リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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野の花セミナー「障がい者就労の在り方を考える」

2010年03月29日 | Weblog
精神障がい者の居場所から地域づくりを考える「NPOほたか野の花」では、これまでもいろいろな勉強を企画してきた。
勉強好きで真面目な信州人と、活動的で新しい物好きのIターン組が交わり楽しい雰囲気だ。

3月26日の勉強会は野の花セミナーと銘打ち、松本大学の観光ホスピタリティ学科ので「地域づくり」「まちづくり」を福祉とビジネスの視点から研究・教育・実践されている尻無浜(しりなしはま)博幸先生をお招きしての勉強会。
尻無浜先生はスリランカから戻られたばかりで駆けつけてくださった。

野の花スタッフ、就労支援ワーカー、農家、Iターン予定者、新聞記者、医療職、障害当事者・・・など多彩なメンバーがあつまった。それぞれが知り合いに声をかけて集まった人には初めてお会いする人も何人もいて思わぬ出会いがあるのも楽しみ。
たまたま安曇総合病院の就労支援事業を取材に来てくれた記者さんも一緒に参加してくれた。

10数人のこじんまりとした集まりだったが、豚汁と鶏肉の唐揚げとおにぎりを食べて輪になっての和気あいあいとした雰囲気で開始。

さて勉強会の内容はというと・・・。

日本の障害者雇用政策は、作業所の工賃倍増計画や雇用率制度を継続するなど試みられているが上手くいっているとは言い難い。
長野県でも障害者総合支援センターや就労支援ワーカー等を配置したり、福祉的就労のてこ入れをするも苦戦している状態だ。

解決がもとめられる社会的課題(環境・貧困・障害者・高齢者・福祉・まちおこし・・)などをビジネスとして取り組もうとする事業体は日本ではソーシャルビジネスと呼ばれている。
これはソーシャルエンタープライズ、ソーシャルアントレプレナー、ソーシャルファームなどを含めた概念である。
この分野では韓国やイタリアが先進的であり、韓国では社会的企業育成法、イタリアでは社会協同組合法という法律があり社会的企業の育成を推進している。

社会的課題を解決するものとしてNPO法人や株式会社、有限会社など組織の形態はいろいろある。
しかし障害者雇用と地域社会づくりをともに考えるのであれば一つの企業やNPOが何でもやるのではなく、地域の多くの人や組織を巻き込む社会的な広がりをつくるシステムがよい。
そのためには社会的就労組合という在り方が良いのではないかという提案をイタリアの社会共同組合(ソーシャル・コーポラティブ)を例にあげて分かりやすくお話しくださった。

そして、そのキーワードとして「連帯経済」というのをあげられた。
これは社会との接点を再構築すること。つまり当事者性を重視、協同性の追求、コミュニティを基盤とした活動が鍵となる。
技術的な革新というより社会サービスの提供の新しい仕組み、さらに人と人との関係性の変化を重視する。
個人を消費者とみて、地域や家族をバラバラにしマスプロダクションの生産物を押し付けて来たこれまでの在り方を覆すものであり今後の主流となるだろう。


さて、尻無浜先生のすばらしいところは実践を重視しているところだ。
食品などのコモディテイでありながら高級な物に注目し地域にある物を活用する。
手間ひまをかけることは大歓迎。物語性を重視。
というわけでフランス鴨と奈川そばに注目した。

まず奈川の休耕地とお年寄りのもつソバ栽培の道具とノウハウを活かし、作業所などの障害者の雇用に活用するという戦略。
あえて手刈りし「手刈りの奈川ソバ」として売り出したところ採算が取れる程度に高く売れたという。

そして高級食材として目新しいフランス鴨は、ニオイや鳴き声が少なく、餌と水をやり掃除をする手間をかければ3ヶ月で大きくなる。
信州フランス鴨の会を組織し、販路やヒナの飼育、飼育ノウハウを提供し、在宅の個人の障害者(主に知的?)の仕事になるとして5つの個人団体で飼育してもらった。
その過程で地元の安曇農業高校などの協力も得られるようになった。
地元、松本市のイタリア・フランス料理店に出荷し地域の名産にしようというもので、人が集まるお盆時期とクリスマス時期に出荷できるように4月と9月に飼育開始するという戦略をたてた。
都市部のデパートや軽井沢へ出荷と言う話もあったが、決まった量を決まった時期におさめなければいけないような取引先はあえて相手にしなかった。

