リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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己の天分、使命を知るには。

2008年03月30日 | Weblog
書店にたくさん並ぶ本のテーマというのは、人が欲していて、なおかつ人が解決していない問題らしい。
本屋をのぞくと、

「なぜ生きるのか。どう生きるのか。」
「なぜ働くのか。どう働くのか。」

を中心テーマとして、

・モチベーション管理
・コミュニケーション
・時間管理術
・情報管理術
・リーダーシップ
・組織マネジメント
・勉強術

などのノウハウに到るまで古今東西、よくもまぁというくらい同じようなテーマの本が次々と出ていることに驚く。

結局、人が悩み苦しむことなど昔から変わっていないということだろう。

「アソシエ」や「The21」、「プレジデント」などの若手ビジネスマン向けの雑誌もよくみると結局これらの特集を繰り返しているだけだ。
どうせ同じようなことと思ってもついまた手を出してしまう。

まあこれは、少女がファッション雑誌を買いあさったり、壮年世代が「わかさ」や「今日の健康」「壮快」などに手をだすのとかわりないといえばそうかもしれない。

働く世代の悩みというのは、どうしてもこのようなテーマが中心となるのだ。

高度経済成長、戦後からの復興という大きな物語に乗っかり同じレールに乗っていればよかった時代とはちがい先の見えない時代である。
会社の中で出世をし、マイホームを立て、クラウンに乗ってといった分かりやすい成功の形というのももはや無い。

まよい、とまどい、追い立てられ、追い詰められたビジネスマンたちは少しでも人より成功したい。
ライバルよりもうまくやりたいと血眼になっている。

NHKの人気番組。
かつてはチームでの成功物語、リーダシップを中心に添えた「プロジェクトX」だった。
今は個人の仕事へのスタンスに着目した「プロフェショナル仕事の流儀」に変わった。
そして今度は会社で生き残るノウハウやスキルを伝授するトーク番組の「めざせ!会社の星」なる番組が登場するらしい。

たしかにノウハウは先人の知恵が凝集されているものだから大切である。
「何事にも先達はあらまほしきもの。」である。

自分も徒然草やディルカーネギーなどの古典から、超○○法、ITも利用したライフハックまでこの手の本は大好きでよく読む。
(さすがにもうほとんど買わなくなったが・・・・。今は、どんどん古典にさかのぼっている。)

しかし結局のところ、自分の生きかた、やり方は自分の責任で決めるしかない。
人は性質も価値観もそれぞれ違うのだから自分にあった自分なりのやり方を苦労して見つけるしかないのだ。
(自分に似た人のやり方をまねるのはいい方法だ。)
自分が思っている以上に自分の性質というものは変える事は難しい。
できないことは、どう頑張ってもできない。

「努力すればなんでもできる。」という人がいる。
とんでもない。「努力できること」それ自体が才能なのだ。

まずは自分の性質、そして天分を把握しようとし、自分に与えられた使命を求める態度を忘れないことだ。
自分の生き方に自分で責任をもつことだ。
意思の力で、環境や、行動は変えることができる。

人にはそれぞれの天分に従って、やりたい事をやるしかない。
ドラッガーも「強みの上に築くけ(Build on your strength)」といっている。
あれやこれやにとらわれず、選択と集中し、『大事を、急ぐべき』なのである。
戦略とは「何をやらないかを決めること。」「多正面作戦を避けるのは戦略の基本である。」

しかし自分の強みや天分はどう理解するのか、天命はどうやってみつけるのか?

矛盾するようだが、そのためには、すこしでも興味のある分野、縁のある分野、世の中から預かった目の前の仕事に全力で立ち向かい、壁にぶつかることが必要である。
壁にぶつかり、失敗を繰り返してこそ自分の性質や使命がだんだん明らかになってくる。
石橋を叩いて渡ろうとしない人は何もなすことはできない。

我々の住む日本には、身分制は存在しないことになっている。
出すぎた杭は打たれない。
失敗を恐れずに、やりたい事をやればいい。
まずは自分を信じることだ。

内村鑑三曰く、
「人には各自に天職がある。之を知りて之に就くは当人に取り、社会全体に取り、最も幸福なことである。」

松下幸之助曰く
「お互い人間というものは、自分の天分、持ち味を生かし切るとき、初めてほんとうの生きがいや幸せというものが味わえると思うのです。」

常に今を出発点として、迷わずその道をすすめ。

地域ケアをささえる老人保健施設

2008年03月28日 | Weblog
老人保健施設の歓送迎会があった。
佐久病院の老人保健施設は、モデル事業にもなった施設で日本でもっとも古い老人保健施設の一つである。

農村地区の病院併設型老人保健施設として生まれて20年の歴史があるが、今みても広々とした設計、認知症専門棟、オープンカウンターのスタッフステーションなどよく練られた設計だとおもう。
病院と較べれば圧倒的に多職種で協同するのみ適した仕様であり、また利用者のアメニティー、生活を重視した設計といえる。
病院ではないので希望すればお酒も飲めるしビールの自動販売機もある。

