リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

★お知らせ★




思うところがあってFC2ブログに引っ越しました。 引越し先はこちらで新規の投稿はすべて引越し先のブログのみとなります。

予定調和の「地域医療を考えるシンポジウムin 伊那」

2012年01月29日 | Weblog
長野県伊那市で開催された「地域医療を考えるシンポジウム」に行ってきましたよ。
高速をつかって片道1時間弱、会場の伊那文化会館は伊那インターから近かったから意外と早くつきました。


(伊那中央病院)

このシンポジウムは長野県の健康福祉部医師確保対策室が音頭をとって県内各地で開催しているもののようで、これまで上田、大町、木曽、と開催されてきたものが今回は伊那で開催されたということのようです。

安曇総合病院と同じ大北医療圏(人口約6万6千)の中心都市である大町市(人口約3万人)では平成22年3月に開催されました。
その時は兵庫県立柏原病院の小児科を守る会の活動の設立に深く関わった丹波新聞の足立智和記者(私も以前、佐久病院の夏期大学で話をききました。)を招いての講演のあと、信濃毎日新聞社の飯島裕一氏がコーディネートして市民代表、広域連合代表、病院代表などを招いてのシンポジウムと今回と同様の形式だったようです。
その時は、どんな政治的力学が働いたのか市立大町総合病院中心の構成で同じ医療圏内のJA長野厚生連の病院である安曇総合病院には声もかからず、そんな病院はまるで無いものかのように無視されていたと聞きました。(ーー;)
同年に木曽地域でも同様なシンポジウムがなされていたそうですが、両方に参加した人の話ではどちらもあまりにそっくりな内容で驚いたそうです。
ま、こういう集まりだと実情も、意見も対策もどうしても同じようになりますね。

となり町の病院の院長がしゃしゃりでて空気を読めずに、「もはや公立病院じゃ経営は無理です、うちなら潰れてます。厚生連に移管して一緒にやるしかないですよ。」なんてことを言われた日には、どこの地域の人にとってもおらが街の病院は大切だから大町市民の市民感情としておもしろくないでしょうしね。
個人的にはそのくらいになって本音のぶっちゃけトークで大荒れになったほうが面白いし意義はあると思いますが・・・。
もっとも安曇総合病院にも「がん診療連携拠点病院をめざして放射線治療機器をいれる」などの”???”な動きもあるようですし、市民に「使う人はどれくらいいるの?自分たちは税金でいくら払うの?」とか鋭くツッコミをいれてもらいたいものです。

ま、どこにも、いろいろ大人の事情があるようで・・。難しいですね。

このシンポジウムをきっかけに大町市では「大町病院を守る会」が発足したり、病院祭も初開催されたり、市民が医療のことに感心をもってもらえたというのは意義があったことなのだと思います。
市立大町総合病院改革プランは、地域の実情をよく分析した上での現実的でまっとうな内容ですが、なかなか議会でやりとりしながら病院を経営していくというのは大変なようです。
大町市議会での議論をみると「経営母体の違う安曇病院とのネットワーク化はしない、公立病院として在り続けるために職員全員一丸となって経営改革に全力をつくしていく」ということのようですが、県の力をもって大学医局に頼んでなんとか派遣してもらっていた内科医師も撤退となり、整形外科医も1人となり、いよいよ厳しくなるようです。どうするつもりなのでしょうか?
一方の安曇病院にしたところで「変わり者の医師」や、「疲れ果てた医師」をあつめて再生して何とかやりくりしているのが実情なのですけれど・・・。

地理的には白馬や小谷の人のことも考えると大北二次医療圏の中心になる大町市立総合病院がもう少し2次救急や「がん」などを頑張ってもらって、お産は大町、精神医療と整形外科は安曇。高齢者の医療や緩和ケアは安曇も大町もどちらもしっかりやり、脳外科や心血管インターベンションなどの救急医療や高度専門医療は安曇野赤十字病院や信州大学病院、一ノ瀬脳神経外科、相澤沢病院など松本医療圏の病院と連携してやっていくしかないと思うんですがね。

閑話休題・・。



会場には医療再生に熱心に取り組まれている市立大町総合病院の外科の先生や、初期研修の時にお世話になった下伊那の病院の内科の先生も来ていました。下伊那も医師不足で大変みたいです。
今やビッグネームの伊関先生の講演ということもあり関心は高いのですかね。

