彼岸の墓参りの時 同行した弟が 昭和21年に戦死した父の古い手帳を見つけ コピーして持参してくれた。 「昭和十八年日記 皇紀2603年Pocket Diary」 出征した年 と推定。 70年以上の年月がたち 鉛筆書きで薄れ 判読しにくい字もある。自分とは異なり 几帳面な性格の弟が整理してくれていた。 当時4歳 父の記憶は少なくで断片的 まして 弟は1歳 全く 記憶は皆無ではと思う。 種々な記述もあるが 中でも新発見は父が俳句を嗜んでいた ということは 生前の母からも聞いたはことがなかった。 70数年ぶりの 未発表作品にスポットを当てたい。当時 神戸税関 植物検査課に勤務して神戸市葺合区の官舎に住んでいた。当時 実家の祖父の家(東京都新宿区戸塚)に 行ったことはかすかに断片的に記憶している 俳句より当時の官舎の様子や 夜汽車で実家に初孫(小生)を見せにゆくあたりの句は すごく新鮮で懐かしく父の思い出がよみがえってきた。自分には なかなかの貴重な名句を発掘した。
1月12日 東京へ汽車の旅(東海道線で 富士山 くっきり見えた 記憶あり )
初富士や 孫見せに行く 汽車のたび
初富士や 頂赤く 明けそめし
初富士や 薄紅に 明けそめし
初富士を おがめる春の 夜汽車旅
官舎の様子 終戦末期 若い人から出征し 自分には赤紙は来ないと言っていたとか
妻の下駄 一寸 ひっかけ ふところ手
ふところ手して 日曜の縁に 立つ
ふところ手し居るが村の助役とか
ふところ手していて官舎 最古参
我行けば 枯れ木くぐりて 月もゆく