リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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安曇総合病院は地域医療再生基金でリニアックの導入は目指さない。

2012年06月22日 | Weblog
本日6回目の安曇総合病院再構築検討委員会が開催されたが、地域医療再生基金を用いてリニアックの導入を目指すという方針がすったもんだの末やっと却下される見通しとなった。

これまでの経過はこちらこちら

地域のがん患者さんで最大で年間100人程度の放射線治療の受益者みこめるが、シミュレーションでも赤字を生むであろうことや、放射線定量医がパートでも確保できるか目処がついていないこと、県からも実現性を疑問視されていること、院内でもがん治療をもっともおこなっている医師をはじめ9割が反対していることなどのデータが積み上げられた。
本日も院長の一人ひとり指名してディスカッションを封じる仕切りは相変わらずであった。
委員会にこない委員も多く参加者も少なくなっていたが、参加した委員一人ずつ意見を聞いたところ、院長と院長補佐の1人の計2人をのぞいて反対あるいは懐疑的であり、院長も「ではやめましょう」ということになった。
今後、リニアックを目指さないことが職場代表者会議で正式に決議されるとのことである。(そもそも目指すということが正式に決議されたこともないのだが・・)
今後、院長が県や県議や市町村に頭を下げ、計画の変更を告げて検討をすすめ、本来急がれる病棟の再建、がんに係ることであれば緩和ケアを目的とした病棟などにその補助金を転用できるのか県に確認して・・といったプロセスが必要となる。

今回の会議では

「この地域でも大病院志向はある。待てる病気で治療をうけるのであれば山をこえてでも大学病院など大きな病院に行くだろう。」
「この病院で診られるはずの患者さんですら、診れていない現実がある。まずは、今できる医療をきっちりやるべき。」
「患者さんを断っていることで、評判が下がっている。」
「お金をかけてアンギオ室やMRIを更新しても、できる救急医療はそんなにはかわらない。
むしろ救急医療に対する心構え(地域住民、医師、スタッフとも)、電話での相談のあり方などを考えていくことが大切」

などなど、やっとまともな意見もでてきた。


(ICLSコースを受講したばかりの初期研修医がインストラクターとなり新入職員全員にBLSを指導。)

これまでの再構築をめぐる混乱で残念ながら院内のモチベーションはかなり下がってしまった・・・。
これまでの院長らのプロセス違反に関しての責任をどうとっていくかということはあるが・・。

地域に医療を残し育てるためには病院のメンツや利害にこだわるよりも、医療機関がお互いに連携していくことが重要である。
「再構築」というのは思考停止ワードに惑わされず、現場が偉い方々の機能をいかに使うかというのが大切だとおもう。
安曇総合病院はなにをやるべきなのか、何をやらないのか・・。皆でしっかり考えていくことが大切だろう。

そうすれば『素敵な病院・医療がある地域』をつくることができるだろう。

地域の医療機関が職種、職域をこえて地域ベースでの人事交流をはかっていければとおもう。
そのひとつとして救急医療に関わる医師の勉強会と交流会が今月末に安曇野赤十字病院ではじめて開催される。

要望があったので皆がつながれるテーマで多職種、多職域が参加できる企画もおこなっていきたい。

がっぷり四つに組んだ認知症診療

2012年06月19日 | Weblog
知り合いの先生にお声がけをいただき、京都市西京区認知症地域ケア協議会の関係者研修で安曇総合病院の取り組みなどをお話をさせて頂く機会をえました。(県外でこの様なお話をさせていただくのははじめてです。)
「 がっぷり四つに組んだ認知症診療 ニーズから運動、文化へ~安曇総合病院認知症疾患医療センターと地域連携」というタイトルでお話させて頂きました。

上司にも突っ込まれましたが、かなりエラソーですね(^_^;)
確かにちょっとテンション高かったです。これから自己嫌悪でうつ転することが予想されます。

スライドはこちら。

前半
後半

1時間の講演ですが、すこし欲張り過ぎました。後半はかなり駆け足でした。



会場は西京区桂の京都大学ローム記念館という立派なホールで約120人程度の方に参加頂きました。
ロームというのは京都に本拠地をおく半導体の会社で、そこの寄付で立てられたホールだそうです。
そういえば後輩が勤務していました。