佐久老健は病院付属の老健ということもあり、身体的、精神的にも多の老健では断られるような、医療的にもかなり重度の方もみている。
(しかしいまの診療報酬・介護報酬では報われない。)

中間施設としての役割や在宅支援の役割を老健が当初から目指していた役割をかなり忠実に果たせているという点では珍しいケースかもしれない。

農繁期のショートスティ、高齢独居の方の冬季のみ越冬入所、高原野菜の村からは農繁期の夏期の長期入所などこの地域ならではの特徴であろう。
老健ショート1~2週間程度利用し、ディケアでのリハビリテーションなど組み合わせて利用し在宅療養をおこなっている高齢者も多い。

老健はまさに高齢者の地域ケアにおいて要となる施設といえるだろう。

自分は医師として昨年から関わらせて頂いており、緊急的な医療対応や、日常的な健康管理等でのお手伝いさせて頂いている。

昨年度は初めての計画的な看取りをおこなわれ、その後、全職員での話し合いをおこなうなど自主的、民主的な運営。
また冬に胃腸炎が流行した時の隔離、インフェクションコントロールなどの素速い対応。
クリスマス会や餅つきなど、職員全体で盛り上げる各種のイベント。
ケアにかかわる多職種での勉強期会。

少ない人数で、いろんな職種がそれぞれの専門性を発揮し、またスタッフごとの個性を発揮した絶妙のチームワークの良さには感心した。

病院では回復期といえどもなかなか難しかった看護職、介護職、栄養士、リハビリのスタッフ、相談員、医師などが自然にチームでアプローチできているという印象をうけた。

今回はかなり古参のスタッフが人事異動や定年で去る者ということで、師長をはじめ感情豊かなスタッフも多く涙涙の感動的な送別会となった。

高齢者の最後の最後の何年かの生活を支え、地域で生かし抜く地域ケアという医療福祉の分野。
とってもやりがいのある楽しい仕事だと思う。

ケアに関わるスタッフが燃え尽きずにつづけられるようにするためには、スタッフそれぞれが地域ケアの全体像がみえるようにし、その中での自分の立ち位置をしっかり理解できるようにしなくてはならない。
そして高齢者一人一人のの生き方、大切にしてきたもの、病態などを理解し、共感し、共有することが必要である。
高齢者もスタッフも孤独にしてはいけない。

その大前提があった上でスタッフそれぞれが職種ごとの専門性やそれぞれの個性を最大限発揮できるような環境づくりが必要だろう。

攻める医療が中心となる急性期医療、高度医療、そこでは病態生理やエビデンスにもとづく医師からの治療計画の指示が滞りなく伝わり、素速く正確な対応が求められている。
客観的情報が性格に記録され、患者がかかえる問題を解決すべく看護計画が立てられる。

しかし生活を支える地域ケアにおいては医療(医師)はあくまでも脇役だ。
医療者はサポートにまわり、介護職を中心とするケアのスタッフの後支えに徹することになる。
生活者の自立を支援するサポートが中心で絶対的な正解というものはない。常に何がベターかを考えながら納得をつくっていく作業である。
特に看取りまで含めたケースなど医師がしっかり家族や患者を支え、最後まで責任をとり安心感をあたえるということは重要である。
これがあるから他のスタッフが安心してのびのびと働けるという場面もあるのだ。

こういう地域ケアの分野も本気でやるなら医師にとっても非常に楽しくやりがいのある分野であろう。

高機能の老人保健施設を核に最低限の医療機能をそなえた有床診療所(緩和ケア対応、後方支援病院との密な連携)、それから保健福祉の拠点となる行政等の拠点ををあわせた複合施設があれば地域ケアのかなりの部分が対応できるのではないだろうか?

リサイクルショップ、廃品回収業者

2008年03月26日 | Weblog
引っ越し前には大量のゴミがでる。
引っ越しは『モノ別れ』の最大のチャンスだと、せっせとモノを処分する。

当地ではペットボトルや空き缶、古紙など資源ごみ系は月に1度、燃えないゴミは月に2度しか回収しないので当直などが重なると出せないことも多くどうしてもたまりがち。

特に古紙が大量にでた。
大学や研修医時代の教科書やノート、古書店には売れないが二度と見ることもなさそうな本を束ねる。
毎月購入していた雑誌類、学会誌等もこの機会に処分。
積読してあった本も見ると取っておきたくなるので見ずに処分。
古紙の束で壁ができた。

本の中でBookOffに売れそうなものは売る。
これは量が多いだけあって、それなりの値段がついた。
売れないものは廃品回収業者へ搬入。
古紙だけは無量で引き取ってくれる。

次に、タンスやザック、引き出物の残り、小物などリサイクルショップに売れそうなものをリサイクルショップへ搬送した。

涙がでるくらい二足三文だが、引き取ってもらえて、使い手を捜してもらえるだけ捨てるよりはマシか。
80リットルのモンベルのザック(2階くらいか使用していない)なんかも数百円。桐の小型階段ダンスも数百円、その他の小物は数円~数十円という単位。

