リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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大阪のダブル選挙に思う

2011年11月28日 | Weblog
大阪府、大阪市のダブル選挙が行われた。

大阪市役所職員よりの平松氏と、大阪都をつくり2重行政を解消し行政のリストラを行うことを宣言した橋下氏。なかなか興味深い対立軸であった。
大阪の現状は日本のかかえる様々な問題の縮図である。

橋下氏は「ハシズム」とよばれる強権政治をめざし「大阪市役所をぶっ壊し、大阪都を作る。必要なのは独裁」といってはばからなかった。
民衆の支持を得て強力な力を持ったリーダーでしかできないことは確かにある。
これは「自民党をぶっ壊す」とぶちあけ、反対するもんを「抵抗勢力」とよび、「郵政民営化」を勇ましく唱えで「根拠なき熱狂」でムードに乗って圧勝し、「構造改革」という名の「弱者切り捨て政策」を遂行した小泉純一郎氏を彷彿させる。また先の選挙で民主党が圧勝した時とも似ている。
長野県政を良かれ悪しかれ改革した田中康夫知事とも共通の構造であろう。

国政も、長野県政もたしかに前進した。
しかし膠着した現状をぶち壊すのはいいとしても、壊したあとにどうするかというビジョンがなく新たな仕組みを創り上げることができないままであり、現状はますます悪くなっているようにも思える。

いくつもの政党から推薦をうけた平松氏の陣営も政策の論点を示すことが出来ず、既存の政党では現状の改革は無理だと考えた有権者が多かったのだろう。
既得権者対既存の体制から疎外された人、特に若者・無党派層が橋下に流れた。
選挙は橋下徹ら大阪維新の会の圧勝でおわった。

橋下氏らには期待しているところもあるが不安な点もある。

大阪都構想は二重行政をなくし行政のスリム化により小さな政府をめざす方向である。
橋下氏は地方からの改革をうたい、地方分権の推進、道州制も視野にいれている。これは支持できるし期待もしている。是非大阪から発信し国政でも大暴れをしてもらいたい。

しかし橋下氏の施策は基本的に新自由主義的思想に基づいている。

その一環として橋下氏のすすめる「職員基本条例案」は公務員にも能力主義の導入を徹底するという方向性である。
行政組織や仕事の無駄を省きスリム化するというのはいいと思うが、リストラされた公務員の失業対策はどうするか。
行政の仕事は効率化を求められない分野を担っており、生産性では測れない分野も多い。
また公的セクターは弱肉強食の社会に居場所を見つけることが難しかった障害者やマイノリティなどの社会的弱者を受け入れてきたという役割もある。
一方で生活保護に関して、「能力があるのに生活保護を受けている  人たちには就労義務を課し、義務を果たさない場合は一定の負担をお願いしていく。」という。
生活保護を受給せざるを得ない状態の人はそうはいっても弱者なのである。
この就職難で就労の権利はどうなるのだろうか大阪市が働く場を用意できるとでもいうのだろうか?

「教育基本条例案」もいただけない。
これからの世の中、どんな人のどんな能力必要になるかわからない。
教育には多様性をもたせるべきで、これこそが正しい教育だなんて誰にもきめられないしわからない。
それは教育委員会にも、地方自治体の首長にも、親にだって・・・。

まるで時代のヒーローとなった橋下氏に「弱者への視点」がどのくらいあるのかということは気になる点であり今後も注目していきたい。
財政と社会保障のバランスをいかにとりつつメリハリをつけた施策をおこなうか。
今後、国レベルで地方分権の推進、行政組織のスリム化を行うモデルとなれるかどうか注目したい。

橋下氏は「公務員としての領分をわきまえずに(政治に)踏み込んだなと思う職員は潔く自主退職してほしい」と述べた。
地方自治体に属する公務員は首長の仕事の代行をするということである。
しかし首長の仕事は仕事をしていない公務員に鉄槌を下すことが仕事ではない。
それは市民オンブズマンなどが担うことが望ましいと思う。
首長の仕事は職員が活き活きと活躍できるような目標を示し働きやすい環境をととのえるのが仕事である。

