リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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思うところがあってFC2ブログに引っ越しました。 引越し先はこちらで新規の投稿はすべて引越し先のブログのみとなります。

人を育てるとは

2006年07月25日 | Weblog
人を育てるとは達成感を共有すること。
そのためには一生懸命やる背中を見せるしかない。
みんなで一緒に成長しようと考え、動くベクトルが同じかどうか。

~ブックオフ社長の言葉。(Yomiuri Weeklyより)

技術力で食っていくか、関係力で食っていくか。
両方あればベストなのだろうが。

ボスマネジメント

2006年07月20日 | Weblog
 自分はおそらく自閉系のスペクトラムの端にいるか、大人のADHDである。記憶障害、注意障害、遂行機能障害、睡眠発作(ナルコレプシー)がありワーキングメモリーが他人より少ないため、さまざまなアィディアを用いて遂行機能を発揮しないと社会適応できない。電話を受けるといままでやっていたことを忘れてしまう。ギリギリまで手をつけず締め切りに間に合わない。集中力が持続せず、すぐに違うことに手を出してしまう。
 しかし、今は仕事でもいろんなことを同時平行してやっていて、しかもマネジメントにも関わるようになり大変だ。本当は構造化された環境の中でひとつの集中してことをやりたいのだが人手が足りず、マルチに動かざるを得ない。 「段取りとは時間に意思をあたえること」「戦略とは何をしないかを決めること。」だそうである。本当は自分の給料の6割を出しても高次脳機能を補完する私設秘書に一日に数時間でもついていてもらえばどんなにいいかと思うが日本にはあまりそんな習慣が無いので(いいと思うが)代償方略の鬼にならなくては日常業務が遂行できない。
 時間管理術、手帳利用術には相当はまったが、現在は「ほぼ日手帳」+自作のディリーシート利用に落ち着いている。しかしまだまだ時間を使いこなせていない状態であり、秘書代わりのコンピューターを利用してもう少しうまくできないものかと思うが機動性、形態性、一覧性などに難があり職場のグループウェアのスケジュールも、アウトルックなどもいまひとつしっくりこない。職場環境の構造化、業務のシンプル化、見える化、情報共有もさらにすすめ、業務の分担をおこなっていかなくてはならないし、自分の脳や体の特性にあった時間や業務の進め方をみつけていかなくてはならない。

 最近ヒットのキーワードを紹介する。

 ※GTD(Getting Things Done)
ストレスフリーの仕事術、Lifehackなど本に詳しいが、全てのToDo(すること、やりたいこと)を書き出して定期的にレビューするというこの方法論はかなりすばらしい。できるだけシンプルに頭を軽くして自分の中の声、外の声に耳を澄ましながら自分のミッションを追い求めていきたいものだ。

 ※ボスマネジメント
 欧米のビジネススクールでもボスマネジメントという考え方を教えられるらしい。上司(ボス)にはキャリアコーチ、アセッサー、トラブルシューター、スタンパー、ハイパープロフェショナル、コ・ワーカー、ネットワーカーの7つの機能があるそうで自分の仕事をベストにもっていくために上司をどう使うのかと考えたときに上司は経験をもった知的データーベースであり、意思決定時のヒントボックスであり、自分を磨くためのジョブトレーニングツールなのだそうで、「活用する」意識をもつことが重要だそうだ。

 以下の2つはSEの友人に教えてもらった戦略。もう少し研究して活用して行きたい。

 ※Work Breakdown Structure
 プロジェクトマネジメントで計画を立てる際に用いられる主要なツール。プロジェクトの成果物あるいは仕事(work)を詳細区分(breakdown)して階層構造(structure)化した図表、あるいはその図表によってプロジェクトのスコープ(範囲)全体とその中で作られる成果物ないしは作業の関係を体系的に集約・把握する手法のこと。分解された個々の部分を構成する一連の作業のかたまりのことを「ワークパッケージ」と呼ぶ。WBSが完成すると、すべてのアクティビティ(実際に行わなければならない作業)が定義されたことになる。これがすべて実施されれば、プロジェクトは完了となる。それぞれのアクティビティには、所要時間/コスト/資源などが割り当てられるので、プロジェクトを定量的に管理することが可能になる。個人レベルでもこのアイディアは活かせそうだ。(自作のディリーシートはこの構造になっている。)また医療現場のクリニカルパス、リハプログラムにもこの考えは活かせそう。