ちょっと悲しくなる。

扇風機や年式が古いということで引き取ってもらえず。(2001年以降の稼働品しかダメとのこと。)
スノボは買い取るがスキー板は買いとれないとのことで、歩くスキーの板も売れなかった。
売れないものも有料で引き取ってくれるが、アイロンなど家電で3000円など、ぼったくり価格なので、廃品回収業者へ搬送すべし(数百円)。

本当に大事にしていたものに安い値段しかつかないのも悔しい。
逆に引き取り手のなさそうなものに少しでも値段がつくのも申し訳ない。

最近ではものは買ったとたん金銭的な価値が殆ど無くなるようだ。

本当は物語を引き継いでくれる相手に、オークションなどで相対して譲るのが一番良いのだろう。
大切に作られたモノを長く、大事に使いたいものである。

大手リサイクルショップへ搬送していて、ある患者さんのことを思い出した。
旅行会社にいて、自分でツアーを企画して募集し個人のファンもつくような方だった。
あるとき思い立って、これからはリサイクルの時代だということでリサイクルチェーンの店長となり店を切り盛りしていた。
がんが見つかってからも痛み止めを使いながらギリギリまで仕事をつづけていた。

デフレでモノあまりの時代。
大型小売店であまり変わらない値段で新品が買えてしまう。
リサイクルショップという商売もよほど大型か、店のコンセプトがはっきりしなければ厳しいだろうなと思う。

どのようにモノとつきあい、モノの循環をつくるかが今後の課題だろう。

リサイクルショップにも売れず、どうにも引き取り手のないものは廃品回収業者に搬入。(平元商店、e-stage)

古紙類は無料。
燃えないゴミなど一袋、300~500円弱でだいたいそのまま引き取ってもらえる。家電類も1個数百円での引き取り。
食器棚など大型家具は500円程度かかった。

しかし家電リサイクル法に指定されている4品目、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンのリサイクルもどきを行っているものは数千円かかる。
4品目だけ分けたのも意味不明。

ユーザーの段階、あるいは業者の段階で不法投棄を誘発しているだけだと思う。
(実際ヤマダ電機がリサイクルで回収したものを横流しや不法投棄し問題となっていた。)

昔のように、なんでも庭で燃やせるものならいいのにと思ってしまった。

おモノ持ちの国。ニッポン。

2008年03月26日 | Weblog
引越し前にチャンスとばかり荷物を大幅に整理している。

整理してみて気付くのはいかに使っていないものが多かったかということだ。
「ちょっといいな。」とおもって買ってみたけれども結局使わずじまい。

買い物依存症というビョーキがある。
自分の空白を消費することで埋めようと、クレジットカードで借金してでも脅迫的に買いつづけてしまうというおそろしい病態だ。
心が疲れていて何か満たされないとき、大きな買い物をして発散すると言うのには身に覚えがある。
財布の紐が緩む旅先や、イベントのとき、仕事で疲れたときなどが危険だ。

しかしそれはしょせんはは不毛な消費、後になってココロはますます疲れてしまうだけだ。

一方、何かを捨てるのというのは多大なエネルギーが必要な行為だ。
「モノ別れ」には多大な決心がいるし、自分も変わることが要求される。
疲れていてエネルギーレベルが低いときには 「捨てる!」決心がつかず、ますます捨てられなくなり、モノにあふれ散らかり放題になる。


大量生産、大量消費をあおる一方で、環境へ配慮したふりを見せる政策のため、ゴミの分別要求はますます高まり、リサイクルもどきが横行している。
ある車(セレナ)のように「モノより想い出」という宣伝文句で、買わそうとするのは結局モノなのだ。
リサイクルしているというアリバイ的名目で消費者の罪悪感を消し、結局、新しい商品を買わそうという魔の手もある。

モノを捨てることはますます難しくなってきている。

こうして部屋はモノで埋め尽くされ「おモノ持ち」の「汚部屋」ができあがる。

モノを処分するとき、モノに対して十分な愛情を注いでやれなかったのが申し訳なさを感じる。
しかし持ちつづけていると時間もエネルギーも場所もつかうので別れざるを得ない。
こうして「今度こそモノを得るときによく考えよう。」と何度も決心するのだ。

モノとに付き合い方に関してはムーミン童話の人気キャラクター、スナフキン師匠の言葉が参考になる。

「なんでも自分のものにして、もってかえろうとすると、むずかしいものなんだよ。
ぼくは、見るだけにしているんだ。そしてたちさるときは、それを頭の中へしまっておくのさ。
ぼくはそれで、かばんをもち歩くよりも、ずっとたのしいね」

さすが旅人、スナフキン師匠である。

最低限のモノをパッキングし旅にでると、いかに普段モノを持ちすぎているかがわかる。
いかにモノを増やさないか、必要なものは何か?
旅(人生そのもの)のテーマに添って、相棒となる本を絞り込み、いくつもの役割を少しのモノで兼ねられないか頭を絞る。
旅先で借りたり、公共の設備をつかったりすることで新たな発見もあるし、交流も生まれる。

