7/19~22日 連休を利用 長女が 友達を連れてやってきた。彼女の入院や 息子の大学入試などが 重なり よくよく考えると 単身来訪で 彼女と 数日過ごしたのは20数年ぶりではないか。高卒後 直ぐに 大学入学で離れて住むようになって以来 引き続き 関東で 就職 結婚 と 一緒に生活することはなく今日に至っていた。子供が出来て何度も 親子での来訪は あるもいつも 孫の笑也中心の 話題・スケジュールとなって 今回のように 彼女中心のスケジュールは初めて、 今回のような親娘の対話は 初めての様な気がした。特別の話題があるのわけでないのに 何か親子で共有時間を過ごし 新鮮なよい時が過ごせた。 送り出して この少し遅い 初体験を考えてみた。
昔より 彼女との ゆっくりした 親娘らしい会話は少なかった様な気がする 少し反省。 言い訳は 二人の 親離れ 子離れが早かった のかな。
有馬 古泉閣
友人ユキ子さんお気に入りは 例の元県会議員のせいで 有名になった阪神武庫川駅とタイガースタクシー
高齢化社会に入り 最近は認知症について テレビの番組等でも多く採り上げられ 理解 認識は深まっている 十数年前は まだ 老人病については あまり知識や理解はなかった。 医療機関でも 物忘れ内科他 専門外来が増えていると聞いた。仲間内うちで 物忘れが増えたことや この病気のことはよく話題になる。 「呆けたのと違う?」は 周囲に言ったり 言われたり 日常化している。95歳で亡くなった母は 晩年 白内障が進み 目が不自由になり 西宮市 上ヶ原老健施設のお世話になっていた。我々夫婦と弟夫婦は 曜日をきめて 見舞った。足と目が不自由なこと意外には 特別に悪いところはなかった。彼女は日常よくラジオを聴いており 話題も豊富で 2~3時間は お喋りタイムとなって 会話は弾んでいた。
このような状況が数年 続いたが 時たま 「持ち物が無くなった」 が出るようになった。個室で 病院関係者我々以外は誰も入ってこないので 「誰も持っていかへん 置き忘れ違う」 とあまり取り合わないでいたら。「おかしい だれかが・・」 繰り返されるようになった。
ある時 弟とのやりとり 「お袋が 兄貴にきつく 怒られた 兄貴によく言っといて と頼まれたよ 何かあったの?」 「物がなくなると 繰り返し 言うので 腹が立って そんなことはありえない! 少しキツク言ったかも」
次に彼と会った時 パンフレットを渡され 「これ読んどいて」 それには 高齢者の特性 「物忘れ 物がなくなるという ……」 色々と書いてあり更に 「そのことに対して あまり否定しないよう 感情的にならないように・・・」
弟の言いたいことは 「ア・ウン」 直ぐ理解した。 お袋に対しては 老人の特性についての全く理解不足で 少し可哀そうなことをしたと ほろ苦い反省。
1906年 老健個室 笑也ライブ
各地の大学入試も終わり 小学~大学入学生の入学準備が 始まっている。4/1 消費税アップと重なり 入学関連商品が活況のよう。このシーズンになると思いだすことがある。高校2年の時(半世紀前) 父兄進学相談会があり 教員勤務の母は 最初で最後の出席をした。 受け持ちの先生に 「希望校は 無理と言われたので 受験だけさせてください 駄目な時は浪人させますから と言っておいたから」 当時 進学クラスに入っていたがどうも難しそうなので就職しようかと あまり受験勉強に力が入っていなかった。 この一言で 「母のメンツを立て あの受け持ちの先生を見返してやりたい」 気を入れ替えその後1年半は自分で言うのもなんだが 頑張った。合格の連絡来た時 母は「よかったね」のたった一言。