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精神科医師のブログ。
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発達障害という視点から話題の映画「ソーシャルネットワーク」を斬る。

2011年01月31日 | Weblog
あちこちで評判となっている映画「ソーシャルネットワーク」をやっと見に行くことができたので早速レビューする。




いまや5億人のユーザを抱えるSNSのフェイスブックが誕生し急成長して行く過程で巻き起こった二つの裁判を軸にテンポよく物語がすすむ。アメリカの大学生の雰囲気や西海岸、東海岸、英国のそれぞれの雰囲気などもうかがえて面白い。
実にキャラが立っており名演技(多少誇張もあるようだが・・)ストーリーもエキサイティングで 誰もが楽しめる娯楽作品に仕上がっており、 早くもアカデミー賞候補と目されている作品なのだそうだ。

発達障害、特に自閉症をあつかった映画として有名なものにレインマン、統合失調症を扱った映画としてビューティフル・マインドがあるが、この映画も病跡学的に眺めてみるとまた違った楽しみ方ができる。
アスペルガー症候群やADHDなどの発達障害に興味のある人はそういった視点からみると特に楽しめるだろう。
キャラが立っているのは登場人物がそれぞれさまざまな発達特性を持ち合わせているからだ。
これらの発達特性を持つ人がコンピュータやネットビジネスと出会うとどういうことが起こるのか・・・。

コンピュータやベンチャー企業、アメリカの大学についての背景知識をこんなサイトで予習してから望めばより楽しめるかもしれない。
アスペルガー症候群についてはこちら(WIkipedia)

・・・・以下、登場人物達の発達特性を中心にストーリーを紹介する。ネタバレ注意・・・・・

主人公のマーク・ザッカーバークは発達障害(アスペルガー症候群)の特性をばっちりもったユダヤ系のアメリカ人大学生である。高校時代からコンピュータののナードでありハーバード大学でコンピューターサイエンスを専攻している。
人付き合いが極端に下手で友人はわずか数人。悪意はなくピュアで一途なのだが興味の対象は片寄り、コミュニケーションは苦手、言動はどうも周囲からズレてしまう。
そんなマークと対照的なのがもう1人の主人公であるサヴェリン・エドゥアルト。マークのルームメイトで友人で定型発達者の代表だ。経済学を専攻し世俗的な成功を目指し、また特権階級の社交クラブのメンバーになんとか加えてもらおうと悲しい努力をつづける。

映画はマークと恋人だったボストン大学の女子大生エリカの会話のシーンからはじまる。
自分がいかにすごいのかを滔々としゃべり、本人は必死なのにもかかわらずどうにも話が噛み合ず「話が飛んでついていけない」といわれて結局振られてしまう。うーんこのへんの会話からして実にアスペルガー的だ。

恋人に振られて寮にもどり酒をあおったマークは 腹いせに彼女を中傷するブログをかき、サーバーをハックして女子大生の顔を比較するサイト、フェイススマッシュをわずか数時間で立ち上げる。あっという間にアクセスが増えサーバーをダウンさせてしまい大学の理事会に呼ばれて処罰され、また全女子学生を敵にまわしてしまう・・。しかしマークは審議会の席で「ネットワークのセキュリティの脆弱性を示したのだから、大学に貢献したと思っている」と語り周囲を唖然とさせる。

その後、コンピュータプログラミングの腕を見込まれ名門のお金持ちウィンクルボス兄弟に呼び出されたマークは学内の出会い系サイトのハーバード・コネクションの開発を「名誉挽回するチャンス」だと依頼され、いったんは請け負うが、あまり乗り気でないマークは独自にザ・フェイスブックを開発する。
共同経営者として名乗りを上げたマークの数少ない友人のサヴェリンから資金の協力などを得てひたすら開発にいそしむ。
学生限定のSNSとしてスタートし、出だしから大評判を呼んだザ・フェイスブックだったが、ユーザーが増えサーバーの増設などで資金繰りは常に大変な状態がつづく。しかし世俗的、経済的な成功にはあまり興味なく、クールなフェイスブックのインターフェイスを汚したくないと広告を入れることを拒む。CFOたるサヴェリンは早くスポンサーを得て、広告を入れ収益を上げるようにすべくせかすがマークはうなづかない。

次々と東海岸の名門大学に開放していったザ・フェイスブックが西海岸に飛び火したころ、ファイル共有交換ソフトのナップスターで音楽業界全体を敵に回し、しかもその状況を楽しんでいたカリスマの山師、ショーン・パーカーがザ・フェイスブックの価値を見いだす。そしてマークとサヴェリンのもとに現れてマークに激を飛ばす。その別れ際の台詞がまたカッコいい。