 ※Intelectual Capital Management
“知識”“人材”“信頼”など、財務諸表に表れることのない目に見えない資本、すなわち知的資本(intellectual capital)を中心的な経営資源としてとらえ、企業の成長と価値創造を実現しようという経営モデルのこと。医療現場の知識や経験を共有、蓄積するための巨大データーベースを国家戦略としてつくってほしいものだ。また、そういった資産をリアルタイムで活かすために院内どこでもインターネットに接続できるようにしてほしい。一方、人材や信頼、人的ネットーワークなどの資産については病院の経営者はどう考えているのだろうか?どのように評価すればいいのだろうか? 病院の経営を担当するものはMBAをとれとまでは言わないが経営学やマーケッティング等のビジネス戦略も勉強すべきだろう。ヒントになることはいっぱいある。

原点?サークル活動。

2006年07月17日 | Weblog
 大学時代のサークル(天文同好会)のはじめての大同窓会をやるというので、はるばる北海道まで行ってきた。毎週のように行っていた行きつけの居酒屋「きよた」に干支一回り以上も違う若者(?)が80人もあつまった。そして、サークル内での出会いがきっかけで結ばれた人もはけっこういて子連れの参加者も数名。

 思えば、サークルの活動では本当に様々なことを学んだものだ。そもそも自分がやりたいのは地域医療(運動)なのかなという気持ちが芽生えはじめたのは2週間にわたる夏合宿で道東の酪農と林業の町の廃校を公民館に転用した施設を借りて夏合宿をやったときに、そこを開拓し、地域づくりに励んでいる地域の人たちと触れ合った経験や、先輩に「こういうところで地域医療に貢献してみるというのはどうだい?」と言われたことがきっかけかもしれないと思う。

 また、試行錯誤で、決してうまくいったとはいえないが、同期や先輩や後輩の助けをかりながら会長としてサークルを運営した経験はかけがえのないものとなっている。そしてなんとかサークルはつぶれずに存続しいまも同じような雰囲気で若者が元気に活躍しているのはよろこばしいことである。

 趣味で言えば、自転車で長距離の旅行するようになったのもサークルで先輩に誘われたのがきっかけだ。そして一緒にチャリ旅行した後輩は全国に自転車道をつくるのだといって国土交通省に就職した。別の先輩からは、写真や、星や、野鳥や植物の楽しみ方を教えてもらった。山登りをはじめたのも先輩に大雪につれていってもらったのがきっかけ。(いまは行けていないが・・。)

 同期や前後の代も、それぞれの世界で活躍していた。本格的に環境問題に取り組んでいる人もいるし、研究者の道へすすんだ人もいれば、コンピュータやアニメを仕事にしている人もいる。国際協力でタンザニアに行ってしまった人もいる。共通するのは趣味や自分のスタイルを大事にして活躍していることだろう。先輩たちをみて「あ、なんだ、好きなことをやっていいんだ。」と気づいたのがここで学んだ一番大きいことかもしれない。北海道外に出ていったん働いたが、やっぱり北海道でと、北海道へもどってきている人も多かった。

 ヒントや元気をいっぱいもらって帰ってきて、自分は自分のえらんだ道をこのまま進んで遠くない将来、この仲間で何か面白いことができればいいなと思った。

組織の健康度チェック

2006年07月12日 | Weblog
人は城、人は石垣といったのは誰だったか。
人を大切にし、育てない組織は先は長くない。経営は人事である。
そこで組織の健康度チェック。

□若い人にやる気があり、元気である。
□組織の長がこうしたいと思うことが比較的早くみんなに理解され、実行に移される。
□与えれた仕事を単にこなすだけではなく、連係プレイを意識しながら仕事をしている人が多い。
□経営陣の気持ちが一つになっていることがわかる。
□経営をサポートする人たち(参謀)がいて、トップが動きやすそうである。
□指示に対して不明な点があれば問い直すのが習慣になっている。
□会議の数、時間、資料作成の時間などは以前より減少傾向にある。
□クレーム費等の失敗コストは減少傾向にある。
□どうせ言ってもムダとあきらめている人が少ない。
□問題を先送りしたり、臭いものにフタをするような人間は少ない。
(『実践ガイド、なんとか会社をかえてやろう』 柴田昌治 より)
あなたの組織はどうだろうか?

