リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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伊野辺家の一日ってo(TωT )

2007年02月27日 | Weblog
安部総理肝いりで学界、産業界などの有識者の英知を集めたイノベーション25戦略会議の報告書、イノベーション25中間とりまとめ~未来をつくる、無限の可能性への挑戦~が出た。

おまちかね、技術万歳!の超ハイテンションな報告書なのです・・・。

そののなかの『2025年の伊野辺家の一日』
おもしろすぎ。

医療関係を中心に抜き出してツッコミをいれてみる。

毎日個々人の遺伝子情報に応じた健康状態を『今日も良好です。』とディスプレーに表示してもらわなければわからないくらいの身体感覚ってナニ?

アルツハイマー病だが早期発見早期治療で普通の人と同様な生活ができるようになった祖母はウェアラブル(身体装着型)端末機器を時計のバンド代わりに使って、込み入った街路区域では道路などに埋設されたセンサーが自分の存在を車の運転手に伝えてくれるし、突然倒れるような事態に陥った場合には緊急医療ネットワークに自動的に通報される仕組みだとか。

それで必ず助かるのか?

孫はアレルギー体質だが、アレルゲン計測技術に基づいたアレルギーを起こさない食品の製造技術も確立しており、安心して食品を購入できる。そうだが・・。

どんなものでもアレルギーは起こしうるのだが。感作は突然だし・・。えらいコストがかかりそうだな。


さて、伊野辺家の一日のあとは、各種未来技術の予想がつづきます。

カプセル一錠で寝ながら健康診断ができ、高齢者でも丈夫な身体、認知症も激減、個人の体質にあった副作用のない画期的治療薬が開発され、手術なしでがん治療が可能になる。

そこまではいい。

しかし

『それで、がん・心筋梗塞、脳卒中などの三大成人病の克服により、生死をさまよう大病にかかることはほとんどなくなる。
また、再生医療技術、高度介護ロボット、対認知症特効薬などのおかげで、いわゆる「寝たきり」病人は激減し、家族や介護者の負担も激減する。
不慮の事故による負傷者や急病人は、整備された緊急医療情報ネットワークの下、24時間体制の地域密着型緊急医療施設へ迅速に搬送され、生命の危機を免れる。』

・・・笑止千万。

それで障害を抱えた生活や、生病老死がななくなるとでもいうのだろうか。

おめでたいな。

イノベーティブな人材育成には賛成だしなるほどと思うところもある。
しかし全般的に、いかにも小泉、安部総理が好きそうなグローバリゼーション礼賛の経済産業界中心の内容。

大阪万博やつくば万博の時代から何もかわっていない。

「将来、世界の各分野で活躍する人材を輩出することこそがグローバル時代の世界の一流大学(このへんが黒川清流?)」とのことだが、地域社会で活躍する人材の輩出はいいのか?

多様な働き方はいいが、唐突に成果主義の労働評価方法も確立、社員全員に年俸制を導入などという話がでてくるのも???

積極的に日本の強さを、強い製品を、強いサービスを、特にアジアを中心にしてさらに巨大化しつつある世界市場に拡大していくべきであろう。と結んでいるが、こんな拡大路線をつづけるかぎりCO2削減ができるとも思えないが・・・。

地球をガラクタでうめつくすまでイノベーションはおわらなそうだ。

太陽エネルギー等新エネルギーの普及、原子力発電の定着、省エネルギーの進展、その他諸々の取組によって大気中の二酸化炭素の増加はストップしているってのもなんだかなぁという感じ。

人口光合成によりCO2を原料として走れば走るほど空気がきれいになる車ってのも、まともに科学を学んだ人の言葉とも思えない。

あえて人口光合成などしなくてもバイオマス(薪やエタノール原料)を利用したりウマにでも乗ってればいいんじゃ。太陽エネルギーをうまく利用する知恵なら昔の暮らしのほうがよっぽどマシです。

