整備が遅れていること、(2)2つの病院をバックアップする財政的バックアップ力が医療関係者には申し訳ないのですが脆弱。(1)(2)を考えると県や国の制度をうまく使って医療環境整備をしていくしかない。」

「住民が望む医療の最低限は地域病院で完結していただきたいと願う地域の思いでもある。今さら大北地域のがん治療の拠点病院を辞めるなどいう発言は、許されるものではない。「説明責任」が何より大切。」

「ここまで来るにはいろいろとドラマがあった。経過を踏まえ、病院関係者と地域行政じっくりみんなで話し合いベターを求めていけたらと思う。そうでなれけばとんでもない方向へ行ってしまうだろう。」

「住民の最大の関心事は医療です。医療は医師だけでなく医療関係者だけのものでもない気がします。地域を挙げ議論し作り上げていく必要性があるのでではないでしょうか。」

「もっとさわやかに、オープンでこのような重要な話ができることを願う。」


*********************************

オープンでこのような重要な話しができることが必要、地域を挙げ議論しつくりあげていく必要があると言う点では、まったく同感である。
いろいろ情報を丁寧に教えていただいたのはありがたい。
おかげではじめて全体像が見えてきた。

地域を挙げてオープンな議論をするためには正確な情報公開が必須である。

しかし、これまでのプロセスに関してあまりにも秘密裏に物事がすすめられてきており、内容に関してはあまりに性急で杜撰な計画で一部の人間が暴走しているという印象をうけた。
私には補助金の予算ありきのイメージのみで物事がすすんでいるように思える。
建物や機材はお金さえあれば買えるのかもしれないが、より重要な人材の確保については「大学医局に依頼する」こと以外は何も決まっていないのだという。
(大学の放射線科の医師にも聞いたがとても医師派遣は不可能とのことだ。)

プロセスを大事にすると言うが、そもそも「しぶしぶ」市町村(長)から合意をもらうことが適切な政治プロセスとはおもえないし、県議が委員長をつとめていた安曇総合病院運営委員会はあくまで諮問機関(応援団)にすぎず、厚生連病院の運営方針の決定をする場でもない。
県議の言う「説明責任(アカウンタビリティ)」という言葉の使い方もよくわからない。

「一度やるいったことをやめるということはは無責任だ。」というような意味なのだろうか???



住民に負担のことは言わずに、「この地域にがん診療連携拠点病院、放射線治療機器が欲しいか?」と聞けばそれは欲しいと答えるだろうし、必要なのかといわれればそれは必要なのだろう。
我が国のがん治療においては放射線治療は十分活用されていないといわれているし「気付かず型」「がまん型」のニーズがあるかもしれない。
安曇総合病院にがん放射線治療の体制があればがん治療の選択肢が広がるし、松本まで行かなくても治療が受けられるようになる。(選ばれるかどうかは別問題だが。)
そしてペイするかといえばおそらくどう頑張ったところでペイしないだろう。

しかし、そもそも2次医療圏で全て完結するなら2次の意味はない。

医療圏ごとでの達成率の順位をつけても、人口も状況も違うし医療圏を越えての受診行動なども今や普通であり実情を反映しているとはいえない。そもそも隣接する人口42万人の松本医療圏(大学病院を抱える)と、人口6万人の大北医療圏に用意できる医療体制が同じなわけがない。
オリンピック道路の開通(白馬から長野は近くなった)、権兵衛トンネルの開通(木曽と伊那谷が結ばれた)など交通事情もかつてとは変わってきているところもある(市長村が合併したように医療圏も変化していくものだ。)長野自動車道に直結する高瀬川に沿った松糸高規格道路も計画されている。
医療も高度化し集約化しないと十分な体制を用意できなくなった。どこまでその医療圏内で担うかということも考えなければならない。
安曇総合病院や市立大町総合病院の医師も安曇野市や松本から通っている人も多い。遠くは伊那から通っている医師もいる。
大雑把な区切りで完結などと言うのではなく、疾患ごと、ニーズごとでもっと地域の実情に合わせて細かく考えていかなければまったく意味がないだろう。

がんのように待てる疾患と、脳卒中や心筋梗塞のように待てない疾患があることを考えてもそれはわかる。
住民がのぞむ最低限の医療とはどこまでなのだろうかといったことや、それにかかるコストもちゃんと議論しなくてはいけないだろう。

行政側は箱ものや機械はそろえるけれども、そこに人はつけない。(むしろ、つけられない。)
一部の例外(自治医科大学の義務年限内の医師など)を除いて技術職、専門職、資格職である医師や看護師などを強制的に配置する権限は行政にはない。
設備があるだけでなんとかしろというスタンスだが、放射線治療をやるにはリニアック1台あればすべてOKというわけではなく、コンピュータ技術を使って高精度に照射するための周辺機器や専門のスタッフが必要だ。こうした専門家はまだまだ数がすくない。
リニアックのある施設は全国で850病院あるが、常勤の放射線治療認定医の人数、治療担当技師の経験年数、年間の治療患者数、保有する治療装置の種類など、一定の基準を満たしている認定放射線治療施設は約200程度しかないのである。
患者の側も動ける人なら自分の体のことであるから、できれば認定放射線治療施設で、放射線治療機器もリニアックではダメで、より高性能なトモセラピーやIMRTじゃないと、さらに陽子線じゃないと、重粒子線じゃないと・・と調べ納得のいく医療機関に移動することは止められない。
現に宮澤敏文県議の母だって信大や相澤病院を飛び越して、国立がんセンターで治療を受けていたではないか。(→こちら


【日本アルプス先端医療いやし産業構想】
官沢敏文の提唱
「・・・
 わたし自身、ガンに苦しみながら、短い人生を生き貫いた母を見つめ続けてきました。母は、先端技術を備えた治療体制が地元にないため、遠く、人の波であふれる東京で、妹の小さな下宿から一年問近くも、国立ガンセンターでの放射線治療に通いました。母は、副作用による身なりの変化に対する周りの目を気にしながら、電車で通院しなければなりませんでした。あれだけ『治るまでは、帰らない』ときっぱり言い続けた母の入院日記には『帰りたい、帰りたい、うちに帰りたい』と、日に日に弱っていく力を振り絞って書いてありました。わたしには、今でも母が『ガンのつらさ、遠く離れた治療を受ける者の心のいたみ』を訴えている気がしてならないのです。
・・・」



もし信州大学病院がIMRT(強度変調放射線治療)をはじめたり、松本の相澤病院で陽子線治療(現在は300万円弱の自己負担、リニアックより少ない回数で治療可能)を受けられるようになり、それが保健適応となったとしても、安曇総合病院にムリしていれた性能の劣る放射線治療機器で放射線治療を受ける人がどのくらいいるのだろうか?

陽子線治療の設備をつくるには何十億円も必要だが大北にも一つ、という話しになるのだろうか?


