リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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思うところがあってFC2ブログに引っ越しました。 引越し先はこちらで新規の投稿はすべて引越し先のブログのみとなります。

コンピューターウォーズ

2006年10月31日 | Weblog
 コンピュータへのアフィニティに関してジェネレーションの壁というのは超えることができないもののように感じる。

 いくらコンピュータを扱ってきた世代でも、年配者の多くと、若い世代とはコンピュータに触れている時間が圧倒的に違う。リテラシィに差があるとしても仕方がない。
 
 写経や伝言ゲームのような作業を好み、それで仕事だと思っている人も多いようだが、コンピュータシステムに任せれば人間がやるよりはるかに上手くできることがらに関して手書きや手作業を強要されるのはたまらない。

 これはもはや世代間の戦争なのではないかとすら思うことも多い。

 意識するしないに関わらず、コンピューターやコンピューターのネットワークは我々の生活でなくてはならないものになってきている。人間は道具を作り使うことで発展してきた。人間はコンピュータを自分の一部としてうまく使い、人間でなくてはできないことに能力を発揮すべきだとおもう。

 もっとも コンピュータも道具としてより誰にでも直感的にわかりやすいユニバーサルなものに、信頼性をおけるものへと進化させていく必要もあるのだろうが。


みさと健和会との交流会

2006年10月29日 | Weblog
 埼玉県の三郷市にみさと健和病院という病院がある。またそのグループで東京の千住近くの下町、柳原に柳原病院という病院があり、診療所もたくさん持っている。一昨年柳原リハビリテーション病院という回復期と療養型の病院も新しく作った。

 みさと健和会は「下町に佐久病院を」という思いで創立された民医連系の団体だ。佐久ほどは大きな病院ではないが、地域医療、在宅医療などではよく知られた有名な病院であり、日本の訪問看護のはしりでもあり、「東京下町、柳原を日本のデンマークに」の掛け声のもと、福祉機器の利用や時間巡回型のホームヘルプサービスなど精力的に地域ケア活動をおこなっている。

 佐久病院とは規模やフィールド、設立母体こそ違えど、ニーズに応え地域に必要な医療を提供して行きたいという思いは同じであり、何年も前から、研修医やスタッフ、双方の医師が行き来して双方の施設を見学、勉強会、交流会をしている。

 今年度は若月先生の追悼ということもあり、小海に招き「地域医療の研修」をテーマに発表、ディスカッション、食事会、飲み会がおこなわれた。

 佐久、みさと、双方の研修医や先輩医師の思いを聞けたのもよかったが、小海、柳原で活躍されている先生の実践の報告がどちらもすばらしかった。病院でどこかうわついた、コマギレの医療ではなく、地に足をつけ、とことん付き合う主治医機能を果たし、地域とがっぷり四つに組み、どっぷりと地域社会につかった医療をやっているので迫力ある話でありとてもまねできないと感じた。

 医療はすべからく地域医療であり、第一線から専門医療まで医療のどの分野を担うにしろ、地域医療で無い医療などありえないが、はじめから専門化、細分化した医療をやっていると医療のどの部分をになっているのかというのが見えにくくなってしまう。

 だから早いうちに地域に出て行きニーズを肌で感じ、地域の人の生活を知る機会を持ち、地域に出て学ぶ(というより感じ)、地域に対するアンテナを立てる必要があるというようなディスカッションがおこなわれた。

柳原リハ病院のずっと診療所などで医療をやってこられた先生の、自分はリハなんてやるつもりは全然なかったが、地域で必要で自分しかやるひとがいなかったからしかたなくやっている。医療をやるということはそういうこともあるんだよ。という言葉が印象に残った。

あちらの先生の話を聞いていると、ぜひ、いつか柳原にいってみたいと感じた。

 個々人的には柳原リハ病院の、PHPで安価に独自開発したというWEBベースのリハシステムには非常に興味がある。1人の腕の立つSEがいれば必要十分な情報システムというのは作れるのだ!ということ(*゜ー゜*)。カスタマイズできない大手のシステムはダメで、地域医療と同じで使う人にあわせて作っていかなくてはいけないものなのだろう。(だからシステム会社がこんなにたくさんあるのだ。)

さて今日は救急外来当直。週の初めからズタボロだー。

これからの病院情報システム

2006年10月27日 | Weblog
 とほほな某F社のオーダリング(ですらない、物品発注システム)を補完するためだろうかクローズドな院内ネットワークに、なんとかボウズというグループウェアが導入されている。

 しかし運用方法が定められていなかったため思ったほどの効果はあがっていない。会議室の予約や院内メールで少々つかわれてはいるようだが、職員の数にくらべ端末がすくないこともあり「1日1度は○○○ボウズキャンペーン」をやっても毎日見ている人はあまりいない。病院マネジメント層に院内メールを直接だしても返事がくることはなかった。クローズドなシステムなので自分にフィットするようにカスタマイズされたパーソナルコンピューターででファイルを作成できないのも痛すぎる。