アレルギーバースト

2006年07月10日 | Weblog
 私は、以前よりアレルギーっ子で、アトピー性皮膚炎と喘息があり、喘息は大きな発作は起こしたことは無いが、アトピーは難治でかゆくて眠れず、かきむしるために布団血が付いたりといったこともあった。それでもなんとか付き合えるようになってきて、自分では並みの皮膚科の医師よりはこの病気について詳しいと思っているし、学生時代には一時は研究者になろうかと思ったくらい、免疫学やアレルギーに関しては研究室にも出入りもして勉強していた。実際、自分の血液は好酸球も9%あり、IgEも2500以上ある立派なアレルギー体質である。
 しかし、ひとつこういった病気をもっていると非常に勉強になり慢性疾患との付き合いというのも覚える。確かにストレスや精神状態、体調をもろに反映するし当直続きの日や、飲みすぎた翌日は露骨に肌は悪化する。埃っぽい汚い部屋もダメだし、以前飼っていたネコも苦手になり、目のかゆさや鼻づまり、息苦しさがでてくる。自分の体を観察対象としてみるのも興味深いし、皮膚科に受診しても医者はむちゃなことばかりいうのもわかる(いろいろ教わりはしたが・・・)
 ラテックスにもある日突然感作された。外科を研修で回っていたときにはラテックスの手袋をつけても平気だったのに、その後胃腸科をまわっていたときにラテックスの手袋で手が真っ赤になり、ぶつぶつができて、かゆくなるようになりステロイドの軟膏をぬっていたが、それでも別の機会に使うと今度は目はゴロゴロショボショボからだはかゆくて、おなかもむずむず、なんとなく息苦しいような感じになり、ステロイドを飲んで数時間は体を冷やしたり、横になったりして動けなくなった。それが一度ならずあったのでラテックスではあるが抗原性を減らしたパウダーフリーのものをつかってもやはり手が赤くかゆくなったのであきらめた。清潔操作が必要なときはプラスチックの滅菌手袋を使うが、密着性がわるいので細かい操作はできない。神様にお前はこっちじゃないよといわれている気がして手技の多い科にすすむのはあきらめた。ついでにエコーの練習をしていたときにエコーのゼリーにも感作されたらしくぶつぶつ赤みがでるようになった。こんなに抗原に囲まれていてはいつアナフィラキシーになってもおかしくは無い。エピネフリンを持っていたほうが良いかもしれないがエピペンは自費だ。(病院にいる限りは大丈夫だろうが。)
 それからどうも、何に感作されたのか、突然、顔は真っ赤、体がじとっとなり痛がゆくなり、掻くと皮膚が真っ赤になり、皮膚はぼろぼろ、しばらくは体全体がむずむずして具合が悪くうごけなくなることがしばしばある。アレルギーバーストだ。そういうときは体の中で、ある種のサイトカインがあばれているのだとおもう。ラテックスフルーツ症候群のように交叉抗原性のある食物にやられているのかもしれないが原因がわからないことのほうが多い。しかし寝不足や体調の悪いときにおこることが多いのは確実な気がする。そんなときは、こっそり抜け出し、シャワーで体を冷やし、抗ヒスタミンとステロイドの合剤を飲んで、軟膏を塗り、嵐が過ぎ去るまで数時間、できれば涼しいところ下肢を挙上し横になっているしかない。そんなときに抜けられない仕事がたまっていたりすると大変だ。しかしよく眠って翌日になると赤みはとれ落屑がぼろぼろ。みごとな湿疹三角を描いて治癒していく。このように不便ではあるがいろいろ勉強させてくれる体ではある。

障害者自立支援法(国リハからレポート。長文です)

2006年07月06日 | Weblog
障害者自立支援法についてのレクチャーを受けるチャンスがあったのでレポーする。
佐久、南佐久地域の障害者福祉、地域リハビリテーションを推進するきっかけとなる制度と考える。

