リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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現場の男達が語る「こんな小さなことで何が変わるの?」への答え

2011年03月08日 | Weblog
松本大学で上記タイトルのシンポジウムが開催された。
「地域福祉の担い手を養成する人材育成プログラム」の中の「松本大学学び直しシンポジウムNEXT」という企画だ(長い・・)。

ちなみに松本大学は経営や健康、福祉、観光など地域で必要とされる人材を生み出すべく、観光ホスピタリティ学科などを設立しユニークな取り組みで注目されている小さくともキラリと光る松本が誇る地域の大学である。

そこの准教授尻無浜(しりなしはま)先生から突然の依頼がありシンポジストとして登壇することになった。
しかし直前まで打ち合わせも無しの無茶振りだ。σ(^_^;)

松本大学の尻無浜先生は、医療の現場の出身だが、今は学生とともに障害者の就労支援や国際協力など多方面でな活動をされているユニークな先生で以前に講師として野の花の勉強会に御招きしたことから知り合った。

野の花セミナー「障害者就労」を考える参照。

大学の講堂に福祉関係者を中心にわりとたくさんの人が参加してくれていた。



まず、アクセシブルツーリズムガイドブックの紹介。
松本大学バリアフリーアクションという学生団体が車いすユーザーが台北を旅行する際に、通常のガイドブックと合わせて使用できるようにつくっられた小冊子だ。
実際に車いすユーザーとともに旅行し、台湾の障害者団体エデンの協力を得ながら旅行した経験が、台北の主な観光地ごとに記されている。
そもそも台湾の障害者団体エデンが信州松本に旅行に行きたいと申し出がありその受け入れを松本大学の観光ホスピタリティ学科の学生が請け負うことから縁がうまれ、また松本バリアフリーアクションという組織が生まれ今回のこのガイドブックにつながった。

日本のアクセシビリティ(最近はバリアフリーというよりこちらの言葉の方が好まれるようだ)はまだまだだ!と挑発する内容であり、行政に直接改善を訴えるという大手門からではなく、情報を整理して提供するという搦め手からのアクションなのだそうだ。

その後、シンポジウムに移った。

最初は共立福祉会の教育担当の手塚健太郎さん。

柔道の選手だったが介護の世界に飛び込んだ。
男性の介護職で熱い感じは、「力愛不二」の青山幸広さんを彷彿させる。
介護福祉は女性が主役の仕事かと思われているが共立福祉会の運営する福祉施設コンプレックス「あずみの里」は約150人の職員のなんと7割が男性だそうだ。

最初に介護報酬の切り詰めで、新人介護職員はパート雇用から開始せざるを得ない厳しい現状を報告。
しかし介護はやりがいのある楽しい仕事だと。
職場では利用者さんのニーズに応える取り組みや、地域との関わり、多職種のチームを盛り上げる仕掛けを紹介。看取りや同姓介護の問題について施設内で議論したり、いろいろな取り組みを行っているようだ。
高齢だから、障害があるからと、アキラメナイ、アキラメサセナイ。

施設は一つの家。
であるなら、笑顔だけではなく喜怒哀楽を出せる場に。

運営は制度でやれば良い現場は生活ニーズに基づいてやるんだ。
起きるという文字は「己が走る」と書くと檄を飛ばした。


続いて共立福祉会の秦泉寺(しんせんじ)孝氏。

直接合うのは初めてであるが同じ地域に暮らしている大変な方を共に支えているということを通じてすぐにつながれた。

もともとクレジットカード会社のサラリーマンだったが思うところあって福祉の世界へ飛び込んだそうだ。
病院の事務職や介護保険事業所等を経て、安曇野市の社協へ来て権利擁護で今やローン会社と闘うこともある立場になった。

「地域福祉」とは何かという問題意識から、いっそ自分たちの定義をつくってしまえと定義をつくった。
その答えは【住民が抱える「一つひとつ」の「生活課題」を解決すること】だそうだ。

このあたりは自分の抱く「地域医療とは何か?」という問題意識にぴったり重なる。
ちなみに、清水茂文先生の「医療の一分野と言うよりはむしろ、地域の一役割」や濱口杉大先生の「医療を通じて地域をよくしていくこと」という定義が好きなのだが・・・。

安曇野市社協は職員400人をかかえる大所帯。
地域住民を巻き込み秦泉寺氏が中心となって慣れないワークショップなどを何度も行った。
地域福祉活動計画はあえてコンサルを入れず、大学ともコラボし住民の聞き取りでニーズを把握、地域住民代表の策定員75人で策定作業をおこない計画を自分たちの言葉で書いたそうだ。
そして今はその計画を動かすべく、全ての地域住民にと、説明して歩いているとのこと。