 結局、伝達事項は紙でまわってくるし(しかしモレモレ)、グループウェアの掲示板で熱い議論がかわされてもそれが病院運営の意思決定に反映されることはない。当直表ですらグループウェアでみることができない。結局どこを見ていれば必要な情報がえられるのかが全く分からない。

 医局員の会議も医局員全員が入れない部屋で行い、出席できなかった人へのフォローもない。重要なことはいつの間にか決められ、その伝達が不十分で現場が混乱している。そもそも情報伝達や共有の仕組みが不十分なのだ。

 せっかく導入されたグループウェアを使って業務をうまく行おうといろいろやっていたら、グループウェアはセキュリティが不十分で職員はだれでも見れるので患者さんの名前等個人情報は載せてはいけない!いわれた。(鍵をかけたりできるはずだが。)
 共有ファイル上にエクセルファイルをおいて入退院を情報を医事課やMSWと共有するのですらダメらしい。院内報などの原稿はつい先日までフロッピーで提出!!と言われていた。あきれてものも言えない。

 結局、院内をメッセンジャーが紙ベースのものを運搬し、メールボックスにはさまざまなお知らせプリントがあふれ、掲示板に掲示があふれる。伝達は情報の発信から数日おくれる。

 
 医師が一つ何かを頼むのにも端末の前に座りオーダーを出し、シールで印刷したものをプリンタまでとりに行き、紙切れや紙詰まりを直し、カルテに貼り、サインをして、パートの看護師を探し、口頭で指示をだす。とえらい騒ぎだ。病棟スタッフのオーダーだけでももう少しシステムでできればいいのだろうが結局カルテに書いた指示を拾い集めノートに転記してそれを口頭で送るという伝言ゲームを繰り返すうちに内容がかわってしまったりする。結局、コンピュータに入力する手間がふえただけ。泣きたくなる。
 カルテが手元にないときに、そのオーダーや検査結果のあとで多少見えるくらいのメリットしかない。

 検査結果の伝票類やX線写真やMRIなどの画像もメッセンジャーが院内を駆け巡った挙句、やっととどく。すぐに見たいときに読影のために放射線科にあるのか、メッセンジャーが運搬中なのかわからず追いかけっこをすることもある。伝票類は手作業でカルテに糊ではる。入院退院にあたり書類が山のようにありオーダリングからの入力は可能だが、それぞれに書かなくてはならない。入院時のスクリーニング系の書類、褥創や栄養などの評価票や、転棟や在宅登録のプロフィールなどはネットワークで自動であつめられず、紙で打ち出したのをメッセンジャーが運んでそれをまたエクセルなどに入力している始末。テンプレート類のテキストの右端を主導で改行しないと印刷時に切れてしまうのは仕様らしく3年も治る気配がない。

 病院がこれだけひろくてみんなばらばらで動いているのだから、なにか束ねるツールがないとどうしようもないのだが・・・。PHSばかりが使われ、それほど緊急でもない用事に、こっちが何をしているかお構い無しに直接PHSに連絡が入り仕事が中断される。

マジでブチ切れ5秒前だ。

これからの病院情報システムにあらまほしき機能として以下をあげる。

 ・情報共有、タスク管理の機能。
 ・ユーザーが必要な情報のみフィルタをかけて表示できる機能。
   (ユーザーごとのコクピットページ)
 ・未来へのプロジェクトマネジメント機能。
 ・地域との連携機能。(保健、福祉)
 ・コミュニケーションのためのグループウェア機能。
 ・アウトカムのデーターベースとの連携。
 ・使う人にあわせたカスタマイズ機能。
 ・知的財産管理機能。
 ・患者さんが利用できる機能。
 ・しっかりとしたセキュリティ。
 ・メンテナンス性のよさ。
   (ローカルにはデータを残さない)

 セキュリティと使い勝手のよさは相反する部分もあるが、これらを考えるとやはりWEBベースのものということになる。Googleの一連のソフトウェアのような使い心地のものならよいのだが・・・。
しばらくは院内のシステムはあきらめて、自分の周りのチームでは結局インターネットのメールやグループウェアを中心に利用していこうと思う。個人的に使う道具はFileMakerなどで開発していけばよい。それなりのものはできるだろう。

 オーダリングシステムの導入は苦労だったとは思うが、どうも使いにくいシステムなのは、それまでITと縁がない世代がマネジメントの中心にいるのこともあるだろうし(重視していない)、結局使う人がシステムの導入、運営にタッチしていないからこういうことになるのだろう。いきなり電子カルテにするとついていけない人がたくさん出てくるからとのことでオーダリングのみの導入だったのだが・・・。結局業務量がふえただけのような(少なくとも医師にとっては)結果になってしまった。

 これまでの病院全体のシステムと情報システムが切り離され、統合した動きができず、屋上屋を架したようになっているためだろう。電子化にあたってはITと病院の業務、組織のマネジメントなどを理解できるマネージャーが必要なのだろうがなかなか難しいですなぁ(´・ω・`)。
 

Googleは神か悪魔か?