 7/4-6まで、埼玉県所沢市の国立身体障害者リハビリテーションセンター(国リハ)で開催 された高次脳機能障害支援事業関係職員研修会に参加させていただいた。国リハにくるのは昨年の義肢装具適合医師等研修会に引き続き2回目。当院のMSW(超優秀!)、リハのスタッフ数人とともに参加して、 レクチャーの後、みんなで飲みに行って帰ってから宿舎に帰って書いている。
 しかし、こういう、たまにいく平日の出張はとてもありがたい。出させていただいた上司や、診療所の代診などを引き受けていただいた同僚に感謝する。当直明けでの眠い頭ではたして起きていられるか心配したが大丈夫だった。

初日は厚生労働省の官僚(厚生労働省社会援護局障害保健福祉部企画課長補佐、武井貞治氏、精神・傷害保健課長補佐、杉江卓也氏)による障害者自立支援法 と、高次脳機能障害支援モデル事業の講演だった。地域の現場の人間の実践の話のように熱く伝わってくるものはないが、さすがに慣れているのか話は上 手で立て板に水のごとくよくしゃべりわかりやすい。介護保険制度のときにも感じたことだが、厚生労働省の官僚は頭が良いし、頑張っていると思う。NPOや行政、福祉施設などで手弁当で現場の人間がやっているよい実践を法的制度的にサポートして広めていってほしいものだ。(福ぽん、ファイトだ!)

「高次脳機能障害」とは何か聞きなれない方のために一応、解説すると、脳外傷、脳血管障害、脳腫瘍等の後遺症としての、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害等の障害のことを言う。交通事故などでの脳外傷を契機に、いままでできていたことができなくなり、本人も周囲もそれがどうしてなのかわからず、適切な支援もなされないまま、なんど就労しても失敗し、2次性にうつになり、引きこもり、自殺するなどという悲劇がおきていた。一見正常に見えるため周りからも理解されづらく、軽症の場合復職、復学の社会復帰にあたりはじめてそのハードルに気づくことが多い障害だが、しかし、今までの制度では身体障害、知的障害、精神障害のいづれにも該当しない、いわゆる「はざまの障害」で、そういった障害があること自体、医療者や福祉関係者も知らずに適切な連携もとれず見逃されていた現実がある。厚生労働省の推計では全国に約30万人程度いるとされ(18歳から65歳までだと7万人)、救命救急技術の進歩で急増しており、いまや医学的、社会的リハビリテーション 分野の一大テーマの一つだ。(自分の専門分野にしたいと考えている。高次脳機能障害をテーマとしたトレンディドラマや映画がヒットすれば一気に理解は広がる でしょうか?)
私個人としては先天的か後天的かの違いはあれ、アスペルガー症候群などの広汎性発達障害や、ADHD、統合失調症の後遺症等と生きづらさという点で支援は同様の枠組みでとらえてよいと考えている。モデル事業では現状で支援の手が差し伸べられていない、この一群の特徴をはっきりされるために高次脳機能障害に絞っている。)

 もっとも、おなじ高次脳機能障害でも、高齢者の場合は、現実問題として、認知症としての扱いとなり、当院の精神科医師の言葉をかりれば「残された日々を穏やかにすごしていただく」ことを優先して考えればよいのかもしれない。しかし先の長い若者が多い交通事故による脳外傷が中心の高次脳機能障害は、官僚の言うように「社会的に蓄積された資源を消費する側に回るか、生産する側に回るか?社会、本人、家庭にとって大きな課題。(セコイ 発想だが)」であるし、本人のQOLを考えても何とか社会参加を支援していきたいところだ。

  さて、平成18年4月1日より施行された障害者自立支援法である。障害者の扱いは平成15年度から、市町村が主体となって行政の権限として施しをしていた措置から、サービス利用者である障害者の自己決定を尊重し、主体となって使うサービスを選択できる支援費制度に変わり、さらに障害者自立支援法の施行に より介護保険そっくりな仕組みとなった。(介護保険をモデルにしてつくったのだから当然。3年後の改正では介護保険との統合が課題といわれている。)