「The FacebookのTheを取ってFacebookに」。

マークはあんなクレイジーなやつと付き合うのは止めておいた方がいいというサヴェリンの不安をよそにパーカーに傾倒してゆき、パーカーのいる西海岸に本拠地を移す。そこでさらにフェイスブックは急成長をとげる。
このパーカーはADHD特性も強くもっているとおもう・・・。ドラッグとかやってるし・・。

共同創始者であったはずのサヴェリンは、おいてけぼりをくらう。急成長するフェイスブックから捨てられそうになった妬みから口座を凍結し資金を引き上げフェイスブックを危機に陥れようとしたためにマークらに会社に追い出される。
そして自分のプライドと利益を取り戻すために訴訟を決意する。

天才マークとパーカーそして偉大なる凡人サヴェリンは映画「アマデウス」のモーツアルトとサリエリを思い出してしまうが、サヴェリンの協力がないとフェイスブックが生まれなかったのもまた事実なのだろう。サヴェリンがなぜマークと仲が良かったのかはわからないがどこか引き合うものがあったのだろうか。最初のフェイススマッシュのバカ騒ぎも面白がて一緒にやっていたし・・・。

さらに名脇役なのが、特権階級出身で名門の社交クラブに属し、屈強なスポーツマンでボートクラブを仕切るリア充、ウィンクルボス兄弟とディビャ・ナレンドラの3人。
フェイスブックはそもそも自分たちのアイディアだったと主張しフェイスブックを妨害しようと、弁護士から警告を送ったり、学長に訴えでたりとさまざまな画策をするが最終的にはマークに対して訴訟をおこす。
なんとこの双子の兄弟、一人の俳優が演じているらしい。

これらの登場人物は皆、ハーバード大の学生だが、それぞれの立場や価値観の違いが出ていて実に面白い。

映画は2つの訴訟の場面とフェイスブックの創成期から発展期のエピソードが交互に展開する秀逸な構成で進行するが訴訟の原告や弁護士たちとのやり取り場面でのマークもアスペ全開。大人達が集まる場で、まるで一人だけ子供で空気をよめず逆に空気をつくりまくっていておもわずニヤリとしてしまう。最期の弁護士のセリフ、「あなたは悪い人じゃない。そう振舞っているだけ」がマークをよく表現している。

そしてラストシーン(ネタバレになるのでこれ以上はかきませんが・・。)がまたよく出来ている・・・・。

コンピュータはPDD(アスペルガー症候群)の特性の人と相性がよく、その周辺(プログラマー、システム開発など)はPDD特性をもつものが活躍できるニッチなのだろう。
なぜならプログラミングやシステム化とは混乱に満ちた無秩序な世界に秩序を生み出す構造化そのもだからだ。
ただしその能力が活かされるためには社会との媒介(サヴェリンでありパーカー)は必要だろう。

マークやパーカーが経済的な成功よりも面白がったり仲間内の名声の方を重視することは、リナックスの制作者リーナス・トルバルスなどと同じ。ハッカーの文化、価値観だが、その背後にはお金や世俗的な成功には関心は低い発達障害者の特性が見え隠れする。

ビルゲイツなんかを見ていてもコンピュータ自体、発達障害者の自助具として生まれたものなのではないかと思ってしまう。
フェイスブックでは実名主義が思想としてあるが、マークがフェイスブックをつくったのは必然だろう。
相手によって態度をかえたりするような器用なことのできない発達特性のマークにとって、自分を代弁してくれ世界とつながるためのツールとしてのソーシャルネットワークが必要だったのね。(ラストシーンが象徴している)

もっともマーク・ザッカーバークとフェイスブックはこの映画を認めていないそうだが・・・。

この映画は自分も同時代を経験してきたインターネットの発展期を描いた時代を象徴する映画である点も興味深かった。
コンピュータそしてインターネットの発展がなければ、短期間にこんな爆発的な成功というのはなかったであろうこともまた興味深い。
自分が大学に入った頃がちょうどインターネットが一般的になってきたころで掲示板+日記が中心のホームページ、ブログ、ミクシィ、ツイッターなどその時々のネットサービスを使ってきた。アイディアから億万長者までが近いのがネットの世界の特徴。
「あーこういうアイディアは自分も考えていたかも。」とも思ったりするが、きっと思い過ごしだろう。

ちなみに主役のマークを演じたジェシー・アイゼンバーグは、劇中のマーク同様、人付き合いが苦手だという。
マークが友人とグループを作って学生生活を楽しみたいと思っているのにもかかわらず、それができないフラストレーションから「フェイスブック」を作って自分を変えようとしたのに対し、アイゼンバーグは、演劇を始めることで苦手を克服しようとした。