2006年10月24日 | Weblog
Googleの勢いがとまらない。

 かつてブラックホールOSとよばれたWindowsでマイクロソフトがネットスケープやロータス123、一太郎(Atok)などを駆逐していったように今度はGoogleがWEBベースであらゆるソフトを取り込む勢いだ。これら全てを無料で使えるビジネスモデルをつくりあげたGoogleはWEB2.0時代のあらたな王として君臨しつつある。

マイクロソフトも追撃するがエクスピエリエンス・カーブ理論によるともう追いつくことがでけきない。

 なによりGoogleはマイクロソフトより自由な感じがする。そのイメージだけでも勝ち(Value)だ。パクスマイクロソフトからパクスグーグルへと時代は確実に変わりつつあるのだろう。

 PicsaやGoogleディスクトップ、Googleツールバー、Googleマップなどは利用してきたがこのたびGMAILが登録制になったのを期に使い始めてみた。全てのメールをGmailに集約し、OutlookからGoogleカレンダーに乗り換えてみた。これがどちらもなかなか使えそう。
 PHS+無線LAN環境でモバイルノートの常時接続を実現しているのからこそできることなのだが・・。

 カレンダーはAjax(エイジャックス)をつかったインターフェイス。データーをローカルにおかない仕組みで、予定の直前に携帯メールをおくってくれるリマインダー機能などWEBベースの軽いソフトで安定感、安心感がある。 GMAILは2G超の大容量でメールを削除する必要はない。強力なフィルタによる振り分け機能、検索機能で秘書の役割を果たしてくれる。

 タグブラウザ(IE7)のディフォルトのホームページにブログの編集ページ、Googleカレンダー、Gmail、Remember the milk、Mixiを登録しておけばGTD、Life Hack対応の最強のコクピットとなり、情報収集と発信、スケジュール管理をすべてできてしまう電子秘書が出来上がる。FileMakerなどで自作してローカルでこれやろうとしていたがプログラミングの腕もない自分では満足いくものを作りこむことはできなかった。(しかし今後はWEBブラウザを融合したFileMakerPro8.5でローカルとWEBを自由に行き来できるプアマンズセクレタリーともいえる個人システム(ADHD補完システム)を作るつもりだ。)

 ネットワークに常時つながった1kgのタブレットPC(LOOX P)を常に持っていると、まさにそばに秘書がいてくれるような感じである。コンピュータとネットワークの発達ですべての人が秘書をもてる時代になったのだ。

 コンピューターはさまざまな知識やデーター予定を頭の中においておかなくてもいつでも利用でき紙メディアとくらべても検索性、保存性、共有性に優れている。即時性と一覧性、アクセスのすばやさなどの利点を持った紙メディアとお互いの利点を活かしつつ併用するとかなりいい感じである。

 ローカルの端末が壊れてもデーターやアプリケーションがWEBベースであれば打撃はそれほど受けずにすむ。(逆もあるのでこれは相互補完的なものと考えたほうがいいだろう。しかし少なくともローカルにのみデータをおくのよりは安心できる。) ネットワークの発達で情報はなるべくローカルに残さずにWEBストレージに蓄え、WEBベースのアプリケーションを中心に利用する時代はすぐそこまできている。

 Googleは神か悪魔か本気で天下をとりに来ているように見える。 WEBベースのソフトが中心となればもはやプラットフォームはWindowsである必要はなくなる。Linuxなどオープンソースのソフトだけで必要十分なシステムが作れてしまう。まもなくEXCELやワード、パワーポイントに変わる実用的なWEBベースのオフィスソフトも登場しそうだ。

 ネットワークにべったり頼るようになるとそれはそれで、どのくらい信頼を置けるシステムなのか?個人情報保護はどうするか?情報漏えいはないのか?バックアップをどうするか?などの問題もでてくるが、次の時代が見えてきた気がする。  

北海道地域医療研究会へ参加

2006年10月22日 | Weblog


北海道地域医療研究会へ参加。
北海道へのこだわりがあって、これだけは卒業前から毎年参加している。

今年度は昨年度ほどの盛り上がりはなかったがなかいい集まりだった。

前沢教授や、越後湯沢で活躍されている村上先生(いよいよドクターズマガジンにも登場)や穂別の一木先生、行木先生をはじめ、お世話になった先生方や同年代の同士にも会うことができて元気をいっぱいもらった。