 障害者自立支援法では、介護保険同様、収入や能力に応じた応能負担から、利用したサービスの一定の割合を負担する定率負担(応益負担)となった。また食費等のコストは自己負担となった。あまり切りつめをやると、社会保障でなくなってしまい、セィフティネットの役を果たさなくなるが、生活保護世帯や低収入者、市町村非課税世帯は上限キャップ等の負担軽減策は用意され、実質上、応能負担に近くなるという。
 制度利用には各種障害に対応すべく、介護保険の76項目+αの106項目の調査項目を基にしたデジタル判定と、主治医意見書を加味した審査会によるアナログ判定で障害程度区分が決まり、利用できるサービスの上限利用額(詳細未定)が決まるので、その中でコーディネータ(介護保険のケアマネに期待とのこと)を中心に本人の選択でうまく 地域にあるサービスを組み合わせ利用してくださいねという、これまた介護保険同様の仕組みである。

 本当は、ハンディキャップをもって生活している人の生存権と社会参加を保障するために必要な支援を必要なだけ行えるようにするが、福祉のフリーライダーと、障害者を食い物にしようとする事業者は許さない、という発想で制度設計してほしいところなだが国民を本当のところ信用していないのだろう。
 受益者は、若い障害者中心となるのだから、当事者自身も制度作りに参加して、物言わぬ(言えぬ?)高齢障害者の代わりとなって、介護保険もふくめた制 度改革に関わってほしいところ。その支援こそが、われわれリハビリテーションにかかわる専門家に期待されていることだと思う。(「あなたは私の手 になれますか?」を記した札幌いちご会の小山内美智子氏や、「こんな夜更けにバナナかよ」の故鹿野氏だったらなんというだろうか?)いみじくも官僚自身 (精神障害福祉課長補佐・杉江拓也氏)が言っていたように、「行政官は移動あるため制度の行く末を見届けられない。一貫性を保つためには皆様(当事者およ び我々現場の人間)の監視が必要。」なのだ。

 閑話休題。サービスの内容としては、身体障害、知的障害、精神障害の枠組みが取り払われ、いままでの施設系、居住系のサービスといった分類ではなく、訪問系、日中活動系、居住系という風に分類となった。一方で施設基準を緩め、複数の事業を組み合わせた小規模で多機能な多様なサービスを提供できるようにし、また就職に結びついて継続的に雇用につながるように生産活動の場、就労的な役割を果たす小規模作業所なども推進することで多様なニーズにこたえようとの目論みである。NPO、廃校の空き教室、民間住宅などの地域の社会資源をいかしさまざまな障害を抱えていても地域で普通に暮らせる街づくりを図る。キーワードは”多様性”で、このあたりのセンスは悪くないと思った。いわゆる「ゆびきりげんまん」など富山方式の宅幼老所や「せんだんの家」などの 逆ディサービス、「浦河べてるの家」などの地域での多様な実践が、やっと制度としても裏付けられた形だ。当院の関係なら「小海通所授産施設、福祉工房ぽっぽ」 や「宅老所、やちほの家」「せんたくハウスそよかぜ」などがそうだろう。

 この動きを推進し、地域の実情に合わせたきめ細かいサービス提供が可能となるように、地域生活支援事業という制度もつくられた。これは市町村、都道府県が予算の枠のかなで必要と思う事業をやってくださいというもので規模に応じていろいろな運営が可能である。レベルの低い自治体だと、いつものごとく、「新たな予算だ。ほれまた取りあえず新しいハコつくれ。」とやってしまうのではないかと心配ですが・・。予算の使い方には各々の自治体のやる気と能力が問われる。地域で地道に頑張っているNPO等や民間人の活動を支援するようなスタンスでやってほしいものだ。

 さて、この制度で、地域により8倍も格差があった障害者への支援費の地域格差、また障害種別の格差を減ることが期待されている。これにより、最低限のことができていなかった地域ではレベルアップが期待さるが、バランス感覚と、センス、行動力ともに優れ、地域で頑張っていた小規模自治体にとっては、ある意味、縛り無く自分たちの裁量で地域、個人のニーズにあわせて自由にやれた措置時代のほうがマシというかもしれない。事実、介護保険導入以来 地域で住民の命と暮らしを守る保健婦の活動は危機に瀕しているといいう。かつて地域の人々の生活、裏、表を知り尽くし、愛情と行動力で、地域に来た医師をも上手に使い、地域でのつながりをつくり、地域のために村でいろいろなものと戦い、医療福祉を必要な人に必要なだけ提供してきた村の保健婦。彼女たちが、いまや国や県からの、さまざまな施策や制度にあわせ実行するめ忙殺され、保健婦本来の公衆衛生活動ができなくたってしまってきているというのがベテラン保健師の共通の危機感のようだ。