主催は上伊那地域包括医療協議会で共催は地区の医師会、行政などですが、大北や上田、木曽で行われたシンポジウム同様、県や信濃毎日新聞も大きく関わっているようです。
長野県の職員も受付などでもたくさん来ていて手話通訳や文字表示もあって大掛かりです。(聴覚障害者に対する合理的配慮ということでしょうか?)。
大きな会場(300~400人?)でしたが、ほぼ埋まっていました。
前の方には関係者席もあったりして首長や議員、病院の管理職などがきているようで、、辰野町など近隣の市町村からバスで駆けつけたところもあったようで、動員もありそうです。
TVや新聞記者もいて、写真などを一生懸命とっていました。

質問も事前に受け付けて選ばれたものだけで、撮影や録画、録音も報道機関以外は禁止だそうで、それは、ちょっと厳しすぎないかい?と思いました。
新聞記事にするそうですから、ここでも予定調和の記事を書くつもりなんでしょう。

ま、よその地域のことだし、今回はどんな予定調和かと思って気楽に参加。(^_^;)

まずは、楽しみにしていた伊関友伸先生の公演。
実は、来る3月10日(土)午後に大北で講演会(安曇総合病院再構築検討委員会地域医療部会主催)をお願いしているのです。挨拶をとおもったけれど、講演がおわったら戻られたのかシンポジウムには参加されず、直接お話することはできませんでした。
講演の内容は著作と同様、医療者、特に医師の事情と住民のギャップの解説が主で、全国各地の地域の実例をあげての解説でしたよ。
臨床研修義務化からの医師不足の話や荷重勤務、専門医を志向する医師の動きや、総合診療のことなど我々にとっては常識的なことも市民にとって見ればまだまだ知られていないのでしょうね。
印象的なフレーズは、「制度と強制では隙間が生じる。共感による行動が隙間を埋める。」ということ。
それから「病院改築したら医師が集まるというわけではない。」ということ。
53億円かけて建て替えたが、医師がいなくなった宮崎県小林市民病院の事例を上げて説明。
他にもそういうところは多そうです。
うちもそうならないことを祈りますが、公立病院よりはまだマシでしょうか?

「地域医療の問題は地域の民主主義の質を向上させるチャンス。医療者、行政、住民の共同作業。住民はお客様ではなく当事者。地域の質がその地域の医療の質を決める。地域医療を守るの皆さんの努力次第です。」

ということが結論でした。(同感です。)


 <今回のキースライドです。>

結局、「自分の健康は自分で守る」という意識が大切ですね。

つづいてのシンポジウムは司会はこれまで同様、信濃毎日新聞の編集委員の飯島裕一氏。
コーディネーターが氏である以上、予定調和は目に見えています。
飯島祐一氏は昨年の若月賞を受賞しているそうで、なんと北大の水産学部出身なんですね(先輩だ)・・・。

長野県の代表の、眞鍋馨氏は元厚生労働省医系技官で介護保険や移植医療対策、医療機器行政などに関わり平成23年に長野県に来て医師確保対策室長をつとめ、平成24年の1月から県の健康福祉部長をされている方のようです。
なめらかに県の方針や取り組みをお話されました。

つづいて伊那中央病院、辰野町立病院、昭和伊南病院の代表、医師会長、市民代表として安心して安全な出産ができる環境を考える会(in伊南)代表の須田秀枝さんが少しずつお話。

伊那中央病院はコンパクトに急性期に特化できた地域の基幹病院で、高度専門医療、急性期医療に特化してどんどんやっていけばいい病院で研修医も予算もあつまり黒字になり順風満帆です。
対して駒ヶ根の昭和伊南総合病院は急性期に特化できず2次救急と回復期医療に舵取り。医師不足に泣いており、開業の先生に休日夜間の応援を要請しているそうです。
同じ駒ヶ根市内にある県立こころのケアセンター駒ヶ根が50億の予算をかけて豪華な病棟を建て替えたばかりであり、県立の看護大学があったりするのですが一緒に再構築はできなかったのでしょうかね?