朝、夕と30分程度餌、水替えをし、100羽飼育すれば3ヶ月で育ち、1kg2000円で出荷。
全部で処理のコストを引いて利益は15万円程度、月あたりにすれば5万円の収入になる。
これらの取り組みのいい点は、活動の中で地域の中にのこる名産や知恵、連帯を取り戻すことが出来ることだ。

ということで安曇野の場合は天蚕はどうか、ワサビはどうだ、合鴨農法はどうだ。などといろんなアイディアがでた。
問題意識を共有するいろいろな人と知り合い繋がりができたのもこういう集まりの収穫。
まさに弱さが結びつけてくれた縁である。
こういう取り組みはジワリジワリがいいのだ。

変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから

清水 義晴,小山 直
太郎次郎社


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浦河べてるの家をはじめ、全国の取り組みを紹介しているオススメ本。


参考エントリー
ねば塾・年商1億5000万円の作業所

ふしぎ先生 診療所で森づくり 北相木村-りんねの森だより

病院での障害者就労支援事業(食器洗浄編)

病院での障害者就労支援事業(食器洗浄編)

2010年03月18日 | Weblog
JA長野厚生連安曇総合病院で精神障がい者の病院内の仕事での就労支援事業がこっそりとはじまり約1ヶ月が経った。

精神科ディケア部門ではこれまでも様々な形で就労支援を行って来たが、就労支援(し得ん)プログラムだったり、段階式就労支援(すごろく就労支援。すぐ振り出しに戻る)であったりでなかなか安定した就労には結びつかなかった。

昨今の不況でなおのこと障害者をやとおうとする会社は少なく先日、松本で行われた障害者対象の合同就職説明会にはハローワークへの義理で参加した8社の企業に対して150人もの人が集まるような状況である。
なかなか上手くいく実感を持てない中でスタッフもメンバーも歯がゆい思いをしていた。

そんな中で院内にたまたま定年退職者が3人でたことで外部委託も検討されていた食器洗浄の仕事を使っての就労支援室が動き出した。
ささやかだが未来につながる大きな一歩である。

院長は「病院をあげて障がい者雇用を推進し100年後はドイツの「ベーテル市」のような地域を目指す。」と宣言している。
食器洗浄の部門のあとにはスタッフのユニフォームを洗濯する洗濯場の計画も控えている。
病院トップの肝いりだから動きは速い。

食器洗浄の仕事に就いたのは精神のディケアに通っていたメンバーが中心だが、ハローワークで独自に応募して来た人もいる。
いづれも精神保健福祉手帳の保持者で統合失調症や気分障害、アルコール依存症の人などさまざまだ編成。
多少、障害年金をもらって生活し、病院には自力で通ってこられるくらいの人たちだ。
朝昼連続で3人のチームと、夜だけ3人のチームを交代で仕事をおこなう。
朝昼勤務→夕食後勤務→休みの交代の勤務のシフト性。
今後は夜のみのパートで人手をもう1人増やして4人でやる計画だそうだ。

結局、3人(+α、調理とも兼務)の職場から12人の仕事がうまれた計算だ。(ジョブコーチもいれると16人)

患者を使って働かせて上手くやっているのだろうなどという批判もでるかもしれないが全く逆である。
病院としてはディケアのメンバーだった人が働くことでディケアの利用はその分減る。
福祉の対象者として仕事に就かせない方が支援者の仕事はあるというパラドックスを打ち破らなければならないのだ。

これは、まさに「プロジェクトX」なみの事業だ。

食器洗浄は病棟の地下で365日行われている仕事で、多くのスタッフの目に触れることはないが大切な仕事である。

病院中から下膳車を回収し残飯を分け、食器を大まかにわけて水槽に入れる。
水槽に浮かんだ食器がベルトコンベアで次々と流れてくるのでお皿を伏せた形にして食器洗浄機にながす。
食器洗浄機を通過した食器を種類ごとにステンレスのアミカゴに回収し乾燥機付きの棚に入れる。
そして環境整備をする。

とても大変な仕事だ。

今は支援者が交代で朝9時~夜の9時まで貼りついて一緒に仕事をしている。
支援者として入るのはディケアのスタッフであった看護師、作業療法士、精神保健福祉士の4人。
4日に1度のローテーションで週末も含め支援者として入っている。

初めてコーチをおこなうスタッフも最初は要領もわからず、栄養科の職員と一緒になり仕事に入って毎日クタクタだったそうだ。
配膳車の配置なども大きく分かりやすい番号をふったり下膳車の動きが分かるようにマグネットボードで工夫したり、お皿の種類ごとの写真をラミネートして棚に貼付けたりと環境も試行錯誤で徐々に構造化した。
そしてマニュアルを作っては改訂をくりかえした。
栄養科としても職人芸化して当たり前になっていた職場の環境が分かりやすくカイゼンされ構造化されたというメリットがあった。