ここでは再構築などというあいまいな言葉の影でかすんでしまっているが、「病棟が地震で倒壊してしまうかもしれない・・。」ということと「新たに放射線治療機器を設置しよう。」というのは全く次元の違う話である。

すでに建屋(たてや)に2億円などという話しまででているが、具体的な放射線治療を必要としている患者数(県の資料には約100人とある。)やその分布、動向といったデータはあいまいであり、実際に誰が、どのようにやるかということも全く決まっていないようだ。

現在大北の住民の中で、がん放射線治療を必要とする人がいて、その人たちは、どこでどのような治療受けていて治療機器が安曇総合病院にないことでどれだけの不利益をこうむっているのかといったようなデータをもとに冷静に議論したい。
参考資料に上げたもののように、疾患ごとの医療へのアクセスなどを地図上に展開したデータなどが欲しい。
また全国的、世界的に放射治療機器までのアクセスは平均何分くらいなのか、離島やへき地ではどのような状況なのかといったデータも欲しい。
それでも、どうしても放射線治療機器や急性期によった医療が欲しいというのであれば、大北地域の住人全体の利便性を考えるなら、大北地区の中心に位置し、人口もより多く(約3万人)松本市からも遠い(約40km)大町市にてこ入れした用がベターだろうとおもう。

こういったデータをまとめるて分かりやすく示すのは保健所の責任だと思うが、そのようなデータはあまりない。

仕方ないので手に入るデーターで試算をしてみる。
安曇病院の平成21年度の院内がん登録が年間約200人、そのうち放射線が有効な腫瘍が半分で、そのうち放射線治療の適応になるものが半分として年間約50人くらいか。
また人口1000人当たり年間1.58人(全国平均)が放射線治療をうけるというデータがあるが、これからすると大北地区(約6万人)のニーズは94.8人となる。また長野県で平成20年に放射線治療(対外照射法)を受けた人は2327人であり(平成21年地域保健医療基礎統計)、大北地区は長野県の人口の3%であるから69.8人と試算される(高齢化率の違いなどは考慮していない)。
しかしこれらは全ての腫瘍をあわせての数字だから、放射線治療の多い頭頚部の腫瘍(耳鼻咽喉科、脳神経外科)や、乳腺外科、婦人科、消化器内科(食道がん)には常勤医がいない当院ではこれよりはかなり少なくなくなると思われる。ホスピスがあれば緩和照射として骨転移に関しては使うことはあるのかもしれないが。
またより高度な集学的医療がおこなえる松本、長野の大病院への流出もあるから、どんなに多く見積もっても年間50人程度だろう。しかしリニアックは年間100人は照射しないとペイしないといし、放射線治療のガイドラインによれば一人の放射線治療医は年間200人程度の新患+再診患者の治療をおこなうのが適当とされるが、それには到底及ばない数だ。
今後どんなに放射線治療の需要が伸びていくとしても大北医療圏に一人の放射線治療医をおくほどの需要はない。
まずは当院でも大町病院でも不足している内科系医師(消化器内科医、総合診療医)の招聘が先だろう。

院内でおこなわれた別の試算ではさらに厳しく、ペイするには年間200人程度が必要だが予想される新規患者数は年間20人程度という結果だった。

がん診療の均てん化は重要だが、ネットワークの考え方を前提にして行かないと無駄な投資になってしまう。
放射線治療医も少ない現在、どう考えても放射線治療機器はより広域的な地域で計画配置したほうが良い。



「がん医療には手術、放射線、化学療法、緩和医療、患者からの相談に応じる業務が必要ですが、地域がん診療連携拠点病院はその1セットをそろえていなければならないことになっています。しかし、いろいろな手術を少しずつ行っていたのでは技量の維持ができません。放射線医療も集約化できるはずです。患者の身近にあると便利なのは、化学療法であり、緩和医療であり、相談です。ですから、手術と放射線は県庁所在地近辺にまとめ、そのほかの医療は地域で担当するというように機能を分けたほうが賢明です。(国立がんセンター中央病院長土屋 了介 氏)
 (日経メディカルオンライン2010. 4 がん診療連携拠点病院・4年目の決算



放射線治療はがんの種類や患者の状態にもよるが1日1回照射(10分程度(照射は2~3分))、週5回照射で行い、治療回数は数回から40回程度だ。
透析治療のように一生ずっとというわけではないのだから放射線治療が必要な患者には電車代、ホテル代、タクシー代の補助をだすといったような考え方もあるだろうし、大北地域の患者には相澤病院ではじめると言う陽子線治療(高度医療として自己負担300万円弱)の費用の一部を負担するという考え方もある。

中川院長は、「信州大学病院にもリニアックは1台しかない。放射線の治療のニーズが増えれば松本地区で担えなくなり、患者があふれてくるから安曇総合病院にも放射線治療機器が必要。」と言っていたがそんなことはありえない。
ニーズが増えればそれにあわせて松本の大病院も設備を増強するであろうことは火をみるより明らかだ。

県議のこれまでのドラマはともかく、やる人も決まっておらず、受益者がどのくらいいるかどうかも明確ではなく、赤字運営となった場合はだれが持つのか、などの点が詰められていない状態で、予算を獲得しようとして計画が動き出すのは順序が逆だろう。

職員全体会で、この計画をもっともプッシュしていた院長が「自分はもうすぐ定年でやめるので、今後のことは責任は取れない。」と言っていたのを聞いてあきれはてしまった。

無茶な計画だと思えば撤退する勇気も必要だ。
こんな計画を独立採算の病院がおしつけられて将来に禍根をのこす必要はない。
じっくりと必要性と実現可能性を検討してからでも遅くはない。

何より一番の問題は、情報公開があまりになされていなかったことだとおもう。

しかしこれで、やっと初めてスタートラインに立ったといえる。

地域住民に積極的に情報公開し「それぞれが何か地域、そしてこの病院にに必要か、自分に何ができるか。」を考えてもらうべきだろう。
それでも地域の住民が、「おらが町にも何でも出来る総合病院(今回は放射線治療設備)が必要だ。そのために相応の負担はする。」と選んだ結論なら仕方がない。

それが民主主義のルールというものだ。

ただ、診療報酬自体の締め付けも全体的に厳しくなり、余裕のあるところで稼いで、心意気でやっている赤字の部門にまわして全体でバランスをとるということも難しくなってきている。

ペイしないことをJAの組合立の病院にお願いするのであれば、その場合はそれでうまれる病院の赤字分を公的資金で補填しつづけてもらうか、県立や市町村立の病院に移管した上で独自に運営してもらうかしなければおかしいと思う。
もっとも公立病院も独立採算をもとめられて、赤字を垂れ流すことはできず、厳しくなってきてはいる現在それは困難な事であろうが・・。

最後に一言。
「せいてはことを仕損じる。過ぎたるは猶及ばざるが如し。」
大北のそして全国の地域医療史にのこる愚行をおこなわないように祈りたい。

【初音ミク】僻地医療崩壊を歌う

大北地域の医療再編と安曇総合病院の再構築私案

2011年08月12日 | Weblog
(文責はすべて樋端にあります。ご意見、ご批判をいただきたいです。長文になりますがご容赦ください。)