モノに散々振り回された挙句、自分もちょっとは成長して、多少は我慢することを覚え、未来への想像力を身につけた。
「ちょっといいな。」と思ったくらいではかわず、代わりにデジカメで撮影したりノートにスケッチしたり、文章にしたり、あるいはマーケティングやコピーライティング、プロモーション、発想の教材にさせてもらったりしてそれで十分満足している。


私達には移り変わる季節や景色、感動を三十一文字のコトバに封じ込める俳句もある。手帳ひとつあれば、いつでも楽しめるのだ。(なんてお得な・・・。)

暮らしはシンプルが一番である。

個人でのモノの所有は最低限にして、機能を町へ地域へ拡張していったほうがどれだけシンプルに暮らせるか・・。

しかしメディアは未だに「消費は美徳」という思想を押し付け、消費をあおり続ける。

テレビはより高画質に、ネットワークには常時接続、見たい感覚をいつでも取り出すことができ、それぞれの快適な空間へ引きこもったままいつでも移動できる。

たしかにそれは素敵なことかもしれない。

しかしその副作用は大きい。
人はますます我慢することを忘れ、世の中には思い通りにならないこともあるということが理解できなくなっていく。
メディアの発する情報や時代の空気をダイレクトに取り入れ、それで自分で考えた気になってしまう。

だれかに命じられるままに踊らされ、慌てて消費に走らなくても、見方をすこし変え、自分で見て、聞いて、感じて、考えるだけで世の中は感動と驚きに満ちている。

いまこそあたなの「Sense of Wonder」を取り戻す時だ。

もし大量消費をつづけなければ経済がまわらないと言うのなら経済活動それ自体をスローダウンすればいいだけのことだ。

大量生産大量消費は化石燃料が可能にしたうたかたの夢だ。
いつまでも持続可能なものではないし、ヒトのココロや身体感覚を破壊しながら続けるほど価値のあるものとも思えない。

人間、所詮は起きて半畳、寝て一畳である。

わが国には「清貧の思想」があった。
少しの愛用品とともに豊かに暮らしてきた先人の知恵を今こそ見直す必要があろう。

本は処分する派?とっとく派?

2008年03月25日 | Weblog
人はいろんなものを捨てながら成長し生きていく。

しかし得ることよりも捨てることのほうが難しい時代だ。

引越しは身軽になるチャンスであるので、不要になった捨てるべきものは捨てるということで大量のモノ、本や紙くず、不要なものを処分している。

しかし、処分に困るのはやはり本だ。
フローとして割り切れればよいのだろうが、ついストックしてしまうのだ。

ハイパーレクシア(読字過剰)という症状なのかもしれないが、小学の頃から図書館に通いつめ中学、高校、大学と、返却期限までに次の本を借りるという行為を繰り返してきて興味のままに2週間で平均5冊を意識に通過させてきた。
(ただし、借りて読まずに返却する場合も多かった。)

就職してからは図書館には行かなくなったが、新書店やBookoffなどでお金の心配なく買えるようになった。
お金は本くらいにしか使わないから本に関してはリミットをかけていない。

あまり大規模書店にいけなくなったのでアマゾンなどのネット書店も利用するようになり、気に入った著者の著書をまとめ買いするなど歯止めがかからなくなった。

書評でちょっと気になった本はすぐにアマゾンのカートに入れるし、たまに都会に行くと大量に買い込み、宅急便で発送というようになる。

軽躁状態のときなどは箱で本が何箱も届く。

そういったこともあって、ここ数年は1日1冊以上のペースで本が増え続けているため全く収集がつかない。

本を読んでいないと落ち着かない、ご飯のようなものである。

興味のある分野の軽い新書、マンガなどは寝る前の5分~30分で読む。

一方でエネルギーと時間不足、ブチブチと中断されるため古典や小説などにはなかなかじっくりあたれない。
これらは休日にたまに読むくらい。

自分の習性として買った本は折り曲げながら読む。線を引いたり突込みを書き込んだりしながら読む。
フロで読む。トイレで読む。食事をしながら読む、など汚すことをあまり気にしない。
むしろ折り曲げたり線を引いたりしないと読んだ気がしない。

野口悠紀夫氏がいうように他人のコメントや線が書き込まれた本など面白いと思うのだがBookOffなどの古書店では買取不可になってしまう。

もし自分が図書館や古書店をつくるなら、もとのテキストが見えなくならない範囲で書き込み自由に許可した図書館または古書店をつくるのだが・・・。

所蔵する本は数千冊あり、病院前の小さな書店よりはたくさん所蔵していると思う。

医学関係の一般向けの本、医者が書いた本、闘病記、地域づくり関係の本、地域医療関係の本、なども多い。
ただ処分するより役立てられるだろうと病院患者図書館の設置を提案し企画書まで出したが、計画はとまったままだ。