「いままで仕事をこんなに丁寧に関わって教えてくれたところは無かった。」とある当事者スタッフの感想。

食事をとったりする休憩室のことで悩んでいたら栄養科の職員が「一緒に使えば良いじゃないか。」といってくれた。
そして職場には職員全員の顔写真と名前がラミネートされて誇らしげに貼られている。
1ヶ月ほどたって、やっと軌道に乗って来てジョブコーチの手も徐々に離れてできるようになりそうとのこと。

採用された人の中には手の遅い人、疲れやすい人もいる。
10人の中でもっともテキパキと動き活躍している若者もホームセンターに就職した時は仕事が覚えられず一週間しかつづかなかったという。
手の遅い人はチームから排除する動きになるかと思ったが、そうはならずチームの中でカバーする雰囲気になったそうだ。
調子を崩したりして穴をあけることも心配され、それに対する対策も考えられていたが今のところ穴をあけることもなく十文以上にやれている。

しかし現場から離れたどこからか、そんな人は雇うなという声がきこえてくる。
しかしそれで排除してしまうのでは障害者雇用の意味が無い。
動き方を工夫したり、人を増やしたりして乗り越えていくべきだろう。

安定して働けることが分かると長期的な保証などが課題となってくる。
こういったノウハウはさらにいろんな就労支援を展開していく上で役に立つに違いない。

地域で暮らすメンバーの誰もに「医・職・住・友・遊」を・・・。
そしてSociety for All!へむけての運動を。
すこしずつだが着実に前進している実感がもてた。
自分がこの病院組織に所属していることを本当に誇らしく思う。

長野厚生連の病院では一年間で病院内でもっとも活躍した人または団体に対して病院賞というのが贈られる。
今年は「就労支援室と食器洗浄チーム」を推薦したい。


奇跡の医療・福祉の町ベーテル―心の豊かさを求めて

橋本 孝
  西村書店

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病院の障害者雇用支援事業 -

障害者の社会参加促進は閉塞した組織や社会を変える突破口になる。

医・職・食・住・友・遊

まずは病院が社会的企業でなくては!

障がい者総合福祉法の行方(福岡寿氏の講演)

2010年03月17日 | Weblog
先日、松本市の美ヶ原温泉で開催された長野県せいしんれん精神保健福祉セミナーに初めて参加した。

精神障害(主に統合失調症)の当事者が主体で運営しているセミナーで今年で17回目となるそうだ。
当事者や家族の交流と情報交換が中心のセミナーで支援者はおまけのようだ。
声をかけた患者さんも何人も参加してくれ、また自分の関わっているNPOも分科会などの運営に参加していた。

患者さんや、患者さん家族、患者さんを通じて知り合った他地域の支援者などに出会え、交流会などはべてる的?な雰囲気で楽しかったのだが・・・。



実は私の参加の一番の目的は福岡寿(ひさし)氏の「障害者総合福祉法の行方」という分科会であった。
福岡寿氏の本は何年か前に読んだことがあるのだがお会いするのは初めて。
「福祉界のヨシモト興業」と異名をとるらしい。
自分の身の上話からはじまった講談調の講演だが、評判通りめちゃくちゃ面白かった。



福岡寿先生は金八先生に憧れてツッパリ中学の教師になったが、4年で力つきてやめ、土方をした後飯山の知的障害(ゆっくりな方)者施設で働き、以後ずっと福祉の世界で活躍されているそうだ。

話はあちこちに脱線したが、本論としては障害者福祉の歴史から・・。

障害者はたった8年前までは施設に措置(行政処分、体よく始末する)されていたそうだ。
ハコに入ってもらって手厚く面倒をみるのが福祉と思われていた時代であった。
それは一部の方たちの行政処分であり、定数も予算も決まっていた。
施設で暮らすのに自己負担金はなく「裸で来てもらっていい。」と言っていたそうだ。

それがいつしか「地域で暮らすんだ」という流れになった。
国としてもどれだけのものを用意すれば良いか検討もつかなかったがとりあえずやってみたというのが本当のところである。
平成15年から支援費制度というのが出来、「ついては契約です、対等です、サービスです。」などという。
(その時は精神障害方は措置ではなく補助金だったので制度にはのらず。)
しかし、突然そんなことを言われても障害者当事者はどう利用していいか分からず、希望はあまりでなかった。
どうぞどうぞ使って下さいというほど余っていた。
しかし常時介護を必要とする重度の方がホームヘルプを24時間365日の利用を求めるなどのこともあり利用に地域ごと、個人ごとの格差が生じるようになった。

