リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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アスペルガーの会(通称パルパル)へ参加

2010年06月28日 | Weblog
長野アスペ中南信親子お楽しみ会(通称パルパル)に初参加した。

小学生~大学生のアスペルガーを中心とした発達障害の当事者とその親(主に母親が参加)が月に1度あつまる会だ。

子どもたち一人に一人のボランティア(主に看護学生)が一日中つく。
なんか学校とは違う気の合う友達の来てあそべるところという感じで参加してくれるようだ。

学校の先生などもボランティアで参加していた。
私と一緒に行った病院の看護師は今回はオブザーバーとして参加させてもらった。

発達凸凹の子どもたちがあつまると自閉症~高機能自閉症のスペクトラムが見える。
また発達のステージに応じた成長ぶり、そして必要な対応がよくわかる。



子どもたちは低学年は卵焼き、高学年はホットケーキをつくった。
そこここでこだわりやパニックなどが見え隠れ。
初対面の子どもにいきなり「下僕になれ。」といわれたボランティアさんも。
あたらしく覚えた言葉を使いたかったようだ。

でも皆優しかったり、元気いっぱいだったりいいところがいっぱいある子どもたちだった。

午後は感情を色であらわそうというトレーニング。
コントラストがつきにくく理解しにくい感情を色に結びつけて理解していくための手法だ。
難しい言葉をいっぱい知っている子どもも。

そのあいだ、親たちは集まりグループカウンセリングをする。
学校との連携、兄弟への対応、進学や就労のことなどが話題にのぼった。

月1度のパルパルの集まりだけではなく学校や病院どでもっとSST的なものができればという意見があった。
大町市のキッズウィルなど、そういう取り組みも出ているが、もっともっと増えていけばと思う。

また是非参加していきたい。

発達障害親子ディキャンプ
学童保育を見学させてもらいました。

発達障害は治りますか?神田橋條治ほか

2010年06月26日 | Weblog
臨床家には神田橋條治先生のファンは多い。
以前は他の精神科医と比べて知る人ぞ知るという感じだったが最近は知っている人も多くなって来ておりすでにカリスマだ。

自助が基本。代替医療でも考え方でも使える者は何でも使う。未来志向。身体論にも注目している。などが神田橋先生のスタンスだ。
初期臨床研修の時、精神科をローテーションした時に上の先生から神田橋先生の本を教えていただき手に入る本は読み自分の糧としてきた。
その後、同僚や後輩にも勧めている。

神田橋先生の本で手に入りやすいのはコツ三部作だが、その中でも神田橋入門として精神科養生のコツがおすすめ。
患者さんに貸したら読んだだけで良くなった人もいた。
それだけの力のある本だ。

精神科養生のコツ 改訂
神田橋 條治
岩崎学術出版社


神田橋先生の著作から連なって、整体や漢方、そしてなにより養生という考え方が自然に自分のなかに産まれるようになった。
(自分と養生の出会いは、菊池養生園の竹熊先生からの流れもあるが・・。そういえばどちらも熊本と鹿児島という九州だ!)

3人の野口師匠との著作との出会いも神田橋つながりである。
(野口生体の野口晴哉(はるちか)、野口体操の野口三千三(みちぞう)、座禅断食の野口法蔵。)

その神田橋先生が対談という形で「発達障害」に関しての本を出した。

発達障害は治りますか?
神田橋 條治
花風社


これまた発達障害を持つ人の問題解決に尽力するすばらしい作業療法士の岩永竜一郎先生や当事者との対談が実現した。

「発達障害者は発達します。」
「頑張るというのは緊急事態に発揮されるものであって、長く持続的にするものではないんだ。」
「精神療法の到達点はなんだろう?自己実現でしょう。じゃあ自己実現てなんだろうって何年か考えました。結論としては遺伝子ができるだけ開花することだろうと。」
「ぼくが診断をつける時は、「どういう診断のもとに治療すれば目の前の患者さんがよくなるか」が基準であって、DSMの基準じゃないんです。
「くだらないことをしないとだめなひとになる。」
「人間の五感のなかで視覚だけがあまりにつかわれすぎているから、視覚以外のものをもっとトレーニングしてくださいと言っているんだ。」
「救う気がなくて支配しようとしている医療者に、僕は腹が立つんです。誇らしげに診断名だけつけたって対処方法まで教えないと患者さんの利益にならないでしょ。」

