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おじい様の独り言

地球一周ウオーキング(4万キロ)に挑戦、 2018.1 目標達成
『おじい様・・』は孫との会話中に 生れた固有名詞です

1180話 2014年 元旦

2014-01-01 | 家族のこと

元旦 曇りの予報 日の出は望めない天気  定刻5時にウォーキングスタート

  ラジオ体操8名参加

    

家族の健康祈願 受験生の合格祈願に  芦屋と三宮の神社参拝に出かける。

   打出天神

   阪神三宮駅 

  生田神社

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1156話 大きくなっていた。

2013-11-16 | 家族のこと

 何時も ブログを見ていただいている 中国迷爺爺様より1155話にコメントいただいた「修聡クン、大きくなりましたねえ」。 自分は 彼の変化に 気付かなかったが お気に入り先輩コメントは 嬉しく その気になって 今春 訪れたときの写真と比べてみた。 爺バカのひいきめにも 半年で 明らかに 印象は変わっていた。

     半年前 ラピート(南海電車) 4本指ポーズ

     半年後(11/2) トーマス(京阪電車) 5本指でポーズ

                 さらに 10日後に届いた 七五三 記念写真  

 

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1155話 乗り物好きも

2013-11-13 | 家族のこと

乗り物好き 特に電車好きの修聡は ひらかたパークの乗り物にも目がなかった。ジェットコースターや 観覧車等は 怖がり 乗車拒否。

         何に乗ろうか 下調べ

    

    

 

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1152話 枚方の秋には やはり菊が 

2013-11-08 | 家族のこと

 修聡が希望した 枚方パークの菊人形展は 明治 大正 昭和 平成の時代に 秋の風物詩として 百年以上の歴史があった。 しかし 平成17年秋で制作関係者の高齢化 後継不足のため 閉幕となった。來園の目的は 5歳の彼は 「花より団子」 花を見るより 京阪電車のトーマス号と公園内の乗り物が目的。 おじいさんは 花を楽しむことに。 伝統の菊人形展としてのイベントはなくなったが 広い公園内の 花壇 バラ園 初めて観る花などに 十分自分も満足した。随所に伝統の菊人形展の展示 栽培技術が生かされているなと感じた。

     

     

    

     

  

  

  

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1135話 一日も早く 帰還して 顔見たい

2013-10-05 | 家族のこと

 彼岸に 父より 母 自分 弟宛ての戦地よりの三通の 便りを読みかえした。 当時 神戸から母方の実家に疎開して 父の帰国を待っていた。あらためて戦地で帰国待機中の 父の心情を 痛切に感じた。 父は38歳で 戦病死となり 再び日本の土を踏むことはなかった。 特に 終戦で 引き上げ待機中 母に宛てた はがきには 70年の歳月を超えて 父の重い想いがあった。 

母宛

 

・・・・・ 御地の様子もどうなっている事か 特に 神戸 東京の様子を一日も早く知りたいと思っている いずれ九州の何処かに上陸できるようになると思ふが 帰還の上一日も早く 坊や お前たちの顔を見たいと思っている お前たちもさぞ精神的並びに経済的に苦しい生活を送っていることと思ふが 小生 帰国の上は共に手を取り合ってこの苦難に打ち勝って行き度いと思ふ 何日になるか今のところ全く不明ではあるが 小生幸い病気もせずに漢口東方九江北岸五六里の所で 帰国できる日を待っている 東京の様子もできるだけ知り度い

坊や(小生) やす坊(弟)あて

  

字の読めない弟に(読んでやるべし)とあり

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1132話 「初富士や 孫見せにゆく 汽車のたび」

2013-09-29 | 家族のこと

          

 彼岸の墓参りの時 同行した弟が 昭和21年に戦死した父の古い手帳を見つけ コピーして持参してくれた。 「昭和十八年日記 皇紀2603年Pocket Diary」 出征した年 と推定。 70年以上の年月がたち 鉛筆書きで薄れ 判読しにくい字もある。自分とは異なり 几帳面な性格の弟が整理してくれていた。 当時4歳 父の記憶は少なくで断片的 まして 弟は1歳 全く 記憶は皆無ではと思う。 種々な記述もあるが 中でも新発見は父が俳句を嗜んでいた ということは 生前の母からも聞いたはことがなかった。 70数年ぶりの 未発表作品にスポットを当てたい。当時 神戸税関 植物検査課に勤務して神戸市葺合区の官舎に住んでいた。当時 実家の祖父の家(東京都新宿区戸塚)に 行ったことはかすかに断片的に記憶している 俳句より当時の官舎の様子や 夜汽車で実家に初孫(小生)を見せにゆくあたりの句は すごく新鮮で懐かしく父の思い出がよみがえってきた。自分には なかなかの貴重な名句を発掘した。

                                              

1月12日 東京へ汽車の旅(東海道線で 富士山 くっきり見えた 記憶あり )

    初富士や  孫見せに行く  汽車のたび 

   初富士や  頂赤く  明けそめし

   初富士や  薄紅に  明けそめし

   初富士を  おがめる春の 夜汽車旅

官舎の様子 終戦末期 若い人から出征し 自分には赤紙は来ないと言っていたとか

    妻の下駄 一寸 ひっかけ ふところ手  

    ふところ手して 日曜の縁に 立つ

    ふところ手し居るが村の助役とか

    ふところ手していて官舎 最古参

    我行けば 枯れ木くぐりて 月もゆく

 