ちょっと話はずれますが、単科の精神病院と総合病院との組み合わせ、南信病院と伊那中央病院、豊科病院と安曇野赤十字病院、村井病院と上條記念病院など、いずれも隣接しています。佐久総合病院にいたっては精神科の病棟の多くを美里分院として外に出ちゃったりもしたようです・・。
今や認知症の高齢者が増えて来ているし、身体科と連携がとれていればいいのでしょうが、なかなかむつかしいようで、どうして総合病院と同一組織になって総合病院精神科病棟としての機能を果たせる様にしないのだろうかと思います?世界的にもそんな流れですし、そのほうがより多様なニーズに答えられるように思うのですが・・・。
地域移行の時代だしいっそ公的な総合病院の精神科病棟しか認めない制度にすればいいのに。
日本では民間巨大精神科病院が多い精神科病院協会の圧力が強く、歴史的な経緯や経営的なこともあるとおもいますがこれはいづれやらなきゃけいないことだと思いますね。

さて、話をもどすと150床の「まちの病院」である辰野病院も深刻な状況。
かつてはお産も含め盛んにやっていたが、大学からの引き上げで伊那中央病院に集約化されたようです
相澤病院にコンサルトして慢性期医療へのシフトをきめたようです。
新病院建設開始されたそうですが、今は7 人の医師(内科医3人)で地域の医療の砦を守っている状態だそうです。
あちこちで市町村ごとで人口あたりなどの数字が出てきますが、交通事情なども考慮したネットワークの考え方をもとにした医療福祉の指数を考えないと実情を反しないよなぁ。

医師会の代表の先生は、かかりつけを持ちましょうというが、開業している医師が、きちんとかかりつけ医の役割を果たせているかどうかも問題ですね。質をどう保証するのでしょうか?

上伊那地域だと公立病院が3つだったので役割分担してまずまず再編できたようですが、事業母体のことなる似たような規模も病院が並立する大北地域ではどうすればいいのでしょう?
住民にとってみれば近くに何でもできる総合病院があればいいに決まっているし、難しいですね。

どの程度の状態でどこにかかればいいのかとか、どんな生活をしていればどうなりやすいのかとか、医療の限界はどのあたりなのか、あらゆる機会をつかって市民と共有して考える機会をつくりみんなが賢くならなければいけないのでしょうね。

南アルプスと中央アルプスに挟まれた南北に長い盆地の伊那谷という地形的特徴から、松本医療圏(43万)と連続している大北医療圏(6万6千)と比べても上伊那医療圏は、かなり独立した医療圏です。
人口も19万2千人もいて、医療圏内でほぼ完結できます。
それでもトンネルができて近くなった隣接する木曽医療圏(3万4千)、諏訪(21万)や松本、飯伊医療圏(17万)との連携はどうなのか?とか、事業母体の異なる精神科病院である県立こころの医療センター駒ヶ根(129床)や南信病院(93床)は地域においてどういう位置づけと考えるのか?とかについて聞いてみたかったです。
でも、これは空気読めてない質問なんだろうな。
そもそも質問受け付けてないし。

やはり予定調和でシンポジウムは終わりました。
んん、なんだかつまんないな・・・。(;´д`)トホホ…

急に困ったときに何とかしてくれそうな人たち。

2012年01月22日 | Weblog
大町温泉郷で、もはや恒例となった安曇総合病院の精神科部門と大町保健福祉事務所と警察と消防救急(北アルプス広域連合)との親睦をかねて新年会があった。
今年で5回目だそうで、もはや恒例行事である。

「119番」と「110番」を呼べば来てくれる人たちが揃い踏みで、保健所や病院も含め365日、24時間スタンバっていて急に困った時に何とかしてくれそうな人たちだ。

ケースを通じても普段から一緒に仕事をしている仲間でもある。
お酌をしながらあいさつ回りをして警察、救急隊の苦労話をうかがう。

保健所は措置入院、監査で指導を受け、精神福祉相談などで出向くこともあり常日頃から連携をとっている。
また事業母体をこえた地域医療の計画などでも県や複数の医療機関の間をとりもち指導をいただく相手である。

警察は措置入院や、病院でのトラブルなどのときにお世話になっている。
勾留中の方が連れてこられて診察することもある。

救急外来の全科当直もやっているのですでに見知った関係だ。
救急隊はメディカルラリーに一緒に参加したり、JPTEC,ICLSなどの練習やデモを病院でおこなってくれるなど力強い医療チームの仲間である。
できる急性期身体医療に限度のある当院から他院への転院搬送などでもお世話になっている。

小さな地域なので大きな事故で多数の傷病者が発生した時のことなど、あの時はどうだったというような話になる。

お互いに顔見知りになり手心を知っているのと知らないで文句をいっているのとでは大違いである。
こういう機会は実に貴重であると思った。

今回は主に精神医療の入口(急性期側)側の主役が揃い踏みだったが、今度は出口側、慢性期というか生活期版もやりたい。
地域の中の障害福祉施設だとか、ジソウとかホーカツとか法律家とか生保ワーカーもいれてね。

誰のための医療圏?