 なにはともあれ、いよいよスタートを切った障害者自立支援法だが、この制度の素性は悪くは無いと思う。「ニーズにあったサービスが提供できるのか?」「障害者の定義」、「高次脳機能障害者の扱い」、「介護保険制度との統合」など、まだまだ3年後の改定に向け課題宿題を積み残した制度だが、実際に運用しながら、サービス利用者、提供者とともに良い制度にそだてていきたいものだ。

 本日も、本題の高次脳機能障害の支援モデル事業についても話があったが、これについては明日以降の話が中心となるので、それも踏まえて後ほどレポートしていきたいと思う。

病院のリストラ

2006年07月04日 | Weblog
当院は病院の移転再構築の計画がある。
いつまでたっても全体像が見えてこないので私なりの青写真をつくってみました。

プロダクトイノベーションよりはプロセスイノベーションが中心です。専門的な内容、ハード的なアイディア、それぞれを実現するプロセスについてはここでは割愛します。 
 再構築にあたって、当然作られるであろう、高度医療センターや地域医療センター、ER型救急外来、緩和ケア病棟や、回復期リハビリテーション病棟、外来化学療法部門などはあえてあげません。
 提案は、各自が「できる医療」、「やりたい医療」をやるだけの状態から、本来の住民のニーズが反映され、よりよい地域医療体制を、地域住民とともに考え、育てていくための仕掛けが中心です。
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2009年に高度医療センターの移転工事開始、2010年に移転を完了するために2007年度から本格的に組織、機構の再編成を始める。(様々な事情で少々前後するのは構わない。JFKのアポロ計画みたいに、とりあえず、そう決めちゃってそれにむけ準備をすすめていく。そうしないと絶対に実現できません)
 
●もはや情報化は避けて通れません。しかし上手にやらなくてはいけません。本格的な電子カルテ、院内情報システムの導入に向けネットワーク上での情報共有の仕組みを準次整備していく。2007年度から本格運用。全面電子カルテ化は移転後(ITシステムに予算を投入する。各職域にITスペシャリストをおき、そのための勉強、資格取得、情報交流を支援し職員のITスキルを戦略的に高める。電子カルテの規格統一をにらみながら、IT企業と組んで独自に斬新な電子カルテを開発する。)

●電子化の準備、医療の標準化、情報共有のためにクリニカルパスの作成、使用をさらに推進する。

●地域との連携、診療所や他院、開業の医師、職員との情報共有、勉強会、ヒューマンネットワークの構築を積極的におこなう。地域の限られたスペシャリストの技術、知識、経験を最大限活用するために、各専門科が中心となって、地域全体の医療のレベルアップをはかり、(連携室、各専門科)地域診療所や開業医と共通の電子カルテシステムを導入し、地域循環型医療連携システムを確立する。(これも移転再構築時に本格始動)

●地域住民や患者が主体的に自らの健康について考え、地域や医療のあり方を考えるのを支援するために、病院患者図書館、患者情報センター、総合的な窓口を行政と協力してつくり、患者会活動や地域活動を病院としてサポートしていく。(ハコは何でもいい。すぐに始める。ここが全てのカギとなると思います。)

●患者情報センターとも協力しながら、病院、地域からの情報発信、交流のために病院としてのメディアをもつ。IT部門、出版社、放送センター等、WEBももっと活用していく。専門職員を配置したシンクタンクをおき農業問題、保険医療福祉、プライマリヘルスケア、国際問題等の情報収集、アセスメントをおこない、政策提言し政策決定に反映させる。(・・・保健医療福祉政策に翻弄される受身の姿勢ではなく積極的にデータをだして発信していく。S総研、通称レモン)