ずっと北海道へもどるもどるといっていながら、もどれないので少しでも役に立てることはあるかと、今年は事例紹介ということで、初めて、今自分のいる病院の研修の経験や地域医療のシステムを紹介させていただいた。

八ヶ岳の向こう側の諏訪中央病院の鎌田實先生の公演の直後の発表だったので緊張した。

その鎌田先生の話は公演中に音楽を流したり、以前聞いたときより数段、洗練されていた。本日は公演のはしごだそうで、終わるやいなや新潟へ旅立っていかれた。お話できなかったのが残念。

「若造が、大学の教授の授業をちょっと手を加えたくらいの話を地域の人や患者にしても行動変容にはつながらない。こころに響く話をしなくてはダメ。」との話、たしかにそうだよなぁと思った。

 医学的、統計的事実は事実としてそれをどう伝えるかというトレーニングは学部、卒後の教育の中ではほとんどなされていないに等しい。相手によって同じ内容でも伝え方は変えていかなくてはならない。むしろ患者さんからは人生の先輩として教わることのほうがよっぽど多い。アサーティブやコーチングなどやり方はいろいろあるのだろうが、実践の中で、いいとこどりで自分で身につけていくしかなさそうだ。

 鎌田先生、5年前は、年間の講演会は20回以内に制限しているとおっしゃっていたが、いまは医療とこの国の行く末を心配して社会活動と経済活動をかねて精力的に動き回っているのだろう。
さすが学生運動の闘士の生き残りだ。(地域医療はこの手の医師が多い。)
チャリティでCDをつくったり障害者の旅行を企画したり本当にアクティブである。


事例発表で、すごい!と思ったのは寿都(すっつ)の話。。
道立病院から町立の有床診療所への転換へと成功し、今度はハードも新しく計画中とのことだ。

中川先生(年次で一つしか違わない!!)の情熱、実行力もすごいが、地域医療の先進地であった瀬棚にもなんども足を運び、カレスの家庭医療センターにも詣でた裏方の道職員(いまは町職員)もすごい。この出会いがあっての奇跡だろう。
いまも所長の中川医師と毎日話をしてチームで地域診療所の活動を盛り上げている。
カレスアライアンスはスタッフをパッケージで派遣しているが、それをどのように地域に根付かせて展開していくかが問われているのだろう。

寿都(すっつ)は新たなモデルとして注目が集まりそうな予感。エース村上先生もいろいろ考えているようで、ダイナソア佐久もまけちゃおれん。

北海道は底力はあるし、これから面白くなります。

リハビリ支援システム

2006年10月18日 | Weblog
 リハメイト(鹿児島ネットワーク技研)というリハビリ管理システムのデモを見た。
予約や医事会計との連携、記録、などはさすがによくできている。
そのまま導入してもかなりの省力化になるし、記録のみ見られる端末を院内に置けばリハの状況もわかるようになるだろう。


 しかしリハ科、特に訓練室完結型であり、多職種でのチームによるアプローチという点においては物足りない。
リハビリテーションも狭義の訓練室での治療という側面から、障害対応のチーム医療システムという風に変わってきている。リハカンファレンスや回復期との連携、役割分担、退院支援の深達状況、地域との連携などが盛り込まれていないのもものたりない。いわばReha1.0の思想で作られたものであるといえるだろう。

 病棟でのリハと情報共有を主目的としたシステムとしては(Reha2.0にあたる)としては初台リハビリテーション病院と開発したリハビリテーションシナプス(MBTech)というシステムがある。

 ただ情報共有を主目的として、プロジェクマネジメントおよび地域ケアのサポートまで一連の流れで使える(Reha3.0にあたる)地域医療支援システムは今のところ見当たらない。今あるものを組み合わせて、あるいは新しくつくっていくしかないのだろうか。

電子カルテの導入はチャンスだと思うがどこまで病院が本気になってくれるか。

こころの僻地、わたしの主治医

2006年10月14日 | Weblog
多くの現場の人の感動をよんだ、NHK、ETV特集の伊関友伸さんの「心の僻地」発言。

心が僻地だから医者は来ない。
住民は医療者の立場になる事も必要だ。
ちょっと体が心配だからって、夜中でもなんでも、
医者が叩き起こされるような病院では、
医者は黙っていても立ち去る時代。
僻地は都市から遠い所にあるんじゃない。
そこに住む人の心にあるんだ。
心が僻地じゃなければ、地理的にどんなに遠い所でも医者は来る。