2012年01月19日 | Weblog
病院再構築と地域医療再編についての県のヒアリングがあった。
診療時間内に万障繰り上げの上出席したが、県の担当者が病院に来て、地域医療再生計画の報告と少々の質疑応答があっただけだった。

安曇総合病院がどういう方向をめざすのかということに関して重大な局面を迎えている。
地元の病院は地域住民にとって可愛いし、うちこそが基幹病院だ、急性期だと言いたい気持ちはわからなくもない。
しかし中途半端な規模と陣容の病院がいくつもあるということは結局住民にとっても不利益になる。
限られた医療福祉資源をもっとも有効に活用できるように急性期医療、高度医療に関しては集約化とネットワークを力強くおしすすめていきつつ、生活期の支える医療に関しては(僻地ほど)充実したシステムを作っていく必要があるのだが、このことは実はかなり難しい。

地元の県議会議員も医師会も首長も未だ「おらが町にも何でもできる大病院を。2次医療圏内での出来る限りの完結を。」というレベルから脱却できていない。
某議員は「自分が持ってきた地域医療再生基金なのに病院からお礼も言いに来ない。」などと言っていて、あきれてしまった。

それにしても、そろそろ画一的な医療圏という考え方はやめたらどうだろうかと思う。
4疾患5事業というが、稀な難病患者さんや医療へのアクセスが限られ上手に医療を利用できない身体・精神の障がいをもつ方の目には医療圏はどのように映っているだろうか?
本年3月頃公表されるという国の第6次保健医療計画の指針の内容に期待したいところであるが・・。



県の担当者も「保健所も入って病院さんの間で話し合いをしてもらって・・・、地域医療再生計画推進会議で話し合っていく・・・。あくまで施設整備のお金でありまして、赤字がでても補填はできない・・・。」と煮え切らない様子で、有識者からなるという医療再生計画推進会議といっても諮問機関にすぎないようであり強制力はないようだ。

わかったことは、すべての病院が公立病院でもないし、行政がスーパーパワーで地域の複数の病院間の役割分担を采配することに期待するというのは無理らしいということだ。

結局は我々にできることは目の前の患者さんにベターな医療を提供しつつ、市民に対して情報公開を徹底的にすることで医療従事者も地域住民が自ら考えていける土壌をつくることにつきるのだと思う。

悪夢の地域医療破壊計画
2次医療圏とがん診療

TAB (temporarily able-bodied person)

2012年01月17日 | Weblog
今日のNHKの福祉ネットワーク、「にっぽんリハビリ応援団」
「主体性を引き出すリハビリテーション」の長谷川幹先生も出ていた。
昨年9月の松本のコンベンションでお会いしたが、粘り強く場をつくっている先生だ。

企業も社員の面倒見がよくなくなり、派遣の仕事しかなくなっている現在、障害者の社会参加に関しては就労協同組合のクラブハウス方式というのが主流になると思う。
基地をつくってそこから出ていくというあり方。

「病院でのリハビリが終了するとき、障害者手帳を交付するとき、行政実施のリハビリ教室が終わるときなどに次のステップの地域のリソースを紹介するルールをつくって欲しい。」との提言。
それには賛成なんだけど、本当は主治医がワンストップ機能を発揮できれば問題ないんだけれどね。
ケースワーカー全例介入でもいいけど。

あと、高次脳機能障害を対象に介護保険をつかったディサービスが紹介されていた。
若い人も多かったが介護保険ということは脳血管障害のみ?ということなのだろうか。
高次脳機能障害のディサービスは仙台での取り組みが有名だが、いづれにしても対象を絞ったグループは都会だからできることだなぁ。過疎地では多様なニーズに答える小規模で多機能な形しかとりえない。