「僕ももともと社交的ではなく、皆の輪の中に入っていくのが下手だった。ただ皮肉なことに、演劇を選んだことで、かえって忙しくなってしまい、学校には行けなくなり、クラスの仲間とも遠ざかってしまった。マークの場合も、『フェイスブック』をつくったことで億万長者にはなったけれども、彼から離れてしまった人もいる。そこはある意味、僕たち2人の共通点といえるかもしれないね」

インタビューで答えている。

ジェシーもPDDの発達特性をふんだんに持ち合わせており、早口でまくしたてる演技も素だったのかもと・・・。
こんなティストでスティーブジョブスやビルゲイツ、ラリー ペイジとサーゲイ ブリンの映画もつくってほしいなぁ。
っとおもったら「パイレーツ・オブ・シリコンバレー(日本ではバトル・オブ・シリコンバレー」っていうドラマがあるのね。

P.S.
日本でGeekたちが活躍する映画として「アキハバラ@Deep」があるが、ソーシャルネットワークは実話に基づいたストーリーと言うこともありはるかに面白かった。(比べる対象が間違っているって?)
秋葉原と言えばAKB48のドキュメンタリー映画見に行きたいが近くでやっていないんだな・・。

facebook
ベン・メズリック
青志社

どうなる!どうする!認知症 再び

2011年01月28日 | Weblog
昨年に引き続き、町民対象の認知症の講演会。

無線などで呼びかけたかいもあり、昨年度を上回る、また予想を上回る70人があつまった。
昨年度に引き続き来てくれた方も何人かいた。
認知症に対する関心の高さがうかがわれた。

長野県の地方紙(信濃毎日新聞)で昨年連載された認知症の特集を読んでいた人も多かった。

この連載特集をまとめた本が新書で出版されているがタイムリーで上質なルポルタージュとなっておりとてもお勧めできる。ちなみにうちの病院も取材をうけている(112p~113p)。


認知症と長寿社会 笑顔のままで (講談社現代新書)
信濃毎日新聞取材班
講談社


昨年は混乱期の運転などを中心テーマにあげたが、今年は終末期についてやや詳しく話した。
現場で感じている問題意識を市民と共有するきっかけになったと思う。

スライドはこちら

興味を引くべく、なるべく実際のケースをあげて(個人情報はわからないようにした形で)説明するように心がけた。

親が認知症だったがそのときに知識を持っていれば・・というような感想や、心構えができていれば動揺も小さくて済むと思うというような感想、明るく生きていくしかないというような感想があった。

また事前指示書などに関心があつまった。

2月20日には長谷川式簡易知能スケールで有名な長谷川和夫先生を招いての講演会、シンポジウムが大町市で開催される(2月20日午後1時30分~JA大北会館アプロード)のでその宣伝もした。


講演会のあとに社協や町の人と話しをしたが、有償ボランティアの「サポートてるてる」も年数千件の利用があり機能しているそうだ。
事業所も少ないので食事の配送サービスなども行っている。
平成24年度開業に向けて、さらに小規模多機能事業所を立ち上げるそう。
ニーズにこたえるべく頑張っているなぁ。

寸劇は社協のスタッフに演じてもらったがちょっとシナリオが練りきれなかったな・・。

**********************<一応公開>********************

A:看護師。病院の定年後、ケアホームでの仕事に変わった。
B:姑の介護をしている。Aの友人。

B:「あら、こんにちは。病院を退職してから新しくできた認知症のグループホームでの仕事をしているんだって?忙しいそうね。」

A:「まぁね。看護師は一人しかいないしいろいろ責任が重くて大変よ。でも認知症の方々のお世話をするのは楽しいわ。そういえば、おばあちゃん、最近、見ないけどどおしたの?老人保健施設でのショートスティも使い始めたって言ってたけど。」

B:「90になって以前のように家から出て行ってしまわなくなった分楽にはなって良かったな・・・と思っていたんだけどね・・。
年末にポータブルトイレに移ろうとして転んでしまってね。朝、ベッド脇の床でずりおちて倒れていて見つかって。動けなくて痛がるし救急車に来てもらってアルプス病院に運んでもらったんだけど・・・。足の付け根の骨が折れていて、すぐ手術してリハビリしないと痛みがのこるし歩けなくなるっていわれて」

A:「それはたいへんだったわね。お年寄りは転ぶと骨折しやすいからねぇ。骨粗鬆症だってあるだろうし、 寒い季節は動きが鈍くなって転びやすいし・・・。それで、手術は上手くいったの?」