『こころの僻地』というとことばの出所は2chらしいのですが・・・。
これは自分のこころの師匠である国保瀬棚診療所の村上先生がよく主張していたことと同じ。

先生は、

「結局は住民が医者を追い出しているんだよ。」
「だから、みんなが賢くならなくてはならない。」

とおっしゃっていました。

「医師や看護師はマゾヒストの集団ではない。」と ある医師のブログでは言っていました。

ちゃんとやっていても、不可避なことや、個人レベルではどうしようもないことでも、予想外のことがおこれば患者からの訴訟やマスコミからボロボロにされてしまう現実。

医師に権限(しかし本当に肝心な権限はない。)と仕事(雑用も含め)、責任、義務(患者や住民と分担すべきものまで。)があまりにあつまりすぎています。


それなのに現場を知らないコントーロール欲が強いだけの人(結局は市民の姿を反映)が予算や人事のマネジメントを握ってしまい、両手両足を縛られた状態で飛べという。

医師は、やりがいは確かにあるし面白い仕事なのですが、残念ながらよっぽどのスーパーマン、かつマゾヒストでないと勤まらない職業になりつつあります。

かならず出てくるのは医師は足りているのか足りていないのか、必要なのはジェネラリストかスペシャリストかという議論。

全体として医師は足りていないのでしょうが、配置の問題の方が深刻です。

年俸性をとっている病院も増えてきましたが、多くの病院では、命に関わりない9時5時の科でも24時間拘束の科でも勤務医の給料は基本的に同じです。

当然、リスクの高い科、そしてしんどい科ばなれが進んでいます。
ますます増えてきた女性医師の働く環境のひどさもあります。
出産、育児と仕事を両立できる環境から程遠い現実。

スペシャリストは確かに必要ですが、診断屋、人体修理屋ばかりいくら増えてもバラバラに動いていては意味がありません。
トータルなマネジメントがないと逆に患者や住民を不幸にしていることも多い気がします。

患者、家族、それぞれの人の生活を知り、健康問題を中心にトータルでマネジメントできる主治医としての能力、機能をもった人が必要です。
そうでないとスペシャリストやコメディカルの能力は活かせないし、患者は主治医不在となり医療難民と化します。

それは家庭医やプライマリケア医とは限らず、可能ならスペシャリストでもいいですし、できるなら患者自身でもいいのです。

新研修制度となり、多少はましにはなってきているのだとは思いますが、医学教育においては、さまざまな能力を持ったコメディカルや地域の能力をひきだして協業できるマネジメントや、患者自身に賢くなってもらうエンパワメントのトレーニングはうけるチャンスはまだまだ少ないように思います。


※「主治医」

(疾患の種類によらず心身各部の診療の求めに応じ、継続して患者の生命と生活に責任を持ち続ける医師(川越正平 (あおぞら診療所所長)の定義。)

イギリスのGPや、介護保険制度下でのケアマネのように、医師も主治医機能を果たすべく責任を明確にした形で登録性のようにはできないものでしょうか?と考えています。

主治医機能のバトンをわたしそこねて、主治医不在の期間ができたり、いろんな科にかかっていても結局、主治医がいなかったり、開業医も主治医機能を果たそうとしなかったり。

患者が「わたしの主治医カード(仮)」を医師に預けるような形にするとか。(もちろん自分で持っていてもいいのです。)
そして、医師はその数に応じた報酬も受け取るという仕組みつくれないものでしょうか。

「日本の、これから」医療安心できますか?

2006年10月14日 | Weblog
 NHKのどうする「日本の、これから」医療安心できますか?という討論番組をちらり見た。

勤務医、開業医、日本医師会長、医療ジャーナリスト、患者代表、厚生労働省官僚など論者をあつめた討論番組。まぁ、予想通り多少ピントを外れたことを言っていた人もいたが、進行も上手でなかなかよい議論だった。

 社会資源は有限であり、すべての人に最先端の高度医療をもたらすことは不可能だが、ベストエフォートでベターを目指すことは必要。限られた医療費のパイ(パイが小さすぎるという意見もあるが)をコスト効率を考え、薬品産業や医療機器メーカ、人件費、事務部門などでどう配分し、患者、市民の幸福に寄与できるかという観点も必要だろう。現場の声も聞いて、政治家、役人はがんばって欲しい。

 市民には、『医療はサービス業ではなく安全保障、社会共通資本であるという認識』をもって共闘して欲しい。医療の使い方を上手になってほしい。

 現場の医療従事者は大変な状況であるが、限りなく変化していく中で最善を尽くすしかない。ただただ立ち去るのではなく力を合わせて現状を変える力となって欲しい。

 ジャーナリストには医療者をただたたいて医療不信をあおるだけではなく、きちんと現場にも来て伝えるべき情報を伝えて欲しい。(やっとそういう流れになってきたが。)
 