このあたりの活動は南佐久の健康指導員の活動やJAあずみの活動と重なるし、北海道ニセコ町の住民基本条例の策定を思い出させる。。
共通点は住民運動だということだ。

最後に自分の番でドキドキしながら発表。
「うちじゃないよ。」といわれてたどり着いた患者さんを対象に、よろず相談で自分の全てを総動員して医療技術や知識を中心として使えるものは何で持つかって患者さんの人生再建をお手伝い(主に設計部門)をしていますと自己紹介。
北海道~佐久での研修、精神科に流れ着いたわけ。地域に飛び込んでの日々の実践の中で感じたニーズを演劇などを通じて地域にかえし運動にたかめていく様子を、認知症の劇や障害者の病院内の仕事を使った就労支援(食器洗浄、クリーニング)などを通じて紹介した。



そして最近の精神医療の潮流であるリカバリー概念を紹介した。



援助者と被援助者は紙一重であり、そのときにたまたま余裕のある側が援助者になっているだけ。
可能ならならばパートナーシップが重要なのだが、それが難しいこともある。
国際協力や援助、親子関係をみてもわかるようにこの関係は時と場合により入れ替わるという図を紹介した。

最後は、障害者の地域生活支援と街作りで、自分も理事として関わらせていただいている野の花の活動を紹介した。
野の花関係の仲間が何人か応援に駆けつけてくれ、障害者の働く場として農業就労や、安曇野の野菜など発送事業を考えていてその拠点をつくるために活動していますと会場で「名菓ごまかし」他を販売してPRした。
「あなたは大切な人で生きている価値があるというメッセージ」のあふれる、弱さを絆に地域を紡ぎ、だれもが自分のいろんな思いを言える場を地域に増やしていきたいという決意をつたえた。

最後に尻無浜先生が、「ニーズを感じたら運動に」とコンパクトな言葉でまとめ、3人のシンポジストがそれぞれフットワーク、チームワーク、ネットワークというキーワードで締めた。
(3つそろうと菅谷松本市長が著書の中でつかっていたモットーだ)

松本大学の観光ホスピタリティ学科ができて数年だが、そのコンセプトは「住んで良し、訪れて良し」の地域づくりだそうだ。
地域ニーズにあった人材を輩出しているようで、地域の福祉現場のリーダーとして活躍する人、宅老所の事業の立ち上げなどをまかされる人なども出てきている。
今回は、同じ地域で福祉を担っているそうした方々とつながりがつくれたのが一番の収穫だった。

わたしたちのまちの憲法―ニセコ町の挑戦
クリエーター情報なし
日本経済評論社



「地域での生活を支え抜くケア」第1回北アルプス地域ケアシンポジウム

2011年03月08日 | Weblog
「第一回北アルプス地域ケアシンポジウム」が松川村すずの音ホールで開催された。

「最近安易な講演会やシンポジウムなどが多すぎるかな・・・?。」とも思うが今回は自分が仕掛人。
講演会などのセッティングには手慣れた事務方や精神科部門スタッフの多大な協力を得てなんとか無事に開催することが出来た。



今回のシンポジウムは農村部の安曇野大北地域に今必要とされている医療福祉を考えると同時に、地域でケアに関わる者どおし顔の見える関係をつくることを目的として開催。

病院のホールや大会議室でもよかったのだろうがあえて病院外の地域のホールを利用した。
声をかけた開業の先生方や訪問看護や居宅、施設の職員などがたくさん集まってくれた。

最初は国立長寿医療研究センターの洪(ほん)先生を招いての基調講演で、タイトルは「非がん患者の終末期ケアと在宅医療支援病棟。」

期待以上の内容で(失礼)、「よかった。」、「他の地域でも開催してほしい。」などの感想もあり満足いただけたようだ。

講演は洪先生の自己紹介から始まり、終末期医療の話しに・・。

まず終末期には大きく4つのパターンがあると説明。



ひとつは突然死。
朝起きてきたら亡くなっていたというような心筋梗塞や大きな脳卒中など、いわゆるピンピンコロリだ。
しかしこれは遺言や遺産整理など死ぬ準備ができないし心構えの出来ていない周囲のショックも大きい。

死因として最大のがんは種類によるが3ヶ月程度の終末期。
癌の場合は、だいたいどのくらの期間で亡くなるか先が読めるし、死亡する1週間くらい前まではADLは保たれる。

うちの祖母もそういえば、最後の最後まで自分でトイレに行きたがっていたし実際いけていた。

本人も家族も準備できるし、緩和ケアさえちゃんとなされるのならば高齢者の場合は他の死に方と比べても以外と悪くないのではないかと思う。
・・大事にされるしね。若い人の場合はせつないけど・・・。

一方、非がん患者の終末期の経過は長く介護する人も大変だ。

心不全や呼吸不全のように、増悪すると毎回「覚悟をしておいてください。」といわれつつ持ち直すというようなことを繰り返して終末期に行くパターンの疾患・・。

そして認知症や神経難病、老衰のように低空飛行がダラダラつづいて最後は亡くなるというパターン。

食べられなくなった時にどうするかと言うのも問題だ。食べられなくなった時には意思表示が出来ないケースも多い。
リアリティあふれるいろんなケースを紹介していただきその対応で慌てふためきつつ成長する医療者の様子を紹介された。