しかし将来的には、そういう野望もあるというのも本が捨てられない理由の一つである。
(次の病院で再チャレンジしよう。)

さて、知識人のあいだで本は処分しない派と処分する派に分かれるようだ。

★本は処分しない派・・・本というモノ自体に価値を置く。

 ・井上ひさし 
    生涯で16万冊の本を所蔵。それで図書館ができた。
    『本の運命』など。
 ・立花隆
   本だけは捨てられないと文芸春秋上で辰巳渚の『捨てる技術』に反論。
 ・林望
   いったん手放すと再入手できる保障がないから基本的にはとっておく。

★本は処分する派・・・・フロー情報として割り切る。

 ・辰巳渚  
    『捨てる!技術』
 ・本田 直之
   『レバレッジリーディング』
 ・勝間和代
   『自分をGoogle化する方法』
 ・野口悠紀雄
   『超整理法』


自分は基本的には自分の思考の足跡として本をため続け、将来的に図書館かブックカフェ、セレクトブックショップみたいなのをつくりたいという気持ちがあるから本は捨てない派である。
そういえば鳥取の野の花診療所にも図書室があった。

装丁や、本の雰囲気、配置なども含めて本の語りに耳を傾けるのが好きなのだ。


しかしいかんせん所蔵する場所がない。
死蔵していても仕方がないし・・・。

仕方ない、自分のテーマから外れてきたものは徐々に捨てるようにして、どんどん身軽になっていこう。

どうせ本も大量出版される本の中で後世にのこるものなどそのうち一部だろうし、実用書などでは雑誌のようにフロー情報として処分してもいいだろう。

今後は、たいていの本はアマゾンで手に入るだろうし、あらゆる本の内容はWEB上で検索可能な状態で公開されるようになりオンデマンドで手に入るような時代になるだろうから・・・。
(Googleがそういうことをやろうとしているようだ。)


王様は裸だ!と言ってしまう子供の性格

2008年03月21日 | Weblog
自分の性格を分析してみると

まず、見て見ぬふりをすることができない。
裏表を作ることができず、いくつかの自分を演じ分けることができない。
演じている自分がいやなのだ。

そして、『バカの壁』が薄い。
とらわれの無い子供の心で他人が見えない
(見えているけど意識されない)ものまで見えてしまう。

また、こだわりがつよく納得しないと動き出せない。
後先を考えて、自分を抑えることが難しい。

まとめると「王様は裸だ!といってしまう子供の性格」である。

これに満足できるように切り盛りできる実行力がともなえばよいのだが、注意集中の切り替えが苦手で基本的にシングルタスクで、要領がわるく、心理的、肉体的なな疲労ばかりがためてしまう。

また、忘れ下手でどうでもいいことをウジウジと蒸し返してはエネルギーを自己消費してしまう。

大勢の人と一緒だと落ち着かず休めず疲れてしまう。

他人の感情に敏感で、あらゆることに「そうだよね、つらいよね。たいへんだよね。」と共感してしまい、「あぁ、だれもやらないんだ。じゃぁ、じぶんが何とかしなきゃ。」となってしまう。
何かができる能力ではなく、何もできない無力感やむなしさに耐える能力、いわゆる「負の能力」が低い。
援助者に必要な資質である億劫がらずに必要な人たちに連絡をつける才覚にもかけている。(まめさが無い)
そして一人で抱え込み、エネルギーを急速に消費してしまうのだ。

長所は短所の裏返し、短所は長所の裏返しである。
このようなキャラクターの人はどういう世界で活躍できるのだろうか?


医療をはじめとする、対人援助の仕事には際限がない。

しかし個人の認知、共感エネルギーには限界がある。
限界に近くなって、つくづくそれを感じた。

エネルギーをうまく利用しつつガス欠にならないようにするために、以下にあげる3つのチャンネル(モード)を設定するといいようだ。
(参考:ホワイトボックスのコラム)
これらを意識的に切り替えながら上手くエネルギーを蓄積、利用していくシステムを個々人に応じてつくっていく必要がある。

・共感チャンネル(モード)のコントロールによるエネルギーセーブ
・作業チャンネル(モード)の効率アップによるエネルギーの効率利用
・生活チャンネル(モード)の確立によるエネルギー回復

そして、エネルギーをためておく器も大きくしていく必要がある。
エネルギーを束ねていくための仮想敵(理想、目標)も必要である。
すべてのエネルギーの源は生活の中での感動と基本的な生活(生きる活力)の確立だろう。

そして人は一生かけて自分を研究する存在である。
それが楽しく生きるコツである。
欠点や弱点を責められ、その克服に懸命になるよりもそれぞれの強みを活かして得手に帆をあげて生きた方が楽しいに決まっているではないか。

これらの使い分け、使いこなし、ソーシャルスキル、燃え尽きないケアを研究していきたい。

佐久病院最後の救外当直

2008年03月20日 | Weblog
佐久総合病院での最後の救急外来の当直が終わりました。

初期研修の終了式(+宴会)であったため、初期研修2年目が不在なのと小児科医師が新生児がらみの緊急で救急外来に出られなくなったためちょっとバタバタしていました。

しかし、この春から小児科の医師は救急外来にでなくなることが決まっています。
新体制が落ち着き、新たな研修医が動けるようになるまでは救急外来の厳しい状態が続くことが予想されます。