原則として首長と職員は一枚岩であるべきである。
本来は住民に選ばれたローカルガバメントの大統領たる首長の方針に従い粛々と業務をこなすのが公僕の役割である。意見を出したり議論をするのは良いが、方針に合わなければ辞めるか、あるいは議員や首長に立候補して民意を問うしかない立場であろう。

地方議会において議員と首長の施策の内容や方針に対して議論を行い予算や法律を決定していくというのが地方行政のあり方だと思う。

自ら考え行動する市民を育てるためには「徹底した情報公開」が前提となる。
改革に関しては徹底的な情報公開を先行してもらいたい。

市民も首長を選んで安心しすべて任せてうまくいくはずもない。
選挙のないときでも継続的に政治に興味をもち様々な形で政治参加することが必要である。

また首長がかわることで施政の大方針や原理原則がコロコロかわっては、おかしなことになるということで、為政者と公権力を縛るために地方自治体においても憲法にあたるものが必要という議論もある。
憲法は一般の法律よりは簡単には改訂できないようになっている。
地方自治体がつくった「憲法」にあたるものとして有名なものにニセコ町の「住民基本条例」がある。

こういう自治体の憲法にあたるものをつくるにあたり皆で議論を尽くすことが大切な事だろう。

今後、道州制、地方分権がすすめるにあたり、このあたりのことは議論されるべき点であると思う。

わたしたちのまちの憲法―ニセコ町の挑戦
木佐 茂男 , 逢坂 誠二 (編)
日本経済評論社






胃ろうの適応とアドバンストディレクティブ

2011年11月18日 | Weblog

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胃ろう造設、医療従事者の影響大きく- 全国老施協が特養入所者調査(キャリアブレイン)


「特別養護老人ホームにおける胃ろう等による経管栄養に関する実態調査」は今年7-8月、全国の特養2000施設を対象に実施。回答があった1230施設で胃ろうを造設している入所者7005人の状況を分析した。対象者の平均年齢は85.1歳、平均要介護度は4.8だった。

 調査結果によると、胃ろうを造設する際に最も影響を与えた要因を尋ねた設問では、「医療従事者からの説明」の37.8%と、「家族の希望」の34.2%が上位を占め、これに「施設からの説明」の2.5%などが続いた=グラフ=。「本人の希望」で胃ろうの造設に踏み切っていたケースは0.3%だった。

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胃ろうの適応についてはいつも悩みますね。
可逆的な病態か、本人の意向(確認できれば)、周囲の人、特に家族の意向や状況などを鑑みながら悩みつつ複数の選択肢を提示して、本人、家族とともに決めていくというのが現状です。


この調査では病態がどうなのかが含まれていません。
とくに可逆的な病態なのか、どのくらいなら食べられるのかなどの評価が大切なのですが・・。
病態の判断については主に医師の仕事となりますがこれを丁寧にきちんとできる人は少ないと思います。
言語聴覚士や栄養士、歯科衛生士、歯科医師、リハビリ科医師などなどと連携しながら評価をおこなうことが必要です。
また、経口摂取への試みは胃ろう増設前でも胃ろう増設後でも続けられることも前提だと思います。

これらのことはどうであったのかも調査に入れてほしかったと思います。

本人の希望での増設は(自分も経験ありますが)0.3%とのことですが、調査対象者は意思表示ができない状態の人たちなのでしょうか。
本人の意思表示が得られ、希望が得られれば絶対適応なことには誰も異論はないと思います。

問題は本人の希望が分からない時です。
胃ろうなどのバイパス栄養などの延命処置をやれるのにやらないということは理屈上呼吸器はずしと同じことになり、「消極的安楽死」にあたります。
医療従事者は「殺人罪」に問われる可能性があります。

いまのところ医療者を守ってくれる法律はありません。

本人、医療者、家族を守るためにオーストラリアでは、50歳を過ぎたら、①遺言、②代理人、③後見人、④アドバンス・ディレクティブ(事前指示書)を用意することが推奨されているそうです。
日本でもこういうことも必要なのではないかとも思います。
自分が認知症などをテーマに講演する機会をいただいた際にはこの話題にも触れるようにしています。

食べることと生きること。

ほたか野の花プロジェクト。新聞に掲載。

2011年11月15日 | Weblog
11月10日の地域情報紙「市民タイムス」に野の花のコミュニティカフェのことが掲載されました。
さすが記者さんで上手にまとめていただいています。