私が勤務するJA長野厚生連安曇総合病院(312床、うち90床が精神科病床、以下安曇病院)は再構築をせまられているのだという。
平成10年に新館外来棟を、平成15年に精神科病棟を立て替えたが、それ以外の内科・外科などの病棟は古く、耐震基準の問題などから立て替えを急がなければならない事情があるからだ。

安曇病院は安曇野市の北部(旧穂高町や明科町など)と大町市、北安曇郡(池田町、松川村、白馬村、小谷村、あわせて大北(だいほく)と呼ぶ。)を診療圏とする。
大北あわせて約6万人、南の安曇野市は幾つかの市町村が合併して最近出来た市で全体で約10万人ほどである。農業(稲作、野菜、果物)と製造業(工場が点在)、観光(立山黒部アルペンルート、登山、白馬のスキーなど)が中心産業である高齢化のすすむ農村地域である。
北部の小谷、白馬、大町は雪が多くスキー場も多い、しかし安曇野、松本までくるとほとんど雪は積もらない。そのため「嫁にやるなら1mでも南に」という言葉もあるくらいである。水も美味しく野菜や果物の産地で豊穣な米どころでもあり、住民は比較的のんびりとした気性である。北アルプスの山麓で景色も気候も良くイメージがよいせいか都市部からIターンしてくる人も多い。
開業医は多く、いわゆる古くからの町医者の雰囲気をもった昔からのお医者さんが多いのも特徴であろうか。診療圏の大北の地区医師会はこじんまりとしておりまとまりは良い。

安曇野市から大町市にかけては経営母体は異なるが同程度の規模の病院が3つほどあるが、どれも今ひとつ急性期に徹しきれない規模、陣容であり救急医療、高度医療は最終的には松本市(人口約24万人)にある信州大学附属病院相澤病院などの大病院までいかなければ受けられないことも多い。
脳卒中急性期は一ノ瀬脳神経外科が松本インターチェンジのすぐそばにあり引き受け緊急手術や血栓溶解療法にも365日24時間対応している。

道路事情もよくなり池田町にある安曇病院から松本まで車で30分~40分で行けるようになったが、北部の白馬村、小谷村の山間部からは松本までは2時間以上かかることもある。(むしろ長野市のほうが近い場合もあるし、小谷村北部の人間は糸魚川に出ている。)


10数Km間隔で病院が連なっているのが分かる。


そのなかで当院から南に車で20分の安曇野市豊科市街、豊科インターチェンジの近くにある安曇野赤十字病院(321床)は今年、今までの病院の隣に新築移転したばかりだ。数年前に救急医も招聘、ICUも開設し急性期医療シフトを明確にうちだした。


安曇野赤十字病院


安曇野市にはその他に小児専門医療機関である長野県立こども病院がある。

一方、安曇病院から北へ車で15分のところにある市立大町総合病院(284床)は医局の引き上げや勤務していた医師が開業するなどで内科の医師が3人まで減少し、一時期は病棟が十分に稼働できず、診療制限をして救急車もあまり受け入れられない状態であったが、県と市のてこ入れもあり医局派遣の内科医師などが6人も増えなんとか持ち直している。ただ今でも病棟稼働率は低く、経営的には17年連続で赤字で、最近では毎年約2億円の赤字をだしており、税金からの相当の補填はあるのだろうと思う。
市立大町総合病院が危ないと職員や住民らで「大町病院を守る会」が設立され、今年になり病院祭もはじめて開催されるなどの動きは活発だ。大町市で地域医療を考えるシンポジウムなどが何度か開催され大町市長や大町病院医師、大北医師会長などが登壇していたが、その中でまるで安曇病院などないかのように扱われ、そういう意味では隣の病院で働くものとして不満がある。これも一つの地域エゴであろう


この2つの同規模の病院にはさまれた安曇病院は内科系一般診療、精神科、整形外科そして小児科、皮膚科、泌尿器科、眼科、口腔外科の常勤医がおり、耳鼻科や婦人科はパートで外来のみではあるが、各科が一応そろった総合病院である。
お産もかつてやっていたが、今は常勤の産婦人科医がおらずパートで婦人科の外来のみである。
一般外科はあるものの医師にもよるが外科の手術が盛んだとは言い難い。この規模の病院で呼吸器外科や血液内科があるのは珍しいがそれも一人の医師に頼ってのことである。
心臓カテーテル検査は外来手術棟の新築の時にカテ室はつくったものの、今は検査も行われていない。
内科はそれぞれの専門性を持った医師がそれぞれのペースでやっている。ニーズの多い消化器内科の常勤医は今はいない。

どの科でも入院患者で多いのは圧倒的に高齢者であり、認知症をもつ方も多い。

整形外科は大腿骨頸部骨折や脊髄圧迫骨折など高齢者に多い骨折への対応はもちろんのこと、スキー場や北アルプスをかかえて外傷者も多く、人工関節や脊椎などの高度な手術なども盛んであり若い医師も集まっている。
そしていまや貴重な存在となった総合病院の精神科病棟をもつことが特徴といえば特徴だろう。
精神科や整形外科には独自採用の後期研修医、またスタッフ医師が多数いてとても活気がある。
毎年秋には病院祭が開催され、JAの農業祭と共催されたこともあった。

その他には北の白馬村に附属の診療所があり、小谷の国保診療所にも安曇病院で初期~後期研修で育った生え抜きの医師がいっている。
回復期リハビリテーション病棟の開設と閉鎖、DPCへの手あげ、7:1看護などなど、めまぐるしくかわる医療制度上で、あやうい綱渡りを繰り返しながらギリギリの状態でなんとか黒字経営を保っている。
しかし今後、DPCの調整係数を外された時にどうなるかを考えると今から恐ろしい。

卒後臨床研修制度がはじまった当初より研修医を独自で採用し、おなじ長野厚生連のフラッグシップ病院である佐久総合病院などと連携し、研修医を細々とではあるが育ててきており、現在も3名の初期研修医が在籍する。

救急は一応、2次までうけているが心臓血管インターベンションや脳梗塞の血栓融解療法、脳外科の手術、心臓血管の手術、急性腹症の緊急開腹術などには対応できる体制にない。多発外傷や、心筋梗塞や脳卒中が疑われる患者の場合は救急車はそのまま南に通り過ぎていく。
当直体制は医師一人の全科当直体制で若い医師ほど当直が多いため、初期臨床研修を経てきた精神科の後期研修医が多かった時期には一時は2日に1日は救急外来の全科当直を精神科の若手医師が担っていた。
重症そうなケースには救急隊に待っていてもらい(あるいは近くの消防署からあらためて来てもらい)、末梢静脈路を確保し、CTや心電図などの検査だけしてトリアージし、そのまま松本の病院に転院搬送となるケースもある。
その際、医師が同乗することもあり、救急医療に力をいれる松本の相澤病院からモバイルER(ドクターカー)にも来てもらい途中でランデブーすることもある。
そして、ある程度急性期治療がおちつき、リカバリーやリハビリテーションがメインになったり、地域での生活復帰の準備が必要となった時点で安曇総合病院に転院してもどってくることも多い。


