リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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老いと死の復権

2006年09月13日 | Weblog
医療現場は「頭脳労働」「肉体労働」であるとともに「感情労働」であり、常に極度の緊張感にさらされている。医師などは技術者であるとともに役者でなくてはならない。タフでなければ勤まらない。

患者の中には自分の健康をまるまるアウトソーシングし、リスクや生命の限界はすべて医療におしつけ、何かあれば訴える態度だ。何かあるまで自分や自分の家族が病気になったり障害を負ったり、人は老いて死ぬなど想像もしない人が増えてきた。
彼らにとって自分や家族の不幸はすべて医療者のせいということになる。

医療現場は社会から守られていないと感じている。
医療従事者は病院からも守られていないと感じている。

医療従事者は自分の身に降りかかる火の粉を払うために、あらゆるリスクを話し承諾書にサインをもらう。検査等も防衛的に過剰になるし、そして少しでもリスクのあることはやろうとはしなくなる。

患者の疾病(disease)には診断治療をしようと努力するが病感(illness)に丁寧に対応する余裕まで現在の医療現場にはない。
かくして不信感は強まるばかりである。

これは、お互いに不幸なことだ。

このギャップはどうして生まれたのか?
医療現場と社会とのギャップはどうすれば埋められるのだろうか?

「健康幻想」をふりまきその実力以上に何でもできるように見せ、商売のタネにしてきた医療側も悪かったのだろう。

次に高齢者として我々の前にやってくる世代は、「お医者様におまかせ。」であった時代とは違う。「知らしむべからず、依らしむべし」というわけにはいかない。

これからの世代は権利意識も強く、インターネット等の発達により情報の入手も容易になったため、人によってはものすごく勉強もしてくるだろう。
これ自体は良いことだと思う。プロフェショナルとして適切な支援、情報公開をおこなうべきだろう。診察室の場だけの情報提供ではあまりに足りない。
「おもいっきりTV」でみのもんたに好き勝手言わせている場合ではないのだ。

その一方で、これからの世代は、日常から生死や病、老いや障害が病院や施設に隠された世の中で生きており死や病にもリアリティを感じられなくなってきている。

医療従事者は地域社会での生、死や病、老いや障害を復権する運動をしなくてはならない。かつて医療が地域から奪い隠してきたこれらを再び地域社会に返していく。そのような環境を整えていくこと。
Society for Allの実現。

これこそが今、我々がやっていることなのかもしれない。

そのためには先立つものがいる。
みんなのお金の使い道に関して、命や生活よりも開発が大事な財界に、みんなのお金の使い道を決めさせてはいけない。