それと「本人のニーズにあわせた生活は地域でしか成し得ない。」ことはないと思うぞ。
神経難病の終末期で病院で暮らしている人もいる。
ま、病院も施設も地域だといえば間違ってはいないが・・・。

最後に紹介されていたが英語圏で「健常者」→「一時的健常者」と言い換えている人がいるんだと。
おそらくTAB (temporarily able-bodied person) という言い方か。
健常者なのは一時的なもの、だれもが年を取れば障害者。あるいはたまたま運が良かっただけか、あるいは勘違いか。
これはいいと思った。

などとぼやきながらみてましたが、なかなかいい番組でした。

シンポジウム・震災時の支援と厚生連の役割を考える

2012年01月15日 | Weblog
後半のシンポジウムでは各事業所から行った支援について、医師、薬剤師、看護師、介護職、事務調整員(ロジスティクス)など10分ごとでの発表後ディスカッションでした。
DMATやJMAT、事務支援、介護支援、こころのケアなど様々立場からの支援の発表がありました。
災害支援は質量ともにやはり佐久総合病院が圧倒的でしたが、他の事業所も支援部隊の派遣、被災者の受け入れや募金なども含め、独自にできることをやっていることがわかりました。
被災地の現場を見ることで災害拠点病院としての役割の確認でき、職員の一体感の醸成、研修医のモチベーション向上が良かったこととしてあげられていましたが、厚生連全体としてみれば、今回は長野県として協定を結んでいた宮城県(特に石巻市)への支援はできましたが厚生連としての支援活動というのが出来なかったのは課題が残ります。

フロアからは「災害直後のDMATのような活動が必要な時期からから生活再建やこころのケアが重要な復興期にいたるまでどの職種でも支援できることはあるはず。農村医療をやってきた厚生連ならではのチームというのもあり得るのではないか。」という意見もでました。




自分の発表原稿を紹介しておきます。(時間がなくて緊張して本番では多少端折りました)

安曇病院からは3月23日の福島県いわき市の病院への精神科薬剤師の派遣を皮切りに、福島県、宮城県などに多くの職種の職員を派遣してきました。中川真一院長も大槌町にJMATチームとして医療支援に出動しています。
精神科関係のチームが多いのが特徴的と言えると思います。


当院の近隣の病院からは災害拠点病院の市立大町総合病院からは震災当日にDMATのチームが、救急部ができた安曇野日赤からも栄村や宮城県に震災直後から支援チームを派遣していますが、残念ながら当院からは直ちに医療支援チームを派遣するという動きは取れませんでした。
それでも原発事故、津波被害のあった福島県の沿岸部からの被災者が避難していた三春町から厚生連を通じて精神科救急チームの依頼があり、病院全体のバックアップもあり、わずか3日で準備をして3月24日には福島県に村田副院長をはじめとした多職種からなるチームが避難所に入りました。
その後もJMATや長野県のこころのケアチームに職員を派遣し、また看護師や薬剤師、臨床心理士など被災地支援の希望のある個人に対しては周りもサポートし病院としても出張扱いにするなどしてきました。
緊急時に支援に行くためには日常の診療の腕に磨きをかけておくこと、日常業務をおこなう人数に余裕をもたせておくことと、普段から災害発生時どのような支援ができるか想定・準備・訓練をし棚卸をして必要があると感じました。
また病院ごとで普段より交流をもっておくことも大事で、一昨年よりはじまった精神科病棟をもつ厚生連病院の会なども意義のあることだと思いました。


救急医療等については他院からの発表もあると思いますので、ここでは精神科からの支援についてまとめてみます。
まず精神科医療とは「支援を受けること」それ自体に支援が必要な人を対象としてます。
普段から精神疾患をかかえて生活している対人関係に器用でない方はもちろんですが、誰もが経験したことのない災害時にはなれない避難所生活のストレスもあいまって、パニックとなったり、抑うつ的となったり、困窮していることを伝えられなかったりという人も増えニーズが増えます。
マニュアルやメーリングリストでは「破壊された既存の精神医療システムの機能の補完すること。震災のストレスによって新たに生じた精神的問題を抱える一般住民について対応すること。そして 地域の医療従事者、被災者のケアを行っている職員( 救急隊員 、行政職 、 保健職等 )の精神的ケアを行うこと。」などが役割であると言われていました。