安曇総合病院全景


先日、臨時で職員の全体集会が開かれ、そんな安曇病院が再構築にあたって補助金をもらって、ICUを増設し、がん放射線治療の機械を入れ、専門医を呼び、脳卒中や心筋梗塞に対応できる体制を整えるために、脳外科医と複数の循環器内科医を招聘し、また外科の充実を図るのだというプランが院長から提示された。だれがやるのかと言う問いに関しては、大学医局に依頼して外科や脳神経外科の循環器内科の医師を招聘するのだという。

院長の口から唐突にこのようなプランが提出された時に、現場の職員の多くは「???」という反応であった。

事情がよく分からなかったが、どうやら地元選出(最近は対立候補がおらず無選挙での当選)の県議会議員と当院の院長が中心となっての動きのようだ。その県議は「ガンの撲滅」を政治テーマとし、「アルプス山麓からガンをなくす会」をつくったり、そして以前より『日本アルプス先端医療いやし産業構想』を打ち出し地元に信州大学とも連携した県立がんセンターをつくりたいという私案を提唱していた。そして大北地区にも「がん拠点病院」をつくっての地域完結型の医療を目指すのだという。(県議のウェブサイトより引用する。)


【日本アルプス先端医療いやし産業構想】
官沢敏文の提唱
「宮沢敏文は、これからの県政への取り組みの最大プロジェクトとして『日本アルプス先端医療いやし産業構想』を表明します。
 この構想の核になるのが、いやし環境を整え陽子線治療など先進設備を備えた県立ガンセンターの建設であります。
 県立ガンセンターは、冬季オリンピックで、世界にその存在を示した北アルプス安曇野地域にふさわしいものと思います。なぜなら、この自然豊かな地には、世界レベルの高度な医療技術開発の実現化と、ホスピスを含めた「いやし」の空間の建設等々が、適していると思うからです。いうなれば、ゆったりとした、この自然を融合した新しい医療『いやし分野』の産業群の創造であります。
 この構想は県立ガンセンター建設を中核に、肝移植など積極的医療を追求する信州大学医学部との連携をはかるものです。より先端医療を集積しながら雇用の創出、食品や薬草等の栽培を通じた地域振興をともにはかり、日本アルプスの広い裾野のように新しい産業の渦を創り上げていきたいところです。
 わたし自身、ガンに苦しみながら、短い人生を生き貫いた母を見つめ続けてきました。母は、先端技術を備えた治療体制が地元にないため、遠く、人の波であふれる東京で、妹の小さな下宿から一年問近くも、国立ガンセンターでの放射線治療に通いました。母は、副作用による身なりの変化に対する周りの目を気にしながら、電車で通院しなければなりませんでした。あれだけ『治るまでは、帰らない』ときっぱり言い続けた母の入院日記には『帰りたい、帰りたい、うちに帰りたい』と、日に日に弱っていく力を振り絞って書いてありました。わたしには、今でも母が『ガンのつらさ、遠く離れた治療を受ける者の心のいたみ』を訴えている気がしてならないのです。その時の母は、50才でした。今年50才になるわたしが、今やらなけらばならないことは、他界した母からのメッセージを、しっかりとうけとめることだと思います。
 そんな母の思いを地域完結医療の実現にこめるとともに、日本アルプスの大自然の大きさが病に耐えながら人生をみつめ続ける人達のいやしの空間となり得るにちがいないと思います。」

「これは、あくまで、わたし個人の構想ですので、不完全です。多くの方々からご意見をいただき、より完全な構想に成長させ、実現したいと思います。ご意見をお寄せください。お願いします。」                                                                                       宮沢敏文




国では膨れる医療費をコントロールするため、平成23年から25年に地域医療体制整備のための最後の医療圏整備策として、全国で3000億円ほどを当て、各病院ごとの計画ではなく、2次医療圏を管理する県保健所が各病院と連携し、病院ごとの役割分担をはっきり持たせた形で医療計画をつくるというプランをうちだした。
そのための予算が長野県では120億円あり、その取り合いになるということらしい。

県議は大北医療広域は、県内の他の10医療圏より医療整備が遅れているから問題だという。そして2つの病院をバックアップする財政的バックアップ力が医療関係者には脆弱であることを考えると県や国の制度をうまく使って医療環境整備をしていくしかないが、市立大町総合病院は残念ながら急性期医療をになう力がなく慢性期でいくとも言っているので、安曇総合病院ががん診療拠点病院と急性期をやるしかないという主張である。

そして病棟の建て替えにからめて県と国からの地域医療体制整備の補助金に加え近隣の市町村からもお金(もとは税金だ)をださせるのだといい、いまその補助金をもらわないと大損で、補助金は他の地域、他の病院に持っていかれてしまうのだという。そして大慌てでがんや急性期の医療のプランをまとめて3年間で20億円規模の地域医療再生計画を県に対して陳情した。

そして、それが今回はじめて院長により全職員に対して発表されたということのようだ。

しかしちょっと待てほしい。夢を大きく語るのは自由だし、民主主義の世だから、いろんな意見を言うのは自由である。
しかし、その計画はあまりに地域や医療現場の実情や想いからかけはなれていないだろうか。

田舎にも高度医療機関をというのが住民の声だというかもしれないが、住民に「何でも出来る総合病院が近くに欲しいか?」と聞けば、それは欲しいと答えるにきまっている。

しかし無限にリソースがあるわけではないのだから、ものごとには優先順位というものがある。
それをつけるのが医療や政治のプロフェショナルの仕事のはずである。

そもそも医療専門職も行政もまず住民が自ら考え行動するために情報を公開し、住民と一緒になって考えてくべき問題のはずである。
個人が自分のお金で事業をおこなったり、賛同者をあつめて出資金をつのり、自らの理想の病院をつくる分には誰も文句は言わない。しかし補助金はもとはといえば税金であり、「皆のお金」の話しである。医療は政治の道具ではない。
だれも知らないところで密室でそのようなことがすすんでは困るのだ。

医療福祉を通じた産業と雇用創出、地域づくりは、北海道でのハイメックス構想、佐久でのメディコポリス構想などがあり井上ひさしの「吉里吉里人」などにも登場するし、それを否定するものではない。
しかしこの地域で「福祉のまちづくり」はいいとしても、高度医療をになうセンターは厳しかろう。
もともと人口も多く、医療機関、研究機関の集積する都市部では、神戸医療産業都市構想などいくつかの例はあるが、人口の少ない田舎である程度成功しているのは戦後すぐから若月俊一のカリスマ性と実践の継続により田舎には不自然に巨大化した病院をもつ長野県佐久市の佐久総合病院や、千葉県鴨川市の亀田総合病院くらいしか思いあたらない。
亀田総合病院はメディカルツーリズムにも力を入れ都市部や海外からも患者を集めており、浅田次郎の小説「天国までの100マイル」のモデルにもなった病院だ。

