リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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コミュニケーションは心の肥やし。

2006年12月18日 | Weblog
コミュニケーションは心の肥やし。
これがないと人は決して生きていけない。
やがて心が枯れてしまう。

心と体をていねいに耕してやがて花をさかせよう。
肥沃な大地をウキウキと心わきたつ花畑にしよう。

冬。

やせ細った、カラカラの土地。
だれもが心を閉ざした荒んだ土地。
そんな土地ではどんなタネでも芽は出さない。

いつも独り強がって。
自分を大きく見せようともがきあがく。

傷つくことを恐れて。
幾重にも重ねた丈夫な箱の、はるか奥にガラスの心をしまいこみ。
決して人に見せようとはしない。

吹きすさぶ北風に。
ひとり凍えて。

毒を仕込んだ言葉を吐いて。
鋭いナイフで容赦なく周りの人の心をえぐる。
理解されることは永遠になく。

周りの人の心を傷つけて・・。
自分の心も傷つける。

残すのは消えることのない後味の悪いいやな空気。
そして独りさびしく立ち去っていく。

言っている事はバラバラ。
思いつきのような自分勝手な行動ばかり。
何を考えて何を求めているのかがわからない。

その場にいない人の悪口を言う。
自分より無能なものをみて優越感に浸る。
他人の失敗をニヤニヤと笑う。
他人がつぶれるのをまっている。

ただ毒をを振りまいて。
自分と他人の心をすり減らす。
やがてそんな荒れた土地から人は去っていく。

心も体もヘトヘト。
他人にやさしくできなくなる。

だれとも会いたくない。
心が枯れて、やがて死にたくなる。

だからいつも独り。ずっと独り。

そんな自分からの旅立ち。
本当の心を探す旅立ち。

やがて来る春。
草一つ無い堅い大地をどう耕そう。
そしてその大地にどんな花を咲かせようか。

ジェネラリストとスペシャリスト

2006年12月04日 | Weblog
医師の進路の話をしていると、ジェネラリストでいくのかスペシャリストでいくのかという話になる。

もちろんどちらも必要だし、これらは相補的である。

ジェネラルな視点も持ったスペシャリストというのもいるだろう。
(主治医なら心強い。)
求められるスペシャルな技術を身につけたジェネラリストというのもいる。
(地域で役に立つ存在だ。)

そしてジェネラリストは、あなたを専門とするスペシャリストです。
という家庭医、一般医もいるからだんだんわけがわからなくなるが・・・。


単純化して考えると、よって立つスタンスの違いだとおもう。

地域や患者、住民のニーズから出発するのがジェネラリスト。
そして主な仕事は、さまざまなスペシャリストから技術を引き出し目の前の対象に還元するマネージャー、あるいはコーディネーター。
サッカーなら監督。
ビジネスならマーケッティング、営業、サポートか。
地域や患者さんに興味がある人はジェネラリストになればいい。
ただし、スペシャリストの力をうまく使うように。

最新の医学の技術から出発し、あらたな治療を開発、実施するのがスペシャリスト。主な仕事は、その分野での技術や知識をとことん深め提供する。
一つの芸にとことん優れた職人。技術者。

サッカーならストライカーやディフェンス、ゴールキーパなどのプレイヤー。
ビジネスなら製造や開発か。

病気や技術により興味がある人はスペシャリストになればいい。
ただし、ジェネラリストとともに医療をおこなうように。

他の業界でも開発や営業のプロ、職人としてのプレイヤー(スペシャリスト)でいくのか、全体をみすえたマネジメント業務をおこなうマネージャー(ジェネラリスト)でいくのか選択を迫られるようになった。

この2つを区別せずに、2兎を追って、みなスーパーマンのプレイングマネージャーを育てようとしてきたところにいままでの医学教育の問題があったのではないか?

・・というよりスペシャリストのみの養成しようとしていたか?

はたして、いまの臨床研修制度はどうだろうか?