などなど珠玉の言葉がたくさん。
身体論と精神医学が同じ地平に出会い、プラクティカルなアイディアにあふれる本となっている。
発達障害の本として初めて読むには難しいが、既にいろいろ読んでいる当事者や支援者にはお勧めできる内容だと思う。


コミュニティカフェの聖地?「うちの実家」

2010年06月23日 | Weblog
NHK福祉ネットワークで新潟のコミュニティカフェが取材されていた。

コミュニティカフェ(定義?)とよばれるものは全国に30000軒あるそうだ。
これには宅老所や宅幼老所も含まれた数だろうか?

地域の中にあってお年寄りが安心して過ごせる場所。
ゲームやおしゃべりをして楽しい時間をすごすお年寄りたちの憩いの場。

子供や障害者もこられるとなれば「このゆびとーまれ」などの富山方式とよばれる宅老所だ。
その活動が実り小規模多機能型として制度化され全国津々浦々に同様の施設も増えている。
民家を改造した介護保険のディサービスとしての場所は私の住んでいるところの近くにも沢山ある。

新潟で13年前にはじまった、こういった取り組みの先駆け。「うちの実家
新潟は地域の茶の間事業などが盛んな土地だが、その中でも5000人を超える福祉関係者の見学もあつめコミュニティカフェの聖地とよばれているらしい。



お年寄りだけではなく、どんな人がきてもいい。
玄関の扉は開けたまま。
いつでも好きなときに来て好きなときに帰ればいい。
居心地のよい空間にしようとさまざまな工夫をこらしている。

介護保険などの施設にせず、寄付金や一日300円の利用料でまかなわれておりボランティアで運営されている。



しかしこれ、野の花と同じコンセプトじゃん。
そして、あきこうまえ茶屋にもつながる発想だ。




喫茶店などでもそうだが、だれか中心となる人(うちの実家の場合は河田珪子さん)の人柄が現れてこういう場が生まれ、維持されているのだろう。

夏至~キャンドルナイト

2010年06月22日 | Weblog
昨日は夏至だったみたいです。
1年で一番昼が長い日。
これをすぎると徐々に昼が短くなります。

冬の長い北国に住んでいた者にとっては特別の感傷をもつ日です。

ムーミン童話なんかをみていると北欧などでは夏至祭というのが開かれて一晩中火を焚いたりするらしいですね。

最近では日本でもキャンドルナイトといって電気を使わないという取り組みがなされているみたいです。

市民活動センターでもキャンドルの明かりがともされていました。



初期臨床研修の同期会

2010年06月21日 | Weblog


佐久総合病院の初期臨床研修医のときの同期会が開催されました。
19人(歯科も入れると20人)の同期の半分以上が参加。

みんなやっと時間をつくれるようになってきたかな。

これまでは佐久近くの温泉地などでやってきたけど、離れた人も増えあちこちに散っているため今回は東京で・・。
結婚して子供がいる人も多いためクルージングの船の一室借り切っての開催。
家族での参加者もたくさんいてにぎやかでした。



近況報告。

話題は・・。

「いま何している。」
「これからどうする?」
「いつ佐久病院に戻る?」
「ついに家を建てます。」
「保険会社で皆さんの診断書を見ています。」
「家庭医になるつもりがカテ医になってしまいました。」
「結婚の予定は?」
「お子さんは?」

などなど・・・。

横一列にスタートをきっても進路はバラバラだなぁ。
でも、みんなそれぞれに頑張っていました。

どこかでコラボして仕事できるといいなぁ。



船はゆっくりと東京湾のベイエリアを一周。
夕暮れ~夜のレインボーブリッジや東京タワー、羽田に向かう飛行機がキレイ。

2次会はホテルの大人なバーで語り合い・・。



その後、深夜のお台場海浜公園を散歩。

しみじみ。

精神病院に頼らない精神保健(大熊一夫氏講演会)