松本(てくてく)や長野(さくら会)、佐久(ウィズハート)などでもよくあるようなプロジェクトではありますが・・・。
大きく育てていきたいものです。



「コミュニティカフェ野の花~Da・Monde」

「在宅という選択肢」

2011年11月14日 | Weblog
安曇総合病院地域連携懇話会でした。
「在宅という選択肢」というタイトルで 在宅支援科医長 薛孝太郎先生の報告でした。




主に連携医である地域で開業されている先生方を前に2年間の取り組みを報告がありました。

病院から家や地域に帰りにくくなる理由を減らすために、何かの時に安心し委ねられるような受け皿として、病院からの訪問診療と緊急往診を開始、24時間365日のオンコール体制を作り、患者さんの状態に応じて訪問の回数を調整しています。
在宅医療や在宅死を押し付けるのではなく、在宅応援団として寄り添うことで、選択肢を増やすというスタンスが良いと思いました。
もちろん病院から出ていることで病院への入院やレスパイトという動きも取りやすくなります。
最期まで何が何でも在宅でというわけではなく選んでもらうようにしているようです。

この地域には古くからの町医者といった雰囲気の先生方も多く往診をしている開業の先生が多いのでいろいろな意見がでました。
訪問看護をなるべく入れて一緒にやらないと倒れてしまう、経管や胃ろうをどう考えるかなどなど・・・。

高齢の先生も多く、一人で頑張っている先生も多く、なんとか連携して病院として地域の先生方の在宅医療支援をバックアップできる体制をつくっていかなければいけないと思います。
(在宅医療支援病棟、在宅支援科という形がいいとおもいます。)

都市部などを中心に在宅医療をはじめたのは病院医療のアンチテーゼとして病院を飛び出た先生方が多かったため診療報酬上も在宅支援診療所など診療所が優遇されています。
しかし病床をもつ病院からの在宅支援・連携はいろいろメリットが多いと思います。
なんとか診療報酬上も反映されることを希望します。

「選択肢」「納得・満足」「丁寧」「連携・協業」がキーワードでしょうか。

「地域での生活を支え抜くケア」第1回北アルプス地域ケアシンポジウム

同期会~サケの里帰り作戦~

2011年11月14日 | Weblog
週末は泊まりがけで初期臨床研修時代の同期会でした。

東京からも佐久からも来やすく子づれや家族連れでも日帰りでも泊まりでも集まりやすいように軽井沢での開催。
遠くは名古屋から車で家族で駆けつけてくれました。



今回は同期の19人のうち14人が参加。
2年目に初めて開催されてから規模こそ違え9年間で7回目の開催でほぼ毎年開催されています。
同様の集まりは他の期でも開催されていますが毎年続いているところは少ないようです。

初期臨床研修制度がはじまった前の年で多くの研修医を採用した年でした。
(その後は毎年約15人)

近況報告や研修医時代の話しや誰がどうしたというようなうわさ話、今の佐久病院の様子など。
いろんな科や産業医、大学、他の病院などなど進路もいろいろ別れていて面白いですね。

今はMLやSNSなどで何となくつながっている人も多いのですぐに話しに入れます。
そして2次会はコテージで深夜まで飲んでいました。

佐久総合病院は「乗り降り自由」の列車に例えられる病院だから残った人も出てから戻る人も出て行く人もいろいろ。
いろいろ問題はありますが懐の深い病院ではあります。
他の病院や大学で研鑽を積んで佐久病院へ戻る人もチラホラ増えて来て清水茂文元院長のサケの里帰り作戦も成功しているように見えます。

これからも続けていければいいな。
幹事さんお疲れさまでした。

初期臨床研修の同期会

悪夢の地域医療破壊計画

2011年11月12日 | Weblog
まるでビジョンのないままTPP交渉参加に突き進む日本国の縮図のようなことが地方の一病院で起きている。

大学病院を含む大病院の多い松本二次医療圏に連続した人口約6万人、高齢化率約30%の大北地区にある2つの中規模病院のうちの1つである安曇総合病院は一体地域においてどのような役割を担う病院を目指すのか。