地球に太陽をつくる原子力発電も先が見えています。

そもそも今の石油文明にしろ、地球に何億年も前に降り注いだ太陽の光が化石燃料となって蓄積されているのを燃やしているわけで。

いくらイノベーションを果たそうとも大量生産大量消費をつづけるかぎりサステイナブルなわけがない。


読んでいて頭がクラクラしてきました。

これなら手塚治虫や藤子不二雄の漫画でも読んでいたほうが100倍夢があるし思想もあるなぁ。と思いました。

NPOなど

2007年02月16日 | Weblog
『NPO(などの組織)を創って運営することば、そんなに簡単なことじゃない。』

実際にNPOをつくって運営したこともある、後輩にきくと1人の核となる人がしっかりいて、それに専念するなら2年、片手間ではじめるなら5年は踏ん張らなくてはムリと言われた。

そういう人がいないところはたいていうまくいっていないとのこと。
逆にそういう人がいれば少人数でもうまくいっているようだ。

そういう点では実際の起業となんら変わることはない。
また、大きな組織の中で何かあらたな試みをするのも同じだろう。

世の中に必要とされていて、だれもやっていなくて、自分がやるのが合理的なことを仲間とともにやる。
大変だろうけれども、それは楽しいことに違いない。

長生きするコツは?

2007年02月13日 | Weblog
『くよくよしないでみんなと仲良くすること。』

『敵をつくらない。』
『みなさんのおかげで世があけた。』

という気持ちで暮らしていればいい。

と91歳の師匠が教えてくれた。

年をとれば皆、神様に近づいてくる。

毎日、そんな神様のお世話をさせていただいている。
ありがたや、ありがたや。

春闘

2007年02月09日 | Weblog
春闘にむけての職場討論の勉強会に初めて顔をだしてみた。

 7:1看護にむけての強引な動き。
 (余裕がでればいいのだが。現状では混乱のほうが多そう。
  看護スタッフの外来からの引き上げ。)
 パートと正職員の差別。
 サービス残業の多さ。(職場により差がある。)f
 有給消化ができないこと。(買い取りもなし)
 組織として先が見えないこと。(マネジメント層の考えが見えない)
 目標マネジメント制度の運用。(形だけ)
 『地域とともに』といいながら、忙しく過ぎて地域の行事に参加できない。
 分院にいってはじめて地域住民となったと感じたという意見も出た。

機械を相手の仕事ではないからキチンキチンというわけにはいかないのは理解しているが、なんとかならないのかと。

医師ははじめからホワイトカラーイグゼプションだが・・・。

身の軽い若い人は少しでも条件のよいところに動いていくが、地域の人は地域でよい医療福祉をつくっていくしかない。
住民や県や国にも医療の厳しい情勢を訴えていかなければ。

もっとも直接人に関わる部分以外での業務効率化、ビジネスの手法やシステムへのアプローチはまだまだ足りないとは思いますが・・・。

健康と福祉のつどい

2007年02月04日 | Weblog
南佐久地域の各町村では農閑期のこの時期に健康福祉祭りが開催される。

本日は地元、臼田の『健康と福祉を考える集い』だった。
臼田町も合併して佐久市の一部となってしまったが、地元や病院の熱意で引き続き行われている。

JAや病院、福祉施設、宅老所などの福祉事業者、婦人会、などなど地域のいろんな団体がブースとステージをだしてのお祭りだ。

地元だけあって病院関係者も多数参加。

信濃の国のロックバージョンやフラダンス、劇など盛りだくさん。
いろんな食べ物でおなかも一杯。
東洋医学研究所の針や灸も初体験。

あとは医療相談コーナーに詰めていた。


(三浦佐久市長)