ところで精神科医療では本人に関わるだけではなく、本人と本人を取り巻く環境、つまり家族や地域社会なども含めてをシステムとしてとらえ介入することも特徴であり、医療、行政、司法、教育関係者など社会の種々の職業、立場の人との連携、協業をおこないます。
そして患者の「人生」を対象とし、時に長い関わりを要し、障がい者支援を通じて地域づくり、社会づくりに関わることの多い分野でもあります。
しかし被災地の支援では活用できるリソースが少ないワンポイントの支援で何が出来るのだろうという疑問をもったままの被災地に赴きました。

結局、できたことは被災者の声を聴くこと、ともに居ること、しっかり被災地をみておくことだけでした。
その中で、弱者の通訳として気づかず型、がまん型の潜在的なニーズの掘り起こし、その場でできることはやり、完結できないことは現場の保健師などのコーディネーターに返し継続的な支援につなげました。



それでは災害後の支援で特有なものはあるのででしょうか?
災害後、家族や家や仕事など様々なものを一瞬で失い人生の流れを断ち切られ呆然自失となります。
しかし多くの人が同様の経験をしみんなで助けあおうという機運が生まれます。
しかし死者の法要が営まれる四十九日ごろ、あるいは新聞の一面に乗らなくなった頃と言いますが幻滅期に入ります。
私が被災地に行ったのはちょうど四十九日ごろで、瓦礫の中で警察や自衛隊が遺体の捜索をおこなっているそばで喪服の人が法要をおこなっていました。
このころから混乱が一段落し、同じ被災者でも失ったもの、持っているものはそれぞれ様々で、持てるものからその状況から脱していき徐々に格差が広がっていきます。
そしてとりのこされるのは障害者や高齢医者、お金のない人、頼れる人のいない人などの弱者です。
当院からのサポートはこの時期くらいまでであり、本当はこの時期から生活再建が本格化し、継続的な支援も必要となるのですが残念ながら継続的な支援はできませんでした。
今なお残るの課題として、まず生活再建を果たし、その上で被災という出来事を自分の物語の中に位置づけることが出来るかがリカバリーの鍵となります。
そのためには継続的な支援と節目節目できっちりと「喪の作業」をしていくことが必要です。




実際の活動の様子です。
普段一緒に活動している多職種からなるチームで動けたのが心強かったですが、やはり現地の保健師などとの連携がいちばん重要でした。
災害発生当初は保健師が把握してピックアップした精神疾患を持ちつつ生活されていた方、避難所で気になる方を中心に、不眠、風邪症状、便秘、認知症などの相談にも乗りながらお話を伺って行きました。
発達障害などをかかえ避難所で共同生活をおくれずパニックになっている子どもなどの相談をうけました。


避難所ごとで様子もずいぶん違いました。
公民館や福祉施設などを利用した沿岸部の高台に点在していた小規模な避難所ではもともとのコミュニティでのご近所の関係がそのまま維持され、原則自治運営されており、ボランティアの入り込みや物資も比較的乏しい状態でした。
一方で内陸部の学校の体育館などを利用した大規模な避難所は沿岸部の被災地各地からあつまった見知らぬ者どうしの被災者があつまり、行政職員が管理していました。
詰所や医務室などが作られ、全国からボランティアや物資が集まり、介護職のボランティアなど先導して高齢者をあつめて体操やレクリエーションなどのイベントがあり、被災者の交流がうまれ自助グループ的な雰囲気がありました。
平常時の病院や福祉施設にも似た雰囲気があり、病院や施設は一種の避難所なのかもしれないと思いました。

「カウンセリングお断り」という貼り紙が避難所の入り口に貼られていたという噂もあり、心配しながらの避難所をまわりましたが 実際行ってみると様々な訴えがきかれました。いろんな支援者が出入りしているので支援にも慣れ、眼科はないの?というようなニーズ、心労で吐血された方、地域の人をおいて息子のところに離れていいものかという悩み、障害を持つ家族がルールを守れないという悩み。子どもや認知症の親がいて病院にいけない。などの声がありました。


被災地の避難所で苦労していたのはなんといっても高齢者や障害者などの弱者でした。
元気で、お金があり、頼れる人がいる人、運がいい人など動ける人から避難所から次の場所に脱出していっていました。

それから混乱する現場で自分の責任で気づいたことは指示を待つことなく何でもやることが必要で、普段から病院の理念や我々がやる医療の目的をしっかり共有した上で、自律的に動ける職員を育てていくことが大切だとおもいました。