この冬は近隣の医療機関の医療崩壊の影響を受け患者がふえました。
オーバーベッドがつづき「緊急事態宣言」までだされました。
今年の冬に救急医療体制が破綻しなかったのはインフルエンザの流行が無かったという幸運もあったからです。
「断らないポリシー」を貫いてきた佐久病院も限界が近づいてきているように思えます。
これで大規模地震が起きたり鳥インフルエンザがはやったらどうなるのでしょう?
そういった危機に対応することは出来るのでしょうか?

小児の救急診療体制に関しては、これまで当院では小児科医師が夜21時までと休日の午前中は救急外来に出ていることは遠方まで知れ渡っていて、夜になって親がねらって連れてくるなど、夜間外来となっていた常態もありました。
(逆にいえば子育てすらゆっくりじっくり行えないという社会の実情を反映して、そういうニーズが地域にあるということです。 )
しかし小児科医師のマンパワーの減少と負荷の増大に伴い、昨年から、非緊急のものは救急外来のナースがトリアージをおこない軽症者は2時間くらいは待つこともあるという掲示がなされました。
また休日午前などには地域で開業する先生たちが外来を手伝ってくれたりして何とかやりすごしてきたような状態でした。
最近では地域懇談会などの、いろいろな場面で地域へ訴えてきたこともあり、多少理解が進み救急外来の利用の仕方が変わってきた面もあると期待したいところです。

「モンスターペイシャント」の跋扈する「心の僻地」には医者は居着きません。
これを継続発展し、地域全体で県立柏原病院の小児科を守る会の「子供をまもろう、お医者さんをまもろう」というような住民運動にしていくことが必要でしょう。 
 
この問題について、数年前、初期研修で小児科をローテートしていたときに小児科の部長先生と議論したことがあります。
「小児科の外来診療で緊急時の対応の教育や子育て支援を丁寧につづけていけば何十年かすれば地域住民がかわって、みんな賢くなり救急外来の受診態度もかわってくるのではないか?」
ということを聞いてみました。
「年間何万人も外来患者が来る状態ではそれは難しい。」
ということでした。
 
しかしこれは、私の師匠筋(勝手に)の風邪っぴき小児科医こと五十嵐正紘先生(もと自治医科大学地域医療学講座教授、現五十嵐こどもクリニック院長)の主張するところです。

先生は「人生百年を見据えた医師」を提唱し、
「地域の小児科医というのは基本的には風邪っぴきの医者であるが、風邪など放っておいてもいずれ治ることで、召集をかけなくてもお金を払って受診する。 その機会を子供の心身の発達や親子関係、将来よい生活習慣病の基礎をつくるとかを継続的に見る機会にするということこそがプライマリケアの実践である。」
ということを主張されています。

こどもの医療にかかわり、将来にわたる健康的な生活の基礎づくりこそが地域で小医療をおこなっている医師の大事な仕事です。
南佐久の農村でも肥満など生活習慣病の種をいっぱい抱える子供たちが増えてきているようです。
この実態を岡山大学の小松裕和先生らが研究し論文にまとめています。
どのように地域で子供をそだて支えていくのかということに関して地域作り、社会づくりも含め皆で考えて行かなくてはいけません。

救急医療の現場では救急の病態の判断と、そのときに必要な医療資源へのアクセスが確保が優先されます。救急しか受診しない人には救急での責任(翌日まで重篤な状態になる病態を見逃さず適切な処置をおこなう)しか果たせません。

慢性期医療の現場でも薬の無診療処方を求める人には、効果の確認や副作用のチェックや生活習慣支援までおこなうことは出来ませんし、せいぜい猛毒を飲ませていないかを確認するくらいが限界です。責任をもとめられても困ってしまいます。
近くの町立病院へ手伝いに行っていましたが何より辛かったのが、この無診療処方の山でした。

・・・結局、地域によい医療が維持できるかどうかは住民の意識にかかっているのです。

「医療はあればあっただけ。しかし意識の高い住民のいるところにはよい医療がそだつ。」それは間違いありません。 

医療崩壊が相次ぐ公立病院の中で、地域医療で有名な岩手県藤沢町民病院では、地域に出て「ナイトスクール」を開催し地域住民とともに医療のあり方等を考えてきました。

医療者もかつての「知らしむべからず、依らしむべし」という態度では今後、ますます苦しくなるだけです。無責任な依存心と無責任な約束による支配の時代は終わりです。
専門家の仕事は住民、患者に正確な情報と、愛に基づく技術(技術に裏打ちされた愛)を提供し、住民をファシリテートしエンパワーすることです。
住民も日頃から自分の体を大切にせず、自分たちが本来やるべきことをせずに、困ったときにだけ医療者に助けてくれという態度ではこまります。
住民と医療者が医療の限界と有効性を共有し、お互いの権利と責任を明確にした上で緊張感をもってお互いに高めあえる関係をつくって行かなくてはなりません。

