リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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ネット選挙時代に議員にブロックされました。

2013年05月28日 | Weblog
自民党支部会でTPPはほとんど話題にされず!?」からの続きです。


4月9日にようやくネット選挙解禁法案が成立した。

資金力に差があることで、選挙活動に差ができないように公職選挙法では選挙活動のために配布できる文書図画の種類が規定されているが、インターネットでの広報活動は法定外の文書図画の配布にあたるという総務省の解釈によってこれまで事実上禁止されていた。
そのため選挙投票日の12日前の公示日を境に候補者のウェブサイトやブログ、ツイッター、フェイスブックなどの更新がピタリと止まっていた。
しかし本来インターネットはもっともコストがかからず広く候補者の考えを広報できる手段であるはずである。
ネットの利用を封じられ、地盤、看板、カバンの三バンのない候補にとってはますます不利な状況になるという当初の趣意とは逆転するというおかしな現象がおきていたのである。
結局、選挙活動といえば握手と候補者の名前の連呼、意味のない演説であり、最近の選挙は「政権交代」「日本を取り戻す」など選挙ごとでのイメージを重視した政党のスローガンに終始した。
結局、争点となるべき政策は巧妙に隠され深く市民に検討されることはなく、選挙戦というお祭りがおこなわれていた。
そしてたとえば「消費税増税反対」「TPP反対」などの公約を掲げて当選した議員が、まったく「消費税増税反対」「TPP反対」に向けた行動をしないばかりか逆の行動をするという恥知らずなことがまかり通る現状があった。

しかし今回の公職選挙法の改定でやっとインターネットを選挙期間中も活用した選挙運動ができるようになる。
また選挙期間以外でも普段からネットの活用しての政策をめぐって政治家側からの発信や主権者との双方向のやり取りが盛んになる。
ネットを利用していかに市民と直接の表面的でないコミュニケーションをとるかで政治家が評価されることになるだろう。

政治家とは本来はメディア(媒介者)なのであり、その自覚があるかが問われる時代になるのだ。


さて問題の長野県2区から衆議院議員に当選した自由民主党の務台俊介議員の場合である。

務台俊介君は当選する前からウェブサイトメールマガジンツイッターユーストリームフェイスブックなどを活用した政治活動をおこなってきた。

私はそのことを評価してユーストリームの番組を見たり、メールやツイッターでやり取りしてきたのだが、「TPP反対を掲げて当選したが、公約実現に向けてどのような具体的行動をおこなうのか?」ということを尋ねたところ、非常に残念な返答が繰り返され、その一連の回答を公開したところ激しく非難された。

そしてメールの返事はなくなり、頼んでもいない務台俊介メールマガジンが一方的に送りつけられるようになった。
またフェイスブックでのフレンド申請は無視されたままで、ある日突然、それまで相互フォローしていたツイッターで突然ブロックされた。



言っておくが私はメールでもツイッターでも決して嫌がらせのような大量のメールやリプライやメッセージを送ったわけではない。
せいぜい一つのツイートに一つ以下のリプライをおこなっただけであり、「公約にもなかった山の日の活動には熱心なようだが、公約のTPP反対にたいしてどのような行動をするのか?」ということを聞いたりしてきただけだ。

ちなみにツイッターのブロックというのは相手からの接触を認識できないようにする機能であり、相手が何かしても自分は気付かない状態となる。
ネット上では相手が何しようとも、見えなくなり、まるでいないもののように振る舞うことができるのである。

つまり務台俊介議員は自分の言いたいことや実績をメールで一方的に送りつける一方で、自分の不誠実を指摘されるなどの聞きたくないことに完全に耳を塞ぐという態度に出て、ただ「公約を守ってほしいといっただけの一市民」をまるで無きがごとく振舞っているのである。
民主主義を、そして市民を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。

私はハエか?透明人間か? (´・ω・`)

このような行動を続けるのなら、次回の選挙では我が無慈悲なる投票行動により怒りの鉄槌がくだされるだろう。しかしそれだけで済ますわけにはいかない。

そもそも民主主義において選挙での投票だけが一市民が政治的選択ができる手段であり、後は政治家におまかせするしかないと思い込まされていることが現在の民主主義を機能させなくなっている大きな原因なのである。
昨今の選挙では権力に操られた大手マスコミは世論を誘導し、たとえば「TPP」「原発」「消費税」などの重要な争点は巧妙に隠され、選挙での投票の意味合いは極限まで無力化されてしまっている。

そしていったん当選したら議員や政党は公約など無視してやりたい放題である。

こういうことがまかり通る以上、市民としては世論を盛り上げデモをおこなうことも必要だし、メディアであるべき政治家との直接的コミュニケーションをとり、議論し、公約を守れるように応援し監視し、不誠実な行動をとった政治家に対してはきっちりと抗議することが不可欠だろう。
そのためにはインターネットは市民にとって大切な手段なのであるが、TPP、ACTAなどで国家権力による監視、恣意的なシャットダウンなどが可能にされてしまうとその手段すら奪われてしまう。

だから私はTPPには反対なのである。

しかしTPP反対を掲げて当選したはずの務台俊介議員は、それに向けての行動をサボタージュすることの不誠実さを指摘されると一方的に支持者とのコミュニケーションを途絶した。

務台俊介議員はフェイスブックなどをみると地元の野球大会やお祭りなどさまざまなイベントへの顔見世をしたり、駅前での街頭演説をつづけたり、地元の地方議員や様々な業界関係者、修学旅行の小学生などを議員会館や国会議事堂を案内するなど票になりそうなことには熱心なようだが、最も期待されている公約をまもるというもっとも議員に期待されている政治活動に関しては熱心ではなく市民とのコミュニケーションすら拒絶するなど残念な状態がつづいている。