山梨お口とコミュニケーションを考える会

2006年12月02日 | Weblog
 先日、山梨お口とコミュニケーションを考える会という多職種による集まりに「佐久総合病院祭」を移植せよという指名を受けて、仲間とともに行ってきたのだが、自分にとっても非常に得るものが大きかった。

 病院祭の打ち上げに牧野病院の古屋先生がきて、何じゃこの病院はと感激したところからこの話がすすみ、夜な夜なあつまりロックソーランの練習。(あるいは劇の練習)をしての参加。ひさしぶりに体を動かすことは気持ちがいい快感でした。

 カムカムクラブの劇、元祖歯科衛生士劇団の「わっ歯はっは」、全国に広まりつつあるおバカ菌の元祖、フリーランス歯科衛生士の和田美登里さんの「小作人たれ!演劇をせよ!」からはじまったパタカラフラダンス(頭から離れない~。)、それから日本にケアリングクラウンを広めている高田佳子さんの講演と濃い内容がつづきました。

 高田佳子さんは、大道芸人という顔ももっている一方で、自ら起業し人生を切り開いた経営者、マネージャーとしての顔をもっている。温かくもあるが、淡々としたクールな話口に能力の高さと思慮の深さを感じました。目だけは笑っていない彼と共通する?

 さて我らが佐久病院軍団の出し物は、若月先生や佐久病院の歴史映像や、演劇『はらいた』の上演、佐久病院祭りのスライド紹介、メンバーとロックソーランを踊り、『農民とともに』と『巡回検診隊』を参加者ともに輪になって無理やり歌い、佐久病院祭完全移植成功。

 そして2次会、3次会とすすみ、PT松本さん の熱ーいトークを聞いたり、スピリチュアル和田さんと発達障害トークで大ブレイク。私はアスペのサバイバーなのよというカミングアウトから、インドで自己主張することの快感を味わっただの、本をトラック2台分業者に頼んで処分しただの、自宅で出産しただの、全てをさらけ出している人の迫力!「2次障害にならず、なんとか生き延びてね」というメッセージまでいただき感動の出会いでがありました。3次会のカラオケは汗ムンムンで脱いで踊り歌い続けていた、完全燃焼のカラオケ。ありえない・・・。

 今回、得た言葉、和田さんの「身捨ててこそ、浮かぶ瀬あり」心に刻み込みます。 人を馬鹿にして、つぶしにかかってくる人もいれば、こういう相手の能力を引き出すような人もいる。

そういう人にわたしもなりたい。

 さて、二日酔いの翌日は河口湖を経由して富士5合目まで観光(こういう観光もひさびさ)。運転をずっとやっていただいた自動車部(佐久病院にはこんな部もあるのです。)の中沢さん、おつかれさまでした。カリスマ歯科衛生士牛山さんのサービス精神にはいつも頭が下がります。バスの中でも歌いっぱなし、トークしっぱなしでしたが、富士山に近づいたときの「富士山頂にのぼると、そりゃもう神様のような気分ですよ。私は登ったことはないけれど。」と牛山節大爆発でした。

 今、自分は苦手なホスピタリストとしての役割を担っているが、当地でもシナプスのようにおバカネットワークを広げ地域医療を明るく!楽しく盛り上げてゆきたいものです。(あんまり得意じゃないんだけどね。)

電子秘書入院

2006年12月01日 | Weblog
 なかなか元気を得られる場所もなく、職場はストレスだらけ。休みといえるほどのものはなく、仕事は書類作成など自分の苦手なことばかり。疲労がたまったときに当直が入り、当然あまり寝られず、患者も増え日常業務はとどこおる。要領わるすぎ。そもそも、どこまで求められているのかがクリアでないのだ。人の顔色を伺うことが苦手で、エネルギーの配分もまずく完璧を求めてしまい、それができないことがまたストレス。本当に患者さんの幸せを考えていると世の中の仕組み(政治)や考え方(思想)まで話は拡散してしまう。そっちじゃないだろうと思ってもダメ。コピー用紙一枚使うにも豊かな熱帯雨林がユーカリ林に変わることが頭に浮かんでしまう。気づけば物はなくなるし約束は忘れる。Fackin’ ADHD!