京都市の西京区は人口15万人弱と安曇総合病院の診療圏の人口よりやや多い程度ですが、人口密度は高く市街地が連なっており農山村部である安曇総合病院の診療圏と様相はだいぶ違います。
西京区のなかでも新興住宅地と洛西ニュータウンなどの団地のエリアと、古くからの市街地のエリアでだいぶ雰囲気は違うようです。



西京区認知症地域ケア協議会は医療、福祉、警察、教育、司法、自治会、当事者団体などなど多様な団体から構成される協議会で世話人会議もあり、実行委員会形式で様々な催しをおこなっているそうです。
安曇野大北地域でもこの様な組織をつくって運動につなげていきたいですね。

京都府では京都府立医科大学と洛南病院、舞鶴医療センターの3つが認知症疾患医療センターとして指定されたそうです。
安曇総合病院には中信全域から患者さんは来ますがSPECTなどの機能画像は大学病院にお願いしています。
松本市の信州大学病院も認知症疾患医療センターになればいいと思いました。

主催者からは広く声をかけていただいたようで遠くは舞鶴市からも認知症疾患医療センターのスタッフの方にも参加していただきました。
認知症疾患医療センターの活動内容について情報がなかなか手に入りにくく活動は手探りということも聞きました。
お互いの活動内容を公開し、認知症疾患医療センター同士の情報交換や交流もすすめていきたいですね。





京都駅でもホテルでも安曇野の水をみかけました。
ブランドなんですね。

そういえば安曇総合病院は地下水を組み上げており、安曇野銘水で血液透析をするので透析も成績がいいと院長は自慢していました。
地下水の汲み上げ上げが多すぎて、わさび田などでの水位低下も問題となっているようですが・・・。

人が育つ環境とは?イマドキの医師養成

2012年06月05日 | Weblog
市立大町総合病院で第25回『カモシカ学習会』が開催された。

今回は諏訪中央病院の総合診療部部長の佐藤泰吾先生が講師であった。
テーマは「諏訪中央病院の研修医教育を通じて」
誘われて安曇総合病院から初期研修医2名とともに参加してきた。



佐藤泰吾先生は、信州大学卒業後、舞鶴市民病院で初期と内科の研修を受けた。さらに診療所で1年働いた。
舞鶴市民病院は中規模の一般病院でありながら欧米から大リーガー医を招聘し「できるだけ間口を狭めず、かといって深み・緻密さ・微妙さを極力失うことのない一般内科と地域医療の展開」を目指した伝説的な病院である。
その舞鶴市民病院も行政が大学医局からの医師派遣を優先したために、若い医師が集め育てる雰囲気はなくなり、結果として内科医がいなくなり地域の医療も職員の生活も守れなくなり医療崩壊のさきがけとなってしまった。

“大リーガー医”に学ぶ―地域病院における一般内科研修の試み
松村 理司
医学書院


佐藤先生は卒後6年目で信州にもどってきたが、地方中規模病院で内科勤務医であればどこの病院でもよかったともいう。
縁があって諏訪中央病院に来たが、研修医をとりはじめたばかりで院内にはつまらなそうに歩いている初期研修医が3人いたという。
今にも潰れそうな危うさもあったが、地域医療の歴史のある病院で雰囲気のいい病院だったという印象をもった。

そこで「八ヶ岳の裾野のように幅広い臨床能力をもつ医師を育てる」というコンセプトで研修医を育てていった。
毎日、昼に初期、後期研修医とスタッフが集まって新患のカンファレンスを行うなど教育の場をつくっていた。
院内では多職種での研修会を開催し、振り返りなどもおこなった。
また医学教育や家庭医療のプロにアドバイザーとして来てもらいポートフォリオの作成やプログラムを整備していった。
徐々に人も集まり初期研修医、後期研修医、上級医、指導医と屋根瓦ができ増えていった。
八ヶ岳のように専門医がそれぞれの高みをまもった上で、大勢の幅広い裾野をもった若手が支えあい地域の医療を支えられるようになった。

閉鎖的な環境は職人が育つには大切ではあるが、日々やっていることが本当にそれでいいのかを外部の目にさらすことも必要だと考えた。
ただ高名な先生を招くだけならば簡単にできるが、人を招く以上、最大限活かすべきであるとさまざまな仕掛けを考えた。
海外の大リーガー医ではないが、国内の各分野で有名どころの院外講師を招聘し、数日間滞在してもらいレクチャーをしてもらうだけではなく、カンファレンス教育回診などもお願いして日常の臨床や教育を外部の目にさらしている。これは結構厳しいことだという。
佐久総合病院など他の病院と交流したり、後期研修医が1年間かけて感染症について初期研修医に教える一環として外部講師を招くなどもした。
後期研修医では3ヶ月外部研修にいく権利が保証されており、研修先で知り合った専門医との関係がつづいたりしているという。
この規模の病院で日進月歩の医療の全ての分野の専門家をかかえる事は到底できない。
しかし地域のニーズはある。