問題となっていたのは普段の内服薬や医療や福祉の情報がないことでした。
被災してはじめて慌てないように住民も自分の健康情報は日常的にある程度理解、管理しておくなど「自分の健康は自分でまもる」心がけをもつことが大切だと思いました。
仕組みとしてパーソナルヘルスレコードとしての健康手帳、お薬手帳の推進、それからクラウド電子カルテなどでしょうか。


私は短期でしたが被災地に行かせていただき、様々なことを学ばせて頂きました。
被災地支援を通じて考えた厚生連としての役割について述べさせて頂きます。
普段から弱者は阻害され取り残されていますが、それは潜在化しています。
それが災害時の極限の状態で顕在化していました。

医療とは専門職と被援助者との共同作業ですが、被災地ではあらゆるリソースが普段以上に制限されます。
その限られたリソースをどう分配するのか優先順位をつけるトリアージを悩みながら行っています。
しかし、これは被災時に限らず、普段から、また再構築でも気を付けてかからなければいけないことであると思います。

第一線の現場の声や実情を無視したピントのずれた支援や計画の押し付けるようなことがあっては、ただでさえ忙しい現場のモチベーションを下げ、場合によっては地域社会や医療福祉を破壊しかねません。

お金さえをかければハードとしてのハコは作れますし、設備も買うことはできるでしょう。偉い先生も呼んでくることもできるかもしれません。
優先順位を考えるならば、まず耐震基準を満たさない古い建物の建て替えが何より急がれます。
もっとも、それだけでは医療はできませんし災害に強い地域は作れません。
災害時には、だれもが突然弱者になりえます。
減災で最も重要なのはソフト対策であり社会的脆弱性の克服であり、普段から弱者を取り込むことの出来る「品格」のあるコミュニティーを築くことです。
多くの職員が「専門性をもちながら地域に出る」ことでミクロとマクロの両方の視点をもちつつ、地に足をつけた生活を支える医療・福祉の実践し、「地域住民とともに」他の地域にも誇れる医療文化を作っていくことが厚生連病院に求められている役割だと思います。


中小二番手病院の悲哀と活路

2012年01月15日 | Weblog

「第28回(長野県)厚生連医療を考えるシンポジウム」が長野市のJA長野県ビル、アクティホールであったので行ってきました。

長野県内の11の事業所(病院)からは病院規模ごとの参加者の割り当てがあり、主に役職の付く人を中心に動員がかかっています。忙しい、若手のソルジャーはとても来られないし、来たくもないだろうけどね・・・。
年始に気勢を上げ厚生連組織全体としての一体感をもとうということで毎年企画されているイベントのようですが、例のごとく休日をつぶしてのサービス出勤強要でモチベーションが上がるんだか、下がるんだか。
厚生連には伝統的にこういうイベントが異様に多い気がします。

安曇総合病院からは30人くらい参加しバス1台を仕立てて長野に入りましたが、古巣の大御所、佐久総合病院などは100人くらいは参加しているようでバス2台で参加していました。


(JA長野県ビル、噂に聞く本所(ほんじょ:JA長野厚生連全体を取り仕切る謎の本部組織)ってのはここの10階。)

午前は例年、院長が持ち回りで話しているらしく今回は小諸厚生病院の小泉先生とと篠ノ井厚生病院の院長の話でした。
そして午後は外部講師を呼んでの講演やシンポジウムが多いようですが、今年は災害支援をテーマとしたシンポジウムでした。
私は安曇総合病院を代表してシンポジストとして登壇させていただきました。

他の病院の院長の話なんて聞いてもつまんないかな~と思っていましたが結構面白かったです。
再構築を控えるマグネットホスピタルである佐久総合病院の高度医療センターが近くに移ってきて二番手病院としての立場に甘んじなくてはならない小諸厚生病院と、人口も比較的多い長野市南部の中核医療を担う急性期病院の篠ノ井病院との立場が対照的でした。

小諸厚生病院の小泉陽一院長の話は、2番手病院に甘んじざるを得ない赤字、中小病院の悲哀の話でした。

県や国、患者も大病院に力をそそぎますし、医師も患者も大病院志向、あるいは開業志向です。
大学からの派遣も後回しで二番手病院は黙っていても人が集まる病院ではありません。
都市部のようにスペシャリティをもった病院として選択と集中して機能分化するにはそもそも過疎地は不利だし、高度なことをやるには人材、特に医師に依存します。
結局、変わり者、疲れ果てた医療者が中小病院志向だそうです。
(たしかにその通りです(^_^;) うちもそうです。)

しかし高齢者の増加、地域社会が崩壊していくなか、大病院への集約と在宅医療の狭間はどううめるのか?