高齢者中心の医療に比較的フィットした内科と整形外科と精神科の3本柱を中心とした今の延長線上に丁寧な高齢者障害者医療、生活支援、生活習慣病などの慢性期医療をおこない在宅医療や居住福祉などの充実をめざすのか。
それとも、集約化の流れに反し、これまでやって来なかった脳外科や心カテなどの救急医療、そして放射線治療などのがん診療の強化をおこなうのか。


(2×2のマトリックスで病院の在り方を考える。)

ふってわいたような地域医療再生のための補助金に、病院の中でも地域でも議論も不十分なまま、”医療に詳しい”地元の県議会議院と、すっかり臨床現場から解離した院長と、2人にいいなりの前事務長が中心となって救急医療の充実、ICUの新設、がん放射線治療機器の導入というとりあえずの計画をたてて補助金の申請を県に提出したということがことの発端だ。
ふつうに病棟立て替えの計画で出してくれれば何も文句はなかったのだが・・・。

病院再構築ということばでぼやかされているが、これは緊急の課題である老朽化し耐震上も問題がある内科外科の病棟の立て替えとはまったく別の話しだそうだ。

この計画のおかしさはこれまでこのブログでもさんざんのべて来たが、臨床現場から離れてしまった院長や、夢見る政治屋には現場のニーズというのが見えないようで、時代錯誤の拡大主義から離れられないようだ。

しかし、この計画は現場に取っては悪夢である。

職員の多くが反対、あるいは無関心であり、計画を県に提出したあとになってアリバイ的に職員全体集会もおこなわれたり、コンサルタントを入れたり、再構築検討委員会が開かれたりしてはいるが、院長は自論を変えるつもりはないようで全く話しにならないのである。

院長が先頭にたって臨床をやっていたり、現在院内に新たに「がん放射線治療」をやりたい、あるいは超急性期医療を積極的にやりたいという医師やスタッフがいて頑張っているなら応援しようという気にもなるが、そうではない。
予防医療やリハビリテーション医療や在宅医療を推進したり、化学療法や緩和ケアを丁寧にしたり、ふつうの二次救急を断らないことがまず先だということは現場にいればわかる。
再構築検討委員会地域医療部会での声もそういった声が大半であった。

今いる現場職員の声も聞こうとせず大事にできないのに、医師やスタッフは院長が大学医局などに頼み責任をもって確保するのだというからあきれてものが言えない。
しかも計画が実施されるころには「独裁者」を自任する院長は定年となるが「自分は責任を取れない」と明言していた。
もちろん一介の県議にだって責任はとれるわけではない。

過剰投資をしても医師をはじめとしたスタッフや患者が集まらず赤字が出たところで県や市町村が補填しつづけてくれるわけではないのである。
病院経営上は赤字が必至でも地域に取って必要なものだというのなら、地域住民の納得の上で公立病院でやるか補助金を毎年だして委託するかにしてほしい。

身の丈にあわない急性治療(ICU)、がん診療(放射線治療)とその工事などを引っ張って来たということで、政治家が、病院が成り立たなくなるまでのあいだいい顏ができるかも知れないということだけのことだ。
現場は、そんなことにおつきあいしているほどの余裕はない。

地域ニーズからも明らかにズレており職員も???な状態の中でトンチンカンなことを先頭に立ってやりたい人はいないだろう。
このまま計画がすすんでいってしまうととんでもないことになるように思う。


(平成23年11月11日、信濃毎日新聞より)

しかたがないので、そんないい加減な計画は却下、あるいは指導してもらうように直接、厚生農業協同組合連合会や長野県(知事や担当の健康長寿課)にも訴えてきた。
しかし県議の暗躍のためか何と、ひも付きの補助金が有識者で検討された結果、4億1800万円(なんと半端な金額!)ついてしまうことになってしまったようだ。

このまま計画が走り出してしまうと職員のモラール(志気)は間違いなく下がるだろう。
医師などは離職し、いまのレベルの診療すらできなくなる可能性が高い。

事務長は頭をかかえているらしい。

これでは地域医療再生計画どころか地域医療破壊計画である。
地域医療崩壊への序曲になり、あらたな聖地が誕生するのだろうか?