佐久総合病院は田舎の大病院ではあるが消化器内視鏡診断治療分野では有名で世界トップクラスのレベルを誇り存在感を示している。
しかし戦後の高度経済成長期やバブルの時代ならともかく、今から何でもできる大病院をここに作れるとは思えない。それは「国土の均衡ある発展」を主張し公共事業で高速道路や高速鉄道を巡らし、日本中をミニ東京にしてしまった田中角栄の「日本改造計画」の発想だ。
「遠く離れた地で治療を受ける者の心のいたみ」を言うのなら、娘の下宿から国立がんセンターに通い放射線治療を受けていた県議の母とは逆に、都会の人が治療のため北アルプスに来てがん治療をうけたところで、今度は都会に帰りたいといって「うつ」になることもあるだろうに。それに、そもそも県議の母はなぜ、東京の国立がんセンターで治療をうけたのだろうか?少しでもレベルの高い、評判のよい医師、医療機関でと考えたからわざわざ東京にいったのだろう。松本の信州大学でだって放射線治療はうけられたはずである。このように、動ける患者ならば、少々遠くとも評判のよく実力のある病院に行く。

結局、どう考えてもこの地域や病院にとって地域がん診療拠点病院の要件を満たすためにがんばって「がんの放射線治療」の実現することが優先順位が高い課題だとは思えない。

使う頻度の少ない高度医療機器は人口の多い地域、交通の便のよい場所に設置されるのが当然である。
木曽医療圏(32000人)や大北医療圏(60000人)の2次医療圏の医療整備が他の2次医療圏に比べて遅れていると言うが(もっとも少ない人数で県立木曽病院は急性期医療もそうとうがんばっているが。)、どちらも人口の少ない過疎の医療圏なのだから当たり前である。そもそもその医療圏が適当なのかどうかということもある。医療圏ごとに保健所があるが、大北の保健所長は昨年まで松本保健所長と兼務だったのだということが実情を物語っている。

木曽医療圏は制度上は3次医療圏は松本医療圏に組み込まれているが、権兵衛トンネルの開通で伊那中央病院などへの救急車の搬送時間は約半分になるなどアクセスが近くなった。県立木曽病院は手術や心臓カテーテル検査など頑張っている病院であるが、それでも地元の人で地元の病院で手術を受ける人は減っているという。

県立木曽病院の久保田院長は病院のホームページで以下のように述べている。

「人口減少も影響しているかと思いますが、老齢化はますます進んでおり、病院の需要は変わらないはずです。手術件数が大きく減少しており、病気を発見診断しても、治療とくに手術となると、子供さんのいる都市部へ行きたいという方が最近増えていることが、主な理由に挙げられると思います。 この状況が続けば、急性期医療を担う、積極的な医師は早晩辞めていきます。」


大北地域も高瀬川沿いの堤防道路は信号もなく車もとばせるし、さらに高速道路に直結した高規格道路の計画もある。小谷、白馬、大町からは長野冬季オリンピックの際につくられた道路を経由し長野に抜けるのもずいぶん近くなった。そもそも大町病院や安曇病院には松本から通って来ている医師もかなりいる。

このように、交通事情もよくなった現在、2次医療圏内でがん医療が完結する必要性は低下して来ている。緩和ケアや外来化学療法に力を入れるのはよいだろうが、放射線治療までのニーズは果たしてあるのだろうか?そもそも標準的ながん治療を行なう外科や内科などがしっかりと存在して、はじめて意味のある放射線治療なのである。
それも治療を行なうには、それを支える放射線治療医や専門技師、専門看護師が必要だが、その数は少なく症例数の少ない当院に来てもらえるとは思ない。松本の信州大学でも放射線治療を受けられるし、相澤病院は全国にもまだ数少ない陽子線治療装置の導入を2013年の診療開始を目処に準備を進めており、中信松本病院もがん診療の機能の強化を図っている。
長野県全体のことを考えるのなら、これらの病院で人的資源を集中させた方が地域全体のレベルアップにつながるだろう。

すでに建屋(たてや)に2億円というような試算まで出ているが、ソフト面、専門医をどう確保するのか、患者はどのくらいいるのか(県の大雑把な試算では100人)、年200件以上(毎日稼働)の治療をしなければペイしないという。
はたして、それだけの稼働があるのか?たとえニーズがあったとしてもよっぽどでないと松本や長野の病院のがんの名医のところに行くのではないだろうか?
まず、計画ありき、補助金ありきのところに疑問を感じてしまう。

しかし、もし目的が規定された補助金がおりてしまうと、その目的に縛られてしまい職員は忙殺され、刻々と変化する地域医療のニーズに応じて、あるいはニーズに先んじてフレキシブルに医療体制を組み変えていくということが出来ない。
本来ならば医療とはローカルなものなのであるはずなのに・・。

そして立派な箱(建物)を作り、身の丈にあわない医療機器をそろえても人(医師をはじめとするスタッフ、そして患者)は集まらず、赤字だけが残るということになりかねない。
外来棟をつくったときに作ったはいいが3年でつかわれなくなったカテ室や、部屋を増やしたはいいが稼動の減っている手術室から何を学んだのだろう・・・。

まだ院長らが自ら率先して、急性期の臨床をやろうといったり、住民や現場の医師から放射線治療のできる体制やICUがなくて困るという声があるのならまだ話しはわかるが、残念ながら今のところ自ら中心となって熱意をもち高度急性期医療をやりたいという医師がそれほど多いわけではないし、住民も安曇病院にそれほど高度な医療を期待しているわけでもない。
求めていると言えば「いつでもまず、診てくれて、手に余ることなら適切なところに紹介してくれる。」医師だろう。

そのような環境で新たに医局から専門医を派遣してもらったところで彼らが活き活きと活躍できるとは思えない。
田舎の病院では多少医学的に高度なことをやったところで人口の多い都市部のように診療圏を越えて遠方から患者が集まりはしないのだ。
多少設備や給料がよくても症例の集まらないところに専門医の居場所はない。

政治家は「2次医療圏内の完結体制」「いつでもどこでも国民に一定レベルの医療サービスの提供」という国と県の方針理念があるからというのだが、どこまでを完結しどこは連携するのか(例えば、がん放射線治療は必要か?救急医療は?どこからが3次医療圏での整備になるのか?、一定レベルとは?病院の経営状態や財源は?、地域の実情は?ニーズは??)というあたりまで詰めた話しをしないと水掛け論になり全く議論にならない。
下手をすると結局「おらが町に何でも出来る大病院を、できれば自分のお金で以外で・・。運用は医療専門職にやらせりゃいい・・。」という話しになってしまう。