 アンケートでも「高負担で十分な補償」と答えた人が「低負担で市場原理」を望む人よりも3倍くらいいた。希望の持てる結果だろう。

 非医療者は、健康や死のことを医療者にアウトソーシングしてしまうのではなく、医療の現実や自分の健康、死について責任をもって考え、医療を育て、医療を上手にりようできるようになってほしい。

 そのためには医療現場からの発信、情報公開がもっともっとなされなければならないのは言うまでもない。

あたらしいエンゼルメイク

2006年10月13日 | Weblog
 なくなった方に対しては死化粧をし、全身の穴に綿をつめ、死後硬直であごがしまらなくなったりしないような処置をし、ご家族(そして葬式産業)に引き渡す。 
 忙しい診療業務の中でこれらを丁寧にすることは難しかったのだが、連続する生から死へと引き続くケアの一部としてこれらをもっと丁寧にやれないかというころからエンゼルメイクをなんとかできないかという声があがった。

 地域で年間100人以上看取っている在宅医療を中心とした部門である地域ケア科の看護師、訪問看護師を中心にあたらしいエンゼルメイクのやり方を勉強して広めている。勤務時間帯によばれれば病棟に赴き病棟Nsとともに行うこともある。

中心となってやっている看護師いわく、

 「いままでやってきたのはなんだったのか?」

というくらいのインパクトがあるようだ。

 清潔やマッサージを丁寧に行う。安いありあわせの化粧品ではなく、エンゼルメイク研究会の考案した本格的なエンゼルメイクセットを購入(高価)し、それを参考にそろえたエンゼルメイクセットを各ステーションに配置する。またあわせて勉強会をおこない院内にも広めていく試み。





エンゼルメイクに対して5000円や10000円の料金をとる病院もあるようだが、いまのところ実費(1050円(税込み))のみ。


 自宅で見取らせていただいた方の死後の処置の場面に立ち合わせていただいた。家族とともにマッサージやメイクを行い、生前の写真なども見ながら「その方らしい」お顔に、再現することは確かに家族のグリーフケアにもなるすばらしい試みだと思う。

参考: 小林光恵さんの本

救急外来のチームワーク、フットワーク

2006年10月13日 | Weblog
・・・・当直明け。

やっと引継ぎも終わり一息ついて、通常業務にもどれる。明け方に救急車が来ると入院させた患者さんの回診、指示だしや引継ぎができずに入院が多かった日は大変だ。結局、1時間くらいしか眠れず・・。カフェインでつないでいるような感じ。

 救急外来(昼間は総合外来)の看護師さんたちは専任で頼りになり、救急対応も慣れているのでやりやすい。研修医も動けるようになってきた。 同期が上(ICU、救急車対応中心)の当直で、小児科の当番も同期で頼みごとや相談もしやすく、きびきびした動きでフットワークよくやりやすかった。

 他の病院から、ドックにかかったことがあるだけで、「そちらの病院のかかりつけの患者さんですが。」とか、他院に長期入院中で、過去に救急外来に一度きて、またもどって入院しいる方がが、「そちらで見てもらっている患者さんですが。」とかいいって紹介状の記載もほとんどなく紹介してくるのは勘弁して欲しい・・・・。

 また、深夜に不信感丸出しで小児科の先生はいないんですかと、あからさまに不機嫌な顔で怒鳴られるのも(そういう患者にもなれたが。)勘弁して欲しい。医療資源は有限なのだからトリアージということがあるというのも理解して受診して欲しい。救急外来の担当が、緊急度を判断して必要と判断すればどこまでも呼べる体制はとっているのだから・・・。


 しかしいつもながら外科系の当直は救急外来でほとんど見ない。結局、緊急の手術や専門的処置ともなると各外科(整形外科、脳外科、腹部外科、胸部外科、心臓血管外科など)の医師を呼んでお願いすることになるし、小外科(縫合など)は研修医も対応するのでICUと救急外来に2人も外科系医師を配置する必要性はうすい気がする。(この意見もずっとある。)

 あるいは選任のシフトで動く救急部と救急ベッドをちゃんとつくってマネジメントできる体制をとって欲しい。(この声もずっとある。)それが無理なら、せめて内科系当直を増やして準夜帯(~0時まで)と深夜帯(0時~朝まで)に分けて配置できないのか、そうすれば深夜帯の入院は少ないので朝動ける。(当直回数が増えるので嫌という声もあるが。)
 あるいは入院受けの医師を配置するなどの体制はとれないものか。ただ当院は原則、主治医制をとっているチームが多く、医師はみな病院の周囲に住んでいるので病棟当直というものはそもそもないから難しいか・・・。

 昔はみんなそれでやっていたなどといわれても、もはや狭い地域の患者さんのみを相手にしている小さな病院でもはないのだから、真剣に考えなくてはならない時期なのだと思うが、救急外来にでることのなくなったマネジメント層の医師はいまいちピンと来ていないようだ。事故が起こらないように祈るのみ。