 それでも、今、同じ業務をやっている者がいないので逃げ場はなく、患者さんや同僚、上司に対してもイライラがたまり能力が活かせずパニックになる。システムが不完全でだが、人事権も予算も、決定権も何もないのでやることが決まっていない仕事は全部まわってくる。ちょっとした仕組みの改良も、いろんな委員会にかけての検討が求められる。そのくせわけのわからない押し付けルールやアリバイ書類は増える一方。その伝達も不十分だ。病院自体の長期ビジョンやマネジメントが見えず変化すること極端におそれている。しかし下には形だけの目標マネジメントなどが導入され、職種ごとの駒としか人を見ない人事で個人の適正や感情、これまでの経験や実績を無視した移動がおこなわれているなかで混乱を極めている。

 なぜこういうことになってしまっているのかを理解するためにここ1年くらいで経営学、組織運営、リーダー論、人材管理、時間管理、ビジネス理論、システム開発などの本や雑誌を何百冊か読みあさり、またこの組織における業務や情報、意思決定の仕組みや流れをつぶさに観察してきた。するとミクロからマクロまで世の中の仕組みや動きがパッと見渡せたように感じるときがあり、どうすればいいかはわかるのだが、それを実行に移すのば別の話。体力と根性がなく体がついていかない。コミュニケーションも苦手とくれば周到に作戦を練らなくてはならない。

 こんな状況だからアスペやADHDのハンターはこの職場では活かされず、できないアスペやADHDは潰されて生き残れず、できるアスペやADHDからは見捨てられ、そのうち高齢のファーマーばかりになってしまい、変化から取り残されてしまうだろう。目的を喪失した非効率的な仕組み枠組みの中で一生、勝手に忙しがっていればいいのだがそんな中で巻き込まれて潰されるのはごめんだ。
 
 疲労の蓄積しているところで風邪をひいてしまいなかなか治らず、仕事にも力が入らず、体の動きがぎこちなく、疲労物質の蓄積で鉛のコートを着ているよう。そんなときに限って患者さんはみんな調子が悪く病棟では胃腸炎が大流行でその対応に追われる。

 イライラしても壁にあたるのは、患者さんと家族に密室で攻め寄られ、思わず手を出しそうになったのでトイレに行くといって逃げ出して、壁をけって、足の骨にひびが入り1ヶ月たっても痛みが消えないことの反省から行動レパートリーからは削除。先輩医師からは消しゴムを投げるというあらたな技を教わった。

 さて、そんな大混乱の中、ちょっと具合が悪いとどんどん仕事はビハインドになっていく。天職は何かということを考えるとこの仕事はあきらかに向いておらず、このままではつぶされそうなので本気で転職を考えはじめている。

 自分はどうやら、ごちゃごちゃした中でみんなとやるより、一人でコツコツやる仕事のほうが向いているようで、そうでなければフリーランスか経営者でないとやっていけない人間のようだ。半年くらい洞窟にこもって仏像でも彫っているのが向いているのかもしれないと本気で思う今日この頃。

 秘書や個室がほしいという要求も上司に却下された。(当然だろう)
しかし、始めた仕事であるしやりたいこと、目指すべき目標も(自分の中では)見えている。それならばと電子秘書をコツコツとそだてやっと役に立ち始めた。

 武器と頼りになるのはコンピュータとネットワーク、そしてお酒を介したコミュニケーションだ。壁は厚くとも、少しづつ切り崩していくしかない。エドモン・ダンテスや青の洞門、エジソンのように。