「地域ニーズにも、病院の実情にもあわない計画でした。計画は取り下げます。病棟の立て直しのために使わせてください。それが無理ならば補助金は返納します。」と頭をさげるしかないと思うのだが・・・。
病院長や長野厚生連理事長の英断を期待したいが、もっともそんなことが出来るようならこんな状況にはなっていないのだろうが・・orz。

地域住民に粘り強く訴えていくしかないのか?。


目指すべきは大町病院と安曇病院の連携、協業、そして統合。
二次医療圏と「がん診療」
なぜ、安曇総合病院への放射線治療機器という話しに?
大北地域の医療再編と安曇総合病院の再構築私案

こころの病のリワーク支援とメンタルヘルス

2011年11月07日 | Weblog
11月5日に大北地区の医師会の集まりで精神科医とかかりつけ医の連絡会議、自殺対策緊急強化事業の講演会が松川村すずの音ホールで開催されました。

国から県におりて来た、わずかばかりの予算で自殺対策というのもおこがましいと思いますが、やらないよりはましでしょう。医療は生活保護よりもさらに下にある最期のセーフティーネットと言う場合もありますから、そこからうまく連携をとり一人でも自殺を減らせればと思います。

自分も先日「かかりつけ医のうつ病対応能力向上講習会」の講師をさせていただきました。
その時は、一般的なことも離しましたが、精神科は何をやっているのか、何が出来るのかということを主にお話させていただきました。抗うつ薬などの向精神薬の使い方。支援をうける事自体に支援が必要なのが精神障害であるということ、リカバリーなどの視点、多方面と連携しての生活再建などなど・・・。

本当は、かかりつけ医が、ゲートウェイとしてワンストップで医療の問題のみならず、よろず相談を引き受けられるようになり、あちこちと連携してパーソルサポートをおこなえるようになればいいのでしょうが・・。
いまの状況で、それをかかりつけ医に求めるのは難しいでしょうか?
(そういえば天理よろづ相談所病院という名前の病院があります。)

自殺はうつ病など病気もありますが、構造不況が続き、生活苦、借金苦などでの自殺も相当多いです。
家族がいなかったり機能していないなどあまりにソーシャルサポートが少ないという場合もあります。
様々な制度の活用、法律家との連携、健全な逃げ場などなどが必要ですが社会にはまだまだ足りないものばかりですね。
セーフティネットとして頼みの綱の生活保護制度は申請主義で隠された制度で、ハラスメントをうけるなど不条理なところも多いですが憲法25条の生存権を体言化した制度であり、生活再建に関しては、いまのところこの制度を使っていくしかないようです。
自殺の問題を考えることは、社会のあり方を考えることだと思います。

さて、地区医師会においても、うつ病の診療・支援基盤の強化事業での自殺対策緊急強化事業「講演会」が、松川村すずの音ホール会議室で開催されました。

講演会は「こころの病のリワーク支援とメンタルヘルス」というタイトルで講師は精神科医でセイコーエプソンの総括産業医である小木曽俊先生にお願いしました。



いろんな年代、バリエーションの「うつ」に関して盛りだくさんの内容で、昨今のリワーク事情に関して産業医の立場からの声も聞けて勉強になりました。

「抑うつ状態」として診断書をもってくる、いわゆる診断書的抑うつ状態には
1.典型的なうつ病(過剰な業務負担からうつ病に)
2.活動制の低いタイプ→上手く使ってあげれば良い
3.パーソナリティに問題のあるタイプ→BPD人間関係依存症、ナルシストタイプ
4.モチベーションに問題のあるタイプ(学生気分が抜けないなど)
5.その他、統合失調症、アルコール依存症など

という産業医的な視点も興味深かったです。

うつ病の療養中も職場側でも休職中でも2週間に1度~月に1度くらいはあうようにしているようです。

なかなか学生気分が抜けず、生活習慣が整わず社会人としての自覚がいまいちだった人が結婚するときちんとしてきたケース。
適応障害をおこしていて、違う職場にうつったら全く問題なく働けているケース。
うつ病に加えアルコール依存症があり自殺してしまったケース。
ボーダーラインパーソナリティ障害で職場が振り回されたケース。

などなど短い時間の間に、とにかく典型的なケースをいろいろ挙げての説明がありました。

後半はいわゆる自責感が乏しく他罰的な「新型うつ病」の話しが中心でした。
新型うつ病は抗うつ薬の効果も限定的で、認知のゆがみ、強いこだわり、人格のこだわりなどへの対応が必要です。