それにしてもみんなびっくりしたのは冒頭の開会式での佐久市長のあいさつ。

いきなり『在宅介護なんてどだい無理ですよ。』ということば。
そしてもっと施設が必要という論調

おっしゃることも分からなくはないのだが・・・。

自宅で最後まで暮らしたいという高齢者の思い。
複雑な思いをかかえながら在宅でがんばっている家族。
それを支えている医療福祉関係者の努力。


それにしてもこれらをいきなり踏みにじることもないだろうと思う。
みんな複雑な思いで聞いていただろう。

これらを支えるのが行政の役割ではないのか?とも思う。

いきなり措置時代にもどってしまうこともないだろうに。

たしかに高齢所帯や独居で、在宅の生活をささえるのはどうしても困難なケースもあるのは認める。
それでも各地域での小規模な居住福祉を含めた少しでもましなオルタナティブを提示するというものではないだろうか。

そして市長も『PPK(ピンピンコロリ)』でぴんころ地蔵をつくったのはいいが、医療も発展し、いろんな事情で、そう簡単にPPKとはいけない状況なのが現実だ。

いくらPPKを望んでもどうしても不自由さとともに生きなければならない状況だって生まれてくる。
意思表示することもできない状態で家族のために生きながらえてしまう人もいる。

障がいをかかえた老人を家に返すとき、家族の介護力がという話になる。
介護の社会化など夢のまた夢。
家族介護が前提の制度下では介護をかかえて家族の生活は変わらざるを得ない。

障害高齢者はさまよい介護難民であふれる。
実際、介護や生活苦に絡んだ虐待や自殺、殺人もおきている。

病だけではなく制度も人を殺すのだ。

施設や病院に預けっぱなしで家族の心も離れていく。
病院内では厳しい医療情勢の中、早期の退院を迫る、無言、有言の圧力もある。

医療者は傷つけられ、感情を殺して機械的な医療を行うようになる。
退院後の生活など想像することもなく追い出しにかかる。

それでも・・・・。
最後まで自分らしく生きることをサポートし、住み慣れた土地で、本人、家族、医療者がみんなが満足する形で死をむかえられるいわゆる満足死を一つでも多くつくるためにがんばっているのだ。(『満足死宣言』

その営みを病院や施設の中のみの押し込めてしまうなら、スパゲッティ医療による延命が繰り返され、『自然回帰』とは程遠い状態になるだろう。

だから地域の中で老いや、障害、死を支えることには意味がある。

『ルポ老人病棟』

『自分らしく死にたい』

のどちらを選ぶかという選択なのだが。

そして高齢者は国からいじめられているという論調。

高齢者よりむしろ、非正規雇用のワーキングプアで所帯も持てない若者のほうがよっぽどいじめられているのではないか?
若者をいじめすぎるとシルバーバトルが現実のものになるぞ、と思ってみたり。

・・・若者よ選挙へ行こう。

このへんについても直接、市長ともお話したかったが、いつの間にか帰られてしまいかなわなかった。


夏祭り(臼田よいやさ)の花火もなくなってしまったし。
臼田(や佐久病院)はいじめられているのか?という気分になってしまう。




さて、普段お世話になりっぱなしのケアマネさんたちとも話ができた。
つぎはぎだらけの介護保険。未完成のこの制度。
家族による介護が前提の制度下でケアマネージャーさんたちも忙しい。

ケアマネさんたちは地域の仕事が忙しく、新たに担当した利用者さんも、どうしても病院にいる間は病院でお任せとなってしまうという。

試験外泊のときにサービスが使えないためどうしても家族は大変という思いをもってしまう。
そこでギャップが生まれてしまう。
老人保健施設との連携にも課題がのこる。
 
地域と病院との合同カンファレンスなどが行えれば良いが、ここまで病院も大きくなると、地域の人以外の入院も多く、難しい。
回復期リハ病棟の利用もたいてい一回こっきりだし・・・。

病院の出口である病棟で、次から次へと送り込まれる患者の家族に借金取りのように在宅を迫る役割は本当に疲れる。

病棟専従のため、なかなか地域にも出られず、その後もフォローできない。

体はそこそこ、心はうつうつで送り出した患者さんたちのその後をちゃんとフォローできる体制をつくりたいものだが・・・。

北3病棟(高齢者、在宅バックアップ中心)と成3病棟(回復期リハ病棟)、いまはなくなった医療療養型(緩和ケア、高齢終末期、QOL重視の長期入院生活)、それから地域ケア(在宅部門中心)などが一箇所に集まればどんなにいいことか。

小海分院(100床)くらいならもっと小回りの聞いた動きができるのだろうか?

