おじい様の独り言

地球一周ウオーキング(4万キロ)に挑戦、 2018.1 目標達成
『おじい様・・』は孫との会話中に 生れた固有名詞です

1118話 詩と写真のコラボレーション

2013-08-31 | お気に入り おススメもの

 

     

1104話 「筏下りの暑中見舞い」 石田さんより頂いた短歌と写真につき 文中で 「上西先生の短歌見直しました 失礼ながら 先生がこんな詩心をお持ちだったとは」と書いた 後に  正直 先生に失礼ではなかったかと 少し危惧していた。石田さんにそのことについて話したところ 先生も快く了解されていおられたとお聞きしていた。昨日 上西先生と石田さんの 市と写真の共作が届いた。祖父が 嗜んでいた 短冊のイメージあり 集めていた 骨董の中にも 詩と水墨画の掛け軸があったような気がした。なかなかの名作ストックもあるそうで 今後季節ごとに 送ってもらえるとのこと。お二人で編み出される この作品を自分は上西 石田の詩と写真のコラボと命名することにした。今後非常に楽しみにしている。

   

コラボレーション(collaboration)とは、複数の立場や人によって行われる協力・連携・共同作業のこと。またその協力によって得られた成果(=共同開発品・合作品・協力体制)もコラボレーションと呼ばれる。両方とも、コラボと略される場合もあり。

 

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1117話 雨乞い 霊験あらた

2013-08-27 | そうだったのか 

           24日 秋田の花火大会

雨乞い《天気の良いのに傘をさす》効果か 十七日間も降雨なしの記録的炎天続いていたのに 当日夜半より猛烈な雨。西宮市内 観測史上最多の1時間78ミリを記録した。  神戸・阪神間で 道路や駅地下通路が冠水。長期間雨が降らないし炎暑続きなので 日傘をさして出かけている行動を 冗談に 雨乞いとブログに書いた翌日 記録的な雨となった。 

大雨の朝 ウォーキングだけは休まずに定刻に出かけた。 通常  50人以上には出会うも  逢ったのは必ず「おはようございます」の挨拶交わす ジョギング中の外人さん一人だけ。大雨の為 ラジオ体操は 常連全員欠席  猫もカット(球場に閉じ込められたあのホームレス猫)だけ  グランドひさしで実施。 道路も随所に川の如く水が流れており  傘の効果なく ビショヌレで 帰宅。

独り言 連続降雨なしがニュースになっていたのに 雨乞い効果? 即 翌日に出てきた。 霊験ありか 『照っても 降っても お天気男

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1116話 東北の祭り

2013-08-25 | 友人のメール 傑作写真

山崎さん 作成のアルバムより 青森ねぶた 秋田竿灯 祭り ( ブログ抜粋) 

 ご無沙汰しております・・毎日暑い日が続いていますが如何お過ごしでしょうか。東北の祭りを撮影した、ついでに秋田の昔の住居がどうなっているか訪ねてみました…昔 田んぼの中でしたが、今は 商業地と高級住宅地に様変わりしていました。頭の中では30年前の記憶しか残っていなかったが・・・・・・・・秋田も立派な都会となっていました。

 独り言  写真 本当に良く撮れて 東北の祭りのあの独特の躍動感が伝わってきた  時間の経過を忘れ 秋田時代を 懐かしんだ。 

 

 

          

 

 

 

 

 

 

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1115話 雨も降らんのに傘・・ 翌日談

2013-08-24 | 同輩 ご同慶です

 

昨日 暑さ対策で なりふりかなわず 雨が降らんのに傘をさす を話題にした。なんと 夕刻に 雷鳴 稲光 夜中に降雨あり。 記録的な17日ぶりに待望の雨が。 昨日 昼前 日傘さして 森本歯科に出かけたことが まさか「雨乞い」になったのでは!

 

独り言  ゴルフ プレイ日の天気男は定着も 本当に とにかく ひと雨待望していた。

 

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1114話 雨も降らんのに傘さして

2013-08-23 | 同輩 ご同慶です

   

猛暑続きも早朝ウオーキングだけは休みなく継続中 外出は特別の用事以外は控えている。 日中に どうしても出かける時は 8月より新採用の 暑さ対策がある。強烈な日射しが続くために編み出した「天気の良いのに 傘をさす」ことに。 従来なら 人の目を気にしたり〈男が 天気のよいのに傘さして〉 雨が降る日でも 持ち歩きは少しメンドクサイ。 効果に満足しており 日よけ対策として 定着しそう。 使わなくなったゴルフ用の日除け傘を使用しているが デパートではこの夏 男性用日除け傘が売れているという。

独り言  他人に迷惑かかるわけでなし 格好なんか 気にしない。 歳の所為? 今年の異常な暑さのせい?  