若月俊一、お別れの会

2006年10月08日 | Weblog
かつて国際農村医学会も開催された佐久総合病院の教育ホールで「若月俊一」お別れの会が行われた。



職員の献花、それからOBや地域の人、若月を慕う人が全国から3000人以上集まり別れを惜しんだ。一つの時代がおわったことを痛感させられた。
 
 病院前では、パネル展示や若月の声の映像の紹介があった。当院を巣立っていった研修医も何人か来ていた。昔からの職員には懐かしい創立当初の人たちも大勢あつまったようだ。



 今の佐久病院は混乱を極め、ある意味、危機的状況ではある。

 しかし、60年前にほとんど0からはじめたことを考えると、それでも今は恵まれている状況なのだろう。

 地域出身の人のもならず、全国から若月の影をおってくる若い人(特に医師)がそれでもあつまる状況がかろうじてのこされている今のうちに何とかしなくてはならない。

 地域のニーズをリアライズすることで大きくなってきた病院ではあるが、今の厳しい医療情勢の中、いかに上手く、それこそ「農民(地域住民)とともに」この地域のニーズに応えられる医療をつくっていけるかという課題が突きつけられているといえよう。

 若月が農村でおこなってきたのは医療の民主化だという。しかし、それでも3割しか実現できなかったという。いまはそれが2割くらいまで後退しているように思われる。

 今後、佐久病院は、地域医療センター(臼田)と高度医療センター(北中込?)とに分かれて再構築する話がある。

 しかし、再構築に当たって忘れてはならないのは、「医療とは文化でありきわめてローカルなものである。」ということだろう。清水茂文前院長もよく言うように他の病院以上に佐久病院が果たすべき使命は「地域性、社会性をもった医者をそだてる。」ことなのだ。

 地域にそのままつながる地域医療センターで支える医療、寄り添う医療、ともに作る医療を担わなくてはならない。地域医療センターでは地域の実情を理解しつつ主治医機能を果たせる医師をあつめ育て、世界の先端医療にもつながる高度医療センターに集積された技術、知識を必要に応じてコントロールしながら利用できるような体制を築いていかなければならない。生物医学的に100点のことはできなくても都会ではできない細やかなケアが可能となりトータルでみるといい医療ができることもあるに違いない。

 新幹線で1時間ちょっとで東京までいけるような高速交通網をつくってしまった現在、高度医療センターでどの程度のことが必要かなどということは議論が必要だ。どの地域の医療のどの部分を責任をもって担うのかということを突き詰めて考えなければならないだろう。

 農村ローカルなテーマ以外の分野で、純粋生物医学的なテーマ、数を集めての高度先進医療で勝負するなどということはマンパワーや予算、かかえる人口、教育機関などの点で都会の大病院や教育機関には普通に考えてかなわない。

 しかし普段から待機的な手術や処置もやっておかなければ緊急の手術野処置のレベルがおちてしまうというジレンマがある。農村過疎地だからレベルが低くてもいいということにはならないのだ。
 
 そのためには高度医療は集約化すること必要だ。厚生連、国公立、民間などの経営母体の差や、おらが町にも総合病院をといった地域エゴにとらわれず、東信地区広域でどのような医療が必要で、それぞれの医療機関が、どのような役割分担を果たしていくのかということを広い視野で議論していく必要があるだろう。そういった意味では高度医療センターは、作ってしまった高速道路や新幹線といったインフラを利用し、インターチェンジや駅に隣接させた場所に病院を作るといった発想もありなのだとは思う。 

永遠の観察者

2006年10月06日 | Weblog
決められたことができない。
いや、そもそも決められてなどはいないのだ。
どこにもそれは書いていない。
書いてあったとしても分かりにくく理解できない。

それぞれがつながっていない。
あらゆるところがバラバラだ。
どうしてそんなに分かりにくいのか。
そんなコミュニケーションのない状態でどうして全てを理解することを要求されるのだ。
どうして分かりやすく掲示することを妨げられなくてはいけないのか?

世の中はバリアだらけ。

全体の中での自分の位置づけも分からずにどうして動くことができるのだろうか?
なぜそれをするのにコンピューターというそれがもっと得意なやつに任せられないのか?

頭と体が同期せず、文字が文字を追い越す。
紙の上をボールペンがすべる。
頭はどこかへいってしまう。
歩いていて、頭が突然体の向きを変えろと命令をだす。
身の回りのものが消えたようになくなる。
口が頭より先に動き、途中からしどろもどろになる。
あたまは真っ白。
右足が床に引っかかる。左半身をゴチゴチはしらにぶつける。

機器のアラームやナースコール、PHSやケータイの電子音にびくびくする。

突然、どうしようもない眠気とだるさに襲われる。
安全な場所へ避難し、泥のように眠る。

理不尽なことが多い。
まわりが理解できない。

聞いたことを覚えられない。
こころがすぐに自分を離れて泳ぎだす。
さまざまなーシーンが浮かびこびりついて離れない。
フラッシュバックを繰り返す。

どうして邪魔をするのか。
どうしてそこで声をかけるのか。

どうしてみんなそれでやっていけているのか?

