最近 同世代の有名人の訃報が続いている。そのせいか 高齢化社会を迎え 老人医療 最期 在宅医療 介護などに関したテレビ報道番組も増えて 自分も関心を持ち よく見るようになっていた自分に気が付いた。
「NHKスぺシアル」は近年特によく見る番組。2月24日 NHK総合「大往生〜わが家で迎える最期」には とても感動し ビデオで二度見した。埼玉・80歳の医師・小堀鴎一郎さんの在宅医療に密着し 最期を自宅で迎えようとする人々の思いに迫る。いろんな事例の中で 特に感動したのは 末期がんの父親を全盲の娘が介護する実話。
娘さんは病気により全盲になった。父親は 働きながら娘を育てた。8年前に妻が脳梗塞で倒れ、妻と娘を1人で父が世話をしていた。妻を看取ったあと、父が倒れた。余命1か月と宣告されていた。目の見えない娘が介護を決めた理由は、病名がわかったころに「入院しますか?在宅しますか?」と先生から聞かれると「不自由な娘がいるので入院はしたくないです」父親が言ったと語る。小堀医師は診療以外でも様子を診る。折りたたみ椅子を持ち歩き患者と目線を合わせて喋る。
小堀医師は、年をとってから患者の向き合い方が変わったという。祖父森鴎外と同じ医学の道を志した。かつては東京医科大学の外科医として手術を行っていた。職人的なところに走り過ぎたという反省があると語る。在宅医療に携わったのは67歳のとき。それ以来同じ目線で向き合うようになった。壁には地域の地図貼られ 在宅医療患者がよく判るようにされている。
全盲の娘さん(47歳)は父のための料理づくりに挑戦する。近くに住む叔母に料理を習う。これまで父親が作ってくれていたと語る。父を安心させるためにも料理を作ったと言って出すと語る。この日 広美さんから心配ごとがあると病院に連絡が入った。床ずれがひどいという連絡だったが、目の見えないための勘違いだった。広美さんは1人でうどんを作れるようになった。しかし父親は食事がのどを通らなくなっていた。広美さんは盲学校で学んだマッサージをしていた。
感動シーンは 小堀医師の在宅介護で患者に接する会話 医療行為。患者が 以前 妻と盲目の娘さんの二人を在宅介護していた話 その人が在宅で 最後の大往生する様子。
ほぼ痛みは治まった 今朝の万歩計の記録 11229歩 5.9km。ここ数日は 新聞 テレビ 友人のブログをよく見た その中で 最近の 安倍さんの「国会答弁」、「沖縄県の県民投票」の「真摯に受け止める」に対する 表現につき「上手いなー」と思う表現があった。
友人のブログ
総理は言いました。「結果は真摯に受け止めます」と言いながら現実には無視して工事を続けています。これは性格破綻者です。性格破綻者が総理をやってもらっては、国民は安心して眠れません。工事自体の計画も破綻していて、県民の声を無視する性格破綻者がいる。これは民主主義ではない。日本はデタラメな国になったなぁと寂しい思いがします。
就任 3年目 阪神 金本監督が 最下位、成績不振の責任を取り「結果がすべての世界 私の力足らず 申し訳ありませんでした」と自ら甲子園 最終試合後の挨拶で辞任を申し出られた。 人も組織も 調子が悪い時に 本性が出るといわれるが 何と「潔い引き際」では。3年の経験は 今後必ず 花を咲かせると思う。
「潔い引き際!」独り言が 浮かんだ。一方で 対照的な「引き際が悪い」を探すと ある独り言を見つけた。
ひき‐ぎわ【引(き)際/退き際】
それまでの地位・立場などから退くときの時期や身の処し方。ひけぎわ。「―が悪い」
総理大臣をしているAさんは、さんざん悪口を言われています。規則まで変えて 三選をめざしているらしい。 追い込まれて、ぼろぼろになって辞めさせられるのでは引き際が悪すぎます。次の選挙で大勝利出来る人に格好よく譲って退任するか、留任して選挙で大勝利するか、どちらか皆から惜しまれて辞めたいでしょう。どのように辞めるのか、悩んでいるでしょう。辞め方によって、歴史上どのように評価されるかが決まるでしょう。そういうことで、辞め方が大事です=引き際は肝心です
ここ数日 樹木希林さんに関してのTV各局の報道 露出度が高い。彼女と親交のあった 田川さんのホームページ 9月30日 「樹木希林さんの葬儀」を転載させていただきます。イチローさんと 中学・高校・大学は 同じ学校に通学 長い親交が続いている。小生ブログの ブックマーク欄にも 紹介中。【猫屋亭主の寄り道日記】の欄をクリックすると いとも簡単につながり驚きました(初体験) 田川一郎ホームぺージ「猫屋亭主の寄り道日記」欄をクリックして一度ブログをのぞいてみてください
