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田舎暮らし

琉球王国の展覧会

2015-09-06 15:47:03 | Weblog
7月22日から8月31日まで島根県古代出雲歴史博物館では「東アジア交流の盛華 琉球王国」が開催されました。
NHKBSテレビの時代劇「テンペスト」(2011年)を観てから琉球王国をすっかり魅了して、国宝の玉冠を観るため
「玉冠」展示最終日の17日に雨の中早朝出かけました。尚家伝来した数々の至宝に驚き、素晴らしい作品を堪能しました。


桂並木の葉は少し色づき、山に靄が立つ雨上がりの美しい景色

琉球王国について
1429年から1879年までの450年間、沖縄本島を中心に存在した琉球國。多くの島からなる琉球列島は、
古くから特色ある風土の中、東アジアや東南アジアとの交流を通して、独自の文化圏を形成した。
隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。
1609年に薩摩藩により琉球侵攻、琉球国が敗戦。時の国王、尚 寧王(しょう ねいおう)が和睦を申し入れ、薩摩の属国となった。
1872年、明治政府は琉球国王、尚 寧王を藩主として琉球藩となった。
1879年、琉球処分により沖縄県となる、琉球王族は日本の華族になった。
第二次大戦後、日本の国土から分離され、信託統治領として、米軍が軍政下に置き、昭和27年(1952)から昭和47年(1972)まで
沖縄本島を中心とする琉球政府が設置された。
昭和47年(1972)施政権返還、沖縄県して本土復帰を果たした。


        看板の作品(左から)
【国宝】赤地龍瑞雲嶮山模様繻珍唐衣裳  第二尚氏時代(18~19世紀)
   (あかじりゅうずいうんけんざんもようしゅちんとういしょう)
     琉球王国の冬用の礼服。玉冠と共に国王の即位儀礼や元旦などの重要な国内儀礼際に着用。
     中国皇帝から賜った反物を使用。明代の様式を取り入れながらも背面に房を施すなど琉球独自の形態になっているそうです。
 
【国宝】美御前御揃(スーメーウスリー) 第二尚氏時代(15~18世紀)
 (右) 朱漆巴紋牡丹七宝繁沈金御籠飯 朱漆巴紋牡丹七宝金繁沈金足付盆(大)
     (しゅうるしともえもんぼたんしっぽうつなぎちんきんうくふぁん) 
     儀式用の三御飾。御籠飯と呼ばれるお米を盛る容器で、王城内で儀式や祝宴の際に使用。
     二段重ねの食籠で、蓋の甲が一段高く蓋鬘や格段に玉縁を廻らす。
     朱漆に深い彫の沈金で家紋(三ッ巴紋)や牡丹七宝繁文様が施されています。
     鮮やかな朱漆、深彫りの沈金が華やかさの中にも落ち着きがあり、形の美しさに魅了しました。

(中央) 金杯、銀杯洗、托付銀鋺、銀脚杯(大)、銀脚杯(中)、銀脚杯(小)、
     朱漆巴紋牡丹七宝金繁沈金足付盆(小)
     朱漆巴紋牡丹七宝金繁沈金足付盆(大)
     城内の祝宴に用いられたもの。

 (左) 御玉貫(大)御玉貫(小)(うたまぬき)
     糸で綴ったガラス製の小玉に覆われた錫製の瓶子。祭礼儀式や琉球王国や王妃などから下賜する酒を入れる容器として使用。
     胴部の文様は家紋を表し、底裏にも同じ文様が点刻されてるそうです。
     初めて見る珍しい製品です。
    朱漆巴紋牡丹七宝金繁沈金足付盆(大)

【国宝】玉冠(付簪)(たまのおかんむり) 第二尚氏時代(18~19世紀)
     玉冠は皮弁冠(ひべんかん)やタマンチャーブイとも呼ばれ、冊封(国王の即位儀礼)や
     正月儀式など杭の重要な儀式の際に、唐衣裳と共に国王の正装として使用。
     表面には黒縮緬が貼られて、その上に金糸帯が12筋縫われ、各金筋には24こずつ金や銀、珊瑚、水晶など
     7種類の玉が合計288個、鋲でとめられ、金簪は龍の文様です。

【県指定文化財】木造文殊菩薩坐像 江戸時代 (1670年)
     円覚寺旧蔵の釈迦三尊は沖縄戦で大破し、木造文殊菩薩坐像以外の木造釈迦如来、木造普賢菩薩坐像は頭部を失った。
     その大破した仏像や破片等は地元の人々の手で集められ、沖縄県立博物館・美術館で保管されていたが
     近年大掛かりの修繕が施されました。
     円覚寺は琉球王家の庇護厚く、沖縄戦で焼失するまでは琉球第一の巨刹として繁栄しました。

進貢船の図(しんこうせんのず) 第二尚氏時代 (19世紀)
     皇帝から与えられた品物や中国で購入した品物を積んで、進貢船が那覇の港に帰り着いた様子を描いたものです。
     港には進貢船を見物する人であふれ、和船や爬龍船など大小の船が入り乱れ賑やかな港の様子が伝わりました。
 
【県指定文化財】聞得大君御殿雲龍黄金簪 第二尚氏時代(16~17世紀)
       (きこえおおぎみうどぅんうんりゅうおうごんかんざい)
     聞得大君は琉球における最高位の神女。簪は聞得大君御殿にあった簪と伝えられています。
     前面に金箔が貼られ、頭には太陽を示す日輪や雲、龍と波の浮彫などが施され
     柄の部分には唐草文や魚々子(ななこ)文などが彫られています。
     側面と頭の底面、柄にある「天」の字は、王家の道具の印です。
     簪や神扇の大きさに驚きました。