そして減価償却費やランニングコストがかさみ赤字をだせば、行政から補填もうけられない組合立の病院は今現在やっている医療の存続も不可能になる。そんななかで現場のモチベーションと志気(モラール)の低下がおき、行き着く先は医療崩壊である。

誰も責任をとれず、そのころにはそんな計画を立てた人は定年でもういないのである。

一方で、一刻を争う高度救急医療のニーズは確かにあるだろう。
(どれくらいの人が、大北に3次救急医療を担える病院が無いことでどのような不幸な目にあっているのか、正確な数字が欲しい。)
しかし365日24時間あらゆることに対応しようと各種緊急手術や処置に対応できるような体制を整えるには莫大なコストがかかる。
今はやっていない心カテ室やICUなどの病院全体の体制をゼロから確立するのも大仕事で、今の業務を続けながら職員も勉強や研修にいかなければならない。
産科医も心臓血管カテーテルのインターベンションが出来る医師も、脳外科医も今や1人だけではとても365日24時間の緊急ニーズに応えられない。となると専門医を複数配置することが必要だが、集約化しないとそれらの医師が腕を磨き、なまらせないほどの症例数は集まらない。
たまに来る緊急救急処置を要する患者に対応するために慣れない医者やスタッフがドタバタするくらいなら、手に余ることはとっとと松本の大病院の救急救命センターに連絡をとった上で救急車で搬送して治療をお願いするのも仕方がないのではないか。そしてあるていど落ち着いたらまた戻ってくればよいのだ。
それで何がいけないのだろうか?

私がかつていた佐久総合病院(3次救急まで担う大病院)の救命救急センターでは、ウォークイン、救急車、ドクターヘリなどで救急患者の来院がたえなかったが、ワラワラと救急対応に手なれた看護スタッフや若い医者がとりつき次々と検査や処置がおこなわれ、診断がつくとそれぞれの専門医が呼ばれ、つぎつぎに手術室やカテ室、病棟、ICUなどに引き取られていった。

救急医療、高度医療はそれを担える中核病院に人と予算を投じ、「プライマリケア(良くある問題への継続した関わり、救急対応とトリアージ)」と「支える医療」を担う当院のような第一線の病院とのさらに連携を強化するのが良いと思う。

自動車社会になり、昔よりも道路もよくなり都市部へのアクセスも改善された。
ましてや南に15分のところにある同規模の病床数の安曇野赤十字病院が今年立て替えたばかりで、ICUや救急部をつくり、年間16億円もの赤字をだしながらも急性期医療に力を入れている。さらに南に30分~40分行った松本市(人口24万)にはより急性期医療に特化した民間総合病院や、医師のたくさんいる大学病院、脳外科専門病院が存在する。

それでもどうしても救急医療へのアクセスが遠い白馬村や小谷村の人が救われないと考えるならば・・(現時点で急性期脳梗塞のtPA治療は発症から3時間以内に治療を開始しなければならず、小谷村に
需要自体は少ないが、命には変えられないことだと皆が思い、どうしても必要な医療だというなど)
それは公立病院が果たす役割だろう。皆が納得していれば赤字をだしても公的資金で補填できる。
今の大町病院にその力は無いと言うかもしれないが、今から新しいことを始めるという条件は同じである。人口母体の違いもあるが、今でも大町市民総合病院のほうが安曇病院よりたくさんの救急車を受け入れている。
いや、むしろ大町病院は災害拠点病院でもあり、DMAT(災害時派遣医療チーム)などにも力を入れているスタッフがおり、昨年は大町総合病院主催でICLS(医療従事者のための蘇生トレーニングコース)のコースを開くなどコメディカルのアクテビティも高いのだ。


市立大町総合病院全景


安曇病院の職員全体集会では疑問を呈する声や反対意見がほとんどで、表立って賛成するものは一人もいなかったのが救いではある・・。

もし安曇総合病院がこのような方向で再構築がおこなわれていくなら辞めると言っている医師も少なからずいる。
結局、このプランはペンディングとされ、あらためて再構築検討委員会をつくり職員全体で検討していくことになった。
今後は全ての情報をオープンにした形で全職員、そして病院のユーザである地域住民も巻き込み議論を尽くしていく必要がある。

結局、大事なことは地域の人を対象にした、身の丈にあった医療や福祉をまっとうにやることに尽きると思う。
「それが何か?」とういことはあらゆる機会をとらえて地域住民も含めて徹底的に考えるべきことだ。

私はここ10年間の全国の医療崩壊と再生の有り様をつぶさにに見て来た。
いくつかのモデルととして、かつての佐久総合病院藤沢町民病院(→参考)、夕張医療センター千葉県立東金病院兵庫県立柏原病院などがあげられる。
もちろん全国に良質な医療を地域住民とともに作り上げているところは他にもたくさんあるだろう。

安曇病院も、いきなり新しいことを始めるのではなく、まずは1次医療をになう診療所や3次医療をになう松本の病院との連携をさらに強化し、今すでにやっていることの延長線上に全職員が少しずつ頑張ることだろうと思う。(こういう地味で地道なことにはあまり補助金はつかないものであるが・・。)

そもそもここで、なぜ「再構築」をする必要があるのか?「改善」では何故いけないのだろうか。
「再構築」という言葉はかつて佐久総合病院にいた時にさんざん聞いて懲りた言葉だが、すべてが一新するような・・大変な作業であるようなイメージをあたえてしまう。職員も住民もどこか現実離れして他人事のように感じてしまうのだ。
今もやっている2次救急医療、回復リハビリテーション、がん緩和ケア、認知症診療、在宅医療、精神医療、健康増進などに力を入れ、質の高い慢性期、生活期医療を目指す方向性では何故いけないのだろう?。救急や高度医療で都市部と差が出てしまうのは避けられないのだから、都市部では難しい保健や福祉と一体化した質の高い地域包括ケアを目指すべきだと思う。
実は、これらの分野では安曇総合病院の看護師やリハビリのセラピスト、ケースワーカーなどの能力もモチベーションも力量も高いのだから。

高齢化のすすむ地域のニーズをとらえ、まず病院の近くの池田町、松川村(それぞれ人口約1万)の住民に丁寧でまっとうな医療を提供し、動けない人(高齢者、障がい者)の生活を支える丁寧な医療に力をいれることこそ求められていると思う。
そして、その中で鍵となる内科医は専門医をそろえていく方向性よりは、総合診療方式が望ましいと思う。(専門医は外来でパートで来てもらいコンサルテーションを受けられる体制にするのがいいだろう。)
総合診療に力をいれることで、かつての舞鶴市民病院、今は諏訪中央病院のように初期、後期の研修医をあつめ小規模でも良質な臨床研修指定病院として名を馳せているところはある。
このような形は当院でも可能なはずだ。