Dysfunctionではなく、そもそものLowfunctionに対しての対応。つまり人を育てるということですかね。大変ですが。

年功序列から成果主義となり、非正規雇用の増加など労働環境が激変しています。
工業高校卒で管理職になる人もいれば、大学院卒でも主任にもなれない人もいます。

産業医、特に精神科の産業医はメンタルヘルスに関わります。
メンタルヘルスの体制がきちんとしている職場は、いい仕事ができるいい職場です。

会議やミーティングが長い職場は問題職場です。つるし上げがおこる職場ではいい仕事はできません。
パラハラをおこしてしまう上司もいて、その人についた部下は必ずぶされるといったこともあり問題となります。
新人や転籍者に関してのOJTが機能し、コーチにあたる人がきちんと役割を果たすことが必要です。
結局コミュニケーションの問題に行き着くのですが、アサーション教育なども考えているようです。

メンタルヘルスの体制がきちんと取られており、休職中も面倒をみてくれ、リワークに適したルチーンワークなどもあり、育ててもらいながらリワークしていけるというのは恵まれた企業だと思いました。
いわゆる雰囲気づくりや、適材適所、リミットセッティングなど構造に対する働きかけは確かに精神科産業医が活躍できそうです。

臨床研修指導医講習会でも問題研修医の扱いなどで話題になっていましたがは研修医教育なんかでも全く同じことが言えそうですね。

しかし同じ「うつ」になるにしろ、どんな職場にいたかよって全然扱いが変わります。
診療していて公務員や大企業などはやはり恵まれているなぁと思います。傷病手当金などの休業補償もそうですが、復職にあたり様々な職場や仕事をもっていますから・・。
しかし非正規雇用(意味不明)も増えた現在、職域ではなくて社会がリワークまでサポートできるような仕組みが必要なのだと思います。

だれもが自分の能力を活かして活躍できる社会。
一人で苦しみ自殺に至ることなく健全な逃げ場があり、そこからリカバリーしていける社会。
「能力に応じて働き、必要に応じてとる、必要な時に必要なだけのサポートが得られる」社会を作っていきたいものです。

職場はなぜ壊れるのか―産業医が見た人間関係の病理 (ちくま新書)
荒井 千暁
筑摩書房


人を育てる時代は終わったか
荒井 千暁
PHP研究所


こんな上司が部下を追いつめる―産業医のファイルから (文春文庫)
荒井 千暁
文藝春秋


ケアする人のケア、ドロップアウト研修医のリカバリーなどは自分のテーマでもあるので、メンタルヘルス、パワーハラスメント、モラルハラスメント、組織論(経営学)、職場でのコミュニケーションなどについては前の職場にいたときに相当自分でも興味を持って相当、勉強と研究をしました。
特に荒井千暁氏の本はおすすめです。

TPPで考えた。マネー資本主義終焉後の世界。

2011年11月06日 | Weblog
TPPは経済問題でもない。(したがって経済学の理論でどうこういっているのは誤り。)
国や文化や民主主義をどう守るかという問題なのだ。
そして立ち向かうべきは相手アメリカではなく、多国籍企業・マネー資本主義・大量生産大量消費社会、文化侵略的なグローバリズムである。
FTA,TPPは、実はアメリカとその他の国家間条約ではない。
一見そのような体裁を整えてはいるが、実際はNWO(ニューワールドオーダー)が国家の障壁を取り除こうとして、グローバリゼーションを推し進めるための罠である。

こいったモンスターグローバリズムにはローカルの力で対抗するしかない。

地方紙ではもとより反TPPの論調も多かったが、TPP推進一色であった全国紙においても風向きが変わり始めている。
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たとえば毎日新聞

記者の目:TPP交渉参加は本当に必要か=位川一郎

内需を重視し地域自立型に。
貿易には資源を浪費し地球環境に悪影響を与えるというマイナス面があることも、忘れてはならない。
言いたいのは、もっと自国の足元を見つめようということだ。            