 

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1128話 老人の日 プレゼント

2013-09-20 | 家族のこと

    

修聡より 老人の日のプレゼント。読み書きには苦心の様子。どうしても 右上の字が解らない。電話で問い合わせ 「かなぶん」とのこと。

上より かぶとむし かなぶん かみきりむし くわがたの昆虫シリーズ  ちなみに お婆ちゃんには

 

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1113話 母の予言 「金持ちには・・ 友持ちにはなれる」 

2013-08-20 | 家族のこと
母の七回忌を たまたま 生誕100年の昨年に行った。父の戦死により 母は 小学校の教員になり 二人の子供を育てた。 祖母が 日常の親代わりとなったように思う。今振り返ると 母は 自分の しつけ 小言は祖母に任せて  自分は あまり母より 怒られたり 小言を言われた記憶がない。あの時代 経済的に辛い思いをしないで 好き勝手にさせてもらったと感謝している。 勤めの関係もあり かなり放任主義で育てられたような気もするが 結果的にどこかで 父親代りを意識していたのでは。
   1962年頃
   祖母と2人だけの写真を見つけた 

7年前 亡母について中学以来の親友よりのお悔やみの手紙 
オマエさんは 知らなかっただろうけれど 大学入学時 お母さんに言われたことがあったよ。「田川さん あの子(自分のこと)と末永く付き合ってやってね。あの子は 少し難しいところはあるけれど 不思議と 友達や周囲からは可愛がられるの。あの子は 金持ちには なれないけれど 良い友人には多く恵まれる筈 永い付き合いしてやってくださいね」 友人とそんなこと語っていたとは 全く想像もできない初耳であった。 

お盆の朝のウオーキング時 ラジオで 「金持ちよりも人持ち・友持ち 金森トシエ/著」の紹介をきいた
 これからの目指すところは、金持ちではありません。 そう、友持ちです☆ 自分にとって、真の友達だといえる人がひとりでも多くいることは、何よりも自分の人生を豊かにできると最近私は考えます。 「これからの時代は、金持ちでなく友持ちを目・・

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1112話 当たった祖母の予言

2013-08-18 | 家族のこと
ザクロ 
   ナツメ    イチジク
山口の家の周りには 祖父が植えたという当時では珍しいザクロ。ナツメ。イチジク。モモ等の木が周囲にあり 物資不足で食糧難の当時 おやつ代わりによく食した。お陰さまで 空腹 ひもじさの思いはあまり記憶にない。
祖母 きさは 明治13年(1880年)5月6日生まれ。今年 生誕133年となる。終戦後 母が勤めに出る様になると 実質親代わりとなった。中学入学式に父兄として出席している。当時 田舎の老婦が 毎朝新聞を読み 読み書き算盤ができるのは 周囲では珍しく 宿題を習うこともあり なかなかのインテリだったにちがいない。 そのお婆ちゃんより何度も聞かされた自慢話がる。初めて神戸に蒸気機関車が走る様になり 家族で見物に出かけた時のこと 周囲はみんな 走る機関車を見て 大層驚いたらしい。その時 発した言葉 「すごい 機械がでてきた これから 世の中 変わる!次は 空を飛ぶ機械が 出てくる!」 『空飛ぶ機械の出現を皆の前で予言した』その時に居合せた人は誰もいないが 後にこの予言が当たったことを 自分は何度も聞かされた。子供のころの当時は 「大したことではない」と聞き流していた。彼女にとっては 当時の状況から半世紀後に 予言が当たったことは 今になれば 余程の自慢話だっただろうと理解できる。孫として も少し真剣に自慢話を聞いてあげれるべきであった。
 独り言 「飛行機がまだ知られていない時代に 空飛ぶ機械を予言したなんて 凄いかったね-」と言ってあげたい。 
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1111話 父よりの軍事郵便

2013-08-15 | 家族のこと
今日は「68回目の終戦記念日」終戦の日のテレビ特集番組特番を多く観た。あの戦争による戦没者は310万人という。改めてご冥福を祈った。
 70年前 戦地より届いた 父からのはがきを長い間 母が保管していてくれた。神戸から 母方の祖母の山口に疎開したばかりで宛先が気付けとなっている。父は戦死となり 再会は叶わなかったが まだ 覚えたてのカナ文字の 小生あて10数枚のはがきがは届いていた。まだ字の読めない弟宛(お母さんに読んでもらいなさいとの)もあった。父は 行年三九歳で戦死した。お盆につき 父を偲び 戦地からの手紙はがきを読みなおしてみた。
父の戦死の報に接した 年少の当時は 正直あまり深刻に考えていなかった。 帰国し妻や幼子と再会すること叶わず 若くしての戦死は さぞ無念であったに違いない。父の年齢の倍も 歳を重ねて ハガキを見て 改めて 一言一句 父の心情が伝わってくた
 



  

独り言 全ての便りに【検閲済み】も生々しい。
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