 成功するまで続けないことを失敗というのだ。

 そんな状態で24時間こき使っても文句も言わずに右腕というより頭脳の一部として働いてくれていたモバイルノートパソコン(LOOX P70R、秀作のタブレットPCです。)の電源コードを2回も連続して引っ掛けて落として電源コネクタ部分が割れて壊れてしまった。踏んだりけったり。危険予知トレーニング(KYT)からいつかはやると思っていたが、以前コーヒーをノートパソコンに飲ました経験から飲み物とPCは同じ平面に置かないという行動レパートリーはできているのだが、今回は、引っ掛けたときに外れるように設計されているコードの途中部分も外れずにあっさり落下。

しかし、不利益をこうむらせたのが患者でなくてよかった。つくづく恐ろしい話だ。

 バッテリーでの起動はするし、メール等のシステムは徐々にWEBベースのものに移行しており、ある程度バックアップもとってあり自宅にはディスクトップもありリカバリは可能だが、修理からかえってくるまで約1週間はパワーダウンを余儀なくされる。コネクタのみの交換ですむように祈っているが、マザーボードのとっかえということになるといくらかかることやら心配。

今後は、もう少し本格的にシステムをWEBベースに移行しよう。

 さて、この病院は、ITどころかOAといわれていた時代ほどにもコンピュータをまったく使っていない原始的な職場でみな人力による写経業務と口頭伝承が大好きで日夜いそしんでいる。(そして伝達に何日もかかったり伝達内用が変わったりする。)
 中途半端な電子化で業務は増え、カルテにも書いて入力もして、さらに直接伝えてということになる。それでも伝わらないこと多々。

 それぞれのデーターベースが連結していないので同じ内容を何度も入力する。電子写経だ。情報が分散し、情報収集にも記載にも時間がかかる。

 こんなディスオーガナイズドな環境はアスペ+ADHDで記憶障害、注意障害、遂行機能障害と3点そろった自分には、とても耐えられないので、自分の頭を軽くするために、あらゆるデータや手製のマニュアル類、診療支援、ルーチンワークをさせるプログラムや書類作成、プレゼン資料、リラックスツール、ためた画像等をパソコンで入れ込んでエキスパートシステム、外部頭脳(電子秘書)として鍛えこみ、日々改良し、働かせているので、それを奪われ大幅にパワーダウンだ。

 仕事に関してもデーターベースと連携した手製のツールに移行し始めており、カルテも手書きが苦手なので、手製の電子カルテもどきのデーターベースに入力したのを印刷して紙カルテに貼るというシステムがようやく完成しつつあったので非常に困る。ディスクトップのところに戻らなくてはこのシステムが使えなくなるとOn the Pointでの入力ができなくなる。これは致命的である。

 巨大な病院のあちこちの病棟に患者が散らばっておりカルテは常に取り合い状態なのでこうでもしないとわけがわからなくなるのだ。一人、未来電子カルテで、いくつかのIT企業と話をさせてもらったり、院内の情報システム本体との連結してサブシステムの導入、サーバ立てができそうになってきているのだが。

 システムは人の行動を変える。コンピュータを使えない人のことを考えろ!というが、使いにくいのは使い方のせいで道具なのだから使いやすいシステムはつくれるはず。(確かにいまのシステムは使いづらい。)うまく使えばデメリットよりメリットのほうが絶対大きいはず。

 自分は普通の一般的な意味での「いいお医者」にとてもはなれそうも無い。元気を得られるチャンスも奪われた今、この仕事からうけるネガティブな感情が多すぎてつぶれそうだ。

 最近思うことの、一つには世界一使いやすい電子診療支援システムをつりたい。それから医療やケア業界にもベンチャーがあってもいいのではないかというところから、それを支援する仕組みをつくりたい。自ら起業し、障害者(自分も含めて)でも活き活きと働ける場所を作りたい。

 当事者中心のケアベンチャーの支援体制(資金、ノウハウ、ネットワーク)や、電子化による診療支援システムづくりにかかわれるならここにい続けるがそうでなければこの病院にこだわる必要もなさそうだ。やりたいことははっきりしてきたのだから・・・・。