【国宝】黄色地鳳凰瑞雲霞文様紅型紋紗衣裳 第二尚氏時代(18~19世紀)
    (きいろじほうおうずいうんかすみもようびんがたもんしゃいしょう)
     少年用夏物の紅型衣裳。
     中国から輸入された高級色材である石黄で染められた黄色地に、霞文様や鳳凰が表されています。
     黄色地に鳳凰文様の衣装は王家のみ使用。

気に入った展示品
●琉球王国尚家の至宝
    首里王府は国王の唐御衣裳をはじめ王府内の調度を製作管掌する小細工奉行とともに、官営工房いうべき貝摺奉行を設けて
    漆器をはじめとする美術工芸品を導入、洗練化し、すぐれた作品を今に伝えています。戦禍を免れた至宝です。

【国宝】紺地龍丸文様緞子唐衣裳(こんじりゅうまるもんようどんすとういしょう) 第二尚氏時代(18~19世紀)
     琉球国王の冬用の衣装。冊封の際に中国皇帝より賜った反物で仕立てられています。
     生地は緞子の紋織物で染められた深い青地に龍、菊唐草の文様が配されていますが
     緞子の光沢に深い青地が美しく、袖の形、身頃の裾の広がりなど素敵です。

【国宝】黒漆雲龍螺鈿東道盆(くろうるしうんりゅうらでんとぅんだーぶん) 第二尚氏時代(19世紀)
     黒塗に螺鈿の五爪の龍の文様が施された東道盆。
     東道盆は神仏へのお供え物や客人をもてなす際に使用。
     同様の品物は中国皇帝に献上されました。

【国宝】三彩三耳壺(さんさいさんじこ) 第二尚氏時代(19世紀)
     胴をろくろ成形で球形にはらませ、肩の三方に横耳を付けた壺屋焼の壺。
     底は平底で高台を浅く削り出す。内外面全体に釉薬を掛け、外面に白土を縞状に重ね
     その上に緑・藍・褐色の釉薬を玉縁に仕上げた口縁部から胴部全体に縞状に流しています。

●琉球の美

   木綿白地飛鳥に流水蛇籠葵菖蒲文様衣裳 第二尚氏時代(19世紀)
  (もめんしろじひちょうにりゅうすいじゃかごあおいしょうぶもんよういしょう)
     大模様の型紙を繰返して身頃に染めた作品。
     型紙を置いて糊防染し、その後、顔料や染料によって染める。朱、臙脂(えんじ)、黄色は中国から入手
     藍蝋は日本製が使われ、紅型は特別注文であった。
     蛇籠、流水を中心に据え、葵や菖蒲、小鳥が飛び交う様が表現されています。
     菖蒲の葉先が風に揺れえいるように見え、動きのある作品。
     この衣装は振袖に仕立てられており、元服前の男児が、江戸立の際に身につけたと伝わっています。

【県指定文化財】呉須線彫魚文皿(ごすせんぼりぎょもんざら) 第二尚氏時代(18世紀)
     湧田焼(わくたやき)作者 仲村渠致元(なかんだかりちげん)
     波に跳ねる魚を軽快な刀法で線彫りし、呉須で色を添えた皿。
     仲村渠致元は薩摩に赴き、竪野窯で朝鮮陶工の子孫から陶技を学んで持ち帰り沖縄の進展にも
     大きく貢献したため士族に取り立てられました。

【県指定文化財】象嵌色差面取抱瓶(ぞうがんいろさしめんとりだちびん) 第二尚氏時代(19世紀) 
     沖縄の陶器を代表する器型の抱瓶。泡盛などを入れ、両側に付けられた耳に紐を通し肩から吊るして用いていました。
     一般に抱瓶は三日月型だが、この作品は曲折させており、幾何学文様が象嵌されています。

     呉須飴釉丸文按瓶(ごすあめゆうまるもんあんびん) 第二尚氏時代(19世紀) 
      明治以降に導入された酸化コバルト釉を使用。天然呉須は沖縄では貴重で近世の壺屋焼ではほとんど使われていません。
      取っ手附き土瓶は沖縄ではアンビンと呼ばれ水汲みに使用。

●美の復興
  壺屋焼:小橋皮永昌、紅型染色家:城間栄喜、芭蕉布:平良敏子など戦後伝統を復活、後継者育成に努めて再興に尽力しました。

赤絵大壺(あかえおおつぼ)作者 小橋皮永昌(1970~1978年)
     赤絵を使い吉祥文で大柄の壺を埋め尽くした作品。
絹黄色地枝垂桜流水菊文様衣裳(きぬいろじしだれざくらりゅうすいきくもんよういしょう) 作者 城間栄喜(1908~1992年)
     琉球舞踊のために制作。衣裳の上と下部には異なる型紙が使われ複数枚で絵羽風に模様を構成する鎖大模様(クサリウフムユウ)
芭蕉黄色地総絣上衣(ばしょうきいろじそうがすりじょい)作者 平良敏子(1921年)
     芭蕉は輪層になった幹の内皮を薄く剥がし、細く裂いて糸にします。
     琉球王国では芭蕉布を老若男女、身分を問わず広く衣服の素材に使用しました。

 ※島根県立古代出雲歴史博物館は歴史博物館だけあって歴史は詳しく当館の地図、その他の資料も多数展示されていましたが
 観なれた工芸品をまとめました。

  
島根県立古代出雲歴史博物館のマスコットキャラクター
 雷太(うんた)くん 妹 出雲(いずも)ちゃん
シーサー
夫が沖縄旅行に行ったときのお土産
魔よけのために建物の門や屋根などに置く獣の像です。