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1113話 母の予言 「金持ちには・・ 友持ちにはなれる」 

2013-08-20 | 家族のこと
母の七回忌を たまたま 生誕100年の昨年に行った。父の戦死により 母は 小学校の教員になり 二人の子供を育てた。 祖母が 日常の親代わりとなったように思う。今振り返ると 母は 自分の しつけ 小言は祖母に任せて  自分は あまり母より 怒られたり 小言を言われた記憶がない。あの時代 経済的に辛い思いをしないで 好き勝手にさせてもらったと感謝している。 勤めの関係もあり かなり放任主義で育てられたような気もするが 結果的にどこかで 父親代りを意識していたのでは。
   1962年頃
   祖母と2人だけの写真を見つけた 

7年前 亡母について中学以来の親友よりのお悔やみの手紙 
オマエさんは 知らなかっただろうけれど 大学入学時 お母さんに言われたことがあったよ。「田川さん あの子(自分のこと)と末永く付き合ってやってね。あの子は 少し難しいところはあるけれど 不思議と 友達や周囲からは可愛がられるの。あの子は 金持ちには なれないけれど 良い友人には多く恵まれる筈 永い付き合いしてやってくださいね」 友人とそんなこと語っていたとは 全く想像もできない初耳であった。 

お盆の朝のウオーキング時 ラジオで 「金持ちよりも人持ち・友持ち 金森トシエ/著」の紹介をきいた
 これからの目指すところは、金持ちではありません。 そう、友持ちです☆ 自分にとって、真の友達だといえる人がひとりでも多くいることは、何よりも自分の人生を豊かにできると最近私は考えます。 「これからの時代は、金持ちでなく友持ちを目・・

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1112話 当たった祖母の予言

2013-08-18 | 家族のこと
ザクロ 
   ナツメ    イチジク
山口の家の周りには 祖父が植えたという当時では珍しいザクロ。ナツメ。イチジク。モモ等の木が周囲にあり 物資不足で食糧難の当時 おやつ代わりによく食した。お陰さまで 空腹 ひもじさの思いはあまり記憶にない。
祖母 きさは 明治13年(1880年)5月6日生まれ。今年 生誕133年となる。終戦後 母が勤めに出る様になると 実質親代わりとなった。中学入学式に父兄として出席している。当時 田舎の老婦が 毎朝新聞を読み 読み書き算盤ができるのは 周囲では珍しく 宿題を習うこともあり なかなかのインテリだったにちがいない。 そのお婆ちゃんより何度も聞かされた自慢話がる。初めて神戸に蒸気機関車が走る様になり 家族で見物に出かけた時のこと 周囲はみんな 走る機関車を見て 大層驚いたらしい。その時 発した言葉 「すごい 機械がでてきた これから 世の中 変わる!次は 空を飛ぶ機械が 出てくる!」 『空飛ぶ機械の出現を皆の前で予言した』その時に居合せた人は誰もいないが 後にこの予言が当たったことを 自分は何度も聞かされた。子供のころの当時は 「大したことではない」と聞き流していた。彼女にとっては 当時の状況から半世紀後に 予言が当たったことは 今になれば 余程の自慢話だっただろうと理解できる。孫として も少し真剣に自慢話を聞いてあげれるべきであった。
 独り言 「飛行機がまだ知られていない時代に 空飛ぶ機械を予言したなんて 凄いかったね-」と言ってあげたい。 
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1111話 父よりの軍事郵便

2013-08-15 | 家族のこと
今日は「68回目の終戦記念日」終戦の日のテレビ特集番組特番を多く観た。あの戦争による戦没者は310万人という。改めてご冥福を祈った。
 70年前 戦地より届いた 父からのはがきを長い間 母が保管していてくれた。神戸から 母方の祖母の山口に疎開したばかりで宛先が気付けとなっている。父は戦死となり 再会は叶わなかったが まだ 覚えたてのカナ文字の 小生あて10数枚のはがきがは届いていた。まだ字の読めない弟宛(お母さんに読んでもらいなさいとの)もあった。父は 行年三九歳で戦死した。お盆につき 父を偲び 戦地からの手紙はがきを読みなおしてみた。
父の戦死の報に接した 年少の当時は 正直あまり深刻に考えていなかった。 帰国し妻や幼子と再会すること叶わず 若くしての戦死は さぞ無念であったに違いない。父の年齢の倍も 歳を重ねて ハガキを見て 改めて 一言一句 父の心情が伝わってくた
 



  

独り言 全ての便りに【検閲済み】も生々しい。
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1110話 猛暑・酷暑・炎暑…

2013-08-13 | あの時のこと あの人のこと
 
 

    四万十川
猛暑 酷暑 炎暑 厳しい暑さ(真砂さんのメールの表現)ついに12日 高知県四万十市で 観測史上最高気温 41度を記録。四万十市は 高知出張の折 数回訪れている。風光明美で 山間の清流が気に入っていた。この記録で 国内最高気温記録都市《四万十市 41℃》 国内最低気温記録都市《旭川市 マイナス41度》を嘗て 両地を訪問していたことに。最高最低が たまたま プラス・マイナス41℃に。旭川の寒さ体験は 30年くらい前の冬 出張中の旅館で入浴中 浴室の天井に 湯気がツララとなって下がっていた記憶が。その翌朝 気温マイナス15度で小学校が休校になったと聞いた。

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1109話 祖母のこと

2013-08-12 | 家族のこと
70年前 (当時4歳)父の出征により 神戸から 母の実家 山口 田布施町に 疎開_。その後 父戦死により 高校卒業までを田布施で過ごした。母が教員として勤めに出るようになり 実質 弟と2人は祖母が母替わり 面倒を見てくれた。祖母と多くの時間を過ごしたわりに 二人で撮った写真が見当たらない。先日 中学入学記念写真をアルバムを見ていたら 一枚の写真の中に 祖母と一緒に写っていた。母の代理として 入学式に出席したときの 記念写真。
  S26年(1951年)   
        
あまり記憶にないが あらためてよく見直すと 若いお母さん方々の中に一人だけ目立つお年寄りがいる。(若いお母さん方も 現在 生存されているなら百才前後に) 祖母は 今に思えば なかなかのもの知りで 疑問なことを聞くとよく教えてくれた。 上手に 二人の男の子を育ててくれた事と思う。 祖母から よく聞かされていた自慢話を思いだした。
  
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