そんなこともあって、これじゃいかんということで障害者自立支援法が制定された。
障害者自立支援法であるが「昼と夜の場所を分ける」だとか「できるだけ地域で」などという理念は悪いものではなく、それまでの補助金とは違い費用がいくらかかっても国は負担する義務があるという意味ではかなりお前進であった。

その障害者自立支援法は、平成12年にはじまった高齢者対象の介護保険に似せてつくられた。
まず介護保険の79項目の調査事項に26項目を付け足して3障害に対応するという苦しい障害程度区分の認定・・。
コンピュータの判定と主治医の意見書にもとづき審査会を経て区分を決定。
自己負担は1割。公費負担は市町村と都道府県が4分の1ずつ、国が半分を負担する。

このように介護保険に似せてつくったのは将来的に障害者自立支援法(利用対象者45万人、約1兆)は初めはより大きな船(プラットホーム)である介護保険(350万人、約7兆円)に嫁入りしようという狙いがあったたためだ。

しかし1割の応益負担という点で障害者自立支援法の評判は散々で「自立阻害法」だの「自立し得ん法」だの、生存権の侵害で違憲だの散々批判された。
「別に利益を得ているわけではない、健康で文化的な最低限度の生活をおこなうために必要なことを益とは何だ。」
「かつかつの障害年金で生活しているのにその中から自己負担分を払わなければならなず生活できない。」
「わずかな励みの工賃を自己負担金が上回ってしまう。これまで利用していた作業所を利用できなくなる。」
など問題が続出した。
自民党議員もいいと思って通した法律が地元に帰れば評判が悪かったので何度かの改訂を経て、今は多くの方が1500円、どんなに多くても4600円程度と自己負担はほぼなくなっている。

さて、そうこうしているうちに民主党へと政権交代が起きてしまった。
民主党は評判のわるかった障害者自立支援法にかわるものとして、マニフェストで「障害者総合福祉法」というのをうたっていた。
ところが民主党にはあまり障害者福祉に詳しい議員はいないらしい。それでも、できるだけ当事者たちの声を聞こうということで声をあつめ特に身体障害者の当事者団体などから盛んにレクチャーをうけてつくった「障がい者総合福祉法」の骨子は以下のようなものである。

1.応益負担は差別だから応能負担に変えよう。

障害者自立支援法の応益負担を違憲立法審査に持ち込む手もあったが、何度かの改正で自己負担は実質ほとんどなくなったし、長妻厚生労働大臣が「心から反省の意」を表明した。
というわけで新法に期待ということになった。  

2.障害程度区分はやめてしまおう。

これも多種多様な障害の程度を区分するなんてそもそも不可能。
コンピュータによる判定ソフトも医師の診断書も不要になる。 
 
3.どんな生活をしたいかに応じてサービスを検討(相談支援が重要)
 
税金を使う以上平等でなくては生けない。
では平等とは?これまでは同じような障害の方は同じようなサービスを受けられるのがこれまでの平等であった。
しかしそれぞれの希望を聞きサービスに不満が無いのを平等といおうというのがこれからの考え方。
そのためにご本人のことをしっかりきく(聞く、聴く、訊く)力が要となる。
つまり相談支援が鍵となる。その方法論などの研究が進んでいるようだ。


4.谷間の障害(発達障害、難病、高次脳機能障害)も含める。

まず発達障害。福岡氏のいる中野市では多職種7人(14の目)一組で保育園をまわり発達障害の相談をおこなっているそうだが、なんと約10人に一人は何らかの発達障害(特別支援が必要)だという。
これからは避けては通れない分野ではあるが、そうなってくると1200万人が発達障害ということになる。
ここまで多くなってくると障害ということ自体特別な方たちではなくなる。
みんな困っているんです。それで良いんですと言うことになる。
そして難病の方も含めましょうということになった。
いわゆる難病といわれる130種類の疾患方はあわせて70万人いる。
これも仲間に入れてしまう。
そして高次脳機能障害の方。頭部外傷などの後遺症の見えない障害である。