「猫屋亭主の寄り道日記」 2018年9月30日 (日) 樹木希林さんの葬儀
也哉子くんが、親族を代表して挨拶しました。すばらしい挨拶で、全員が涙しました
おおむね、次のような挨拶でした。
台風21号の上陸で 4日午後2時頃 未体験の強風が昼間に来襲 正直混乱した。特に 停電 断水 ガス 電気 電話 冷蔵庫 エレベーター停止 情報は携帯ラジオのみ。唯一の携帯電話も 電池残量少ない。当日は 乾電池とロウソクで夕食 クーラーなし 蒸し暑さ 、、、中でも翌日になり一番 堪えたのは 水がないこと 顔も洗えない いつになったら・・・・。近くのコンビニも閉店 我慢の限界 2日目 夕方 近所のサクラ公園に水道の水が出る情報あり。
水道電気の回復見込みの情報がないため H7年阪神淡路大震災の時 友人Ⅿさんが車で水を運んでくれた ポリタンクがまだベランダにあったため エレベーターは未開通なるも とにかく 意を決して ポリタンクを持参200m離れたサクラ公園まで出かけた。年齢のせいか 水の重さを思い知らされ 休み休み 昇る階段のことを思いながら ムカムカ イライラしながら頑張っていた。
行動を見ていたらしい 自分より少しだけ若い人が「何号棟ですかお持ちしますよ」声かけてくれた「大丈夫ゆっくり行きますから」一応丁重にお断りするも マンションエレベーターの前まで 運んでいただいた。初対面ながら 同じ団地の人で恐縮した。
一応水の手配を終え 帰宅後 全身を拭いていたところ「電気も水道も来ましたよ」 「あ! そーなの!」
二日にわたり先の目途がつかないための混乱状態であったが あの重いポリタンクの水を運んで頂いたAさんの善意により すっかり良い一日に変わった。
2075話で 八月ウォーキング実績を記録した。開始以来 5335日 距離 41500キロとなっている。早朝5時スタート ウォーキングを終えると 各自が ラジオ体のためグランドに集まる。15年前のスタート時は ひとり体操。今や30数人が 各々 グループ 個人で フリー実施、解散後 各自 三々五々自宅へ。 ウォーキングコースでは 多くの人々と挨拶を交わす様になり 多くの人に接し 別れもあった。
「思えば よくも長い間続いたもんだ 遠くにきたもんだ」長く続けられた大きな要因は これら多くの人との出会いと 健康に恵まれたことだと思う、 さらに加えるならば 道中で出会う 犬たちとの触れ合い友達になっていることも。
特に ウォーキング 最後のコース サクラ公園で犬の散歩の女性グループに出会う。みんな珍しい小型犬を連れている。品種 名前が知りたくて 何度も聞くが家についたころには 忘れてしまい 昨日は メモ持参で 今年初めて出会い仲良しになった 難しい名前2頭を採り上げた。 今年の夏の暑さは 彼ら彼女らに 本当に 辛かったと思う。それにつけても 毎朝 遠くから 駆け寄って来て 全身で 喜びを表し 体を寄せてくる。 朝のふれあいは 日課になっている。
ブリュッセルグリフォン アメリカンコッカースパニエル
第100回全国高校野球選手権記念大会で 秋田勢として103年ぶりの決勝進出 準優勝した金足農校について 2072話で採り上げた。その文中に第65回に 秋田高校の甲子園出場で当時 在学中の長女が 秋田から甲子園に JRで応援に来たことを思い出していた。あれから 35年 当時のことを 当ブログに取り上げていたことも思い出したが 詳細は記憶なく《1038話 白球の森 「高校野球出場校記念植樹」2013.3.29>》の記事を探し読み返した。
白球の森 1983年夏の甲子園65回大会を記念 出場校49校の郷土の木が 植樹されている。早朝 ウォーキングに訪れる人も多く、広くて気持ちのいい場所。出場校各地の気候 土壌に なじむかどうかで やはり列島の各県木も 現在 大きく成長した木と伸び悩んでいる木がある。毎朝 武庫川河畔をのぼり 河口まで下り ゴールはこの鳴尾浜臨海公園の白球の森を横目に 横のグランドで ラジオ体操が日課。
奇しくも 65回を記念して 鳴尾浜臨海公園の一角に設立された公園 白球の森の横のグランドでのラジオ体操, この公園に 15年 5330日 早朝通って来たことになる。
《兵庫県西宮市南東部,鳴尾浜臨海公園の「市民の森」の一角にある森。 1983年夏の第 65回全国高等学校野球選手権記念大会で日本高等学校野球連盟 (高野連) が各都道府県代表校に,ふるさとの木を兵庫県に寄贈するよう呼びかけ,北海道のエゾマツや沖縄県のリュウキュウマツなどの植樹を 1984年に開始,翌 1985年8月に完成》
公園入口