B:「まぁ一応ね。入院した翌日には手術をしてもらってね。すぐにリハビリを始めたんだけど、入院していることも分からなくて混乱してしまって・・。夕方になると帰るといって大騒ぎで・・。私がいってついていると少しは落ち着くんだけど「お母さん」とかいって・・・分からなくなっちゃみたいで・・」

A:「認知症があると、自分がどこにいるか分からなくて、また覚えられないから慣れない場所に行くと混乱しちゃうのよねぇ。うちのおばあちゃんも施設に入った時にしばらく混乱して大変だったのよ。」

B:「あんまり落ち着かないから、昼間は車いすで看護師さんたちのところにいさせてもらったみたい。でも 夜はベッドに縛られて・・。 かわいそうだなと思っていたんだけどね。」

A:「病院で入院すると、介護施設ほど、いつでも自由に動けるというわけにはいかないからねぇ。夜勤の看護師も少ないし・・。」

B:「そうこうしているうちに、なんか落ち込んじゃったみたいで。元気がなくなってしまって、食事を食べなくなったのよ・・。」

A:「全く食べられなくなったの?」

B:「すすめれば食べることもあるんだけど、すぐに「 もういい。」っていってね。口に入れてもモグモグしているばかりでなかなか飲み込まなくなって。痰がらみも増えてね。」

A:「認知症がすすむと気も散りやすいし介助するのにも時間がかかるのよね。細かく分けて何回も食べさせたり、味付けを濃くしたり、好きなものを食べてもらったり、住み慣れた家に帰してみるというのも一つの方法だろうけど・・・。」

B:「がんとか何かあるんじゃないかとCTや血液検査など身体の検査もいろいろしたり、栄養士さんも来てくれて好みをきいてくれて好きなものを食べさせてみたり・・。先生も元気が出て食欲が出るお薬とかいろいろ出してくれているんだけどね・・・。あんまり食事がすすまなくて。

そうこうしているうちに痰がらみもひどくて肺炎になったりしてね、だんだん痩せてきちゃって・・。」

A:「なんだか可愛そうね。」

B:「そうなのよ。食べないから点滴しましょうって、点滴をしているんだけど気になるらしくてすぐに抜いてしまって看護師さんに迷惑かけてね。抜いてしまうからと手にミトンをはめられてね。
先生ももう口からだけで栄養をとるのは難しいんじゃないかって・・。
おばあちゃんはおじいちゃんの様子をみていたから延命治療はいやだって言っていたんだけどね。
それで先生からは経管栄養や胃ろうという選択肢もあると言われたんだけど。
このままじゃ退院もできないしやれることも無いって。
施設も胃ろうじゃないと受け入れてくれるところはないって・・。胃ろうってどういうものなの?」

A:「胃ろうはね、直接胃に流動食を流し込むための穴をおなかにあけるのよ・・。ピアスみたいなものね。
内視鏡をみながらの簡単な手術でね。2、3日で使えるようになるのよ。
栄養は確実にとれるし、介護も楽になるって喜ばれることも多い技術なんだけどね・・。
ただ、脳卒中後のようにリハビリで回復が望める場合とは違って、認知症や老衰のように徐々にすすんでいくもので本人の意思が確認できないような場合に胃ろうをつくるべきかどうかというのは議論になっているのよ。」

B:「いつか自分で食べられなくなったら仕方がないかな、寿命かなって本人も私たちも覚悟していて、最期は自然な形でと考えていたんだけど、いざそうなってみるとどうすればいいのか分からなくて・・。
親戚と相談してみたら「食べられないからと言って餓死させるのはかわいそうではないか」と言われて・・。」

A:「そうなのよね。医学的にはやれることがあるのに治療をしないのは医療者にとっても犯罪だといわれても今の法律では守ってくれるわけではないしね。 十分な栄養を与えないと言うのは理屈上は呼吸器外しや血液透析の中止と同じことになっちゃうからね。何もしないということが病院だと慣れておらず難しいし・・・。
本当はね、本人が元気な時に、こういう状態になった時にどうして欲しいかという意思表示を書いた事前指示書なんかがあれば、家族も本人も医療者も助かるんだけどね。
家に帰ってみて好きなものを食べてもらって、それでも食べられるようにならなければ看取るという方法もあるわよ。
訪問してくれる先生も増えているし訪問看護もあるし・・。定期的な訪問に加えて心配ならいつでも来てくれるのよ。そんなこともあって、最近はグループホームなど福祉施設での看取りもふえているのよ。
どちらが正解と言うことは無いと、主治医の先生と相談しながら思うけど皆で悩むしかないでしょうね。」

B:「うーん」