務台俊介議員をみていると、はじめて権力をにぎって浮かれた政治屋が政治ごっこをしているだけのように見えてしかたがない。

このような議員の無責任な不作為を決して許してはいけない。
市民が考えることを放棄し目を離して油断した所で、かつては戦争への道へ突入し、最近では安全性をないがしろにしたままの原発推進政策がおこなわれたのだ。
政府は必ず嘘をつく。
目を離すことなく、必要なら声を上げ続けねばなるまい。

主権者の皆さんは無残にも務台俊介議員に無視されて討ち死にした私の屍を超えてこの破廉恥な議員にきちんと働くように声を上げてほしい。
そして他の公約に向けての行動をとらない議員に対しても・・。

務台俊介議員にはこちらから意見できます。
(ただし直接的な電話やFAX、手紙の方が効果的かと思います。公開質問状も考えています。)

障害を想像出来ない人への合理的配慮を

2013年05月19日 | Weblog
支援する気持ちがあっても障害を想像出来ない人への合理的配慮を、予告なしのサプライズは反則?


「五体不満足」から最近は「自分を愛する力」などの本もあり、スポーツジャーナリスト、教師、ライターなどで活躍してきた日本一有名な身体障害者である乙武 洋匡氏。
先日、銀座の個人営業の隠れ家的イタリア料理レストランに車椅子ということは伝えずに予約し、当日に入店拒否されたということをTweetしWebが炎上しているようだ。

「乙武さん、車いすだからと入店拒否 店主「これがうちのスタイルなんでね」→炎上→店長お詫びのツイート」


この出来事についてWeb上では賛否両論のようだ。
乙武氏、店長、周囲の反応もふくめて興味深い。

どの店でもバリアフリーであり飛び込みで、ハード面、ソフト面での合理的配慮を得られるような社会が理想だが、今の日本はまだそうではない。そうではない現状の中で、どうしたら理想的な社会に近づけるのかというやり方の問題で乙武さんのやり方には疑問が残る。

乙武洋匡さんは決して単なる弱者ではない。
ルックスもよく、自己肯定感も強く、言葉も持っている。
Twitterでは60万人ものフォロワーがおり、たくさんも応援団もいる。
書籍や映画の印税収入などのお金をつかって人を頼むなどの方法でなんとかすることもできただろう。

そんな乙武洋匡さんなら店の事情も想像し「障害のことをうまく想像し理解できないという障害の人」に対して、言葉できちんと伝えようとする配慮をする、あるいはガイドヘルパーに同行してもらうなどの合理的な配慮が何故できなかったのかとおもう。

店長は車椅子の客を受け入れる気持ちがないわけではないようだ。
しかし雑居ビルにある店はバリアフリーのつくりではない。
そして若い店員と店長の2人で営業する忙しいイタリア料理店のオーナーシェフは障害者支援に関しては素人であろう。
これでは店側が圧倒的にハンディキャップを背負わせられた状態からのスタートだ。

大手のチェーン店や高級レストランならともかく、そんな店に自分の状況を伝えずにいきなり現れて、満足行く支援を受けられないことは分からなかったのだろうか。
エビアレルギー持ちの人でも予約の際に「エビがアレルギーで食べられません。」などと伝えておかないとエビ抜きの料理は作ってもらえないのはしかたがないことである。

乙武洋匡さんはそういうことを伝えるプロとして仕事をし収入を得て生活しているはずなのに、どうして今回は電話予約の際に「事前に、車椅子で、こんな困難が予測されますが配慮願いますか」と予約のときに電話しておくなどの気遣いや配慮ををサボってサプライズでレストランへ行ったのだろうか。
何冊も本をだし講演もし、言葉だって人以上に上手く使えるはずなのに。

しかし今までもさんざん苦労してきているだろうに(してこなかったらしい!)今の日本の状況をわかっていた上でエレベーターがとまらない雑居ビルの2階にある個人営業の隠れ家的店に、介助出来る人も同伴せずサプライズをしかけたのは何故なのか?

あるいは車椅子だということだけで断られてしまう経験が多く(こんな経験は初めてだとツイートにはあるが・・)あらかじめ車椅子であり介助を頼みたいということが言えなかったのか。

もっともたまにはそういうことをサボりたくても、四肢が短く車椅子ではどうしても目立ってしまい、お忍びでということも難しく、マイノリティゆえの苦労もおおいのだろが・・。

今回、店側の対応に腹を立てて店名をいれてTweetしたのは、無慈悲に断られたことへ相当頭にきた個人的な感情か、炎上することで多くの人の議論にのぼることをあえて狙ったのだろうか・・。

車椅子ユーザーは(今のところ)マイノリティなので、放置しておいて市場原理の見えざる手にまかせていたら、車椅子ユーザーのアクセスは制限されたままなので、意識的に差別禁止と合理的配慮をルール化しないと状況は変わらないのだとは思う。
TPPなんかより「障害者差別禁止条約」への批准が求められるのは確かだ。

ある特性が、ある場面では障害になり、ある場面では能力になる。ある場面ではマイノリティになり、ある場面ではマジョリティになる。身体障害を手始めに目に見えず、想像することをすることも難しいタイプの障害をもつ人のことも想像することが必要だろう。

そうなるためには当事者がどんどん声を上げていくことが必要である。
ツイッターや2chでこういった議論が盛んにおこなわれているという状況はとても良いことだと思う。

乙武洋匡さん、相変わらずいい仕事していますね~w。

乙武氏:イタリアン入店拒否について
イタリア料理店店長:乙武様のご来店お断りについて。


乙武さん入店拒否問題で考える「セレブ意識の客、セレブ意識の店」