時代の風:TPP参加問題=精神科医・斎藤環
・・・TPP反対運動と、例えば「ウォール街を占拠せよ」と名付けられたニューヨークデモにおける人々の主張とは、格差社会への抗議と民主主義の擁護という点で一致することになるだろう。
・・システムよりも個人を、つまり壁より卵を擁護する立場だけは決して譲るまい、という覚悟・・



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密かに応援しつづけて来た民主党の逢坂誠二衆議院議員もブログで以下のように述べている。

おおさか誠二ブログ(11月5日)

(前略)
もちろん参加しない場合の
ジリ貧に対する処方箋も書かねばなりません。

しかしこちらは、
少しの間は、激流ではありません。

したがって今回の議論を奇貨として、
ある程度落ち着いて、
処方箋の内容を深めることができるのです。

私は、こっちの道を選択すべきだと思っています。

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私は、今回、残念だと思うのは、
目先の損得が中心の議論になっていることです。

そうではなく、
日本社会の大きなあり方を明示しつつ、
議論することが重要なのです。
(後略)
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11月5日の有楽町のデモで中野剛志京大准教授の演説でも・・。

有楽町に中野剛志降臨!演説(授業)動画と書き起こし・TPP交渉参加に反対する街頭演説会&デモ行進・民主党の山田正彦、原口一博、川内博史、小林興起らも・原口には帰れコール・2日連続で2000人参加!

第二次世界大戦前の政治家であった斎藤隆夫先生の演説を引用して以下のように述べている。

「我々が国家競争に向うに当りまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。
自国の力を養成し、自国の力を強化する。
これより他に国家の向うべき途はないのであります。
この現実を無視して、唯徒(ただいたずら)に【開国】の美名に隠れて国民的犠牲を閑却し、曰く【自由貿易】、曰く【経済連携】、曰く【農業再生】、曰く【アジアの成長】、斯くの如き雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一隅の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありますならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない!!!」
______________________________
そして是非みてもらいたいのが太平洋の向こう側の国であるアメリカ合衆国のウォール街でのデモの映像。
(日本語訳がもう少し丁寧なら良いのだが・・)
アメリカで、世界で、何が起こっているのかわかる。



「民間機関である連邦準備銀行(FRB)が制御の手の届かないところでいくらでも勝手に刷ることのできるドル札はもはやお金とはよべない。
インフレが隠れた税金として使われている。
金本位制を廃止し中央銀行を採用した1930年にこの国(アメリカ)は死んだ。
それから戦争ばかりしている。
10年以内に中流はいなくなる。1%が豊かであとは奴隷の社会になる。
企業を政治から追い出せ!連邦準備制度と部分準備銀行制度(信用創造)を廃止しろ。
戦争を終わらせろ!生産を米国に取り戻せ。連邦政府は国境を守るためだけにやとっている。
それ以外は市民の声のとどく州に権限を取り戻せ。
中東にいる必要はない!
兵器を売るために新しい国を侵略する必要はない!」

しかしアメリカではケネディ大統領をはじめこの支配の構造に手を付けようとした者はことごとく暗殺されて来た。
オバマ大統領も当初手を付けようとしたが、手を引いたようだ。
この若者は大丈夫だろうか?と思ったが、マイケルムーアも「シッコ」や「華氏911」なんて映画も作って明らかにしているし、きっとこういうことはアメリカ一般市民は皆知っているのだろう。

マネー資本主義はそれでも手が付けられないモンスターになっているということなんだろうか・・・。

アメリカで「TPP」を推進して米政府を操る黒幕たちの正体

TPPは全世界で反対されている、自由貿易ではなく公正貿易が必要

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個人の命、生活、地域社会を大切にした上に、グローバルなシステムに関わっていくというのが順番のはずなのだが、それが逆になってしまっている。まさにモンスターだ。

しかし世界は確実に動いている。

2011年9月にウォール街からはじまったデモは日本も含めた世界中に広がっている。
情報革命の力も得て、国をこえた連帯が巻き起こり、今後この、虚構の世界のモンスターであるマネー資本主義体制は断末魔をあげ崩壊にむかうだろう。
そして時代はグローバルではなく確実にローカルに向かうと思う。
ただしかつての閉塞的なローカルではなく、ITも使われることで世界とつながり盛んに交流がおこなわれるより精神的には自由なローカルだ。