それこそが若月のめざした「医療の民主化」です。
患者さんの権利と責任は医療における憲法にあたります。
地域と病院の関係でも同じことが言えるでしょう。

住民とともにプライマリヘルスケアの実践ができる「地域性、社会性をもった医療者」を育てることが佐久総合病院(そして若月俊一の目指した農村医科大学)の使命だったはずでした。佐久病院の理念を見れば、その使命は今も変わっていないはずです。
こんな理念を掲げている病院は他に知りません。

しかし自分の内外に様々な壁を感じ、自分もまたこの病院をいったん去ります。

それはまず自分が生き延びるため。
そして、佐久総合病院のこころを自分なりに引き継ぎ発展させていくために・・・。
佐久病院は多くの医療者にとって心のふるさとです。

佐久病院で学んだことは、
「地域医療とは医療を通じて地域を、社会をよくしていく実践・運動であるということ。
そしてそれには地域住民への愛、地域へ出て行く態度、信頼される技術が必要であるということ。」
です。
今後も夏川院長先生におっしゃっていただいたように、「のぞむ医療をのぞむ地域で」実践をつづけていこうと思います。
しかし、この「のぞむ」の主語は果たして住民(患者)でしょうか、医者(医療者)なのでしょうか?
これもまた重たい課題です。

AS・NPD・ADHD・BPⅡ

2008年03月16日 | Weblog
昨年の今頃から、体も頭も働かなくなりペースダウンしていました。
動けないときは全く動けないものですね。
ここ半年くらいは空いている時間はほとんど寝ているしかないような状態でしたた。
希死念慮も発作的にグルグルうずまいていおり、よく死ななかったと思います。

時に躁鬱の混合状態みたいなときもあって、感情コントロールに苦労しましたが、
手に入る文献に当たりまくり、自分の感情と行動を半年くらいノートにつけかなり分析できました。
かろうじて生きのびられたのは精神医学や仏教、哲学のおかげだと思います。
抑うつ発作やPTSDに悩まされることもだいぶ少なくなってきました。

あいかわらず注意のフォーカスの切り替えが難しくとっさの対応は苦手ですし、時間の流れが伸びたり、縮んだりします。
いろんなことが気になりオーバーヒートしてしまいます。
テンションを上げるとその後に必ず落ち込みが来ます。
センシティブすぎる感情センサーでノイズが混じります。
逆に自分の思考や感情を隠すことは全くできません。
興味が無いことには全く興味がわきません。
些細なことでも納得しないと動き出せません。
ざわざわした環境では集中はできませんし、マルチタスクは無理です。
ポンコツロボットで自分の中にルーチンワークをインストールすることができず苦労しています。
いったんインストールしてもいつの間にか書き換わっています。
過眠傾向はあいかわらずでいくら寝ても寝たりません。
家事などIADLレベルで壁があります。

あふれ出る発想と、フレームワークを駆使して、いろいろなシステムに気づく自分のスペックは嫌いじゃないのですが、愛用品として使いこなし乗りこなすにはまだ道は遠しです。

共感チャンネルの調整を身につけ、作業チャンネルと生活チャンネルを再構築し、全体のキャパの増量と、リソースを節約する方法、回復の手段を見つけ出さなくてはならないのでしょう。

医療現場の片隅に文化人類学者として潜ませていただき、自分なりに世の中を理解できるようになってきましたが、ルーチンワークが中心となるわりには、パニック的な急性期の医療現場は自分のスペックには全くアンマッチなことがわかりました。
自分の外にロボットを設計し社会を構造化する仕事(システムエンジニアやコンサルタントなど)、または世界を観察し記述する仕事(学者やジャーナリスト、作家など)が向いていますかと思います。
いろいろ考えるとこもあって「自分の経験を活かして、自分みたいな人のお役に立てれば」ということで春から某病院の某科に移ります。

「普通の生活の力」を研究します。

お年寄りの今

2008年03月16日 | Weblog
最近、「農村に入れば演説をせずに、演劇をしろ。」
という若月俊一(もともとは宮沢賢治)の教えに基づき、某所で寸劇をやりました。

寸劇~。たしかにいいだかしんねー。
反応もダイレクトで分かりいいし、スタッフと観客との距離も縮まりますね。
5年も「じじ、ばばと仲良くする医療」してたら、ちーとは、ここいらのものいいにもなじんできたかいな~。(しかしイントネーションは難しいわー。)

藤沢町民病院の佐藤元美先生によると
「職員が地域に出て寸劇をやっている病院はつぶれないの法則」
というのがあるそうです。
ならまだこの病院も大丈夫かいな~。


以下は包括の保健師さん作成したシナリオです。
著作権フリーで公開、改変はご自由にどうぞとのことで許可を得ましたので公開します。それぞれの地方の方言になおして演じてみてくださいね。
それではどうぞ・・・。