2010年06月12日 | Weblog
精神障害者の家族・当事者の集まりである長野県「せいしんれん」主催の講演会があった。

タイトルは「精神病院に頼らない精神保健~イタリアから学ぶもの」
講師は「ルポ精神病棟」、「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」などの著書のあるジャーナリストの大熊一夫氏。
なんと今は長野県の富士見町に住んでいらっしゃるそうだ。

大熊氏の文体は硬めだが、語り口はやわらかく優しかった。



我が国では33万床もの精神科病床があり、今でも「おっかない危ない人」を閉じ込めておくために精神病院は必要悪であると思い込んでいる人もまだまだ多い。
精神科は内科や外科などの他の科とは違い特別な法律(日本は精神保健福祉法)に裏打ちされており、精神科医や病院に強制治療と言う特別な権限を与えている。
そんな日本は「精神病院病」であると大熊氏はいう。

ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1)
大熊 一夫
朝日新聞出版


アルコール依存症者を装い精神病院に潜入取材をしたルポ精神病棟の取材で人生のテーマがきまった大熊氏。
「自由こそ治療だ」という本をみて衝撃を受け1986年に1ヶ月間、初めて自費でイタリアに取材にでかけて以来何度もイタリアに足を運んできた。

自由こそ治療だ―イタリア精神病院解体のレポート
ジル シュミット
社会評論社


大熊氏がイタリアで見たもの。それは精神病院のない世界だった。
フランコ・バザーリアらのおしすすめた精神医療改革で閉鎖病棟は幼稚園に、病院長宅はグループホームにかわっていた。

いまでは精神病院の島であったサンクレメンテ島は5つ星ホテルに、サンセルボロ島は大学や博物館にかわっているという。
当事者は街の中で暮らし、ディセンターに通ったり就労組合などで働いていた。

イタリアの精神保健改革のキーワードは「脱施設化」だ。

改革では徹底してAssenblea(集会)をおこない、毎日のように徹底して患者集会を行うようにしむけ職員に対する不満などを語るものであった。
それは社会性を取り戻すための表現力と言う人間の一番基本的な武器を得るための儀式であった。

そしてイタリアの精神保健は180号法で根本から変わった。
強制治療に強い歯止めをかけ、ものすごくめんどくさくさせた。
強制治療というのは医療者が患者を見捨てない義務と、患者が治療を拒否する権利の間にうまれる。
強制治療の必要性は日本では「自傷他害の恐れ」だが、トリエステでは「生活困窮度」によるという。
そして治安の責任を精神科医にはおわせない。
日頃の信頼関係を築き、危機的状況の時に付き添ってもらいたい人は誰かをきちんと決めておく。
そして人手をきちんとかけて、うんと説得して抱擁やスキンシップをおこなうという。

1978年に精神病院を新しくつくることや、新規入院を禁じた。
1980年には再入院を禁じた。
1998年12月に全ての精神病院を閉めた。

もちろんやめただけではなく、それにかわるものを地域につくっていった。
精神病院はみんな公営(県立)なので、患者が地域に出るのに合わせてスタッフも地域に移行するということを強制力をもって5、6回にわけておこない精神病院を解体していった。

精神病院にかわる精神保健センターを地域につくった。(国内707ケ所)
そしてそれを普遍化させるべく、行政の権限で人口に応じてちゃんと医療費の3%(トリエステでは5%)をかけ地域割りできちんとした責任を持って配置していった。

もちろん病床が0になったわけではない。
精神科病院がなくなったということだ。
イタリア国内に4000床程度の精神科専用ベッドはのこってはいる。
総合病院に15床程度の精神科専用のベッドをもうけ精神保健センターの管理下においた。
365日24時間オープンしているフル稼働のセンターも50ヶ所あり、病院にかわる威力を発揮している。
こちらには4~8ベッドをもつ有床クリニックも併設している。

振り返って日本をみると30年は遅れている。
日本の33万床(万対28)の精神科病床の9割は私立の民間病院のベッドだ。
これはイギリスの万対5、フランスの万対11、トリエステは万対2などとくらべ圧倒的におおい病床数だ。
世界を見渡しても私立の精神病院に患者を預けた国は無い。
精神病院をおいておいて差別や偏見を無くしましょうというのはどこか抜けている。
いい加減な精神保健行政をしておきながら家族に保護責任を押し付けている。
私企業だからつぶすわけにはいかず、病院の経営上の都合が当事者の人生より優先されるような構造になってしまっている。
そして統合失調症の方の地域移行をすすめたり、亡くなったりした後の精神科病床には認知症のお年寄りがどんどん入っていくと言う憂鬱な状況だ。