従来の発想では専門医を招くのは外来の1枠をお願いして患者さんをみてもらうということになっただろう。
しかし諏訪中央病院では定期的に来てもらったスペシャリストに症例検討会などに加わってもらったりして現場の若手を支え、育ててもらい、また普段もメールやスカイプで相談にのってもらっているという。

大学医局に守られていない病院だからこそ必要なことであり、また出来ることだろう。

諏訪中央病院では幅広い臨床能力をもった若手の医師が増え、後期研修医クラスが中心となって病院祭を開いたり、他の医師不足の病院の内科病棟管理を2ヶ月ごとで交代で行って支援をしたり、東日本大震災では継続的に支援に行ったり、人が多いからこそ自主的にさまざまな活動が広がってきている。
地域の人も安心であろう。

最後に人が育つ条件というのを示していた。

1.未熟なものが
2.社会の辺縁に
3.文化の壁を超えて
4.適切な規模の集団を形成し(7人程度が最適という説もある。)
5.一定期間、隔絶されながら
6.自由な議論で切磋琢磨する


(長崎医学伝習所や適塾を例にあげていたが、私はトキワ荘を思いうかべる。
また今の安曇総合病院では精神科や整形外科がこのような条件をある程度満たしており人が集まっているのだと思う。)

ディスカッションでは、安曇総合病院の研修医が「後期研修先を探している。育てるてくれる体制があるところじゃないと人は行かないし集まらない。」というような質問をしていた。

もっともな問いであるが、プログラムやシステムが整えば人が育つかというえばそうではないという。
良いシステムに乗るトコロテン方式よりは、現場でニーズをつかみそれを解決しようともがいているほうが育つ場合もあるだろう。
現に諏訪中央病院でも一番伸びたのは、システムがなかったときからいて当初つまらなそうにしていた研修医だったという。
そしてシステムができてしまいつつあることこそが諏訪中央病院の不安材料であり、いつまでも安泰ではないだろうともいう。
しかしそれでもいいという。

ある病院がずっと栄えているということはなく、そこで育った人が次の場所で芽を出し花開かせてまた種を飛ばし・・・と繰り返せばいいのだといもいう。

自分が医者をできるのは自分の努力のおかげではない。
先人の知識や医師としての役割をあたえられ育てられたからであり、引き継いだバトンは次に渡すことも大切だという。
そして、その場その場でそれぞれの時期における役割を果たすことが重要なのだ。



大町総合病院の外科の高木先生からは「自分たちの頃は医局に入って、勤務先を選ぶなんてことはできず、クジのようなもので派遣先の病院がきまって、症例や医者が多いところや少ないところもあったが、どこにいたとしてもそれなりに得るものはあった。」という意見がでた。
さらに、「本音を言えば医局の制度が整っていて医師を派遣してくれていた以前の方が良かったと思う。大町病院は医師を引き上げられてしまい内科医師がいないから手術をするには自ら内視鏡もして患者もみつけなければいけないし、総合診療もやっている。」と窮状を訴えた。

地域の中規模病院では専門医だからといって自分で決めた専門分野に逃げこむことはできない。(そういう人もいるが・・)
ニーズがあって他にやれる人がいなければ自分の守備範囲を広げても何とかやるしかない。
「何ができて、何がやりたいか」、だけではなく、「何が必要とされていて、誰が困っているのか。」ということを考えなくてはいけない。

地域や患者のニーズが見え逃げ場のない第一線の現場に未熟な若い医師をプールし、指導医とともに地域ベースの大学医局だけではなく、個人のネットワークとインターネット(メールやスカイプなど)を活用して全国から専門家のちからを借りて幅広い臨床力のある後期研修医を育てる。
こういった環境で育てば、その先にジェネラリストになるにしろスペシャリストになるにしろ地域の医療に貢献できる医師となれるだろう。

同規模の舞鶴市民病院や諏訪中央病院でやってきたことである。
市立大町総合病院や安曇総合病院でもこのような場を作ることは決して不可能ではないだろう。
これまでも安曇総合病院では研修医を細々と育ててきており、現在も信大とのたすきがけを含め現在4人の研修医がいる。
研修医がつまらなそうな顔をしないように救急外来のカンファレンスなどを細々とおこなっているが、なんとかいい流れが出来ればと思う。