何を言われているのか分からない。
何を信じていいのか分からない。
どう振舞えばいいのか分からない。
何を言えばいいのかわからない。

どこまでがONでどこまでがOffなのか?
今はそのことは忘れていたいのに・・・。
不幸な人をほったらかして、自分が楽しむことが罪悪なのか。

みんなが怖い。
つねに責められているような気がする。

パニックになるとリカバリーにしばらく時間がかかる。
コミュニケーションのレベルが低下する。
一人になれる場所は多くは無い。

心を落ち着けられる時間や場所がない。 

他人にやさしくなれなず、声を荒げそうになる。
自分か他人を傷つけてしまうだろう。

世の中を理解するために人の行動パターンを観察し、人が言ったことに
耳を傾け、あらゆるマニュアルを読み、文献をあさり、観察し、実験し、
データーベース化して分析したい。

でもその時間がない。

夜は静かだ。独りになれる。
ひとつのことに集中していてもさまたげられることはない。

時間が伸び縮みする。
集中して作業していると何時間もたっており、明るくなっていることもある。
細部にこだわり、すこしでもいいものをとブラッシュアップする。
自分でも満足できるものができたときの喜びは格別だ。

情報収集、勉強、洗濯、掃除、食事、睡眠、約束・・・・。
さまざまなシステムが破綻しかけている。

環境も変えられず、適応もできない種族に居場所はないようだ。
永遠の観察者として引きこもるしかないのか。

未来への時間

2006年10月05日 | Weblog
若月先生の映像を見てOBの話を聞く会に初めて顔を出した。

若月先生に怒られた話などで盛り上がっていた。
OBのほうが元気だ。やりたいことを自由にやっている。

現場の疲れきった空気を何とかしなければいけないのに若い人はほとんどいない。仕事や家庭、日常でがいそがしくそういったところにまで顔を出す余裕がないのだろう。
離職も問題となっている。
あちこちから「やめたい。」という言葉が聞こえる。

地域住民による地域の病院だから、理不尽に耐えながらそれでも続けていかなければならない。

Googleは、社員に、自分の20%の時間を自由に使って新しいことをさせている。
そのように未来への時間(休みでもよい)を意図的に確保しなければ日常業務だけで終わってしまう。

若月先生を偲ぶ会も開かれる記念事業にも結構は予算をかけているようだ。
葬式には金をかける日本人そのままだ。
未来へのヒントが見つかるといいのだが。

現場のモチベーションを上げるちょっとしたこと(病棟に訓練用の折りたたみ式のプラットフォームや平行棒をおく)も申請書を出してヒアリングを経て上に上げて・・・・。とえらい手続きだというのに。
そして買ってもらえるとしても何ヶ月も先だ。

ほんとは、スピードが勝負で新しいことを始めるのだがら、予算を決めてある程度自由に使えるプロジェクト型でやりたいものだ・・・・。

「予算と人事」はおれが決めると誰にも任せずワンマンでやってきた先人の構造そのままで、結局民主的な組織への変革もできなかったようだが、また今再び変革をもとめられている時代だ。

いまほど強いリーダーシップがもとめられている時代はない。

YS11ラストフライト

2006年10月02日 | Weblog
 戦後唯一の国産商用旅客機、YS11(日本航空機製造)が国内定期便最後のフライトを終えたそうだ。このニュースを聞いて子供のころ高松飛行場に親を迎えにいったこと。屋久島の空を飛んでいたこと。北海道のANKの最後フライト間近のフライトにわざわざ乗りにいったことなどなど思い出した。名機といわれつつも、大ヒットはできなかった。YSXなどの後継機がつづいてくれていればよかったのにと残念に思う。

 大量のエネルギーを使い早く移動することに特別の意義は見出さない。それよりも休みをたっぷりとってゆっくり移動したい。本当は人力や自然の力を用いた移動がベストと考えているのだが、それでも乗り物や新技術にはわくわくしてしまう。そして新しい乗り物がでたらつい乗りたくなってしまう。だから山梨の実験線を走っている超伝導リニアにも注目しているのだ。

さて、この週末前後、ここいらでは稲刈りの時期。病棟でも、床屋でも、稲刈りの話っきり。昨年は上司のうちの、稲刈り(はぜ掛け)に手伝いにいったが、田んぼのあるうちはうらやましい。やはり日本は農村、そして田んぼが基本の国だったのだと実感。