タンスから骸骨(都合の悪いもの)を取り出せ!ウンコで手を汚してみろ!とバザーリアは弟子たちに言っていたそうである。

日本でも浦河べてるの家やACT-Kや帯広での取り組みなど、個別の先進的な取り組みはあるが、公がきちんと責任を果たした形で日本の精神保健改革をこれからすすめていかなければならないと強く主張されていたのが印象的であった。

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本
大熊 一夫
岩波書店


トリエステ精神保健サービスガイド―精神病院のない社会へ向かって
クリエーター情報なし
現代企画室


穂高養生園

2010年06月10日 | Weblog
先日、中房温泉へつづく穂高の森の奥にある穂高養生園にはじめていってみた。

ヨーガや森林療法、キャンサーサポートプログラムなどいろんなワークショップや養生のプログラムなどをおこなっている知る人ぞ知る宿(?)だ。
最近はギャルの雑誌などでも特集され注目されているようだ。

穂高養生園での病気のセルフヘルプグループを研究していた友人が安曇野に来るというので連れて行ってもらった。



山小屋のようなエントランス。






中も山小屋を彷彿させる作りだが、採光部が大きく、明るい。
また風呂は中房温泉から引き湯した温泉!






本館のほかに、森の中にいくつかの建物が点在する。
森の谷間を流れる川沿いの道をつたって移動できる。



写真にとり忘れたがこれにカラスマメのスープとデザート(ルハーブのタルト)がつく。
どれも素材の味を活かしたやさしい味付け。
モチモチっとした発酵玄米はおなかにたまる。
養生園では1日2食らしい。
マクロビオティックの考えをもとに手間ひまをかけてつくられているらしい。
一つ一つの食事を説明してくれる。

アメニティや食事へのスタンス、プログラムなど病院としても学ぶことがたくさんあると感じた。




穂高養生園の週末ごはん
福田 俊作,穂高養生園スタッフ
主婦と生活社

ツバメの子育て

2010年06月09日 | Weblog
この季節はツバメの子育ての時期のようだ。



病院の門前の薬局の入り口の真上に巣をつくった。
薬局が繁盛している証拠か?




フンがおちてこないように段ボールで庇をつくっている。


渡り鳥は地球の他の地域の環境状態を伝えてくれる生き物。
そういうことに敏感でありたい。

JA長野厚生連研修医指導医交流会

2010年06月06日 | Weblog
JA長野厚生連の「研修医指導医交流会」という集まりがあったので参加してきた。

この集まりは初期臨床研修制度が始まってから毎年開かれており、長野県内の11の厚生連の病院の研修医と教育担当の指導医が集まって交流をするというもの。

今回はわが安曇総合病院が主幹で、ビレッジ安曇野での開催された。
研修医と指導の交流を促すとともに、医師不足の折、初期研修がおわっても後期研修などで長野厚生連に残ってもらいたいという狙いもあるようだ。

企画をまかされたので、3つの講演と「臨床研修制度とオウンメンタルヘルス」というタイトルでワークショップを企画した。

講演はいづれも佐久総合病院のOBの若手医師。



1つ目の講演は小澤幸子先生。
「ハイチへの支援」をテーマに文系の大学時代からハイチにかかわり、NGOハイチ友の会を主宰、初期研修を佐久で行い、諏訪中央病院、牧丘病院で働きながら活動をつづけ、本年1月のハイチの大震災では日赤医療チームの一員としてハイチで医療活動をおこなった。

大学時代のこと、研修医のこと、ハイチの活動などを話していただき、若い後輩にも刺激になったことと思う。
カウンターパートを見つけ、計画を立て支援をおこなっていく災害の緊急援助のスピード感には地域活動として学ぶところがあると思った。

続いて、認知症の地域ケアをテーマに独立行政法人長寿医療研究センターで、在宅支援の病棟や内科医として認知症診療に携わる洪先生の話。
こちらもこれまでとこれからのこと。
これまで聞けなかった苦労やエピソードなども聞けた。