ただこういったマネー資本主義終焉後の世界へどう平和的に移行していくかという青写真はまだ見えない。
(江戸時代やキューバなどヒントはあるのだが・・)

この潮流のなかで日本という国は、どうあるべきなのか、国際的にどういう役割を果たしていくのかというのが、今後考えていくべき政治課題であると思う。

医療は技術的な面ではグローバルなところもあるが、技術をどう適応するかと言う点において医療は文化であり文化はもとよりローカルなものである。
また、医療は市場やビジネスやサービスではなく、インフラであり愛である。

もとより病人や障害者といった弱者を対象としている。
人の命や生存権を喰いものにすることは許されない。

大企業栄えて国滅ぶ。騙されてはいけない。TPPは完全なる罠だ。


「コミュニティカフェ野の花~Da・Monde」

2011年11月03日 | Weblog
私もお手伝いさせていただいている地域づくりと障がい者支援のNPO法人「ほたか野の花」の新拠点となる野の花茶屋(仮称)の改修工事が本格化してきた。
2012年の1月の完成を目指して改装中だ。

思えばよくここまで来たものだ。
(助成金の申請や設計交渉など理事長さんおつかれさまでした。)

 



場所は穂高駅前通りと旧道の商店街が交わる交差点の近くの古い建物でもともとお味噌屋、その後は種苗店であったところである。
自動車社会となり穂高でも小さな商店はなくなり、地域にあるお店はスーパーやインター近くのショッピングモールやバイパス沿いの大型店とコンビニが中心になってしまった。
旧道の商店街でも閉店した店が増えているが、よくみるとまだまだ営業している店もある。
車通りの比較的すくない旧道は、千国街道(旧塩の道)の保高宿にあたり、この場所を拠点に「まちかどウォークラリー」が企画されたりもした。
商工会などが中心となった安曇野YOSAKOIソーランや古本市などのイベントもこの近くで開催される。
飛騨高山のようにとまでは言わないが、穂高駅、穂高神社、碌山美術館~大王わさび園のあたりをレンタルサイクルで往復する観光客もいる。
歩いて楽しい町になれば可能性があると思う。
この場所に店ができたら面白いスポットになるだろう。

精神障がい者の居場所、働く場が主目的だが、地域再生の鍵として、カフェ、有機野菜の販売、よくあるがタイヤキとたこ焼きの販売、お弁当の販売、配送、作業スペースと憩いの家、場合によっては宿泊など・・・。
多機能に使用できるコミュニティカフェである
もちろん、街づくりと精神障害者の働く場が主目的で形としては就労継続B事業所+αとなる。

すぐ近くにはグループホーム「月の木」もある。
目指すのは「あきこう前茶屋」か「うちの実家」か、「浦河べてるの家」か・・・。

工事は大工さんやいろんな職人さんの協力を得ながらすすめている。
日本財団の助成金もいただいているが、少しでも安くあげるべく11月4日の棟上げを直前にしてメンバー、理事、支援者etc.の関係者が総出で自前での清掃をおこなった。



商店のための看板や立て増しされていた壁が抜かれ構造物が取り払われたりでかなりスッキリしており、外部には風呂場やトイレの水回りなどの工事もはじまりセメントがうたれていた。
建物の中には材木が運び込まれていたがすべて番号がふられホゾがきられており大工さんの頭の中ではパズルのように完成した形が浮かび上がっているのだろうかといたく感心した。

 

ススとホコリで真っ黒に。コウモリのフンなどもたくさんあった。
材料が全て自然に帰る木と藁と土と石だけで出来ているのが驚きであった。



天井に貼られた新聞紙をはがす作業をした。
明治45年4月5日の信濃日報!。これで聞いていた通り築約100年となるということが確定した。
はがす作業をしながらついついかいてある内容に目がいってしまう。



おにぎりや漬け物、お菓子、果物などで休憩しながら野の花茶屋(仮)の正式名称をブレインストーミング。
「アナグラ」「カフェ・野の花・ダ・モンデ」などのアイディアが・・・。
「だもんで」は方言で「~だから」という意味です・・・。「ル・モンド」みたい。

<参考エントリー>
「あきこうまえ茶屋」の番組再放送
コミュニティカフェの聖地?「うちの実家」