『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1316】呼吸とは即ち、祈りである

2008-02-21 04:54:33 | 思索
第5章 『呼吸法』(その3)

『呼吸とは、単に物理的な空気を吸って吐いているだけのものではない。
呼吸は本来、宇宙神と自らの肉体をつなぐ生命の絆である。
宇宙神と自らの肉体つなぐ生命の「祈り」である。

呼吸とは即ち、祈りである。人類はみな、知らずに祈っているのである。
祈りと気づかず、祈りつづけているのである。

この祈りを通して、天と強く結ばれているのである。
だが、深い真理、祈りを忘れての呼吸は、全世とはいえない。半生である。

祈りを忘れてしまっての呼吸だからこそ、人類は本道を歩めないのである。
自らが本道を逸脱し、自らが不幸への道を創造しているのである。

この本来の呼吸法、祈りに気づいた者から順に、病気や不幸、あらゆる悩みや困難から開放されてゆく。

二十一世紀の人類は、あらゆる宗教宗派、哲学、常識を超えて、
自らの呼吸法に目覚めてゆくのである。

人類はみな、自らの究極の呼吸法により、
真の自由自在なる輝かしい人生を進化創造させてゆくことが出来るのである。』(12月号 p12)

『自らの静かな深遠なる呼吸を通し、「悪い状況、不吉な状況は、未だ結果として現象界に現れてきていない」という
ことを、はっきり自覚することである。

だが、真理を知らない人は、未だ結果が確定していないその段階で、悪い状況が現れることを恐れるあまり、
それが現れるであろうと自らの自由意志を働かせ、悪い現象が起きて可能性を現実に創り上げてしまうのである。

ゆえに結果が現れる以前に、自らの究極の真理、天と自分とを一直線にひとつに結んでゆく生命の呼吸、
生命の祈りにより、成功する可能性、治癒する可能性、幸せになる可能性、生きる可能性を引き出してゆけばよいのである。

そのためには、それこそ自らが究極の真理に出会い、究極の真理を日々瞬々刻々、自らの言動に現してゆくことこそが、
必要なのである。

それには、大変な努力がいるが、それは自らの尊い人生にとって欠かせない、重要なことである。

この努力こそが尊いにである。この自らが、自らの真理に目覚めさせてゆく努力こそが、今生におけるすべての鍵である。』
            (12月号 15ページ)

★とても、納得のできる文章(笑)だと思うのです。 (^^;ゞ
 精神世界系の本にも、こういうことが書いてあったと思うのですが、(^^;ゞ
 これほど、明確には説明されていませんでした。

 とにもかくにも、「祈りの呼吸法をして、生き延びる」(笑)ことが大切(?)なようです。(^^;ゞ

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