病棟、外来、ディ、訪問など精神科部門全体があつまっての朝会。


当院の強みの一つはチームワークの良い精神科医療だと思う。
看護師や臨床心理士、作業療法士、PSWなどのコメディカルは優秀でモチベーションも高く、当院の精神科には診療圏を越えてアルコール依存症のリハビリテーションプログラムや思春期の診療を求めて松本や長野などの遠方の都市部からも患者があつまっている。
また、認知症疾患医療センターとして地元の池田町、松川村をはじめとした市町村や地域の介護保険の事業所とも良い連携がとれてきている。
総合病院であるという強みを活かして、安曇野市、松本市からも単科の精神科病院では受けられない身体合併症を持つ精神障がいをもつ患者を多く引き受けている。大町病院や安曇野赤十字病院などから身体合併症をもつ精神障がい者、認知症高齢者の入院依頼の紹介も多い。

認知症と身体疾患をかかえ、精神症状でどうしようもなくなった高齢者や精神障害者を他の病院や施設から、夕方や休日の突然の紹介頼であっても、それが当院の役割と引き受け、なんとか症状をコントロールし、地域で生活できる体制をととのえて退院させている。

こういった病棟をもち機能している病院は松本市にも長野市にも少なく、本来のキャッチメントエリアである安曇野市と大北地域を中心とした中信地区(松本、塩尻も含む)のみならず、遠く長野方面や、木曽や諏訪からの患者を受け入れることもある。
その他には県内の他の厚生連の病院に外来診療の応援に派遣したり、大学病院や単科の精神科病院とも医師の交流がある。

認知症やがん、神経難病、脳卒中後遺症などを抱えながらも、在宅での生活を続けたいと言うニーズに応えようと、病院から訪問診療や往診にも出て行く在宅支援の体制もはじまった。(在宅支援科)
これは熱意のある医師がいたからできたことだ。

病院から少し出た場所にメンタルケアセンターがあり日中の居場所とリハビリテーションや就労支援、訪問看護の拠点となっている。
食器洗浄やユニフォームのクリーニングなど院内での仕事をワークシェアリングすることで、精神障害を持ちつつ地域で暮らす人の働く場をつくる就労支援事業も始めた。

今後はこの延長線上に、さらに病院を地域の生活を支える拠点にすべく、医療や地域づくりの様々な勉強会を地域のいろんな人と継続していくのが良いと思う。

こういったケアミックスと地域づくりでは高齢者では佐久市中込を中心にケアホームなどを大量展開する恵仁会グループの活動や、山形県鶴岡市の庄内まちづくり協同組合『虹』の活動、地域に小さな拠点を分散させている新潟県長岡市の「こぶし園」などの活動が参考になる。ゆきぐに大和病院にいらした黒岩先生の「もえぎ会」の活動も面白い。
いづれも地域住民や、地域のいろんな企業や団体を巻き込んでの医療福祉にとどまらない活動をおこなっていることが特徴だ。

精神医療や障害者の支援から地域づくりまでおこなっている活動では北海道の帯広市のさまざまなNPOが中心となった障害者者支援の活動、浦河町の(浦河べてるの家)活動、釧路市の地域生活支援ネットワークサロンなどが参考になる。
いづれも地域づくりまでをゴールにしている。

安曇病院も今の活動の延長線上に病院周囲の市街地に町や地域住民、NPOなどと一緒になって高齢者や障がい者も安心して住める住居や、働く場をたくさんつくり、生活習慣病対策に小さな温水プールやジムを作り、医療や健康作りのための患者図書館を作り、地域をもりたてていく。
こんな方向性でいけば、全国にも誇れるモデルが示せ、結果としてやる気のある医療職もあつまり地域の医療全体のレベルもあがると思うのだが、いかがだろうか。

私は、大北と安曇野の人と風土が大好きである。患者さんは慎み深く病院を大切に思ってくれている。
安曇総合病院の再構築がおかしな道にすすむことなく、本当にこの地域にとって必要な医療が実現できるように願っている。


<参考>
 【初音ミク】僻地医療崩壊を歌う







スペシャルニーズの教育

2011年08月12日 | Weblog
某公立中学校では特別支援クラスにいるだけで全ての教科の評点が-1になるという。
だから「そこには行きたくない」と、発達障害をもちながら学校に通うある子は言う(当然であろう)。
その子の母親は、学校や先生がそういう態度だから、特別支援クラスの子をバカにしたりする様な空気がうまれ、陰湿ないじめがはびこるのだと怒っていた。

特別支援クラスや養護学校などのスペシャルニーズエデュケーションは世界的には優秀でモチベーションが高い先生が望んで行くところだそうだ。
しかし我が国では他の一般クラスに適応できなかった落ちこぼれ教員がイヤイヤいくこともまだまだ多いようである。
もちろん優秀でやる気のある先生もいるし、落ちこぼれて行ったとしてもそこで適正を見いだす先生もいるだろうが。

このあたりは底辺校といわれている学校の教育や、刑務所の矯正、精神医療なども同じ構造だとおもう。
国として、文化としてスペシャルニーズの教育や支援に力を入れれば、教育全体のレベルアップにつながるし、弱者を守る文化もひろがる。
またGifted(天才)の発掘や教育にもつながり社会全体の利益にもつながるだろう。

そして、これは弱者、障害者の支援全てに言えることだと思う。

「寄りそ医」は「かっこい医」

2011年08月08日 | Weblog
アマゾンから届きました(^◇^)。
さっそくイッキ読みしました。

寄りそ医「逝き方を選べる町」を作った青年医師の20年
中村伸一
メディアファクトリー



プロフェショナル仕事の流儀にも出演、それがマンガ化もされた中​村伸一先生の新刊。(→ブログはこちら)。
(次はドラマ化だ・・・。あ、コトーがあるか。)

・自分の中に「寄りそ医」と「究めた医」が存在する。
・そのなかで地域に寄り添いつづけていたら、いつの間にか「支え​あ医」も新たに誕生した。
・地域と医療をステキな関係へ

と現場での格闘をつづけてこられた中村先生と名田床の軌跡と奇跡がいっぱいいっぱい語られています。 

医学生、研修医時代のエピソードも・・。

まず「大学は社会の縮図だった!」と振り返ります。
狭い栃木の医学部村(自治医大)での勉強と並行してハマったバンド活動。(その名もTIA!)。
ラジオ放送局でDJをし目の前にいない不特定多数の人に「伝える」技術を学び、コンサートで近隣のお店から広告収入を得た代わりに、そのお店を優先的に使うなど「お互い様」の関係を維持する体験から地域社会の方々と「交わる」技術を身につけ、あたってくだけろ方式で道行く人にチケットをうる経験から人を「見抜く」技術をつけたり・・・。

臨床実習でも臨床研修でも行く先々の科でトンチンカンなことをやらかす”ちょっとだけ問題児”だったようで、「語り継がれる研修医」だったようです。(^_^;)
地域の診療所にでてからも現場を知らないで指導してくる社会保険庁あいてに立ち回ったりと大活躍。