5.障害者手帳をやめて社会参加カードに。

 障害者の定義じたいも支援の必要な方という風に変わった。

6.「障害者の権利条約」の批准

これが障がい者総合福祉法をめぐる運動の中での本丸だそうだ。
条約は国と国との約束であり憲法と法律の間に位置づけられるものだという。
つまり条約を批准したらその下の法律は全部替えなければならないほど拘束力が強い。
障害者権利条約の内容をかいつまんで言うと「合理的配慮の無いものはダメという」ことで、障害者の差別を禁止し雇用など関しても合理的な理由が無いと拒否できないという。
千葉県や北海道など地方自治体レベルで障害者の差別禁止する法律をつくったところはあるが、そのずっと上のレベルで障害者差別を規定することになる。

条約が批准されたことで法整備がすすんだ例としては男女共同参画がある。
性によって区別してはいけないということが徹底され国内の法や制度がガラリとかわった。
これと同じような現象を障害についてもおこすということが最大の狙いである。

さてこのたたき台としてのマニフェストの隙間を埋めていく作業である。
当事者が「われわれ障害者は」というときはどこまではいるのか怪しいことが多い。
当事者団体的でない施設協会などの団体ははずされた。
今後はそれぞれの団体ごとのタコツボから要請していくのではなく地域ごとの自立支援協議会を通じて意見を集約し立法府に届ける仕組みを機能させていくという。
すでに月に2回のペースで話し合いが始まっており夏頃からはいろんな部会にわかれて検討して、2~4年かけてしっかり話し合い法律の制定を目指すそうだ。

障がい者総合福祉法ができると理念においても実際においても高齢者の介護保険のはるか先を行くものとなる。
本人のせいではなく社会の構造の中で困ってしまった人は基本的に合理的配慮されるべき、目指すはそんな社会だ。
障がい者総合福祉法をめぐる最近の動きがすっきりと整理できた。

政府、障害者の定義を見直しへ

障害者管理法?

日本国憲法入門

ACT-K 専門性の時代。

2010年03月17日 | Weblog
ACT-Kの高木先生は毒舌であった。

どんな職種も2、3割はダメだという。
そして精神科医は5割はダメだと・・・。
しかし薮にもなれない土手医者は仕方ないので放っておいて薮に近づきかかっているスズメ医者を患者や家族で育ててほしいとエールを送る。
(薮、土手、というのは先を見通すことの出来ないダメな医者のこと)

精神保健福祉を担うと期待されて誕生した専門職であるPSWはPoor Secretary Workerになっていないか?

 精神障害者が安心して居ることの出来る場を地域につくる、主体的な活動ができているだろうか。

就労や生活再建の主役であるはずのOTはFitness club OTになっていないか?

 バイクマシンの自転車こぎと同じでこげどもこげども一つも前へ進まない。
 ちっとも退院に結びついていない。
 そんな作業療法ではなくOccupational Therapyの名の通り、社会に障害者の居場所をどんどんつくっていくべし。

看護師は、「薬飲んでますか?」としか聞かないアリナミン看護になっていないだろうか?
 
 病院に入院できなかったかわいそうな人だからせめてこれだけはというものではない。
 小さなニーズを大切にしてそこに関わる。
 チームでの動きと生活支援こそ看護の本領。
 やはり精神医療の主役だ。


臨床心理士は統合失調症においても心理教育や家族支援、SSTなどにまだまだ活躍できるはず。
またチームにいることでそのチームの雰囲気がよくなるという役割も期待できる。

19世紀のイギリスの労働者は指示され与えられた仕事をこなす肉体労働のモデルであった。
その日の稼ぎでギャンブルとメシにお金を使いまた次の日に働ければそれで良かった。

しかし今の時代は自分の専門性でお金をもらう時代。
仕事で得たお金の一部は自分の勉強につかい専門性を磨くべし。
そして忠誠を誓うのは病院ではなく、当事者、利用者であるべきなのだ。

精神障害者への訪問は、まず支援を受け入れてもらうところから始まる。
関係づくりに1年かかることもある。
支援をできる関係があること自体が支援であり、そこが専門性である。
薬を飲んでもらうことがだけ治療ではない。
日常生活支援は立派な治療である。
そして生活支援で病気はよくなるのだ。

「ビューティフルマインド」に描かれている天才数学者のジョン、ナッシュは重い精神の病(統合失調症)を患ったが、大学という場で立派な仕事をした人として尊重され安全と自由を保障され、そして妻がずっとみまもっていたという絆があった。
そして病気から回復し後にノーベル経済学賞を授賞した。
人は人によって傷つき、人によって癒される。

安心して病気になれる世の中にするために活動していきたい。

ACT-K 精神障害者の地域移行は必然

ACT-Kこころの医療宅配便

ACT-K 専門性の時代