最後に主催者の特権で自分も安曇総合病院の宣伝もかねて少し話させてもらった。

発展途上の若い先生の話というこれまでにない趣向であり、年配の先生方にも好評であったようだ。
つづいて「臨床研修制度とオウンメンタルヘルス」というタイトルでのワークショップ。
前半は指導医研修医まじって、後半は指導医ごと、研修医ごとでディスカッションして「医師の成長と生涯を支援するシステム」を「○○プロジェクト」と名づけてグループごとで作成してもらうという課題。

バーンアウト予防、キャリアパス支援、ワークライフバランス3つのサブテーマで仕組みを考えてもらった。

月ごとに誕生日会を開くなどのアイディアや、地域ごとで医師を募集し、だんだんふるさとに近づいていく「幸せマッチングプロジェクト」、細く医師を長く続けていくための「牛のよだれプロジェクト」など秀逸なアイディアがでた。

指導医グループからも従来の徒弟制の医局制度との比較やバーンアウトとドロップアウトは違うのではないか、選択肢が広がると悩むことが増えるから大変などの意見もあった。

ビレッジ安曇野の施設もよく、事務局の準備や段取りはすばらしかったが、満足していただけただろうか?
安曇野ホスピタリティを感じて、一人でも安曇総合病院に後期研修が来てくれればよいのだが・・。

メディカルラリーに出場しました。

2010年06月01日 | Weblog
メディカルラリーに出場してきました。

救急医療や蘇生はリカバリーの第一歩。ちゃんとできなきゃぁ、いけませんね。

日本臨床救急医学会総会のジョイントのイベントで千葉県の日本医科大学千葉北総病院での開催。
全国からチームが集まる大会としては2回目だそうです。

「北アルプスちゃっとやりましょスターズ」は長野県の大会の優勝チームのため優先して出場権があるそうで・・・。
今回は6人編成の設定だったため自分は長野の大会のそのメンバー4人に加わる形で出場させていただきました。

コンセプトはズバリ!「楽しみましょう。」



ドクターヘリの前で記念撮影。そろいのTシャツとつなぎを作ったり気合いは十分。
応援の旗もあります。
手の形は北アルプスのつもり。

チームは救命士2人、看護師2人、医師2人
北アルプス広域連合2人、大町市民病院2人、安曇総合病院2人
の混成チーム。
救急救命センターなど3次医療機関のない田舎のチームです。

はるばる応援も3人も来てくれて盛り上がりました。

自分にとっては初出場にて全国大会。( ̄Д ̄;;
他のラリーを見に行ったり、スタッフとして参加したり、皆で集まってBLS、ICLS、DMAT、JPTEC、トリアージなどの練習はやってきはしたものの本番では頭真っ白になり体も全然うごきませんでした。

結局、足を引っ張りまくりでした・・・。ごめんなさい。m(。_。;))

今回は7つものシナリオステーションとと4つのサービスステーション。
全国のラリーの主催者がそれぞれステーションを出していてどのシナリオもかなり洗練されていました。

メディカルラリーランドみたいなテーマパーク作ればいいかも。なんて思ってしまいました。



サービスステーションの1つ。
問題を解いて無線で連絡する。
実は重要度と緊急度の高いもの意外はやらなくていいのだが・・・。
いかにコミュニケーションをとって、情報共有できるか。



院内のRapid Response Teameの想定。
病棟急変と救急外来への搬送者の対応。
先手先手で優先順位をつけて動けるか。


暗闇の中のJPTEC。救命士さんの流れるような動きにほれぼれ。
自分はひたすら頸椎保護していただけ。




予想された大規模災害のトリアージと処置、搬送順位の決定のブース。
コマンド&コントロールが大切。
でもなかなか難しい。




NBCテロの想定。防護衣を着ると全然コミュニケーションがとれません。



シナリオ解説と表彰式。
北アルプスちゃっとやりましょスターズは16チーム中8位の成績。
なんとかAクラス入り。
おめでとー!ヽ(*^^*)ノ ..

偶然に大学の同級生も出場していたり楽しませていただきました。


信州メディカルラリー
病院内のICLS/JPTEC/JATECデモ