カモシカ学習会@大町病院

精神神経学会in札幌

2012年06月03日 | Weblog
5月24日~26日、札幌で開催された精神神経学会学術総会に参加してきました。



早割45で購入した松本~札幌のFDA(フジドリームエアライラインズ)で北海道入りしました。
真昼間の時間帯の移動で時間を有効に使えない殿様ダイヤですが、安曇野からセントレアや羽田までいくのも3時間以上かかるので仕方ありません。
同じ飛行機には県内の顔見知りの精神科医の先生もけっこういました(^_^;)
エンブラル社製の小型ジェットで小ささを感じさせない快適な機内でした。
搭乗するまでの荷物検査などが少々面倒くさいですが飛行時間自体は1時間半弱程度で新千歳空港まであっという間でした。



今回の学会は大会長の専門でもある依存症のセッションがとても多かったです。
それとの発達障害のセッション・・・。
それらと比べて気分障害や統合失調症などのセッションは少なめでした。



老年期精神障害(認知症など)の終末期医療のシンポジウムにも出てきました。

様々な学会などで、こういったことはテーマになっています。
わりと話しつくされたテーマではありますが、今回は、なかなかいいシンポジストを集めており興味深い話を聞くことができました。
しかし精神科医としてどうするのかという議論がほしかったな・・・。

認知症終末期のケア(特に胃ろうの適応について)は、

・認知症終末期では本人の意思決定が困難。
・家族は認知症がどのような病気か理解せずに混乱した中で治療選択が迫られる。


という難しさがあります。

そして家族の意思は本人の意思ではない(推定させる一つの根拠に過ぎない。)ということもあります。
丁寧に調査をしたところ認知症高齢者、一般高齢者の80%以上は、終末期の胃ろうを否定しており差がなく、認知症高齢者も「感じる脳」はあり、その意思は尊重されるべきであるという発表もありました。

認知症になる前、あるいは初期にAdvanced directive, care planningが推進され一般的になれば、本人、家族、治療者を守ることになるのでしょうが・・。

認知症は「Progressive lethal disease」であり、死への過程の一つとしての肺炎や尿路感染あります。
私も「認知症になった時点で、3倍くらい老化が早く進むようなイメージ」とお伝えすることもあります。
こういことを家族とも共有出来ればいいのでしょうね。

認知症ケアは初期中期はスピリチュアルペイン、末期は身体的苦痛の緩和が大切となります。
精神科では進行する混乱期のあとの看取りまでの継続的なケアができない場合もあるのではないでしょうか。
精神科医は看取りは慣れておらず、胃ろうをつくる場合が(他の科の医師より)多いというデータも示されていました。

胃ろうの積極的な適応は脳卒中の亜急性期や脊損、ALSなどであり、さまざまなエビデンスでも認知症終末期での経腸栄養は肺炎の予防や本人の苦痛除去の高価はなく、Risk/benefitはRiskに傾くデータが多く認知症終末期には胃ろうは適応にはならないということのようです。

さまざまな学会がガイドラインを出すようになりました。
しかしこれらのガイドラインが法的に医療者を守ってくれるものではないそうです。
ガイドラインはどうであれ、「自発的に摂食できないものの経管を差し控え、中止したら殺人罪?」というのは、法律にはそうなってしまう危険性はあります。
一例一例で丁寧に関わると同時に、社会全体でもっと議論していく必要があるでしょうね。


その他にも、さまざまなシンポジウムやセッション、教育講演などで目移りしましたが、依存症、発達障害、老年期精神障害の終末期、統合失調症の早期介入、総合病院精神科、うつ病などのセッションに参加させていただきトレンドをつかむことができました。
認知症終末期での胃ろうの適応をどうするかという議論もありました。
総合病院精神科は構造的に経営も大変でどこも厳しい状況ですが、公立病院の単科の病院を廃止して総合病院に病棟をつくるなどの流れもあるようです。

一般演題で「発達障害を背景に持つ依存症の3症例」という演題で発表をさせていただきました。
依存症と自殺予防でご活躍の松本俊彦先生が座長をしてくださり大変勉強になりました。



夜の部などでは全国から集まった同業者や知り合いの先生とも交流して様々な情報交換することが出来ました。