わらじ医者、早川一光先生のいらした京都府美山町​が実は中村先生のいらっしゃる福井県名田庄村の隣で、早川​一光先生が突然訪ねて来たりというエピソードが面白かった​です。

中村先生も名田床で20年、そこで実習する医学生や研修をうける若い研修医も増えています。
地域医療を実践したいという研修医ばかりではありません。
でも、他の道に進む研修医も指導医として平等に接することの大切さは自身の外科研修で分かっている中村先生は、
「地域医療の仲間を増やすことも必要ですが、それと同じくらい、地域医療を理解する他の分野の医師を増やすことも大切。」
と訴えます。

それが地域医療の裾野を広げることになると・・。

「ウルトラマンは専門医で”医局”という星から派遣されて活躍する、サッと現れては、さっと去って行くクールな職人的なウルトラマンではなく、アンパンマンはいろんな人たちと連携して患者さんの暮らしを支える、縁の下の力持ち的存在。「ウルトラマンとアンパンマンがうまく連携することで両者の特性が、より活きるぞ!」

大病院の専門医は非日常に対応する。地域の総合医は日常を支え​る
医療にガイドラインはあっても人生にガイドラインは無い。
幸せの全国統一規格はない。

などヒントがたくさんありました。


本文の中の
「私の大先輩、早川先生や鎌田實先生は多くの著作を出さ​れていますが、今そのお気持ちが少しわかる気がしていま​す。伝えることも、医の一つ。
ただ、それも現場を担ってこそだとおもっています。(1​29P)」

↑ここに深く共感。(チクリ)

著作を沢山だして講演会に飛び回​って有名になるにつれ現場から離れていくという人も多いですもの。
(誰とは言いませんが・・。講演会には中毒性ありますし・・。)
別の現場を持ったのだと言えばそれまでですが、話しが​上手になるのに反比例して、だんだんリアリティがなくな​るのは悲しいことです。

私がリスペクトするのは50年以上佐久の地でニーズに応じた実践を続けられた若月俊一先生をはじめ、ずっと現場での「実践」にこだわり続けている人です。

自分の現場にこだわり患者さんに「寄りそ医」つづけたいものです。
「寄りそ医」は「かっこい医」ぜっ!

類書はたくさんありますが、著者の考え方のルーツ、現在の地域医療をめぐる社会情勢と、浄土真宗の思想が今も活きる名田床でのローカルな活動​がバランスよく紹介されており、だじゃれも含む言葉の使い方が上手く、新たな時代(第3世代)の地域医療のバイブルたる本と思います。
(ちなみに私見ですが第1世代の代表が「村で病気とたたかう」(若月俊一著)、第2世代の代表が「地域医療の冒険」(黒岩 卓夫)と思います。)

自宅で大往生 (中公新書ラクレ)
中村伸一
中央公論新社


信州北アルプス・美麻(みあさ)に行ってきました。

2011年08月01日 | Weblog
週末の午後、北アルプスの美麻(みあさ)高原に行って来た。

このあたりは標高800mを越える高原地帯で安曇野が舞台のNHKの連続ドラマ「おひさま」のロケ地として、ソバ畑や農村など印象的なシーンの撮影が行われた場所だ。
晴れれば遠景に北アルプスが望め景色は最高だという。(残念ながら曇り時々雨でした。)

その美麻の新行地区にはにはいくつかソバ屋があるようだが、今回行ったのは「美郷(みさと)」というそば屋。
地元でとれたそば粉を使うことにもこだわり地元の人たちが運営している店だ。



高地である美麻では昔は稲作は出来ず、そばが主食だったらしい。
ソバをつくり、食べる伝統を絶やさないために、店をつづけているらしい。

休耕地やスキー場の跡地に春は菜の花、そしてその後、そばを植えて育てているそうだ。



道を挟んだ畑の中には観光向けの水車がある。
昼食時は行列ができるので午後15次頃に行くのが空いていておすすめ。



近くの学校でかわれていたクジャクや鶏がかわれている鳥小屋がある。
待っている間も退屈しないですみそうだ。



おすすめはシンプルに「ざるそば」とのこと。
普通に「ざるそば」を頼んだのだけで、漬け物や、そばようかん、山菜の天ぷら、そばの薄焼きがすこしずつついてお得な感じ。
地元の方のホスピタリティがうれしい。

そばは地元のソバを使った手作り感あふれる石挽きの手打ちそば。
つなぎが少ないため、早く食べないと切れてしまうそうだ。
ソバ本来の味が味わえてとても美味しかった。



美郷や隣の「種山商店」では地元の人の手作りのみそや、山菜、野菜、菜種油や、エゴマ油も売られている。
菜種油などNPO「地域づくり工房」とともに共同開発した商品もある。
蜂の巣やマムシのお酒などもあり、みているだけでも楽しい。

また、そば焼酎「そばおどかし」はここの店でのみでしか売られていないらしい。
頼まれても決して卸さないことで、希少価値が産まれ今や地元の人も他所へ行く時に持って行くお土産になったそうだ。
夏も涼しい地元の洞穴で熟成させた高級バージョンもあり、普通バージョンと飲み比べができる。

ドラマも放映中であり観光客が増えているのかどうか聞いたが、地震や津波、原発事故の影響かそれほど変わらないとのこと。

つづいて中山高原へ。

このあたりはソバ畑のシーンなどでNHK朝の連続ドラマ「おひさま」の舞台になったところだ。
春には菜の花が咲き、いまはソバの芽がいっぱい出いるところであった。
ロケ地の案内があり巡れるようになっている。
「北の国から」の舞台、富良野の麓郷の森を思い出した。

ここのソバの花が咲くのは8月中旬~9月中旬だそうだ。
満開の時期、新ソバの時期にまた来ようと思った。




国道からわきに入りカラマツの林の中を抜けると突然開けた空間にたどり着く。
ちょうど霧も出ていてイギリスかどこかのフットパスのようだ。
村々を繋ぎ歩いて旅の出来るフットパスが伸びて行けば楽しそうだ。

そんな景色の中で菜の花畑・ソバ畑を望める場所に「美麻珈琲」はある。



おとぎの国からでてきたような美麻珈琲ーの建物。
石と木、藁と漆喰で手作りでつくられた建物だそうだ。



店の中からは春は野の花、夏~秋はソバの花が眺められるようだが、今はソバの芽が出たところのようだ。



コーヒーの焙煎期もみられる店内。
ストーブや、古いアンティークの品々、ライブラリーも楽しい。



コーヒーとティラミスをいただいた。
煎り立て、挽きたて、いれたてのびっくりするほど美味しいコーヒーだった。

その後、ぽかぽかランド美麻という温泉入浴施設でひと風呂あびて長野をまわり駅前の本屋平安堂によってから高速道路で安曇野に戻って来た。
天気は今ひとつではあったが半日の充実した小旅行だった。