●高齢害、障害をかかえて暮らす人の増加に備え、年をとっても障害があっても自分らしく安心して地域で住みつづけ、天寿をまっとうできるようにするために、地域ケア、リハを戦略的に充実させ、福祉の充実を図る。
 そのために病院、厚生連、JAの支援のもと、別組織をつくり、職員OBや、やる気のある職員にノウハウや医療、資金を提供し小規模多機能の居住福祉(できれば診療所や訪問看護ST、ヘルパーステーションなどと一体化して)、グループホーム、授産等、をつくる仕組み(ケアベンチャー支援体制)をつくる。(明日はわが身、今すぐにでも必要。ここまでいってこそ地域ケア)

●次世代を担う人材育成のために、看護大学、医科大学等の教育機関の設立。(これはすでに公表されている。農村医科看護大学)

●S病院にくる学生、インターンシップ生、研修生、就職希望者、医局派遣医師等を受け入れる窓口を一本化し、病院、地域の事情、歴史について学ぶプログラム、短期研修制度を作る。 (共通の認識、目標をもてるように。)

●地域医療を担える人材をそだて、僻地医療や農村医療のネットワーク作りのコンサルタント事業部をつくり全国の過疎地、それから中国をはめとする途上国の医療体制づくりを支援する。

 これらのプロジェクトは全職員の中からやりたい人を公募し組織編成上、院長直属とし、期限を区切り成果をもとめる、組織横断的なプロジェクトチームで行う。そのための他の業務から開放される時間の確保が保証されなくてはならない。 またプロジェクトの進捗状況は全体に公表される。
 一方、地域に必要な様々な技術の移転に関しては外部からのヘッドハンティングも積極的に行う。(目的をもった年俸性、予算をつける。)スカウト部門もつくる。(すぐに始める。)
 それぞれの事務局機能を担える優秀な事務の人材が不可欠である。
 これらのことは、基本的に南部、K分院を中心にモデルケースとして行い、そこで得たノウハウ、データを本院、新病院に移転する。(南部に優秀な人材を投入して自由にやってもらう。)

あとはリーダーのGOサインがでるのを待つのみ。

地域循環型の医療連携

2006年07月02日 | Weblog
 どんな診療科でもスペシャリストの養成には時間がかかる。地域全体でそのスペシャリストの知識、技術、経験を活かせるような仕組みが必要だ。一方、慢性期の生活習慣病の管理は地域での生活の見える一般医のほうが向いているだろう。連携と役割分担が重要である。
 ところで、臨床研修必修化により、ますます僻地からは医師がいなくなっている現実がある。もはや大学から医師が派遣されるという幻想を抱くことはできず、地域で医療ををそだてなくてはいけない状況である。ある研究(国立衛生院、長谷川)によると、この医師不足はしかし、医学部の定員を増やしてもかわらず、病院と診療所の配置や外来患者について調整することこそが根本解決になるという。そのためには病院と診療所との信頼関係と診療所のスキルアップが必要であり、その鍵となるのがネットワークである。

 さて糖尿病である。糖尿病はは予備軍も含めて国民の6人に1人、遺伝背景と、生活背景のベストミックスされたスーパーコモンディジーズであるにもかかわらずその専門医の数は非常に少ない。コントロールが不良のまま放置しておけば確実に合併症を引き起こす。そして、腎不全⇒透析、糖尿病性網膜症⇒失明、末梢神経障害、閉塞性動脈硬化症⇒足切断。マクロアンギオパチー⇒脳梗塞、心筋梗塞という悲劇が確実に待っている。しかし多数の患者を専門医が病院で全ての診るのは不可能である。しかし病院の専門外来には患者が押し寄せ、数分の診療しかできない血糖外来となっている実態がある。
 
 当地域にはSDネット(佐久平糖尿病ネットワーク)という糖尿病の勉強会グループがある。標準化された糖尿病の診療を地域の一般医にも広め、この地域で糖尿病に苦しむ患者を減らしたい、地域全体 で糖尿病診療を担っていこうと設立された開業医と地域の専門医の勉強会だ。そのSDネットが、千葉の「わかしお医療ネットワーク」を中心となってつくった東金病院院長の、平井 愛山先生を招いて開いた勉強会があったのでお邪魔させていただいた。
 