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寸劇  「お年よりの今・・・」

包括の相談の中でよく出てくる、今の高齢者の現状を寸劇にし、受講者の20年後位の暮らしのイメージを作ってもらう、そして、その後のグループワークを活発化させていく材料とする。
登場人物

☆じい1 
年を取ってので最近車の運転を泣く泣くあきらめて、外出は徒歩になった。   

※ちょっとぼけた妻であるばあさんを連れて歩いているでもOK。
そのばあ2はせりふなし。じいとばあのやり取りを、ふんふんと聞いているだけ

☆ばあ1 
ちょっとしっかりしたおばあさん。

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じい1:(老人車をついて歩いている。腰を曲げて、よぼよぼと。)

ばあ1:おや、●●じいさんじゃないかい・・・。えらい、ぼつらぼつら歩いているけどどうしただい・・・

じい1:おらあ、最近、車の運転やめただよ。子供とうが、あぶねーあぶねーっていって、おれが事故をするのは仕方ねーけど。人を傷つけたらどうするだーって、いわれてさあー。隠れて、のらっと思ったら、お正月に来たときに鍵隠されちまって、乗れねだよ。

ばあ1:よく、あきらめたにー。あんねん、車の運転好きだったになあー。

じい1:車あきらめたら、どこも出かけられねーからさ、しょうがねー、この車買ってもらって(老人車)ばあさんと一緒に歩いているだに。

ばあ1:じゃあ、買い物はどうしてるだい。

じい1:おらちのおばやん、買い物が好きだっただけど、どこもでれなくなってなあー。しょうがねーから、生協頼んだだけど、注文書の棒が引けねだよ。だいいち、量が多くてだめだ。
次になあ、農協の食材にしただけど、農協が決めたものがくるだよ。おれが、肉が食いたくても、魚が届くだ。

ばあ1:まあ、そうかい。女の人は、自分で、品物見て買いてーしなあー。ストレス解消にもなるしなあー。むずかしいところだいねー。

じい1:だけど、こういうことは、きっとおらちだけの問題じゃあねーと思うだよ。●●病院に診察に行くのだってこまるいなあ。
葬式だって、人に頼まなきゃいかれねーわ。
義理を欠くようになりゃ-つれーなあ。
福祉バスは1日1本だし、朝でかけりゃ、夕方までけってこれねーや
新幹線で東京まで行くに、1時間半だなんてやってるけど、バスで買い物に行くのも一日がかりだ。

ばあ1:あー、だから、あそこん家は、東京の娘が、ちくわや魚だミカンだって、宅急便で送ってくるだわ。便利なようで、なんかへ変だいなあ。
子供がいる人はいいけど、おらちみたいにいなきゃ、どうするずら。いまちっと、世の中が何とかならねえずらか

じい1:いまちっとなんとかっちゃー、●●病院の診察だわ・・・。まーでこの間なんか、2時間も待って、やっと先生の顔見たと思ったら、「いいですね」で終わりだったわ。おらーいっぺー、いいて-事があっただけど、そういわれりゃあー何も言えねでけってきちまっただよ。情けねーなあ。先生とうも忙しくてかわいそうだけど、おらも、ちっとは聞いてもらいたかっただよ。

ばあ1:そーかい。どんな話がしたかっただい?

じい1:天気の話とかさ。今年は寒いとかさー。おらちの東京の孫のこととかさー。

ばあ1:そりゃー。だめだわ。先生だって、ふんふん聞いてりゃー日がくれちまうわ。

じい1:でもな、俺も、うちのばあさん以外の人とも、話がして-だよ。

ばあ1:●●じーさんは、おしゃべで話が好きだからなあ。今はあんまり近所のお茶のみもないし、個人情報なんていうから、集まりもむずかしいなあー。

じい1:まーず。としとりゃーいいことなんかいっこもねーなー。だんだん寂しくなってきちまっただよ。ところで聞くのが遅くなったけど、そのでかい袋はなんだい?

ばあ1:あーこれかい。実は、朝だしたゴミの分別がだめだって、かえされちまっただよ。まーず、こんなの年寄りにやー無理だわ・・・。だから、どうしらっかと思って。

じい1:そうかい。おらちも同じだよ。ばあさん、ちいーと、ここがお留守になってきてるずら、だから、おらがみんな見てるだけど、ゴミは大変だあー。

ばあ1:なんだか、いい話はねーなあ。おらとうは、もうすぐ棺おけにへーるからいいけど(受講者をみて)ここにいるしょーはどうするだい。まだまだ、元気だぞー。あと、20年は生きるな・・・。その間、安心して暮らしていくにゃ-、ここで、よーく勉強してもらって、なんかかんげ-たほうがいいぞー。どんねん、介護保険料払ったって、やって欲しいことがやってもらえるかどうかはわからねーからなあ
助け合えることは、みんなでかんげ-なきゃいけねーと思うだよ。どうでやすい。

じい1:そうだいなあ。皆さん、ちっと、かんげえとくんなんし。