個々のケースを皆で悩み考え、胃ろうや看取りに対する病院の文化が徐々に変わり、その病院の文化が地域の文化を変えていく様子が良く伝わってきた。

ついでメインの在宅医療支援病棟の話しに移った。

以前のシンポジウムの内容も参考に。

在宅医療支援病棟は登録医が、あらかじめ登録した患者を、在宅主治医が病院とともに見て行く体制を提供することで在宅主治医をバックアップする仕掛けだ。
がんの終末期の患者、神経難病、脳血管障害を中心に、認知症、呼吸器、骨間接疾患など高齢者の多様な疾患を扱い、家族や医療福祉職のレスパイトや看取りも含め、いつでも入院できる環境を提供し、入退院を繰り返しながら地域での暮らしを最後まで支え抜く。



平成21年春の開設以来、順調に登録医や登録患者が増えているとのこと。
看護に最大の特色があり看護師はプライマリとして入退院を繰り返す経過の中、ひとりの患者に担当として継続して関わり、在宅療養の準備や地域との連携を中心となっておこなう。
原則として入院前には自宅訪問なども行い、退院後の電話フォローをおこなう仕組みにするなどの在宅医療支援病棟の実践で看護がレベルアップし、ケースワークも出来る看護師、「いい加減」を理解できる看護師が増えているそうだ。



地域で在宅医療をおこなう開業医と在宅患者をマッピングした図は秀逸であった。
外来診療の傍ら若干名の在宅患者をみている開業医に1~2人余分にみてもらえるような体制をつくるために、在宅医療専門の診療所が副主治医としてバックアップし、また在宅医療支援病棟がバックアップすることで限られた地域資源を有効活用して地域の在宅医療の底上げを図れればとのこと。

むっ、これぞロングテールの底上げ。

引き続いてのミニシンポジウムは「地域と病院が協業しての在宅ケア」というテーマ。

薛(せつ)先生が当院から昨年よりはじめた在宅支援科の活動を報告し、地域で開業され在宅医療も熱心な若林先生の病院の医者がと地域の医者が協力して在宅患者をみる仕組みの必要性を訴えた。

患者や患者家族のニーズに応えるために、また医療福祉従事者が燃え尽きず仕事を続けて行くために多職種でのチーム医療がまわっていくことが必要だということを共有できたかと思う。

救急隊員の方からも、「救急隊もメディカルコントロールに乗っ取って任務を遂行するだけではなく、チームの一員として、在宅医療終末期ケアに関する心構えを変えなければいけないという。」意見もでた。

参加者の声を聞くと、わりと好評だったようで一安心。交流会でも新しいつながりもつくれた。

すぐに利用できるアイディアは早速、TTP(徹底的にパクる)としよう。
残念ながら在宅医療支援病棟は、いまのところ持ち出しも多く医療経営上は赤字だそうだ。
農村部でのデータをあつめるためうちの病院でもモデル事業とかで実現できないかな?


次回は増えている居住福祉での看取りなどをテーマにして8月頃開催したいと考えている。


~病院報の原稿~

平成23年3月4日、松川村すずの音ホールで地域ケアの在り方を皆で考え、職種や職域にかかわらず顔の見える関係をつくっていくことを目的として第1回北アルプス地域ケアシンポジウムが開催された。
 はじめに愛知県の国立成就医療研究センターの洪英在(ほん よんぢぇ)先生に「非がん患者の終末期ケアと在宅医療支援病棟」というテーマでお話をいただいた。
 認知症や心不全などの非がん患者の終末期は経過が長く、経過も予測でき亡くなる1週間くらい前までは日常生活動作も保たれることの多いがんの終末期とは違った大変さがある。いよいよ口から食べられなくなった時にどうするかも悩みどころだ。
 長寿医療研究センターでは様々なニーズに応えるため平成21年4月に在宅医療支援病棟を開設した。この病棟は地域で在宅患者さんの主治医となる登録医が、登録した患者を病院とともに最期まで支えていく体制を提供している。がんの終末期の患者、神経難病、脳血管障害を中心に、認知症、呼吸器、骨間接疾患など高齢者の多様な疾患を対象とし、患者が入退院を繰り返す中で病棟の看護師が中心となり患者や家族、地域の支援者をバックアップし、家族や医療福祉職のレスパイトや看取りも含め、いつでも入院できる環境を提供している。その実践の過程で病院の医療文化がかわり、地域の医療文化が変わって行く様子が伝わってきた。
 講演に引き続き、安曇総合病院の薛医師らが始めた在宅医療支援の試みを発表し、患者さんのニーズに応えるため、また医療福祉職が燃え尽きないために多職種がチームで関わることの大切さを訴えた。さらに若林医院の若林医師からは地域の在宅患者を病院がバックアップして一緒に支えていくことの必要性を訴えた。今後、当地域で高齢者の尊厳ある生活を地域で支え抜くために必要なことを意見交換でき、また交流会でも繋がりを深めることができたと思う。第2回は夏頃を予定している。