高齢者、弱者は大病院にはかかりにくい、そこに活路を見い出すということのようです。

人や金が集まらなければ中小病院は落ち穂拾いのような仕事ばかりになってしまうといいます。
(私は落穂ひろい大いに結構と思いますが・・)

しかし実際、高齢社会の医療はそう簡単ではありません。
高齢者は複数の疾患をかかえ診断は難しい、しかし検査は希望しない。
しかし覚悟ができているわけではない。
救急車で運ばれれば特に家族はやれることは何でもやってくれと言います。
状況が悪化することも多く緊急対応が求められ、手がかかる割には収入には結びつけにくい。
今後も医療費削減の圧力は強まる一方です。
しかし介護の関係から遠方の病院や施設というわけにもいかず地元志向が強い。

結果、中小病院にも腕のいい医療者は必要なのです。

病院に見切りをつけて中堅どころの医師が多く開業したそうですが、在宅医療志向の開業医を主体にしてオープンベッドで上手くまわしていくということはできないんでしょうかね。
実力があり、覚悟もあって、コミュニケーションがとれる開業医が少ないんでしょうかね。


では、どのように腕のいい医者や専門職を集め育てるのか。
医局制度が崩壊した今、地域の中で連携を強化し、マグネットホスピタル構想は縦の関係ではなく横の関係で構築してほしい。地域の中で人材育成しライフサイクルにあった人材移動の仕組みをというのが主張でした。



そういうことであれば、経営統合しふたたび小諸分院にしたほうが人材の移動もやりやすいと思うのですが・・。
小海赤十字病院が佐久総合病院小海分院に移管されましたが、同じ厚生連だから日赤病院などよりもはるかにやりやすそうな気もします。そもそも小諸厚生病院はかつて佐久病院の小諸分院だったのですから。
(サンヨーとパナソニックみたいなものですね。)

しかしプライドもあるのか感情的には難しそうです。



小諸厚生病院は紆余曲折の末、市役所と併設して再建する計画だそうです。
市立の病院でもないのに、そういう形がとれるというのは新たな展開も可能かとも思います。
楽しみですね。

続いて篠ノ井厚生病院院長の木村薫先生の話。
こちらは比較的人口の多い地域ではあるが病院は少なめであり救急医療や急性期医療にも積極的で患者も増えており、、医師などの招聘では苦労してないとのことでした。
小諸厚生病院とくらべても余裕のある感じでした
100億かけて増改築を行うそうですが、建て増しを続けた病棟をどう建て替えるか、送電線との関係や道路をまたぐ渡り廊下の許認可、県や市との折衝などパズルみたいな大変な作業だと思いました。
放射線治療はニーズもあり計画もあるのですが、治療医のめどが立たず立てられる準備だけはしているような段階だそうです。


内科や外科がしっかりしていて背景人口も多い篠ノ井厚生病院ですら、放射線治療機器を入れることを計画していないのに、ニーズもあやしい安曇総合病院が放射線治療機器を入れたところで使いこなせるとはとても思えません。
うち(安曇総合病院)が今から中核病院を目指すのは非現実的(院長は諦めていないようですが)であり、スペシャリティをもった2番手病院としての中小病院としての道を目指さすのが適当でしょう。
うちも松本の相澤病院の安曇分院でもいいくらいです。いや、むしろ厚生連が相澤病院を買い取って松本厚生病院にして安曇分院にすれば全て解決?(^^ゞ。無理か。

あけましておめでとうございます。

2012年01月01日 | Weblog
あけましておめでとうございます。
昨年は大変な年でしたが、それでも新年は来ます。

今年は自分も社会も大きく変わりはじめる年のような気がします。

全員参加型のConvivialな社会を目指して・・。
自分は目の前の人の面白さを引き出す達人をめざします。
みんなで何か面白いことをやりたいですね。



今年もよろしくお願いします。