 平井先生のいる、千葉県山武地区は医療過疎の地域に高い専門性と質を兼ね備えた医療を実現する充実した地域一体型の糖尿病診療ネットワークをつくりあげたことで有名である。ここでの実践は電子カルテのモデル事業等のITが注目されがちであるが、ITはあくまでもツールでそれが動く人的背景が必要、むしろコツコツとヒューマ ンネットワークを気づいてきたことが大きいという。そして病院には地域医療を守るため、地域の人材を育成する役割があるのだと平井先生は力説されていた。

 かつて、山武地区でも大病院から安定期の糖尿病患者を地域の診療所、開業医に返そうと逆紹介しても患者はなかなか行ってくれなかった。やはりあらゆる検査もでき専門家がそろった大病院のほうがいろいろな意味で安心であり、それは理解できる。しかし、病院と診療所が、情報共有し、同じ目線で最新の診療ができることを何らかの形で担保されると患者さんは安心して診療所に行ってくれるという。

 そのために病院が東金病院が中心となってさまざまな仕掛けをつくった。ひとつは、診療所医師と、かかりつけ診療所のコメディカルスタッフのスキルアップのための手を変え品を変えた継続的な勉強会、そしてSDMなどのオンラインマニュアルによるベストプラクティスの共有と実践である。さらに最低限の臨床データ、目標値、投薬内容、検査データ等の最低限の情報が相方向でリアルタイムで見れるシンプルな情報共有システムを利用して、最初は患者は病院と診療所に交互に受診。おちつけば普段は診療所、年一回の病院の受診では病院でしかできない検査をおこなうというように役割分担し、地域循環型の医療連携システムをつくりあげた。
 この実践を続けることで、病院の専門外来のノウハウをどんどん診療所に移していき、ついに500人のインスリン自己注射患者を20の診療所で見られるようになった。(様々なインスリン製剤を使い分け、強化インスリン療法も行えるところもでてきた。)また、一次予防にも力をいれ行政とともに地域完結型疾病管理プログラムも推進している。・・・というようなお話でした。 ということで、「これは当地でもやりましょう」、と佐久医師会、浅間病院の先生、SDネットもやる気のようです。

これは糖尿病に限らず、高血圧、心房細動等の慢性疾患、リハビリ、在宅ケア、緩和ケア等も、おなじような仕組みでできそうですね。まずは、院内で多職種の勉強会、情報共有の仕組みをつくり、それを地域に広げていく必要がありそうです。
            

蠢く虫虫虫

2006年07月01日 | Weblog
 カッコーの鳴き声が遠くから聞こえてくる田舎の病院の目の前は千曲川で、解禁となった鮎つりをしている人の姿が見える。病院はイワツバメのコロニーとなり、えさを求めた親ツバメたちが病院の周り飛び交っている。彼らにとって病院の古い建物は岩山としか認識されていないのだろう。そんな病院の古い2つの病棟をつなぐ渡り廊下を洞窟と勘違いしたのかコウモリが飛んでいるのを目撃したこともある。
 病院の窓からは八ヶ岳と浅間山のきれいな姿が一望でき、近くの山の景色は春から夏にかけて緑がどんどん濃くなっていく。自然が豊かだと人はいうけれど、そんなにいいことばかりではない。田んぼの蛙の合唱が聞こえなくなったと思ったらこんどは虫の季節だ。すぐ外のりんごの木には毎年アメシロ(アメリカシロヒトリ)という毛虫がいっぱいわいて殺虫剤をまくので窓を閉めてくださいなんて連絡が入る。
 先日はうっかり窓を閉め忘れたため病棟が虫だらけになり大変なことになっていた。蛍光灯の下につもっているものは埃かとおもったらよく見れば虫の亡骸なのだ。ここ数年で、病室にはやっとクーラーが入ったけれども、寮にはクーラーはないため、夜は窓を開けて寝ることになるが、網戸をしていても、蚊や小さな虫がどこからともなく入り込んでくる。時には大きな虫が入ってきて蛍光灯にバチンバチンと衝突を繰り返す。耳の横では羽ばたかれてビックリすることも一度や二度ならず。診察室にはゴキブリが出るし、なぜ寮の畳にカマドウマがノソノソ?アリやクモまでいる。イヤでも他の生き物と共に生きていると実感させられる生物密度の濃いイナカでの生活。さびしくはないが、虫は苦手なのでいいかげんにやだくなる(信州弁)今日この頃。