『北欧のESD(Early Supported Discharge)やオーストラリアの急性期後の地域での手厚いケアパッケージプログラムなどのように、退院後しばらくの期間、手厚い訪問看護や介護、訪問リハビリなどをパッケージ化して提供できれば地域での生活がスムーズに開始できるのではないか?

自転車の補助輪のように在宅での生活をはじめてしばらくは、手厚いサービスで追いかけていく。
それでもダメなら再入院や施設ケアを考慮する。
そんな仕組みをつくれないものだろうか。』

というと、出雲市などは病院や施設入所中の外泊などのさいにもサービスが使えるということを教えてもらった。
泰阜村では村が負担し限度額に関係なく必要な人には必要なだけのサービスを提供しているという。

小海町や佐久市ではできないものだろうか?

そして、つくづく感じるのは、回復期リハ病棟というのはここ数年で役割を終える過渡期の制度なのではないだろうかということ。

院内にむけチーム医療とリハビリのモデルを発信し、院外に向けてはリハビリなどの技術、知識を発信し、院外でも活躍できるスタッフを育てる場としての実験的病棟・・・。
その役割を終えれば、解体してESDという流れが主流になっていくと思う。

これらが、これから2年くらいかけて行う自分の仕事なのかなと思う。

市長や県知事、厚生労働省のお役人はどう考えているのだろう?
回復期病棟の生みの親、石川さんはそのへんをどう考えているのだろうか?
いちどじっくり聞いてみたいものです。


工作コーナーで。かわいいウサギ。


(信濃の国ロックバージョンでノリノリ。信濃の国は~十州に~。)

 

(精神のディのコーナーにて。)

地域の支援ネットワーク

2007年02月03日 | Weblog
 つながりをつくり社会にたいしてもアプローチし続けている医療相談室の課長の紹介で今回、佐久地域の精神保健福祉の関係者の集まりに初めて参加させていただいた。
 
 NPOウィズハートさく、作業所、佐久市、県職員、病院関係者、などなど多くの人があつまった新年会だ。
 10年以上歴史のある集まりで、この集まりからNPOも生まれたという。元気をもらいに多方面から職域を越えてあつまってきており、毎回あらたなメンバーを迎えているらしい。

精神保健に限らず、福祉や就労などにかかわる人たちがあつまってきており、いろんな実践の話をうかがうことができ地域の底力を感じた。

 この地域の保健師、MSWなどみな社会企業家だ。
 やむにやまれぬ思いで背水の陣で、NPOなどをたちあげ地域のニーズに応える事業をおこなっている。
安全なところににいて住民のニーズから遠のき始めている病院や行政がいちばん遅れている。

 自己紹介をする機会もあったので、同僚のMSWと一緒に中途障害者や高次脳機能障害の人の生活再建や就労支援に関して困っていることを告げ、精神保健の関係のノウハウやネットワークから学び、ともに支援の輪を広げたいと訴えた。

 となりの国保A病院のケースワーカーと、若い脳卒中や高次脳機能障害の患者会や家族会を合同で作るという話もでて、「上は放っておいて末端は末端でつながろう。」と一致団結した。すると「末端じゃないよ、まさに現場、第一線だよ。」なんて声もでて第一歩を踏み出すことができた。

 いよいよ病院前の空き店舗をかりてリサイクルショップをはじめいろんなことをやるNPOも立ち上がる。いきててよかったというまち。どこにもないまち。だれもがかがやけるまち。
信州佐久から発信していきたい。