今月の富士聖地の行事では、「絶対に、大丈夫」ということが何回も言われていて強調されていたそうです。
この「絶対に、大丈夫」を論理的に考えてみると、
「自分の都合の良いようになる」ということではなくて、
「世界平和の祈り」と印を組むことを、自分の納得のいくまでやっていれば、
「どんな災難(不都合)が起きても、動じない心境になるから、絶対に大丈夫!!」ということなのです。
つまり、「絶対に、大丈夫」には、一つの要件があるのです。
ですから、「集会で祈っているから大丈夫」とかいうことではなくて、(^^;ゞ
日々時間のある限り、自分(守護霊・本心)の納得のいくまで、「世界平和の祈り」をし「呼吸法の唱名」をし、
「呼吸法の人類即神也の印」を組んでいれば、「絶対に、大丈夫!!」ということなのです。
これが、今の自分の身体と心に起きている実感(実体験)です。
この「絶対に、大丈夫」を論理的に考えてみると、
「自分の都合の良いようになる」ということではなくて、
「世界平和の祈り」と印を組むことを、自分の納得のいくまでやっていれば、
「どんな災難(不都合)が起きても、動じない心境になるから、絶対に大丈夫!!」ということなのです。
つまり、「絶対に、大丈夫」には、一つの要件があるのです。
ですから、「集会で祈っているから大丈夫」とかいうことではなくて、(^^;ゞ
日々時間のある限り、自分(守護霊・本心)の納得のいくまで、「世界平和の祈り」をし「呼吸法の唱名」をし、
「呼吸法の人類即神也の印」を組んでいれば、「絶対に、大丈夫!!」ということなのです。
これが、今の自分の身体と心に起きている実感(実体験)です。